自己 完全崩壊 ・・・ 宏之

 三年前に犯した、この俺、柏木宏之の過ちが、三年後の今に、自分、大切な親友、恋人、そして親友の恋人さえも巻き込んで不幸にして行く。

『優柔不断なんかじゃなく、慎治の様に決断力が優れていたら』

『脆弱な心なんかでもなく、藤宮の一徹なくらい強い心を持っていたら』

『諦め易くもなく、翠の様に言葉にしたい事をはっきりと口に出して、もっと押しが強かったら』

『甘ったれなんかでもなく、貴斗のようにもっと己に厳しかったら』

『ただ、誰かの施されるんじゃなく、香澄のように献身的になれたら』

『漠然と無意味に日々を過ごすのじゃなくて、春香の様に目標を持って日々を過ごしていたなら』

・・・、こんな結果を生む事はなかったのかもしれない。

 でも・・・、もう遅いんだ。

 他人が持つ才能なんかを望んでも、手に入るはずもないんだ・・・。

~ 2004年11月11日、木曜日 ~

 貴斗から渡された手紙の場所に向かっていた。

 指定時間は午後6時。

 その決められていたその場所に時間丁度にじゃなくて、それよりも早く辿り着けるように向かっていた。

 遅刻するのは嫌だったから・・・。

 その所為でまた、よからぬ出来事が起こってしまうのが嫌だったから早く向かっていた。だが、時間の〝遅い〟、〝早い〟そんなこと意味はなかったようだぜ。

 逆に早くそこについてしまった所為で衝撃的な光景を目にしてしまった。

 いつも淑やかそうな笑みを絶やさないあの藤宮が、見ている方まで心を痛めちまうくらいの哀しそうな顔を作り、その表情とは裏腹に首の骨が折れちまうんじゃないかと思えるような強烈な一撃を貴斗に呉れていたんだ。

 涙を流しているのは彼女だけじゃなく春香もだった。

 そんな光景を見てしまったから、直ぐには声を出す事は出来なかった。

 多分、訝しげな顔をしていたんだろうけど、そんな状態で強烈な一撃を受けたにも係わらず平然としている従兄のヤツに問いかけた。

「お・・・、おっ、おい、貴斗、これはいったいどういうことなんだ?何で藤宮さんも、春香も泣いてんだよっ!黙ってないで答えろ、貴斗」

 少したっても、わかり難いくらい苦しそうな表情をしているだけで貴斗は一言も喋り返してこなかった。

 そんなヤツを見兼ねたのかそれを教えてくれようとしたのは春香だったんだ。

「宏之君、貴斗君にそんなこと、言わないで。私が説明するから」

「ああぁっ、いて見ろ。いったいこれはどうなってんだ?春香」

「多分・・・、ううぅん、絶対、宏之君、聞いたら驚くと思うけどちゃんと聞いてね」

 春香の言葉に俺は頷きで答えてやっていた。

「私ね・・・、その・・・、やっぱり、宏之君の所へは戻れないの」

「はあぁんっ?意味ワカンネエぞっ、春香っ!」

「私、貴斗君とお付き合いする事にしたの。だから、宏之君の恋人にはもう戻れない。ごめんしてね、宏之君」

 春香の伝えてきた言葉を聞いて驚くとかそんな次元の問題じゃなかった。

 俺はいったいどんな表情をしていたんだろうか?それでも、その言葉が信じられなくて、彼女に問い詰めるように言葉を向けていた。

「春香が俺じゃなく・・・・・・・・・、貴斗を選んだっていうのか?俺は春香、『お前の為に香澄と別れたんだぜ』。それなのに、それなのにっ、こんなのってありかよっ!」

 まだ、香澄にその事を伝えた訳じゃないけど、春香にはそんな風に自分の気持ちを隠さないで素直に訴えた。

 そんな俺の言いに春香は冷静な顔をしながら言葉を返してくるんだ。

「宏之君はこの結果が不満なのね?・・・だったら、教えてあげる。本当は誰にも話したくないけど、言いたくないけど教えてあげる・・・・・・。」

「私が事故で入院して、目を覚まさない間、私が目を開けてアナタを見ることも、口を開いてお話しすることも、握ってくれた私の手を握り返す事もできなかったけど。でもね、どれだけ・・・、どのくらい、宏之君が私のために心を痛め、苦しんでいたのか・・・、知っていたの。そんな宏之君を支えてくれたのは香澄ちゃんだってわかっていたの・・・」

 いったい春香はそんな事をどうやって知ったんだ?

 誰から聞いたんだ?俺がそうなっていた間、春香は眠ったままだったんだぞ?

 口の硬い貴斗だ、ヤツが余計な事を言うはずがない。

 他の誰か?慎治、香澄、藤宮・・・それとも翠?

 いや、連中がそんな事を春香に伝えるようなでしゃばりはしないと思うぜ。だけど、春香のその言葉に自分勝手な事を押し付けるような事を口にする。

「それが解かってんなら、俺のところへ戻ってきてくれよっ!」

「でも・・・、でも、宏之君、あなたは、そんな事を理由に私を捨てて、『香澄ちゃんのところへ逃げた』のよっ!」

〈俺が香澄の所へ逃げたって?〉

 春香のその言葉、確かにそうかもしれない。

 俺が精神衰弱したのは春香の事だけじゃないけど、それを理由に香澄に甘えてしまっていたのかもしれない。

「私が目覚めない間・・・、ずっと・・・、そうずっとその間、見守ってくれたのは貴斗君、三年間ずっと見守ってくれたのは彼なの。この事実はどうやっても変えられないの」

「それは貴斗が勝手にやっていたことだろっ!俺はそんなの頼んじゃねぇよッ!」

〈確かにヤツにそんな事は頼んだ積りはない〉

 だけど、そうさせちまったのは誰の所為だ?・・・他ならぬ俺なんじゃないのか?

 どちらかと言うと立場的に不利な俺に藤宮が援護してくれるような言葉を出す。しかし、それも春香に効果はなかったんだ。ただ、一層、彼女の気持ちを煽るだけのようだった。

「春香、柏木君もあなたのためを想いまして、こうしてきてくれたのですよ。どうして、彼の事を拒むのです?どうして、私の貴斗を選ぶのです?お願いです。私の貴斗から手を引いてください」

「頼む、頼まない、そんなの関係ないよっ!二度も、あなたは私を裏切ったの。これから先、宏之君とよりを戻して・・・・・・・・・、また、捨てられちゃうのなんって、裏切られるなんって、もう私には耐えられないヨぉーーーーーーーーーーーーっ!!」

〈俺が春香を捨てる?俺が春香を裏切る、だ?〉

 彼女には俺がとっていた行動がそんな風に映っていたなんて・・・、気付かなかった。

 いや、気付いてやれなかった。

 自分の事しか考えていなかったから、そんな春香の気持ちに気付いてやれなかったんだ。

 俺にとっては『三度目の正直』で春香の気持ちに絶対答えるためにここに来た積りだった。だけど、彼女に映る俺は『二度ある事は三度ある』俺と歩む将来に不安を感じちまったんだろうな。

 それでも、俺は春香の事を想ってここへ来たのに・・・、ここへ来たのに・・・、彼女に向けてはいけない憤り、怒りがこみ上げ、それを他のヤツに向けようとする。

 ソイツは俺から雪菜だけじゃなく、春香まで奪おうとするヤツ。

「貴斗・・・、貴斗・・・、全部・・・、お前のせえだぁぁぁぁっぁあぁっ!」

 そんな叫び声をあげながら、従兄に拳を振り上げ、殴りかかろうとした。だけど、それは無いんだ。

 直ぐにその怒りは醒め、俺の腕は重力に従い下方に向かってだらけていた。

 貴斗に怒りの矛先を向けていいはずがないんだ。

 だって、そうだろう?

 こういう結果を招いちまったのは誰の所為だ?

 そんな答えはわかりきってるぜ。言うまでもなくこの俺なんだろう。

 あの三年前、香澄の言葉を跳ね除けていたら、若しくは後回しにしていれば、春香がアンナ目に遭うことはなかったんだろう。

 それに、春香が口に出した様に彼女を三年間見守り続けたのは貴斗、俺の従兄と彼女の妹、翠だけ。

 俺が遅刻しなければ、春香はヤツに電話をかける事はなかった。

 俺と同じように己の行動で春香が事故に遭ってしまったんだって罪の意識を貴斗に思わせる事はなかったんだ。しかも、ヤツのそれに対する感性は異常なほどだったから俺とは違う苦痛を味わっていたはず。

 貴斗の事を巻き込んじまたばかりに恋人・・・、もう元恋人か。その藤宮にも辛い思いをさせなくてすんだはずなのに・・・。

 それと妹の雪菜。

 妹はもうずっと前に死んでしまったけど、あの爆発の中、妹を護っていてくれたのは貴斗。

 俺にとって大切な、春香も雪菜も従兄によって守護されていた。

 今、妹の心臓はヤツと共にあるんだ。

 それと貴斗自身病魔に犯されていて、将来が絶望的だった。

 その病魔を取り憑かせちまったのは・・・、俺の責任。

 そんなヤツを殴れるはずがないんだよ、俺に。

「わたくしたち・・・、哀れな道化ですね・・・。春香が・・・貴斗をお恨みしないでください」

 ただ、呆然と突っ立っている俺に藤宮がそんな言葉を囁いてから、走り去って行ったんだ。

 そんな状態だった俺に彼女が春香にどんな視線を向けていたかなんって知るはずもなかった。

 春香に捨てられた俺もこの場所にいるのは無意味だろう。

 すべては自分が招いた結果なんだって思い、何も言わず、別れの挨拶もしないで、大人しく家に戻る事にしたんだ。でも、選りによって春香が選んだ男が俺の従兄弟だったとは・・・、熟々、何らかの因果を感じちまう。

「ただいま・・・、アッ、母さん」

「宏之、お帰りなさい?どうしたの、お顔色、悪いみたいですけど?」

「おおぅ、息子か?なんだ、そんな辛気臭い顔して、こっちへちょっと来い」

 帰宅して、初めに顔を見せたのはお袋の美奈、続いて親父の司だった。

 二人とも俺の顔を見て、そんな事を言ってくれた。

 玄関先にお袋を残して、親父に引っ張られ、俺の部屋に連れて行かれたんだ。

「いったい、なんなんだよ、親父!」

「余り、美奈に心配を掛けさせるな、ヒロユキ・・・。美奈のヤツ、美鈴さんとその旦那、龍貴の野郎が亡くなってから、以前よりずっと気疲れし易くなっている。そんなアイツにそんな顔を作るな、息子」

「いわれなくたって分かってるよっ!そんなこたぁ・・・。ハァ~~~、デモな、おれだって」

「息子よ、それ以上いわなくても分かってるぞ、お父さんは。フッ、ヒロユキ、お前には美奈の性格じゃなくもっと私の方に似てくれれば、もっと扱いは楽だったんだけどな」

「息子の俺に言う言葉かよっ!それが・・・。まったく、そんな親父の性格がうらやましいぜ」

「それより、いったい何故、あの様な顔を美奈に見せたんだ?息子よ、お父さんが相談に乗ってやるぞ。何なりと聞かせてみなさい」

「ぜってぇ~~~、やだぜ。お前なんかに言ったら余計ややこしくなる」

 親父に『振られた』って言ったら馬鹿にされるのは目に見えてわかっている。だから、そんな事口が裂けても話せるはずがないんだよ。でも・・・、ブルーな気分になっているのはそれの所為だけじゃないんだけど。

「ハァ~、親に向かって〝お前〟と言うか?父さん、悲しいよ、宏之。だが、父さんにそんな口の利き方をするのはいいが、他の目上の人には絶対駄目だぞ」

「そんなこたぁ、いわれなくても、じゅぅ~うぅ~ぶんにっ、分かってるぜ」

『コン、コンコンッ』

「司さん、宏之いつまでお二人でお話しているのですか?お夕食の準備できましたのよ」

 親父に言われたから出来るだけ憂鬱な気分を顔に出さないようにしてから、お袋に顔を出して、その二人と夕食を共にする。

 親父は飯を食いながら、お袋をからかい、独りゲラゲラと笑っていた。

 そんな親父の顔を見ているとその能天気な性格がマジで羨ましく思えてしまった。

 そんな事を思うのは実際の親父の性格を知らないからなんだろうぜ、きっと。

 何で俺、男なのにお袋の性格の方が強いんだろうか?

 お袋には悪いけど、この精神的脆弱性は受け継ぎたくなかった。

 その弱さは雪菜の死によってトラウマと共に一層拍車が掛かっちまったと来ている。

 そんな自分に思う事は、俺独りでそれを克服する事は出来ないのかって疑問。

 そういえば、慎治の母親は精神科医だって聞いたことがある。

 診療を受けてみようか?・・・。

 止め、慎治になんか突っ込まれそうだから・・・。


~ 2004年11月15日、日曜日 ~

 最近、仕事している時以外はマジでブルーな気分だぜ。

 まだ、春香に振られた事を引き摺っているみたいだ。

 香澄と縁りを戻そうとも考えているんだけど、優柔不断の所為か決断を出来ていないでもいるんだ。

 眠れない日が多い。

 もっと、くたくたに成るまで働いたら、そんな気持ちも忘れる事が出来るんだろうか?

 そう思ったから、バイトの就労時間をもっと増やしてもらう事をチーフ兼マネージャーの知美に伝えたんだ。

「もっと働く時間延ばして欲しいんですけど?それと休暇もいらないぜ」

「柏木君、とっても嬉しい言葉ですけどね。貴方にはいつも決められた時間より多く働いてもらっているんですよ。雇用時間の問題もあります。だから、それいじょうは・・・」

「そこを何とかしてくださいよ、マネージャー」

「ハァ、柏木君、そんな無理を言わないでください。調理場に立って、包丁や火を扱って仕込みとかをやれるなら別ですけどね」

「それだけはこっちから願い下げだ。俺がそれを出来ないって知っていて言うのはずるいぜ」

「じゃァ~~~、このお話はここまでにしましょう」

 やっぱ駄目みたいだ。

 そりゃそうなんだろうな?

 なんたって今の俺の平均出勤時間十四時間。

 開店一時間前9時から11時の閉店までフルで働いているんだ。

 それ以上働きたかったら閉店後にやる仕込みでもできないと無理なんだろうぜ。

「アッ、そうでした。知美の方からも柏木君に相談したい事があったんですけど、いい?」

「なんですか?」

「ハイ、柏木君はここで働いてもう二年近く経ちますよね?ですから、よろしかったら知美に代わってチーフを任されて欲しいんですよ」

「俺にチーフ?そんなもの務まるわけないぜ」

「あなたが働いている所を見ていて判断した事ですからそんなことないと思いますけど?今すぐに、と即急な事をお願いしませんけど、考えておいて下さらない?」

「はぁーーーっ、だって俺いつまでここにいるかわかんないんだぜ。そんな事できっかよ」

「ぇえぇーーーーーーっ、柏木君、辞めてしまうんですかぁ?そんなの駄目です」

「やめる、やめないは俺の勝手だぜ」

 そんな事を口にすると知美は両手を組み、お願いポーズをして眼を潤ませていた。

「そんな表情をしても駄目だぜ。それに、チーフの件、そんなこと簡単に決められないからな」

 この場所でずっと働いていても良い、っては思うんだけど、俺の性格が性格なだけに・・・、簡単に決断できないし、将来のことなんてちっとも考えてなんかいないんだぜ。

「アぁッ、もうそろそろ開店の時間。それじゃぁ~~~、俺はフロントに行きます」

 まだ、目を潤ませてさっきの格好のままの知美を事務室に残し、仕事場に出て行った。

 玄関を開けると、開店前から並んでいたケーキ好きの女の客が挙って入ってきた。

 男の客も結構いたんだ。

 今日は日曜日、だから、多分、それ等の連中は遠方から来た客なんだろうぜ。ここのそれの人気はいまだ持って衰えていないようだ。

 そんな客の相手をしながら、日中の一番忙しい午前11時から午後2時まで、午後4時頃に休憩を三十分間いれ、午後最も忙しい5時PMから8時PMを切り抜け閉店まで仕事以外の事を考えず体を動かしていたんだ。

 その間中は俺の変わらない性格が嫌な事をすべて忘れさせてくれていたんだ。

 そして、それが終わると・・・。

「ヒロユキさんっ、なんか不機嫌そうな顔してますねぇ」

「夏美ちゃんか?勝手に俺を名前で呼ぶナッ!俺を名前で呼んでいいのは男ダチと恋人だけだ」

「だったら、私の事だって名前で呼ばないでくださいよぉ」

「別にかまわないぜ、さ・く・ら・ぎちゃん」

「ワッ、なんか、すっごぉーーーくッ、わざとらしい言い方」

「でもホントどうしたんですか柏木先輩?」

「なんだよ、テルお前もそんなコトを言うのかよ?」

 仕事が終わってから直ぐに帰らないで、休憩室で独り、ぐでぇ~~~ッ、としているとこの店の経営者の娘、桜木夏美とここに完全就職した舘花輝彦が現れやがった。

「でもォ~~~、わ・た・し、どうして柏木さんがそんな顔してるのしっていますけどねぇ」

「エッ、そうなのか桜木?」

「舘花くんはそういう情報にすっごぉーーーくッ、疎そうだから知らないと思うけど・・・、柏木さん、涼崎春香さんに、ふ・ら・れ・ちゃ・た・ん・ですよね?」

「まっマジっすか先輩ッ!」

「オイッ、何で夏美ちゃんがそんなこと、知ってんだよっ!」

 夏美の言った事に驚いて、ロング・ソファーに横たわっていた体を素早く起して、そんな風に彼女に聞き返していたんだ。

「何で知っているのかはっ、教えられませんけど、柏木さん、今フリーなんですよね?」

「それが、どうかしたのかよ?」

「ねぇ、だったら柏木さん、ずっと好きだったんです。夏美、私と付き合ってくれませんか?」

「オイッ、桜木、俺がいながらそんなことを言うのかよっ!」

「なぁ~~~にそんな冗談、言っているの舘花くん?舘花くん、彼女持ちじゃない。そんなこと言ってると早苗ちゃんに告げ口しちゃうよ」

「夏美ちゃん、バカ言ってんじゃないぜぇ。何で俺が・・・」

 彼女が春香の事を言葉にしてきたから、よけに胸糞が悪くなってきていた。

 彼女の可愛らしい口が俺にとって屈辱的な事を声に出して続けていた。

「だって、振られちゃったんでしょ?しかも涼崎さん、柏木さんの親友、藤原貴斗さんに手を出したんでしょ?そんな女の人なんかにまだ未練があるわけ?それに、か」

「そっ、それ」

「桜木っ、それ以上言ったら柏木先輩に失礼だぞっ!ろくに男と付き合ったこともない桜木に柏木先輩の気持ち、判るはずないだろ」

 なんと、輝彦が俺の事を理解しているのかそんな事を俺の口を遮って言っていた。

「てっ、テル・・・」

「あぁっ、・・・・・・、すいません。わたし・・・、私、今、自分の気持ちを伝えておかないと・・・、その・・・、香澄先輩と縁りを戻しちゃう、って思ったから・・・」

 何でそんな俺の迷っている気持ちまで彼女は知っているんだろうか?・・・己の悪い欠点を思い出した。

 それは慎治や貴斗、ダチの連中に何度も忠告されていた事だった。

 多分、それの所為で夏美はその事を知ったんだろうぜ。

「いッとっけどなぁ、夏美ちゃん。いくら好きって言われても俺は年下にはまぁ~ったく、興味ないんだぜ」

「そんなこと知っていますよ。どんなに頑張っても柏木さんと同い年、それより上になれないって分かっています、私の気持ちが変えられないくらいに。でもぉ・・・」

 これ以上彼女と話していたら・・・。

 後は任したって感じに輝彦の肩を叩いてから、休憩室を出て即行で外に飛び出して彼女が追いかけてくる前にバイクに跨り、暖気もせずにそれを発進させていたんだ。

 帰路の途中、下向きだった気分の所為で自爆事故しそうになったんだけど、何とかこすった程度で命には支障なかった。


~ 2004年11月21日、金曜日 ~

 今日も当然、仕事に出ていた。

 俺はこの前、夏美に言われた事を引き摺っていて、彼女との接触の仕方が・・・、微妙に避けているっぽかったんだけど夏美の方は全然そんな事はなく、いつも通り俺に接していた。

 夏美が言っていた女、縁りを戻すか、どうか、迷っていた香澄、その彼女がバイト先に顔を見せたんだ。

 それは休憩をとるためフロントから裏に下がろうとした時だった。

「ヒロユキッ、頑張って仕事してる?客としてきてあげたわよ。こいつと一緒にね」

「柏木様、今晩はですの」

「香澄、それと瀬能さん?いらっしゃいませ、毎度ご来店大変ありがたく存じております」

「これから休憩なんでしょ?その間、あたし達の話し相手になってよ」

「ああ、わかったよ。お前等の注文を取ってからそうしてやるぜ」

 そう言って席を案内してから、何を食べたいのかを聞いたた。

 それを取りにケーキ棚に向かい、二人が頼んだ物を持って彼女たちのところへと戻っていた。

「ハイっ、お待ちどう様、こちらがご注文の品になります」

 もって来たトレイをテーブルの端に立てて、その二人の正面に座った。

「奢ってやるから、それ以外に食べたくなったらいくらでも言ってくれていいぜ」

「あんがとね、ヒロユキ」

「柏木様、有難う御座いますの。それでは戴きますの」

「あっ、そうだ。宏之、あんた春香とはうまくやってんの?」

〈なんか、香澄の言い方おかしくねぇか?〉

 あの日から既に十日目、眼前の香澄、彼女に俺と春香の終焉を知っていないのだろうか?

 知ってはいないからそんな事を聞いて来るんだろうぜ。だから、その事をちゃんと話して、もう一度、香澄に付き合ってもらおうか、どうしようか二人の前で黙って考えちまっていた。

「どうしたのよ、黙ったりして?なんか考えてんの?」

「柏木様、若しかして綾はお邪魔ですのぉ?」

「いっ、いや、ソンなんじゃないんだけど・・・」

 やっぱ香澄にはあの事は言えねぇぜ。

 春香と貴斗のことをごまかして、付き合いなおしてくれって口にしても、そのあと・・・、直ぐにぼろが出て本当の事を言っちまいそうだ。

 誰よりも貴斗と藤宮の関係を大切に思っている香澄だ。

 そんなことを知っちまえば香澄がどうなっちまうか・・・、火を見るより明らかだ。

「ひろゆきっ!アンタ一体なに考えてんのよっ!」

「あぁんっ?わかったよ、教えてやるぜ!どうやって香澄、お前をホラー・ハウスに誘ってやろうか、って考えてたんだ」

 何とか春香の話題から逸らすようにそんな言葉を口にして香澄に聞かせてやっていた。

 すると窓際に立てていた〝プラスティック〟じゃなく〝鉄〟のトレー、しかも平面じゃなく側面で殴ってきやがった。

 彼女の手の速さは相変わらずだった、まったく。

 頭を横に振って脳天直撃は避けてやったんだけど、それは肩に命中してしまったんだ。

「いってぇなぁーーーっ、殴るこたぁないだろう」

「あんたがバッか見たいなこと考えてるからでしょっ!」

 香澄との遣り取りに瀬能は小さく笑っていた。

 そのあとは春香の話題から完全に逸らすように彼女の仕事について話を回してみた。

 すると、それは成功したようで、休憩時間いっぱい隣に瀬能がいるというのに彼女の愚痴を散々聞かされた。


~ 2004年11月27日、木曜日 ~

 大学が暇なんだろうか、昼の忙しい時に慎治が複数のやつの友達を連れ、店に貢献しに来てくれていた。

「ようっ!ヒロユキ、確り働いてっか?」

「お客様、いらっしゃいませ。6名で御座いますね。ただいま席のほうが空いていませんので、今しばらくお待ちください」

「宏之、お前にそんな言い方にあわねぇよっ!おれん時は普通に対応して欲しいな」

「そういわれましてもこれが仕事ですから」

「てめぇ、わざとやってんなぁ?まあいいや、それより一緒に食事しような」

「バカ言ってんじゃねぇぜ、慎治。こんなクソ忙しい時に抜けられっかよ」

「すいませぇ~~~ン、かいけいおねがいしまぁ~~~っす」

 そんな会話を慎治としていると帰りの客がそう言っていた。

 その客が八人づれだったのでその客が座っていたテーブルを綺麗にしてから慎治たちをそこへ案内したんだ。

 慎治から注文を受けているとまた一緒に飯を食おうって強要してくるんだぜ。

「宏之、いっしょに食事っ!おれの頼み聞いてくれないのか?だっ、れぇ、がぁここの男バイト増やしてやったと思ってんだ?しかもこれだけ連れてきて店に貢献してやろうっていうのに」

 今まで、ここには俺と輝彦以外ウェーターはいなかった。だけど、慎治が言っている様にやつのおかげで二人増えていた。

 なんとあの貴斗からも一人紹介してもらっていた。しかも、それぞれその二人とは性格がまるっきり反対のような連中だった。

 外見仕事をマジメそうにしないような感じなんだけど、やっぱりそこは俺が信頼を置ける親友のダチの紹介。

 対抗意識を燃やしちまうくらいちゃんとやってくれている。

「オイッ、柏木!慎治がお前を誘っている。飯食っている間、ぼくが何とかしてやるからアイツに付き合ってやれよ」

 慎治とそんな会話をしていたら他のテーブルの片づけを終えた仕事仲間、慎治が紹介してくれた奴がそんなことを言ってきたんだ。

「いいのかよ、久慈?」

「別にボクは大丈夫。それに眞鍋もいるからね」

「わかったぜ。アリガトな、久慈」

「それじゃ、ボクが注文を取ってあげるから・・・・・・。あっ、そうだ。慎治、藤原君、退院したんだよね?いつ学校に出てくるの?彼に頼みたいことあったんだけど」

「ああ、それなら俺が伝えてやっておいてもいいかな?それと貴斗、今年いっぱいは出てこないみたいだな」

「そうなんだ。それなら、それまで待つよ。あっ、注文を受けたし、僕戻るね。柏木、慎治が帰るまではゆっくりしてていいから」

「そんじゃァ~~~、こいつ三時間ぐらい借りとくな、直人」

「そっ、それは駄目だよ、絶対」

「そんなこと、出来るわけないだろ、慎治。久慈、どうせ、こいつ、お前をからかっているだけだから気にすっことはないぜ」

 久慈にそう言ってやると、ソイツは大きな溜息をついてから厨房に戻って行った。

 それからは、慎治とダチ連中と一緒に楽しく食事をするはずだったんだけど・・・、俺なんかよりも多く貴斗の事を知っているはずの慎治でさえ、俺と春香、そして、貴斗と藤宮の破局、それから・・・、を知らない様だったんだ。

 三年前まで慎治は春香とも藤宮とも同じくらい仲良かったんだけど、三年経った今は言うまでもなく藤宮寄りになっていた。だから、その事を教えてしまえば春香と貴斗の関係を強制的に終わらせちまうんじゃないかと思っちまった。

 はっきり言っていまだに春香にも香澄にも未練たっぷりある。だけど、二人の幸せを願っているから、今、春香にとっての幸せ、ヤツといる事。

 それぶち壊したくないんだ。

 彼女の相手が貴斗なら諦めてもいいぜ・・・・・・・・・、本当に、まじで、少しだけ思っているんだ。

 それに、香澄に再告白すれば、俺がどんなに頑張って貴斗と春香の関係を隠しても遅かれ、早かれ知ってしまう事になるんじゃないかって、そして、それを知れば俺と似たような心を持つ香澄は・・・、考えたくない。

「オイッ、答えろよ、宏之!なんか貴斗のこと知らないか、って聞いてんだ!アイツ最近、俺との付き合い悪いんだよな。藤宮誘って一緒に遊びに行こうって言っても、体調悪いから、って誤魔化しやがってな・・・、そのくせバイトには出てんだ?おかしいと思わないか?」

「だから、しらねぇって言ってんだろ。慎治なんかよりもはるかに、よっぽど貴斗といる時間少ないんだぜぇ、俺は」

「はるか?ああ、そうそう、いま宏之が言った言葉でピンっ、ときたんだけどな。涼崎とはうまくいってんのか?今度は彼女のことを放さない様にしろよな」

「何で、そんなこと慎治に言われなきゃなんないんだ?」

「老婆心ってやつ。それと、だな。宏之は知っていないだろうけど、隼瀬はお前のところに戻る事はないからだ」

〈はぁんっ?いっ、今なんって言ったんだ、慎治は?〉

「なんだ?そんな驚いた顔見せてくれやがって、どうせ貴斗の口からお前に伝わる事はないって思ってるから俺が教えてやるから、ちゃんと聞いておけよな」

 何故、香澄が俺の所へ戻ってこないか慎治は教えてくれた。

 貴斗は俺から雪菜、春香だけじゃなく香澄も奪っていたって事を知ったんだ。だから、この間、彼女が瀬能と遊びに来た時、春香の事を口にしてきたんだって知った。だって、俺の方からはまだ香澄に別れを告げた訳じゃなかったからだ。だから、また貴斗に対して、沸々と怒りがこみえげて・・・・・・、来る事はなかったんだ。

 こうなっちまったのもすべて自分の所為だから。

 もう、従兄を俺のすることで起こっちまう悪い事に巻き込みたくなかった。だから、慎治とこれ以上いると、何かを悟られちまいそうだったから、奴の前からずらかることにしたんだ。

「あアッ、もう休憩時間とっくに終わっちまってるぜ。んじゃ、ゆっくりしてけよ」

「宏之、話は終わってない。直人は楽していろ、って言ってくれてただろ?だから、もう少し付き合えよな」

「残念だけど、おれ、仕事はマジメにやる方なんだぜ。だから、これ以上は無理」

 そう言い残して、渋る慎治に悪いと思ったけど下げてよさそうな食器を持って調理場へと持って逃げてしまっていた。


~ 2004年12月18日、土曜日 ~

 今日は珍しく、年上の知り合いが店の売り上げの貢献に来てくれた。しかも、その内の一人は以前、俺に無駄に時間を使わせた挙句、全然この場所にお金を落としていかなかった人なんだ。

「はい、はぁ~~~いっ、お姉さんの義弟になるはずだった子の従弟くん、遊びに来てあげたわよォ~~~っ!」

「よぉ~、ひろゆきぃ、しっかりと、仕事しているかぁ?非番何でなぁ、こいつと一緒に食いに来てやったぞ」

「お父さん、女の私にこいつだなんって酷いですよ」

「永蔵のおっさんに南さん・・・。それと???ぇええっとぉ、そちらの人・・・誰だっけ?」

「宏之君?わ・ざ・と、お姉さんをからかってるでしょォ~~~。まったく失礼しちゃうわねぇ」

「なんだぁ?麻里、宏之のことぉ、しってたんか?」

「まあねぇ、色々あって・・・って言うか源ちゃん、ずっと前この子、助けた時私も一緒にいたでしょ?忘れちゃったぁ?そ・れ・と・も、もうお歳かなぁ。クックック」

「ちぃ~~~っ、まったく。マリには流石のわしも敵わんねぇ」

「それより、そんなところに立ってないで中にどうぞ。只今丁度、お席が空いたところですから」

 その三人の裏にはまだ客が並んでいたから、さっき片づけしたばっかりのテーブルに案内した。

 その場所で三人の注文を聞くと永蔵のおっさん達が食事をしようって言葉を掛けてきたんだ。

「なんだぁ?わしの頼みが聴けねぇって言うのか宏之。そんなつれねぇこと言うんじゃねぇよぉ」

「そうよ、こんな美人のお姉さん二人と渋いおじ様が一緒に食事してあげようって言うんだから、そんな行けずなこといわないの」

「お父さんも、麻里奈ちゃんも余り彼に無理な注文をしてはいけませんよ。ごめんなさいね。でも、私も出来ればご一緒して欲しいなって思ってるんですけどね。お父さんが喜ぶから」

「おぉ~~~いっ、かしわぎくぅ~~~ん、ここで突っ立ってないで注文受けたら戻って来いよ」

 仕事仲間の一人がそういいながら近付いてきた。

「空木さん、すいません。こちらのお客様が俺をホストのように扱おうとしたから」

「ねぇ、そこの青年?この子、しばらく借りちゃっていい?お姉さんの・オ・ネ・ガ・イっ」

「あぁっ、はい、どうぞ、どうぞ。ご自由に扱ってください」

「ウッ、空木さん。だらしねぇ顔して、何をいってんですか」

「柏木君、うらやましいなぁ。一人除外して、こんな美人に二人にお誘いされるなんって」

「オイッ、聞き捨てならねぇこと言ってるなぁ?そこの小僧、名誉毀損罪でしょっ引くぞ」

「空木さん、永蔵のおっさんはデカ何だぜ。言葉には気を付けろよな」

「ハハッ、そうだったんだ、柏木君。そういうのはもっと早く言ってもらわないと」

 それから、永蔵のおっさんに刑事の職権を乱用され、強制的に食事に招待された。

 俺が手を放している間は空木が俺の分の仕事をカバーしてくれるって言うからその心遣いを受け入れ、少しの間だけ抜けさせてもらったんだ。

 その三人の食事の最中に永蔵のおっさんから春香の事を聞かれちまった。

「おい、ひろゆきぃ、あんでそんな顔すんだぁ?若しかして、おぬし・・・」

「もぉ、お父さん、それ以上突っ込んでは彼に失礼ですよ。ごめんなさいね、柏木さん」

「何、何、なんか面白そうな話みたいね、お姉さんが聞いてあげるから、言って御覧なさい」

 麻里奈にその事を言ったら絶対笑われるのが落ちだって感じたから、口に出さないようにって思ったんだけど・・・、永蔵のおっさんに・・・、言葉にしちまった。

「ハァッ、宏之、たいへんだなぁ・・・、だが、もう、そうなっちまったもんわよぉ、しかたがねえぇんだ。うじうじしてねぇで、さっさと新しい女、探しゃいいだろうが」

 永蔵のおっさんはそう簡単に言ってくれるんだけど・・・、もう一月も経っているって言うのにいまだに春香の事を忘れられないでいたんだ。

 初恋は叶わないって耳にするけど・・・、事実なんだなって思っちまう、今日この頃だった。


~ 2004年12月24日、金曜日 ~

 春香がまだ恋人だったら今日と言う日にどっかにデートに誘ってやれたのに・・・、だけど、彼女は今、俺の傍にいない。

 そういえば、春香が恋人だった時も香澄が傍にいた時もクリスマス・イヴ、その翌日も一緒にいたことがなかった・・・。

 この日に誰かと一緒にいたのは俺の妹、雪菜が生きていた頃までだった。

 12月24日、それは雪菜の誕生日。

 妹が亡くなって、もう十四年。

 そう、十四年間、大事な誰か、愛する誰かと一緒にこの日を過ごすことはなかった・・・。

 たとえ両親でさえも。なぜなら、お袋も親父もこの日が一年間の中で一、二番に辛い日。

 雪菜を思い出しちまう日だから。

 妹が居なくなってからは家族が揃って何かするって事も無くなっていた。

 妹のことを思い出したから雪菜の墓参りでもしてやろうかって思ったんだけど、喫茶店トマトの年間売り上げの中で一番収入の多いこの日。

 その忙しさを知っているから俺が休暇をとるわけには行かないんだ。

 なんでか、って?それはその店の経営所の娘二人と厨房にいる料理人だけが残ってあとのやつ等はみんな休んじまうからだ。

 俺と同じくらい仕事の鬼の輝彦もだぜ。

 クソ忙しい中、夏美、知美、そして、俺の三人だけで客の接待。

 俺等の手が空いていない時は厨房の料理人とケーキ職人、更にこの店のオーナーで彼女ら二人の母親までもが料理を運ぶ始末。

 今はその忙しさが去った仕事の終わりで、疲れきった体を休憩室で休めている処だった。

「柏木さん、本当にお疲れ様でした。知美おねえちゃん、それとお母さんも、とっても有難う、って言ってたよ。ハイッ、これ食べてください」

 夏美がそんな事を言いながら持ってきたコーヒーと軽食をテーブルにおいてくれた。

「サンキュー。アぁッ、砂糖いっぱいもって来てくれた?」

「言われなくたって、分かってますよォ~~~。それより本当に柏木さん、って本当に甘党なんですねぇ」

「あアッ、悪かったぜ、甘党でよぉ。どうせ俺はアマちゃんだぜ」

「別に皮肉の積りでいったんじゃないのに・・・。ハァ~~~、私も疲れたぁ」

 夏美は俺の正面の椅子に座り、珈琲を飲み始める。

 俺もたっぷりと砂糖を入れ、ミルクも入れ掻き混ぜてからそれを口に運んだ。

「ハァッ、明日も忙しいんだよな、夏美ちゃん?」

「そうねぇ~~~。でも、明日は舘花くんも出てくれるから、去年と同じくらいのお客の足なら何とかなると思うよ」

「だったら、俺が明日休んでやろぉ~~~」

「なんかすごく、態とらしい言い方してないですか、柏木さん?それに今フリーなんでしょう?いったい誰と過ごすんですかぁ?」

「冗談で言っただけだぜ。そんな強調して言うことないだろう」

「ハァ~~~。どうして、ここで働いている人、私以外みんな彼氏持ちなのかな。お姉ちゃんにだってちゃんと婚約者居るし。不公平です」

 言葉通り、本当に不満そうな表情を作ってその顔を俺に向けていた。

「はい、はい、よかったですね、彼氏持ちじゃなくて。その分いっぱい働けて、給料多くもらえるだろうぜ。それに彼氏いないんなら、その溜まったお金、自分のために使えよ」

「ウワァ~~~ッ、すぅっごぉ~~~くっ嫌みっぷりないい方。酷いですね。責任とって私の恋人になってくださいよぉ」

「別にかまわないぜ、俺は」

「えぇえっ、いっ・・・、今なんって言ってくれたんですか?」

「さあぁねぇ」

「ハハッ、やっぱり冗談で言ったんですよね?柏木さん、年下嫌いだって言ってるし」

「嫌い、って言った覚えないぜ、俺は。〝年下には興味ない〟好きになれない、って言ったんだ」

「それじゃ、さっきの言葉・・・、冗談、嘘じゃないんですか?」

「この前、知り合いの刑事のおっさんに言われたんだ。いつまでもう、ウジウジしてんなって」

「それじゃ、私と・・・、その・・・・・・、おつきあい・・・」

「してもいいぜ」

「ほんとですかっ?私の彼氏になってくれるんですね?」

「何度も言わせるなよ」

 俺はこうして、夏美の申し入れを受け入れた・・・。だけど・・・、それは間違いだった。

 俺がそんな期待させるような言葉を彼女に聞かせちまったから・・・、夏美に辛い思いをさせちまうんだ、この先の将来しばらくの間。

 俺が本当に春香の事を忘れられなかった所為で夏美を悲しませちまうんだよ、俺は。・・・俺はどうしようもない男なんだ。

「それでは柏木さん、私と結婚前提でお付き合いしてください」

「けっ、結婚前提だぁ?そんなこと決められるわけないぜ、直ぐに」

「えぇえっ、何でそんな不服そうな顔見せるんですかぁ?私とそうなれば柏木さん、逆玉ですよ」

「そんなの興味ないぜ、俺の周り金持ちばかりだから」

「そうなんですか?」

「夏美ちゃんも知っている連中だ。貴斗、慎治、藤宮、香澄。それにテルだってそうじゃないか」

 貴斗は言わずと知れているけど、慎治の母親は医者だ。

 奴の父親に会った事ないけど凄腕の商社マンで実業家でもありバリバリ稼いでいるらしい。

 慎治は自分の事を金持ちだって思ってないようだけど、周りから見たらそんなことないぜ。あいつの家、結構でかいし。

 香澄の家は銘菓店をいくつも経営している。どちらかと言うと和菓子系統の方が多い様なんだ。

 その所為なんだろう、彼女がお菓子作りを得意とするのは。

 藤宮のところは両親共に高名なアーティスト。

「ってな、わけだ。喫茶店一軒程度ではねぇ」

「あぁ~~~、柏木さん馬鹿にしてるぅーーーっ。私の所だってお母さんが経営しているのはここだけじゃないんですからぁ・・・。香澄先輩と柏木さんが恋人同士なの知っていたから、今まで一言も教えていませんけど。香澄先輩、私の従姉です。真緒お母さんと先輩のお母さん、私の伯母さん、真登香さんは姉妹なんですからね。柏木さんが言ってた銘菓店、お母さんと共同経営です」

 馬鹿にされたと思ったらしく、マジで不満そうな表情をしながらそんな事を口にしてきた。

 それを聞いて俺はいったいどれくらい驚いた表情を作ったんだろうか?

 余りの新事実に俺の周りの時間はしばらく止まったままだった。

 何でこうも俺の周りにはそういう関係みたいなのがあるのだんだろうか?

 誰かの陰謀を感じてしまうぜ。

 彼女がそんな事を教えてくれたから、俺もお返しに貴斗との間柄を教えてやろうかなって思ったけど、別に話す事でもないって直ぐにその考えは消滅。

 それと親父もお袋も、余り口にしてくんないけど、今まで一度もあったことのない俺の爺さんは某企業の会長らしいんだ。

「それじゃもう俺、帰るぜ」

 そんな会話をしながら、出されたものを食い終わった俺は夏美にそう言って席を立とうとした。

「アッ、もう帰ってしまうんですか?・・・、そのっ・・・、あのっ・・・、今日が終わる前に・・・、キスくらいして・・・・・・くだ・・・さい」

 いつも勝気なくせに、夏美はい恥ずかしそうな表情をしながら立ち去り際の俺にそんな事を要求してきたんだ。

「俺より、年下のガキが生意、言ってんじゃないぜ」

 俺は夏美にそんなことを声にしておきながら、深く口付けしてやった。

 それが終わって、まだ恥ずかしそうに顔を紅くしている彼女の頭をなでてやり、帰ることにしたんだ。しかし、その行為は俺にとって最初で最後の夏美にしてやったキスだった。


~ 2004年12月25日、土曜日 ~

 日付が変わった頃に自宅に到着した。

 もう就寝しているだろうと思った両親を起さないように静かに中に入る。

 玄関を見ると二人の靴はなかったんだ。

 息子をほったらかしにしておいて、二人は楽しくどっかにお出かけの様だった。しかし、俺が勝手にそう思っていただけ。

 風呂に入って疲れを癒したら、体が冷めない内にそのままベッドの中にもぐりこんだ。

 夏美にキスしておいて・・・、いまだに俺は何かの迷いを持っていた。

 春香は貴斗と一緒になっちまったから戻ってくることはない。

 香澄は・・・、あぁあぁーーーっやめやめ。

 余計なこと考えると気分が鬱になる。

 何とか頑張って眠ろうと思ったんだけど、中々寝られなかった。

 結局、眠りに就いたのは明け方を過ぎてからだった。

 翌日、眠った時間が遅かった所為でバイト時間に間に合うギリギリ前に目を覚ます。

 起きた時丁度、電話対応をしていたお袋から、それが俺に受け渡された。相手はなんと春香の父親、秋人。

「はい、かわりました」

「今まで、娘が迷惑をかけてきて申し訳ありませんでしたね」

「いっ、いいえ、いいんです。どうしたんですか?わざわざそんなことを言うためにかけてきたんですか」

 いつも冷静に話す春香の父親、そんな口ぶりからでは良いことでも悪いことでも推測してやることが出来ない。

「迷惑ついでで誠に申し訳ないのですが・・・、今日の夕方6時、娘、春香の通夜を行いますので出来ればご参加いただけないでしょうか」

「えぇっええぇぇええぇぇえぇ???秋人さん、今、なっ、なんっていったんですか?」

〈春香の通夜・・・、通夜・・・・・・、死?春香が死んだって言うのか?そんな馬鹿なっ〉


「昨夜、娘は息を引き取りました。ですから、今日、その通夜を午後六時、場所は私の家、涼崎家で行います。時間が空いていたら出結構ですから」

 秋人はそれだけ言い残すと電話を切ってきたんだ。

 しばらく受話器を持ったまま俺は呆然とその場に立ち尽くす。

 そんな状態の俺の頭に親父が手を乗せ、ぐしゃぐしゃと寝癖だらけの髪を余計にぐしゃぐしゃにしてくれやがった。

「親父、なにすんだよ、ボケ」

「ボケぇーーーッ、としてたのは息子の方だろ。どうしたんだ?」

「あっ、そうだ。親父、喪服、持ってないか?あったらかしてくえよ」

「ない言っている?私より身長が低い宏之がそれを着てもおかしいだけだ。ちゃんとした寸法のヲ衣装やで借りて来なさい」

「そんな時間ネエゼ、もうバイト遅刻しちまう。あぁああぁ、ちこくぅーーーっ」

 俺がそう言っている間にも時間は進み、どう考えても間に合いそうになかったから、喫茶店トマトに遅れることと夕方はいったん抜ける事をマネージャーに電話で伝えた。

 今日の俺は仕事中本当に気が抜けていた。

 夏美が俺に話しかけてくれてもちっとも耳に入っていなかったんだ。

 春香が死んだって言葉が頭から離れなくて全然集中できなかったんだ。だけど、そんなこと信じたくなかった。だって、そうだろう?春香はあの事故から三年経って目覚めてから、まだ、数ヶ月しか過ぎていないんだぜ。

 それなのに・・・、それなのに・・・。

 そんなことが有っていいはずが無いんだよっ!

 これから、俺とは別れちまったけど、俺の従兄と新しい道を歩んで行こうとしているのに・・・、そんな・・・。

 だけど・・・、春香が死んじまったのは変えられない事実だと言うのをもう直ぐで知る。


~ 通 夜 ~


 午後6時、時間少し前に春香の家に到着した春香の家に上がっていた。

 時間前だったけど、既に結構な人数が来ていた。

 その中には慎治、貴斗、香澄もいた・・・。

 全く気がつかなかったけど、どうしてなのか俺の両親も来ていたんだ。しかし、誰かが足りないような気がした。だけど、そんな事を考えられる余裕など、今の俺にはなかった。

 ここに来て喪服を着ている連中を目にして春香が死んだってことが嘘じゃない、ってわかったから辛くて、哀しくて、潰れそうで、そんな事を考えている余裕なんって無かったんだ。

 時間通りに春香の通夜が始まった。

 その間、声を殺して俺は泣いているだけだった。

 今までどれだけ春香のためにその涙を流してきたんだろうか?でも、今も、それは枯れないで流れ続けている。

 涙もろい、香澄なんか声を上げて泣いている。

 今まで慎治の涙なんて見たこと無いけど奴もそれを出している。だけど・・・、貴斗、俺の従兄だけは寡黙に瞼を下ろしているだけだった。

 俺を含めた他の連中もそれをしているのにヤツだけはただ、座っているだけだった。

 信じられなかった、許せなかった、理解できなかった。

 仮にも春香の恋人になったはずの貴斗が彼女に対して何の哀れみも見せなかった事に酷く憤りを感じちまった。

 そう、どんなに俺の事を夏美ちゃんが好きになってくれても、春香が眠ったままの三年間ずっと香澄が俺の事を支え続けても、やっぱり、今でも俺の心の中にあるのは春香なんだって思い知っちまった。

 気付いたんだ。

 今になってやっと分かったんだ。

 それなのにどうしてこんな結果になっちまうんだよぉーーーーーーーーーーーーーーーっ。

 悲しみの涙と共に怒りの涙も流していた。

 爆発しそうな怒りを何とか押し留めるために両拳を力強く握り締めひざの上においていた、歯を食い縛っていた。そして、それはその場に香澄と慎治、そして貴斗と俺が残ったあと、しばらく俺は痛哭していた。

「はるかぁあぁぁぁっぁぁっぁぁッ、どうしてなんだぁーーーっ、何でいつもお前だけがこんな目に遭わなきゃ、いけないんだよっ!何で俺達を置いて先に逝っちまうっんだぁーーーーーーっ!はるかぁっ、何か答えてくれよぉ・・・・。好きなのに、お前がいなくなったって知って、こんなに辛く思っちまう程、愛していたのに春香ぁーーーーーーっ!」

 そのあと涙が枯れ、悲痛が遣る瀬無い怒りに変わっちまった頃にその憤慨を従兄に向けちまっていた。

「おい・・・、おい・・・・・・、オイッ、貴斗っ!何で春香は死んだ?どうして、春香がこんなにも早く死ななくちゃならないんだ。何でお前は涙を流さないんだ?春香が死んじまっても何も感じないほどの冷血なのか?教えろッ!貴斗っ!!」

 だけど、ヤツは黙って目を閉じたままだったんだ。

 何も言ってくれないんだ。

 何か言葉にしてくれれば、心の内の辛さをちゃんと顔に出してくれていたら、再びヤツに拳を上げることは無かったのに。

「お前は俺から雪菜だけじゃなく、春香まで奪っておきながら、なんでそんなすました顔してんだよっ!なにか答えロッ、貴斗ぉオォオォォオオオォオオオォォオオオッ!」

 その言葉と一緒に俺はソイツに殴りかかった。

 どうせ避けられちまうだろうと安易に思ったから極限の力を込めた一撃をヤツにむけてやった。

『ヂゥヴァシュッ!!!』

 ヤツの鳩胸、心臓の辺りにそれは決まってしまう・・・、けして殴ってはいけない場所に。

 そう、ヤツは今回も俺の攻撃をよける気はなかったようだ。まるで俺がそうする事が解かっていたかのように。

 痛みを声に出すことはなかったんだけど、貴斗は痛みに耐えるためすごく表情を強張らせていた。

 香澄は俺の作った顔に怯えたのか、それとも俺の怒声に竦んだのか顔を真っ青にしていた。

 慎治は俺の二撃目を止めようとしたのか?俺を羽交い絞めにしていた。だけど、その一撃だけで俺の利き腕は二撃目に入る体勢に入っていなかったんだ。だって・・・、そうだろう?俺に貴斗を殴る権利などなかったんだ。

 若し、春香のこの死が事故の後遺症の所為で起こったものなら、その責任は俺にあるはずなのに、何でいつもそれの憤りを従兄に向けちまうんだ。

 最低だぜ、俺は。

 辛いのは貴斗の方のはずなのに・・・、何で俺は・・・。

 貴斗に向けたその拳が、あとのヤツの悲劇を生んでしまう事はもう俺に知ることは・・・、ない。


~ 2004年12月26日、日曜日 ~

 バイトを無断欠勤して今日、足を向けていた先、そこは雪菜の墓前だった。

 雨が降る中、傘も差さないで、その前に立っていた。

 昨日、あれだけ春香の入った棺の前で瀧のように流していたものを今、妹の墓石を見ながらつたわせていた。

「なぁ、雪菜。俺ってどうしていつもお前と交わした約束、守れないんだ」

「お前が死ぬ前、『悲しい顔しないで』って約束されたのにだぜ」

「雪菜、お前が『貴斗を恨んじゃ駄目』っていったのに」

「お前が『貴斗と仲良くして』って懇願されたのに・・・、なのに・・・、なのに俺はそれのどれ一つも守もれやしなかったんだ。うぅぅうぅううぅっ」

「それにこの前、次来る時は必ず、恋人連れてくるって言ってやったのに・・・、春香も・・・、お前と一緒のところへ逝っちまったよぉーーーーーーっ!」

 その言葉のあと、雪菜の墓石に頭を強く打ちつけ、その石の両脇に手を添えていた。そして、また泣き続けるんだ。

 ただ泣くことしか出来ないから・・・。

 俺は涙を流しながら、いつの間にか雪菜の墓前を離れ、どこかをバイクで走っていた。

 走行中、何度もいろんなモノにぶつかりそうになった。だけど、俺は怪我をすることはなかった。

 ひたすら走り続けた、燃料がなくなるまで。

 いつしか、ガソリンも切れ、バイクも傷だらけになってもう走らせることも不可能な状態になると、それをその場に乗り捨てて、今度は歩き続けた。

 何処に向かうのかもわからない、ただの彷徨い歩き続けるだけなんだ。

 何処をどう歩いていたんだろうな?空を見上げれば、まだ雨は烈しく降り続いているんだけど、夜になっていた。でも、周りは昼のように明るい。

 そこは多くの人が行きかう繁華街。

 歩く連中は雨が降っているから当然傘を差して歩いている。

 独り寂しく差している奴。男と女が仲良く一つの傘に入っている奴等。

 楽しそうに傘をくるくると回している奴。

 色々な連中が色んな風にそれを差して、どこかへ向かっていた。

 傘を差していない俺の向かう先は?・・・、そんなものを考えられる状態じゃない。

 完全に心が疲弊している、もう冷静な判断なんか出来ないくらいに。

 びしょ濡れでそんな精神状態の俺に誰かが声を掛けてきた。

何を言っているか分からなかった。だけど、俺の返した言葉は其奴にとって同意を示すものだったらしいんだ。

 其奴に手を引かれ、どこかへ連れて行かれるみたいなんだ。

 その場所に着くと、しばらくして一瞬だけ腕に痛みを感じ、刹那だけ良い気分になった。そのあとは地獄の苦しみを味わった。

 そして・・・、俺は完全に人の心を失い、そのまま、その場所で雪菜、それと春香の下へと逝く・・・、訳ないぜ。

 二人と同じ場所に俺が逝けるはず無いんだ。

 俺は逝くんじゃなくて堕ちる。

 今まで俺が犯してきた事を償う所へ。

 いったい、その場所で、どれだけの罰を受ければ俺は雪菜や春香と同じ場所へ昇れる?

 一体、どれくらいの時の流れをその場所で耐えれば、現世で再び、その二人と巡り逢い同じ、時間を過ごせる?大切な奴等とまた顔を合わせられるんだ?

 ほんとうに、どれほどまでにその場所で務めを果たせば、俺は強い心を持って転生できる?

 その答えを知ること、それはその時が来るまでわからない。だから、それまで耐え続けなければいけないんだ、無限とも思える程の時間が刻まれても。


~ 2004年12月27日、月曜日 ~

「おうっ、おめぇらぁ、げんこぉーーーはんだっ!おとなしく縄に掴まんねぇ・・・?」

「源ちゃん、そんな変な日本語使っても相手には分からないわよ・・・?源ちゃん、どうしたの」

「おいっ、宏之ッ・・・、坊主?しかりしんねぇ、おおいっ、おいっ。ヒロユキぃぃいぃいっ!てめぇらぁっ、なわじゃなく、こでわしが引導くれてやるぅっ!!」

「げっ、源ちゃん、だめよっ、そんなことしちゃ!そんなことしても宏之君還ってこない。よろこんでくれないわよ」

「くっそぉおぉおっぉぉっ、何でおぬしがこんなとこにぃーーーーーーーーーっ『ズシャッ!』」

 永蔵源造はその言葉と共に狙いを定めていた拳銃を横に振り、その拳銃の弾倉部分が壁にぶち当てていた。

「神宮寺くん、全員逮捕したよ。ここの事後処理と上への報告はほかの者達に任せて、僕たちはもうここから離れよう。僕と君の任務はこれだけじゃないから」

「あそこに倒れている子だけの処理・・・。あれだけは私にやらせて」

「しょうがないな・・・。源造さん、僕は追わなければならない奴がいるから、神宮寺くんのこと頼みました」

 麻里奈に話しかけていた男が去って行くと、すでに息を引き取っていた宏之は彼女と源造に手厚く、彼の両親に送られた。

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