第9話 黄昏のインド洋 Evening Twilight Over The Indian Ocean

 暮れなずむインド洋を航行する中央軍第五艦隊の旗艦空母リチャード・ローズの船上から、応急修理と整備点検を終えたF95が次々に飛び立ち、欧州連合の各国空母へと去って行く。

 非番の乗組員たちは甲板に出て、その都度敬礼をしつつ、昨今はなかなか見られない二人乗り戦闘機の雄姿を見送った。

 最後の戦闘機が甲板から空中高く浮上するのを待って、艦隊はゆるやかに旋回して、管轄する中東と東アフリカ北部海域へと向きを変えた。


 南国の太陽が傾くにつれて、青空を夕焼けが覆ってゆく。赤く染まった空母の後部甲板には、乗組員のカップルが三々五々と集い始めた。

 日中のシフトが終わる時間帯には、ここが恋人たちの憩いのスポットに早変わりする。


 アキラとビアンカも防護柵に手をついて、遠ざかる機影を遠く見つめていた。

 ビアンカが口を開いた。

「アキラ、わたし、休暇を申請したの。愛機もしばらくは使い物にならないから、ちょうどいいわ」

「チーフメカニックも言ってたよ。あと数秒、離脱の振動が続いたら空中分解しただろうって。装甲を強化しないMX25Rのままだったら、確実に墜落していたそうだ。プライムが設定した離脱軌道は正確だった。運が良かったよ!」

 アキラが微笑みを浮かべて答えると、昨日のミッションの日焼け跡が、目じりに人の好さそうな笑い皺を刻んだ。

 昨日は際どい有視界飛行の連続で、UVカットのアイシールドは使えなかったのだ。

 高空を飛行するため、反射光も含めて紫外線は強烈だ。五千メートルでは、地上より六割ほど強い。

「ネバダの試験基地を思い出すわね。あの時もラッキーだったって話したの覚えている?」(*)

 クスっと笑ってビアンカが言った。

「覚えてるよ。何だか遠い昔のような気がするけど・・・」


 ビアンカはアキラに向き直った。

「アキラ、わたし、あなたに話しておきたいことがあるの。全ては話せないけれど聞いてくれる?」

 アキラがうなずき、ビアンカは思い切って言った。

「わたし・・・わたし、あなたを愛しているわ!昔からずっとね・・・意味はわかるでしょう?」


 アキラは穏やかな面差しでビアンカを見つめた。

「でも、今は運命の人に再会する時が来ているの・・・」

 すると、アキラが静かに口を開いた。

「サマエルアトレイア公爵だね」

「アキラ、なぜ、彼の苗字まで知ってるの?あの夢には彼は出てこなかったし、それにわたし・・・」

 ビアンカは驚いたが、絶頂に達して思わずサマエルの名前を叫んだのは。さすがに恥ずかしくて言葉にできない。

 

「実はあの後、夢の続きを見たんだ。不思議だった・・・」

 アキラは淡々としていた。その顔には再び温かい笑みが浮かんでいる。

「えッ?それ本当なのッ?」

「ああ、鮮明だったから忘れっこない。ただの夢じゃないってわかった」

 ビアンカは息をのんでアキラを見つめた。驚いて言葉が出ない。

 そんなことがあるの?だって、アキラは新人類の第二世代ではないし、わたしは彼にコンタクトはしていないのに・・・


 だが、アキラの次の言葉は、輪をかけて衝撃できだった。

「あの当時、自由奔放なニムエ王女を独占できる男なんかいなかった。それでも、ダニエルプロスペロは、一途に王女に想いを寄せていた。アトレイア公爵もそうだった・・・」

 ビアンカは思わず口をポカンと開けて、アキラの言葉に聞き入った。

 わたしは過去生の印象的な出来事を思い出せる。だけど、なぜ人類のアキラがこんなにハッキリ思い出せるの!?


「そして、運命は王女と公爵を結びつけたんだ」

 いったん視線を海に向けたアキラは、ビアンカの方に向き直って言った。

「それでも、その後の転生で君と僕は何度も結ばれている・・・今生ではまたサマエルが現れるんだね。運命の歯車が回る時が来たんだと思う」

 ビアンカは言葉も出ずアキラを見つめた。

「ビアンカ、君を愛しているよ。心から。今もそしてこれからもずっと!だからこそ、君には運命の相手と再会を果たしてほしいんだ」

 穏やかな声だった。それから、呆然としたビアンカの肩にそっと手を回して抱き寄せ、悪戯っぽく耳元でささやいた。

「ちょっとカッコ良過ぎたかな?今のセリフ」


 ビアンカは目を輝かせて下唇を噛むと、キッとアキラを睨んだ。

「ばかッ!臭過ぎよッ!」 

 小声で叫び、アキラの胸を拳で叩いた。そのまま顔を埋めてしがみつくと、涙がぽろぽろこぼれて、抱きとめるアキラのパイロットスーツを濡らした。



「おい、見たか!?俺の勝ちだ!五十ドルいただきだ!」

 空母のブリッジから二人の姿を見ていたメイスが、薄っすらと髭で覆われた顔をニンマリさせて、バイパーに向かって手を差し出した。

「ちくしょ~、アキラのヤツ!失恋したうえに大損だッ!サイテ~だな、オレの人生」


「オレもだ!しようがない、負け犬同士で傷のなめ合いでもするか?」

 たむろしていたパイロットたちは、賭け金をやりとりしながら軽口を叩いた。

「見ろよ、あの二人。お似合いだと思わんか?」

「くそ真面目なナイスガイのアキラと、手のつけられないじゃじゃ馬スワンか?翔んだカップルだが、いいね~」

「あー、オレの操縦桿はいったい誰を飛ばせばいいんだ?」

「お前の操縦桿じゃ、女は地べたを這いずって終わりだろ?」

「翔べないカップルじゃ、ぜんぜんシャレになんないゾ!」

「バカ言え、アキラのウタマロとシャワールームで比べっこしたが、判定は引き分けだ!」

「やれやれ、寂しい連中だな!カップルが夕陽を眺めてるってのに、虚しく下ネタか?」

「お前が言うな~!」


パイロットたちが冗談を言い合っている間、ビアンカとアキラはじっと抱き合ったまま動かなかった。

 ややあって、アキラの胸から顔をあげたビアンカが口を尖らせる。

「かっこ良過ぎるよ、アキラは。女心が読めるみたい・・・」

「母親の影響かもしれない。運命の流れに乗れば、時間を味方につけられるって、口癖でね。母はHSPでちょっと不思議なぐらい勘が鋭いんだ。高校に馴染めなくて退学した後、ホームスクールで勉強したんだ。父は博士号を三つ取っているから、あの二人がどうやって知り合ったんだか?馴れ初めを知りたいんだけど、なぜか話してくれないんだ」

 アキラは肩をすくめた。

「僕が戦闘機のパイロットになると言ったのも母なんだ。まあ、子供心に暗示をかけられただけかもしれないけど・・・まさか、自分がトップガン訓練生になるとは思ってもみなかったよ」


「アキラのお母さんはサイキックなの?」


「いや、超能力者ってほどじゃないよ。今は占い師をやってるんだ。ミヤコ・ミヤザキ。旧姓はミヤコ・ミヤマ。笑えるよね~、ミヤミヤと結婚前も後も、韻を踏んでるんだから」 


「そうなの・・・いつかお会いしたいわ!」

 ビアンカは努めて平静を装った。

 旧姓がミヤマ・・・まさか貴美の親戚かしら?それに「時間を味方に」って?第二世代に伝わる言い回しそっくりだわ。


「いいね、いつか一緒に日本に行こう。両親は仲が良くてね。君を歓迎してくれるよ!」

 プライムのレーザー砲回避プログラムの欠陥について話すつもりで、アキラはビアンカとここで待ち合わせた。

 けれども、まだ自分を取り戻せないでいるビアンカの姿に、ミッションの話は避けた方が良さそうだと思い直したのだった。

 ふたり寄り添うこの瞬間を大切にしよう。彼女はいつ消えてしまうかわからないのだから・・・

 これまでも、ふと思ったことが往々にして実現した。

 妙に直感が鋭いのも不思議な夢を見たのも、母親譲りの能力かも知れない、とアキラは漠然と感じていた。


 一方、アキラとの関係が一気に深まったおかげで、ビアンカはミッションで負った心の傷が格段に和らぐのを感じていた。そして、過去の転生で心の支えだったかけがえのない相手に、思いがけず再会できた喜びで胸が一杯になった。


 しかし、新たな謎にはとことん頭を悩ませていた。

「なぜ、アキラがあの夢の続きを見たの?間違いなく千年前の過去生を思い出している。それに、今のアキラは第二世代そのもの。嫉妬も独占欲も感じられない。人間離れしてる」

 あの時代、ダニエルとわたしは結ばれなかったけれど、その後の転生では何度も結ばれていたわ。アキラがダニエルの生まれ変わりなのは間違いない。

 ただ、わからないのは、なぜアキラが思い出したのか?

「不思議ね。男性の第二世代は匠が初めてのはず。しかも、匠だってまだ覚醒していないのに・・・一刻も早くメンターに会わなければ。今回のミッションには謎が多過ぎるもの」(**)



 数日後、有給休暇の許可が下り、ビアンカはミッチェル中佐からパトリック・ドレフュスが釈放されたと聞かされた。

 危険なミッションに挑んで心に消えない痛手を負ったが、その甲斐があったとビアンカはホッとした。

 だが、ブラック・イーグル作戦に抱いた疑惑は、むしろ逆に深まった。

 話が出来過ぎている、と感じたのである。


 やはり、何者かが貴美の父を拘束させたのでは?

 それに、わたしがAIを止めて自動操縦を切ると、プライムだったら予測できたのではないだろうか?



* 「デザート・イーグル ~砂漠の鷲~」第6話「オアシス」

** 「青い月の王宮」第13話「第二世代」



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