第57話 青い瞳の Blue Italian Eyes

「姉ちゃん、貧乏ゆすりしてる!」

 突然、匠が茶々を入れた。

「失礼ね~。まっタク~、いいムードなのに何よッ!サイテ~!」

 貴美は左手で匠の額を軽く小突いた。

「あっ、ごめん!まだまだ修行が足りないでござるよ。僕もこの血まみれの服を着替えなきゃね!」

「そうね、ヴァンパイアみたいよ。唇にも血の跡が残っているもの」

 貴美がまじまじと眺め回すと、匠は口をへの字型に曲げて鹿爪らしい顔で切り返した。

「第二世代って、ヴァンパイアだったのか?だから歳を取らないんだ?知らなかった!何だかでっかい蚊になった気分」

 貴美は吹き出した。

「ばー蚊なロバのやつ!」

「ロバと蚊じゃ、どっちが格上なんだろう?」

「あ~、わたし、早くトイレに行かないと!朝食、お願いね!」

 軽口を交わすうちに、いくらか落ち着きを取り戻した貴美は、バスルームに向かった。


「でも、身体に傷はないのよね~、覚醒したのだから治癒したんだわ。これでタクは大丈夫。問題はこのわたし・・・うんッ!?」

 もの思いに耽りながらトイレを出た貴美は、洗面所の鏡に映った自分の顔を見て仰天した。「キャーッ」と悲鳴をあげた貴美は、ショックで貧血を起こした。ずるずると床にうずくまって座り込んでしまった。


 悲鳴を聞いた瞬間、匠は驚くほど素早く反応した。無我夢中で身体が異様なほど軽く、居間を疾風のように駆け抜けて、洗面所に飛び込んでいた。危うくドアに激突しそうになって、慌てて立ち止まってつんのめったほどだ。

 何だ、このスピードは!どうしてこんなに速く動けるんだろう?常軌を逸した敏捷な動きに我ながらあっけにとられた。

 これがそうか!・・・

「第二世代は能力を発揮するより、抑えるのに苦心します」

 一夜の冬眠の間にタリスが伝えてくれた知識を、匠が身を以って実感した瞬間だった。が、今は自分より姉のことが先決だ。膝をついて背後から貴美の身体を支えて声をかけた。

「カミ、大丈夫?」

「タク、なに、これ?・・・わたし、目の色が変わっている!・・・なんなの?」

「えッ!?」

 匠は振り向いた貴美の顔を見て、仰天してごくりと喉を鳴らした。フランス系アメリカ人の父親譲りの彫りの深い二重瞼の目が、黒から青い瞳に変わっていた。


「ほ、本当だッ!瞳の色が青に変わっている!・・・さっきは部屋が暗くて気づかなかったよ」

 今の時代、遺伝子操作でも瞳の色を変えられるが、貴美には次元の違う力が作用したらしい。自分に起きた物質化現象が貴美にも起きたんだ、と気づいたが、その理由は皆目見当がつかなかった。

 匠にしがみついた貴美は、ショックで小刻みに身体を震わせていた。


「カミ、ゆっくり深呼吸して。大丈夫だから!」

 匠は貴美を優しく抱きしめて耳元にささやいた。貴美は言われるがままに、深呼吸を二回、三回と繰り返す。

「IDでフィジカルをチェックして」

 貴美は手首のIDブレスレットに触れ、体調管理アプリを起動した。しばらくしてピピッと電子音がして点滅した項目をチェックする。

「低血圧と低血糖があるけど、異常値じゃないわ・・・他には特に異常はないみたい。貧血でフラフラするだけ」

「良かった。たぶん冬眠のせいだと思う。まる三晩も続いたんだから無理ないね」

「でも、目の色が変わるなんて、そんなこと考えられる?」

 貴美はうち続いたショックに呆然とした声で言った。ところが、意外にも匠はあっさりとうなずいた。


「うん、あると思う!だって、ビビにそっくりだから。とてもきれいな青い目だよ」

 匠の言葉に貴美はハッとなった。冬眠中に見た過去生を思い出したのである。

 わたし、確かにビビと一緒にいたわ!そう、中世イタリアのアルビオラ姫と。なぜ、わたしが?それに、匠もあの時代にいたはずなのに覚えていない・・・

 ダメっ、思い出せない!

 貴美は頭の中に蘇った記憶の断片をたどろうとしたが、気持ちがとめどなくざわついて、記憶の断片さえも押し流されてしまう。

 しかも、脳心理研究所でビビの存在をわたしが知ったことまで、弟にはなぜかわかっているらしい・・・


 だが、あれこれ詮索する気持ちの余裕などなかった。身体には得体のしれないエネルギーが渦巻いている。床にへたりこんだ貴美は、弟に支えられたまま顔をしかめて酸素をを求める魚のように激しく喘いでいた。

 ただでさえ心身が不安定になっていたところへ、瞳の色が青に変わるというあからさまに異常な変化を目の当たりにして、貴美の心はまた千々に乱れた。


「深く息を吸って・・・ゆっくり吐いて・・・呼吸に意識を集中して・・・そう、その調子」

 動揺を隠せない姉を抱きとめたまま、匠は耳元に語りかける。その一方で自分に言い聞かせていた。

「タリスがカミを助ける方法を教えてくれなかったのには、何か理由があるはずだ」

 しばらくして、緊張にこわばっていた貴美の身体から、ようやく力が抜けていくのを感じて匠は言った。

「少しは落ち着いた?・・・瞳が青に変わったのもそうだけど、カミに起きた変化は、身体や脳の異常じゃないのは確かだと思う。だから大丈夫。とりあえず、軽く何か食べてから対応を考えよう」

「そうね・・・タク、あなたの言う通りだわ。たぶん冬眠が原因ね・・・お腹が空いたわ」

 気持ちがいくらか落ち着いてくると、貴美は再び強い空腹感に襲われた。

「じゃあ、居間のソファで少し休んでて。食事を用意するから!」

 匠は明るい声で言って、貴美を軽々と抱き上げて洗面所を出た。貴美は目を閉じたまま、匠の肩に頭を寄せて身を任せた。今は何も考えず弟に頼るのが居心地が良く安心だった。


 でも、わたし、なるたけ早くナラニに会わなければ・・・休暇を取っていてちょうど良かった

「目の色が変わる」なんて・・・まったく冗談じゃないわ!

 ナラニに会えると思うだけで気持ちが楽になり、ホッとした貴美は少しだけ状況を笑える気分になった。



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