第14話 和光同塵 The Third Party

 貴美は大通りに駐車中のレトロな移動カフェのバンでエスプレッソを買い、近くのベンチに腰をおろした。週日のランチタイムになると、エリア21からシリコンアレーのビジネス街やここ中央駅周辺に、数台の移動カフェが軽食と飲み物を販売に出向いて来る。無農薬の自然食材がで、貴美も職場の近くでよく利用していた。

 イヤーモジュールにタッチしてホログラスを展開すると、瞳孔認証で電源が自動的に入った。次いで、膝の上にホログラムのキーボードとトラッキングパッドを起動した。IDブレスレットで衛星電話回路に切り替え、グラスに映るホログラムを見ながらCIAのデータベースにログオンして、脳心理研究所の情報を調べ始めた。


 しばらくして、タイヤがきしる音に貴美が目を上げると、バンの後ろに同じくエリア21にあるピザ店の配送スクーターが止まるのが見えた。

 バンと同じ古めかしいタイヤ式で、後輪は二輪で荷台にはピザを運ぶボックスを積んでいる。昔と違うのはエンジンがガソリンから燃料電池駆動に変わり、雨風の心配がないためルーフが付いていないところぐらいだ。


 配達員がバンに近づき、エスプレッソを注文する声が聞こえる。英語訛りの日本語に興味を惹かれて、貴美は配達員に目をやった。

 フルフェイスのヘルメットに、身体にフィットした黒いレザー調のボディスーツを着ていた。後姿しか見えないが、見事にくびれたウエストにすらりと長い脚をした女性店員で、ツナギの背中にも古めかしい太い字体で白く「和光同塵わこうどうじん」の四文字の刺繍が付いている。


「へ~、老子のファンかしら?」


 二十世紀から二十一世紀にかけて、この国で暴走族と呼ばれた若者たちの映像を思い出し、貴美は思わず吹き出しそうになった。この店員は日本にあこがれてやって来た外国人なのかも知れない。けれども、可愛らしい小型スクーターにはまるでそぐわない勇ましい服装をしている。

「ピザ配達のスクーターで、暴走族なのね~」

 貴美はつぶやいた。奇妙に時代錯誤な姿が微笑ましく、ふんわり心が和むのを感じる。


 和光同塵。あの言葉は何だったかしら?確か、賢者はその徳を徳と意識することもないため、人々の間に紛れ込んで目立たないという意味よね?でも、彼女ときたら目立ちまくりだわ!ピザ店のユニフォームを着ていないのは新人だからね。


「徳はともかく、正体を隠しているのはわたしも賢者と同じね・・・」

 貴美はふとそう思った。その時、地下に潜る前に着信音をミュートしたIDブレスレットが、手首をトントンと叩いた。ホログラスに呼び出すと、ナラニから南の島の美しい海岸の写真とメッセージが届いていた。

 メッセージは差し障りのない友達メールになっている。貴美はIDを操作してホログラムに映る画像を拡大する。暗記しているコードを入力して、隠されたパターンを解読した。


 脳の夢回路を遮断する臨床実験の予約が取れた、三時に匠を脳心理研究所に向かわせてほしいという内容だった。

 一枚の画像に隠された短い情報だけなら、シティ行政府の自動探査プログラムには引っかからないため、貴美とナラニはもっぱら短信には暗号化映像を使っている。貴美は画像を消去してベンチから立ち上がり、エア・バスに向かって歩き出した。


 ピザ宅配便のドライバーは、ヘルメット越しにさり気なく貴美の姿を追っていた。ヘルメットの額部分にタッチすると、ウィンドシールドがスルスルっと開き、綺麗に日焼けした瓜実型の顔が覗く。ぴったりフィットした黒いレザー調のロングパンツに黒いアーミーブーツを履いた両脚を組んで、スクーターのハンドルの上に投げ出すと、ヘルメットを脱いで黒髪を振って落ち着かせた。

 エスプレッソを片手に宅配ボックスにもたれかかって、興味深気に貴美を見送る。


 彫りの深い派手な顔立ちに濃いアイシャドーを施した切れ長の目は、生き生きと輝いていた。移動カフェの男性客たちは、形の良い脚を無造作に投げ出した美女に目を奪われ、陶然と見惚れた。

 視線に気づいて、男たちに向かってちらりと思わせぶりな流し目を送ると、ドライバーは腰のケースから四角い通信機器を抜き出した。アンテナを引き出して耳に当てると、声をひそめて英語で話し始めた。


「タカミはホットラインで連絡したわ。地下鉄の駅に来たから間違いない。今から仕事に向かうところよ。で、この後は?」

 相手の応答にうなずいてささやく。

「了解。ところでこの時代物の通信機、プライムにも盗聴できないのは確か?・・・ふーん、軍で‎総合無線通信士と技術主任の資格も取ったけどこんな代物は初めて。よく見つけたわね!」

 続けて何やら話していたが、肩をすくめて不満そうに唇を尖らせた。

「はいはい、いつもそれね・・・いいわ、いったん店に戻る!」


「今に分かるって、いつわかるの!?」

 通話を切ると小声で不平をもらしてから、やおら自分を見つめている男たちに視線を向けた。カプチーノのカップを捧げ持って見せながら、顔を傾げて派手にウィンクして見せた。男性客たちも女の明るい反応が気に入ったと見え、一様に笑顔やウィンクを返してくる。


「あらっ、日本の男はシャイって聞いてたけど、すごくイケてるじゃない!あの真ん中の男なんかめっちゃホットね~!あ~、残念、遊んでる暇はないわ、今日は忙しくなりそうだもの」


 アキラが恋しいわ!彼も日本人だもの・・・


 運命のいたずらで別れ別れになった恋人を想い、ちょっぴり切ない気持ちになった。だが、彼のためにも運命をまっとうしなればと決意を新たにして、色気たっぷりの流し目を送り、男たちに華やかな笑顔を返すと、英語で独りちた。


「もう一人のソウルメイトのために、わざわざシティに移って来たのよね、わたし。使命に失敗したら恋愛どころじゃない、大ごとになるわ。米軍を巻きこんじゃったからもう大騒ぎだけど、とてもあんなもんじゃ済まない!」


 ハシバミ色の瞳には溢れんばかりの闘志がみなぎっていた。「冬眠」から覚めて七年経っても、千年前の勇猛果敢な戦士が折にふれて表に出ては、第二世代の穏やかな本性を圧倒してしまう。

 けれども、彼女は今の能天気な自分が好きだった。

 ひたすら身体を動かしたい、戦いたいという衝動に駆られる。何より最愛の人に再会したいという願いに突き動かされて、とてもおとなしくなんかしていられなかった。

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