第55話 ペペ・デラ・ルナ・ブルー  Albiora

 「サマエル、あなた、また村の視察に行く気ね?」

 ニムエはうさんくさそうな目つきで、アトレイア公爵を見やった。

「あれっ、わかった?」

と、サマエルがすっとぼける。

「当たり前よ~、そんな恰好をしてるんだから!」

 ニムエは面白そうに公爵をじろじろ眺めまわして言った。それもそのはず、サマエルはかつらと付けひげを着けて、王家の従者の衣服を身に纏っていたのである。


「いや、お偉方がじきじき村を尋ねると、村人にははた迷惑だろう?それに、僕はありのままの生活を見たいんだよ」

「そうね、気持ちはわかるわ。あんなことがあった後だもの・・・」

 不意に辛そうに顔を曇らせたニムエを、サマエルはしっかり抱き寄せた。思い出させるつもりはなかったのだが、サウロンの秘密を打ち明けてから、まだ三週間しか経っていない。


 三週間前、無事に戴冠式を終えた直後、覚悟を決めたようにサマエルを問い詰めたニムエには真相を告げるしかなかったのである。トロセロ将軍とは違い、ニムエはサウロンが自決した理由に薄々感づいていたのだった。

 激しくイラついては狩猟と称して独り外出しては、嘘のように落ち着いて戻って来る 。その後、決まって村の若い娘の失踪が取り沙汰される。その繰り返しに何かおかしいとニムエは思っていたのだった。

 サウロンの心の闇にもっと早く気づいていたら、娘たちとサウロンの命を救えたかもしれない。痛切な悔恨かいこんの想いに、二人はただ抱き合って泣くことしかできなかった。

 この三週間、二人で密かに捜索したが、娘たちの遺体は発見できないでいる。確証が得られないため、ニムエは前王の犯罪を秘密にするしかなかった。もっとも、確証が得られたとしても、王家の体面を保つため公表はしなかっただろう。

 戴冠式の数日後、ニムエは即位記念を口実に、娘たちの遺族が住む村も含め、国内のすべての村に王室から支援金を贈った。新女王ニムエが罪悪感を抱きつつ下した、最初の不本意な政治的決断だった。

 一方、王家に婿入りして多忙になったアトレイア公爵は、薬師の仕事を続けられなくなったが、王室の予算で優れたヒーラーを雇い、村々を回るよう手配した。


 ニムエを抱きしめたまま、サマエルが重い口を開いた。

「サウロンの命日が来たら、エメラルドフォールズにも出かけよう。たぶん、あのシンクホールの地下水脈に、彼女たちは眠っていると思うんだ・・・」

「ええ、そうしましょう。せめてもの鎮魂のために・・・」

 深くうなずいたニムエは、公爵の肩に顔をうずめて涙を堪えていた。


 公爵が村々の視察を始めたきっかけは、失踪した娘たちの情報を得るためだったが、女王の配偶者として庶民の生活の現場をもっと知りたいと思ったからでもあった。

 だが、サマエルはニムエにも告げられない秘密を抱えていた。

 オパル公国の西方の村の一つに、タリスが住んでいる。同じ年頃の仲間と一緒に遊んだり、幼い子供たちの世話をしたり、忙しく立ち働きながら村人と軽口を叩き合っては、ほがらかに笑っている姿を何度も見かけた。

 はたから眺める分には、ごく普通の村娘にしか見えない。けれども、目が合うとタリスはサマエルに向かってにっこり微笑む。いくら変装したところで彼女には通用しない。

 顔立ちも含めて全身が小造りで、目じりが上がったエキゾチックな目を細めて微笑むと、小さな口から歯並びの良い白い歯がこぼれて、惚れ惚れするほど愛らしい。サマエルも自然に笑顔になり、日々の苦労も吹き飛び心が癒されるだった。


 しかし、タリスに話しかけたことは一度もない。 サマエルはタリスについて何一つ詮索しなかったのだ。東洋の神秘的な少女が、なぜイオニア海に面するこの小国に住み着いたのかも、サウロンとの関わりも、村の家族のことも一切調べなかった。

 遠い未来でまた出会うとタリスは言ったが、その通りになると確信して、それ以上知りたいと思わなかった。まだ自分には知る用意ができていない、と無意識に感じていたのかも知れない。

 タリスは、私たちはあなた方と同じと言った。地下牢で磔から解放して傷を癒してくれたが、自分の力ではないとも言った。そして、その力はアルビオラの中で目覚めると・・・



 新王室の日々は慌ただしく過ぎ去り、サウロンの命日が巡ってきた。ところが。その日、ニムエとサマエルは墓参りどころか、王宮から出ることさえかなわなかったのである。二人が結ばれたあの夜から、ちょうど九カ月が経っていた。


 ペペ・デラ・ルナ・ブルー。ブルームーン・ベビー。青い月の申し子。

 あの夜の月と同じ青い瞳を持つ幼い王女を、人々は畏敬と親しみを込めてそう呼ぶ。王家では誰が言い出したのか、ビビという愛称がついた。


「兄上の瞳とあなたの髪を受け継いだのね!」

 ニムエはこの上もなく嬉しそうだった。そして、際立って白い肌を持つ娘に、アルビオラと名付けたのだった。

 安心しきって眠っている赤ん坊をそっと抱いて、サマエルは耳元にささやいた。

「素敵な名前だね、アルビオラ。タリスを知ってるんだね。二人だけの秘密にしようね」


 オパル王朝は、対岸のアテネからこの地の豪族に嫁ぎ、夫の死後に独立国家を築いた女帝カテリーナに端を発する。そのため、王位継承者は代々その出自を示すアテナイアの名を受け継ぐ。ニムエ・アテナイアとその娘アルビオラ以降、オパルは女系王国として栄えてゆくことになる。

 けれども、あの青い満月の夜の出来事をきっかけに、人智を超えた力を秘める王女が代々生まれるようになるとは、いったい誰が想像できただろう?

 知っていたのは一人だけだ。


「二日間待ったのには訳があります」

と、タリスは言った。サマエルは確信していた。あの夜、ニムエがハネムーン・ベビーを受胎すると、彼女には分かっていたに違いない。


 ニムエは今も時々サマエルをからかう。

「女王を押し倒していきなり妊娠させるなんて、あなたって本当にワルい人ね!」

「誰が押し倒した?しがみついてきたのは誰だっけ?」

 サマエルが反撃すると、ニムエはおどけてふくれっ面になり、決まってバシッと蹴りを入れてくる。

「ビビ、助けてっ!ママがイジメるんだッ!」

 アルビオラを抱き上げて身を守るフリをすると、ニムエは笑って公爵のかたわらにぴったり身を寄せる。


「赤ちゃんに守ってもらうなんて、情けないパパでちゅね~」

 ビビに頬ずりをしてからサマエルにキスをすると、肩に頭をもたせて幸せそうにため息をつくのだった。


 王位に就くこともなく、サマエルの立場はまるで変わっていなかった。ニムエや周囲の人々からも、相変わらず軽くあしらわれている。しかし、公爵は皆のおかげで居場所を見つけられたと、思っても見なかった幸せな日々に感謝していた。

 周囲の誰にも言えない秘密を抱えているのを除けば・・・


 地下牢での別れ際、タリスはふり返ってこう言い残したのだった。

「私の生まれ故郷に『知る者は言わない。言う者は知らない』ということわざがあります。大陸から伝わった賢者の言葉です。言葉では言い表せない世界が存在するのです」  

 どう伝えたものかと少し考えてから、タリスは続けた。

「生命(いのち)は、身体と心を超えた存在なのです」


 タリスの謎めいた言葉は、その後オパルの王女に代々受け継がれる不可思議な異能力と、遥かな時を隔てて人類に起きるさらに大きな変化を予言していたのだ。

 その変化はアルビオラに始まり、彼女を身ごもったニムエにも表れた。


 そして、後に養女として王家に迎え入れたもう一人の娘にも・・・


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る