第10話 ストリート・ファイター Street Fighter

 インド洋ディエゴガルシア島から飛び立った輸送機が、日本のイワクニ航空基地に到着したのは午後三時過ぎだった。

 海兵隊基地の中で私服に着替えた女性士官は、警備兵と敬礼を交わして、自走型スーツケースを従えゲートを出た。待機していたエアタクシーに乗りこむと、ドライバーはトランクの中にスーツケースを収めて運転席に戻った。


「こんにちは!今日はエイオキさんじゃないのね?」

 ビアンカが声を掛けると、ドライバーは流暢な英語で答えた。

「青木は非番で私は伊藤です。予約されたスワンさんですね?」

「そうです。ああ、あの方はアオキさんね。日本語の発音がわからなくてゴメンなさい」

「いえいえ。あの~失礼ですが、スワンさんは、先週大統領の叙勲を受けたパイロットの方ですか?」

「えッ、私を知っているのですか?」

「この界隈では評判ですよ!青木もあなたを乗せたと自慢してます。いや~、難攻不落の要塞を撃破ですか?大殊勲ですね~」

 中年のドライバーは事も無げに言った。基地の街では、流れるニュースも全国版報道とは趣が異なるのね、とビアンカは思った。

 がっちりした体格の運転手は、マグレブの駅に着くまで、作戦について時おり質問を交えながら延々と話し続けた。


 あのミッションは思い出したくない・・・

 ビアンカは適当に受け流しながら、心はひたすらアキラを想っていた。

「わたしたち、どうなるのだろう?いずれ匠と再会する時が来るのに・・・」(*)

 根が能天気なビアンカも、さすがに二人の男性の間で葛藤する心を持て余して悩んでいた。

 けれども、鍛え上げた観察眼までは曇らせてはいなかった。


 タクシー代をドル紙幣で支払ったビアンカが駅の中に消えると、伊藤は市街地を抜け人気のない山林にタクシーを乗り入れた。

 ドライバーの帽子と制服を脱ぎ、林の陰から意識を失った青木を引きずり出し、担ぎ上げてタクシーに戻った。制服を注意深く元通りに着せて、青木を運転席に座らせた。

 麻酔銃が切れるまで、また小一時間ある

 伊藤はホッと一息いれてから、クリプトフォンを取り出した。会話を暗号化する禁制品だ。警察や公安の人工知能では解読が不可能な代物である。

 接客中の明るいトーンとは打って変わって、低いだみ声で言った。独特の剽悍さと凄みには、非合法組織の中堅幹部の年季がこもっていた。

「女のスーツケースにトラッカーを仕こんだ。タクシーの映像記録は消去、走行記録も書き換えた。後は任せる」

 そう言ってそっけなく電話を切った。

 暗号化通信は盗聴できないが、マークされていれば位置を特定される恐れがある。通話は短いに越したことはなかった。


 青木は客を装った強盗に麻酔薬を打たれて、ドルの売上金を奪われたと警察は判断するだろう。だが、治外法権に等しい米軍基地が絡むとなれば、捜査はそこで頓挫する。

 太平洋戦争の敗北以来、事実上米軍統治下にある日本では、お決まりのパターンだ・・・

 伊藤はがっちりした四角い顔を歪めた。生粋の保守主義者で、日本国の完全独立を祈願しているだけに、今回の仕事がかなり癇に障ったのである。

「しかし、イイ女だったな。あんな美女がトップガンのパイロットにいるんか?」

 今回の仕事は、しかし、ちょっとした役得だった。

 伊藤はニンマリしたが、すぐに愚痴が口を突いて出た。

「わざわざメガロポリスから山口まで出向くほどのヤマか?この程度の使い走りなら、ラガマフィンのチンピラで十分務まる。プラウドの連中は何を考えてんだ?」



 一時間半後、防磁コーティング特有の光沢に夕陽を赤く反射しながら、最高時速六百キロで疾走するマグレブは西の都に到着した。

 アポカリプス後、西へ遷都したこの国の首都、通称「メガロポリス」に降り立ったビアンカは、帰宅ラッシュの人混みを縫って、巨大都市の中央駅構内を足早に歩いて行く。この時間帯は動く歩道を使うより自分の足で歩いた方が早いのである。

 人目を感じて、ふと二階のショッピング街を見上げた瞬間、前から来た通行人とすれ違いざま身体が接触した。

 慣れないハイヒールを履いたビアンカは、バランスを崩してたたらを踏んだ。スーツケースも自動的に停止した。


「アッ、ごめんなさい!」

 ビアンカが声をかけると、黒いフードを目深に被った少女は、一瞬立ち止まってビアンカを睨んだ。

 が、無言でフンと顎をしゃくって背を向け、片手の小型タブレットに視線を戻して歩き去った。

 

 気を取り直したビアンカは、足早に構内の化粧室へ向かった。個室に入り、コートのポケットからこぶし大の機器と紙のメモを取り出した。

 メモに目を通してから、細かくちぎってトイレに流した。それから、イヤーモデュールにタッチしてホログラスを展開すると、手首の軍用IDのアセンブリを起動した。


 ホログラス越しにスーツケースの外側を丹念に調べていく。

 イヤーモジュールに「ピピッ」と反応音が響いて、ホログラスに映ったスーツケースのスケルトン画像に二か所、赤く点滅するドットが現れた。

 ポケットから出した小型機器をスーツケースに当てがい、ドットの位置に合わせ読み取りスイッチを長押しする。

 ホログラスに映るドットが小型機器にコピーされ、スーツケースからデリートされた。残るトラッカーを処理し終えると、ビアンカは化粧室の中を見回した。

 側面にある換気口に目を留め、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。



 今年は冬の寒さが長引き、三月と言うのに朝夕の気温は真冬並みに下がる。

 しかし、薄暮のスラム街は、異様な熱気に包まれていた。

 恒例のメガロポリス・ストリートファイト・フェスティバル、通称「フィスト・フェス」の春季トーナメントが、いよいよ決勝戦を迎えていたのである。

 大通りの交差点に設けられたリングは、メガロポリスのVIPや裏社会の顔役が陣取る仮設の観客席で取り囲まれている。

 周辺は人だかりで溢れ、数千人が路上や廃ビルの屋上から大きな歓声と怒声を浴びせかけていた。


 圧倒的な筋力と体重で敵をねじ伏せる巨漢ジャイアンは、寝技と絞め技の達人でもある。スタミナで劣り、小回りが利かない己の弱点を重々承知している。

 対するシンは中肉中背だが、敏捷でスタミナとパワーのバランスが取れたファイターだ。ミドルディスタンスを得手とするが、インファイトもそつがない。

 狡猾な戦術を駆使して戦う頭脳派でもある。


 決勝戦で相まみえた両者は、ともに準決勝までにしたたかに手傷を負い、体力も消耗している。

 だが、衰えることのない闘志は、互いに一歩も引けを取らなかった。


 ゴングの音と同時に、シンは猛然と真正面から襲いかかった。

 観衆も審判も、予想だにしなかった無謀な突進にあっけにとられた。

 準決勝までと同様、シンは距離を取って戦うと踏んでいたジャイアンも、完全に意表を突かれた。

 が、同時に「しめたッ!」と思った。

 つかまえさえすればこっちのモノだ!

 受け身になりながらも、覆いかぶさるようにシンに掴みかかった。


 身長二メートルの巨漢の胸に頭から突っこむと同時に、シンは勢いよく右側に身体をスピンさせた。

 太い両腕がその身体を捉えたと見えた瞬間、ジャイアンの両手は汗に光る裸の上半身の上でツルっと滑って、シンをわずかに掴み損ねた。


「しまった!」


 体当たりの衝撃で、巨体は後ろにバランスを崩して動きが止まった。

 瞬間、シンは俊敏にステップを踏んだ。巨体の右脇をすり抜けざま、右膝の裏に右足の踵を蹴り入れた。

 コンパクトな一撃は急所を的確に捉えた。

「うぉッ!」

 短く苦悶の叫びをあげた巨漢は、たまらずガクッと脱力した右膝をマットに着いた。筋肉と違い、関節は鍛えようがない。

 背後を取られまいと、必死の形相で右に振り向きシンの姿を追う。

 だが、姿を見失い、慌てて反対側に振り返った刹那、計ったように強烈な回し蹴りが、ジャイアンの顔面を捉えた。


 カウンターの一撃をまともに食らった顔がひん曲がった。

 唾液をまき散らしながら、マウスピースがその口からすっ飛んで、マットの上に転がった。

 ジャイアンはたまらず、横向きに襤褸切れの塊のように崩れた。そのまま長々とマットに伸びてしまう。顔面に叩きこまれた痛烈なカウンターの蹴りに、激しく頭部を振られて脳震盪を起こしたのだ。

 テンカウントを数え終えたレフェリーが、両手を交差させて試合終了を告げると、シンは寒空に右こぶしを高々と突き上げた。


 若者は相手の動きを完璧に読んでいた。

 膝への蹴りが決まると同時に、敏捷にステップを踏んで、再度右に身体をスピンさせたのである。その勢いを借りて、左回し蹴りをジャイアンの背中越しに放ち、焦って向き直った巨漢の顎をカウンターで打ち砕いたのである。

 わずか十秒足らずのあっけない幕切れにもかかわらず、劇的な一発KOは観衆を狂喜させた。

 実況中継の絶叫も、かき消さんばかりの熱狂ぶりだった。

「蝶のように舞い蜂のように刺す、と言わずして何と言いましょう!?」

 くるくると立て続けに二回転して巨人を翻弄、わずか二発の蹴りで屠り去るとは!これほど鮮やかな瞬殺ノックアウトは、滅多に見られない!

 レフェリーがシンの右手を高々と掲げると、観客はさらに興奮して激しく足を踏み鳴らした。

 廃墟のビルに急ごしらえでぶら下げた巨大モニターに、闘いの一部始終がスローモーションを交えて再生されると、熱気は否が応にもヒートアップする。

 どよめきの声と指笛の音が、静まる気配もなく延々と続いた。


 ストリートファイトお抱えのドクターとナースがジャイアンの手当をする間、シンはライバルのそばについて見守っていた。

 巨漢が顎を押さえながらようやく起き上がると、シンはライバルの手を取り高くかかげて健闘を称え、観衆に拍手を促した。

 観衆の歓声は一段と高まり、拍手の渦がいつしか手拍子に変わってゆく。

「シン!シン!シン!・・・」


 そこへ、勝負が決するのを待っていた手下のラガマフィンが、ロープを潜ってリング上のシンに近づいた。

「シン、祝勝会の前に話が!」

 観衆の声にかき消されないよう、手下は耳元に顔を近づけた。


「なにッ!女を見失っただとッ?・・・どういうことだ?あのトラッカーは透明で剥がすのだってムリだ。スーツケースはどうなったんだ?」

 顔のあちこちに残る生々しい傷の痛みも忘れ、渋面に変わったシンは、手下を問い正した。


「それが、見つかったのはこれだけなんで・・・」

 手下が差し出した楕円形の小型機器を見たシンは目を疑った。

「こいつは・・・ロボティックマウスじゃねえかッ!どこで見つけた!?」

「見つけたもなにも・・・駅ビルの改築現場で、エアダクトから落ちてきたんでさあ~。信号を追って、あちこちグルグル引き回されたあげくが、このチンケなマシンだったんで・・・それに、女の尾行につけた奴も間抜けで、トラブりましたんで・・・」

 ハイテクに弱い手下が間の抜けた顔でくどくど説明する声も、自分の名前を連呼する数千人の声も、もはやシンの耳には入らなかった。


 超ハイテクの諜報機器じゃねえか!ブラックマーケットにも出ないブツだ。噂に聞いていたが実物は初めて見る・・・

 あの女、何者なんだ?米軍のパイロットがメガロポリスに何の用だ?

 

 メガロポリスを牛耳る裏組織プラウドが、この仕事を表社会の依頼主から請け負い、配下の下部組織ラガマフィンを率いるプラウドの幹部候補シンに女の尾行を命じたのである。


 くそッ、簡単なヤマと甘く見たのが失敗だ!だが、このデバイスはとんだ拾い物だ。デカい裏があるに違いねえ・・・

 フィストフェス連覇の喜びも忘れて、シンは憮然として寒空を睨んだ。

 この野心的なギャングの若者は、一年後に今度は神秘的な若い女に手玉に取られ、超弩級の不可解な謎の渦中に巻きこまれようとは、もちろん知る由もなかった。(**)



* 「青い月の王宮」第30話「束の間の休息」

* *「青い月の王宮」 第4話「西の都」


  

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