Lost Everything ・・・ 貴斗
俺の考えは・・・、矢張り甘かった。
いつから科せられたのか判らない負の運命を断ち切ることは出来なかった。
俺がしようとした事は無意味だった。
彼は彼女でなく彼女をモトメ、彼女は彼じゃなく彼を求めてしまった。
「好き・・・、今、私が必要としているのは私が愛してしまった人は宏之君じゃない」
「エッ!!?」
春香の言葉に驚いてしまったのは詩織だけじゃなく俺も同様だった。
直ぐに応えられず沈黙してしまう。ただ、春香の言葉を聞いているだけだった。
「いま私が愛してしまった人は貴方よ、藤原貴斗君、アナタなの!」
彼女は言葉を言い終えると何故か大粒の涙を流し始めた・・・。
考えろ。なんて応えれば良い?考えるんだ貴斗・・・。
その答えを導き出した俺は春香にそれを告げる。
「春香・・・正気?いや違う、本気でそう想ってくれているんだな」
最も大切な人を、
最愛の人を・・・、
傍に置いて、俺の所為で喪ってしまうくらいなら・・・・・・、
傍に置かないほうが良い。
遠ざけるべきだ。だから・・・、矢張り詩織の気持ちには・・・。
無論、春香だって大切な女性だ。
俺を取り巻く負の因果に巻き込み、喪ってしまってもいい、などと微塵にも思ってはいない。だが・・・・・・、詩織に対してのオレの後ろ向きの思考回路がそんな風に結論を出してしまっていた。
それが新たなる不幸の始まり、悲劇の始まりだとは知らずに・・・・・・。
「今、やっと判ったの、私の本当の想いが。詩織ちゃんに・・・、嫌われても・・・・・・、いい。香澄ちゃんに・・・・・・・・・、嫌われてもいい。二人に恨まれてもいいの。だから、お願い、貴斗君、私の傍から離れないで、私を支えて、私を大事にして、私を好きになって、私を愛して欲しいのっ!」
「止めてぇーーーっ!春香、私から貴斗を奪わないでぇえぇぇぇぇええぇぇぇっ」
詩織のその言葉、どれだけオレを必要としてくれているか判る、理解できる・・・、だけど。
「・・・詩織、ゴメン、昔の俺も、すべての記憶を取り戻した今の俺も・・・、一番大切な・・・、最愛の幼馴染みであるお前の気持ちに応えてやれそうにない。ゆるせ、詩織」
「嫌、いや、嫌よ、貴斗そんなことを言わないで。私、貴斗がいなかったら、これからどうすれば良いの?何を目標にして生きて行けばいいの?」
詩織は逸材だ、俺などいなくとも生きて行けるだろう、とそう思っていた。しかし、その考えこそが間違いだと、彼女の性格を、本質をわかっていたはずなのに、彼女を突き放してしまい、別の女性と俺は付き合おうとしている。
春香の言葉を受け入れる事、それは彼女に犯した罪の償い。
それは俺の性格が、深層心理がそうさせる。
春香が俺を本当の意味で赦してくれない限り、彼女から解放されることはない、彼女に繋がれたままだ。だが・・・、春香の言葉を受け入れるのは、決して、絶対に罪の意識から来るモノばかりではない。
新しい可能性、新しい未来を信じて、選んだ答えでもあるのだ。しかし・・・、新しい道を歩む事も俺にはそれ程は長く赦されないのだろうな・・・・・・。
「詩織、我侭を言わないでくれ。俺の性格を知っているなら、これ以上俺を困らせないで欲しい」
「たぁかとのぉ~~~っばかぁあぁあぁぁぁぁぁッ『バシッ!!』」
涙をいっぱい溜めた詩織から強烈な平手打ちを貰った。
本当はかわせるのだがあえて受けていた。
それを喰らった頃に宏之が登場してしまった。
彼は春香、詩織、それと俺の遣り取りを見て困惑した表情を浮かべる。
そんな宏之に対して春香は痛烈な言葉を宏之に向けていた。
宏之は春香の言葉を聞いて俺に怒りを露わにし、殴りかかるような動きを見せたが、何故かそうはならなかった。それから、この場に居る必要がない事を感じた詩織は今まで見たこともない冷徹な表情を春香に向け、何か宏之に囁いてからこの場を去って行く。
更に、それに続くように宏之も・・・。
その二人がこの場を去った後、しばらく同じ場所で春香と会話を交えていた。
一方的に俺が話しているだけだったがな。
その時にふっと思ってしまったことがあった。
それは一、二年位前、翠に見せてもらった春香の小さい頃の写真。
それに写っていた彼女と俺の脳裏にくっきりと残る雪菜の姿・・・、まるで双子のようにそっくりだった。
そんな春香の容姿に雪菜を心の中で引き摺っている宏之が惹かれるのも無理はないのかもしれない・・・。
それは俺にも言える事なのかもな。
春香との話の中で彼女には何も隠さずに総てを話しておいた。
詩織に対する俺の気持ち、雪菜の事、春香を好きになった本当の気持ち、己の健康状態、これからの事などをだ。
詩織には明かさなかった事すべてを春香に話した。
それは新しい道を踏み出す、変えられない過去との決別。
春香との会話がつきかけた頃、俺は彼女に一つお願いと忠告をした。
「さっきも俺は言ったが・・・、後どれだけ生きられるのかわからない。だから、・・・、その春香には・・・、いつでも笑っていて欲しい」
「貴斗君がそういうんだったら、私、約束するねっ」
その言葉と一緒に春香は満面な笑みを向けてくれる。
「無理、言ってすまん。有難う・・・。それと忠告が一つだけある」
「どんなことなの?」
「詩織には・・・、注意しろ」
「どういう意味なの?私、わからないよ?注意しろ、って何を注意すればいいの?」
「俺にもよく分からないが・・・、ただ、そうとしか言えない」
「うん、わかった。気に留めておくね」
「すまないな」
それから、春香を俺の自宅まで連れて行き、暫く休ませてから車で彼女の家まで送ってあげた。
その移動中に彼女から、今大学にいくため必死になって勉強している事を聞かされた。だから、彼女の勉強を俺は手助けしてやろうとその旨を伝えたのだった。
それから、春香の恋人をやらせてもらうようになって、一日のサイクルといえば日中、どこかの図書館か俺の家で彼女が不得意で俺が得意分野の勉強指導、夜は今まで休んでいたバイト先の仕事。
日々、その繰り返しだった。そう、大学復帰は一月に入ってからにしようと思っていた。
バイト先で慎治と顔を合わせる事が何度もあった。
そのたびに詩織との事を聞かれたが、上手くはぐらかしていた。
香澄とも時間の都合を言い訳に11月のあの日以来、一度も会っていない。
詩織と俺の破局、度々掛かってくる香澄の電話から察すると彼女はそれを知らない様だった。
それを俺自身伝えてもいなかった。
それを口にしてしまえば香澄は何らかの後ろめたい感情に囚われてしまうのではと勝手に決め付けてしまったからだ。
春香と過ごす日々、それが約一ヶ月弱過ぎようとした頃・・・、それは起こってしまった。
~ 2004年12月24日、金曜日 ~
「ねぇ、今日、ってイヴヨねぇ。どうして貴斗君、彼女持ちなのに仕事出てるの?」
「別に井澤さんには関係ないだろう?」
「魅由っ!貴斗君、若しかして、態と私の名前っ、じゃなくて苗字で呼んでるでしょ?」
「さぁ~~~、どうだろうか?」
「あぁーーーっ、やっぱりそうなんだ。酷いよぉ、年上のお姉さんをからかうなんって」
「ハイ、ハイ、ごめんなさい。魅由さん」
年上のお姉さん、麻里奈?にいつも、からかわれている、俺。
翔子姉さんをからかってやろうとたまに思うけど、そんな事したらあとが怖い。だから、それを魅由にしている・・・、訳ないぞ。
本当は俺が逆に魅由から、からかわれる日々の方が多い。
それのほんのちょっとしたリヴェンジのつもりでそう言っていただけだ。
「ふっ、なんかバカにされてる感じがするのは私の気のせい?・・・、でも、そんなこといいかなぁ。だって仕事だけど、一緒に貴斗君とイヴを過ごせるからね」
「はいはい、そうですか。それじゃ休憩終わりにして仕事に戻ろう」
「ああぁアぁーーーっ、まってよぉ~。今日の貴斗君、なんだか私にいじめっ子さん」
魅由にそう言い残して先に店内へと向かった。
本当は今日、この日、春香とデートするはずだったが、何か急用ができてしまったらしく、それはキャンセルさせられてしまっていた。
かなりショックだった。だから、その気分を紛らわすために魅由にそんな意地悪をしていたのかもしれない。
春香に無理強いさせるの嫌だから、彼女の言葉を受け入れていた。だが、その時、もっと長電話をして、彼女の異変に気付いてあげられていれば・・・・・・。
その電話のあとから、偶然にもバイト先の店長の明から連絡があって急遽、今こうして魅由と一緒に仕事をしていた。そして、その『偶然』が『必然』作為的なものだと気付いていれば、俺は・・・、春香を・・・・・・。
相変わらず、どんな日でも忙しいこの場所で決められた時間まで働いていた。
仕事が終わり、魅由、店長の明と別れの挨拶をした後、表に向かうと見知った女の子がその場所にいた。
「今晩は貴斗さんっ。それとぉ、お仕事お疲れさまぁ」
「・・・弥生ちゃん?・・・ハァ~~~、また君か。こんな時間一人でウロウロしていたら、変な連中に捕まるぞ」
「弥生、大丈夫です。逃げ足、速いですからぁ・・・。あの・・・・・・、そのぉ・・・、若し、若し、今からお暇でしたら・・・、少しだけ、お相手してくだ・・・、サイ」
「疲れてるから、俺は帰る。そして、独りゴロゴロする」
〈それに、春香には合鍵をまだ渡していないから、彼女がいることはないろう。だから、独りさびしく過ごす事に決めている〉
そう冷たく言うと弥生は薄っすらと涙を浮かべ始めた。
彼女は俺の弱点を突いて来る心理作戦に出たようだ。もう、この子は既に俺の幼馴染み、その一人の特技を会得しつつある様だ。
「ああぁああぁ、泣かない、泣かない。俺の家に遊びに来るくらいになら許す」
「弥生、貴斗さんのお家に遊びに行ってもいいの?」
「あんまりかまってやれないがな」
相手をしなければ、勝手に引き下がってくれるだろうと、そう安易に俺は思っていた。
「ウフッ、有難う御座います。それでは参りましょう」
彼女はそう言葉にすると、何の断りもなく、俺の腕に抱きついてきた。
無理に振り解いてしまうのは可哀想だ、と思って大きな溜息を彼女に見せてやり、自宅へと足を向けた。
皮肉を込めた積りのその溜息に彼女は全然、堪えていない様だった。
夜空を見上げるとさっきまで降っていた雨が嘘の様に夜空が眺められる様になっていた。
歩きながら、隣にいる弥生の事を少し考えてみた。
彼女は翠の親友で将臣という双子の兄がいる。
性格的には・・・、詩織に似ているような・・・、類似品ご注意と言う感じだ。
俺の事を慕ってくれているみたいだが・・・、退院したのをいつ知ったのか?
それ以降、こんな可愛い子にこんな言葉を思うのは心苦しく、可哀想だが・・・・・・、ストーカーだな、まるで。しかも、彼女の口ぶりからは察し出来ない程、頭もよく、危険なくらい鋭敏でもあった。
「貴斗さん、今、弥生にとぉ~~~っても、失礼なこと思ってますね?」
「ハハッ、そんなことない。弥生ちゃんはとても可愛いなって思っていただけだ」
「もし、その言葉が嘘でも・・・、今、こうして弥生と一緒にいてくれるから・・・、ポッ。許しちゃおうかな」
類は友を呼ぶとは正にこの事なのか・・・。
彼女の行動が行き過ぎる前に慎治の母親の皇女に相談した方がいいのだろうか?
弥生が話しかけている言葉に単に相槌を返しながら、そんな事を思っていると自宅マンションに到着してしまう。そして、また、俺の部屋の玄関前に見知った人物がびしょ濡れの姿で、今にも風邪引きそうな姿で・・・。
こんな寒い時期だ、肺炎など起こされてしまったら大変だと思って、その子に話しかけながら扉を開け、中に入るように進めた。
「お家の中が濡れて汚れちゃいますから遠慮します」
皮肉をたっぷり込めたような口調でその子は俺に答えてくる。だから、こちらも皮肉に言葉を返してあげたが・・・、弥生と同様にその女の子にも通用しなかった。
動いてはくれそうになかった。仕方がなく、その子を抱きかかえ部屋の中に入って行く。
その時、弥生が向ける視線は詩織がある特定の場合、俺に向けるそれと酷似していた。
そんな弥生を無視して、その子を抱えたまま、リヴィングから風呂場へ向かおうとした時、そのリヴィングのロー・テーブルの脇に倒れている女性がいた・・・・・・。
それは俺が抱えている子の姉。
言い知れない不安を感じ、その子の頭を俺の胸に押し付け、それが見えない様にし、早足で風呂場に向かい、そこの場所に閉じ込め、冷静な声で言葉を残してからリヴィングに戻った。
弥生が青ざめた姿でその倒れている女性の前に立っていた。
その弥生の表情を見て異常な事態が起こっていると悟ってしまう。
直様、倒れている女性に駆け寄り呼びかけた。
「はるかっ・・・、ハルカッ・・・・・・、オイッ、起きろっ。春香、目を覚ましてくれ・・・・・・。目をさませぇえぇぇぇぇぇぇっ、はるかぁあああぁぁぁっぁぁああぁぁーーーっ!」
そう叫びながら彼女の体を強く何度も揺すった。だが、しかし、何の反応も示してくれない。
脈をとる・・・、俺の指を突き抜ける感触は返って来ない。
春香の胸に耳を当てる・・・、俺の鼓膜を上下させる鼓動は返って来ない。
彼女の全体の姿を見る・・・、穏やかそうな表情で瞼を閉じていた。
春香の今の顔、最後の彼女の表情は至極の微笑を浮かべていた・・・・・・。
それを俺に向けていた。
それは春香からの最初で最後で最高のクリスマス・・・、プレゼント。
それは俺のこれからの幸せを願ってくれる様な、そんな笑顔の贈り物だった。しかし、それを見て気が狂いそうだった、自分が許せないから・・・だけど・・・だけど・・・・・・、メイク・ミー・クール。
死亡鑑定士ではない俺は死後硬直など判らない。だから、いつ彼女が倒れたかなど知る事は出来ない。
医者でない俺は深い医学知識など持っていない。故に死因など解かるはずもなかった。だが、こんなにも・・・、こんなにも突然、春香が命を落とすなどあっていいはずがない。
深い悲しみと、また新たなる罪の意識が・・・・・・、罪悪感が俺を襲う。
それは次に少しでも嫌な事が起こってしまえば、今度こそ立ち直れないほどの、どんな事があっても生きて行こう等と思える前向きな考えなど起きる事のない程の、己の存在意義などかき消してしまうほどの悲しみと罪の意識が俺を捕らえる。
そんな状態のまま、いつの間にかどこかに電話を掛けていた。
「はい、こちら国立済世会病院、夜勤受付で御座います。どうかなさいましたか?」
「あぁっ、えっ、ええぇえ、ええっと・・・」
〈冷静になれ、いつものように冷静に対応するんだ〉
「すいません、外科の調川愁先生はまだ院内にいるでしょうか?」
「ハイ、少々お待ちください・・・・・・。ハイ、今日は夜勤担当になっております。お繋ぎしましょうか?」
「よろしくお願いします。藤原貴斗、と伝えれば直ぐにわかると思います」
それから、少しも経たないうちに愁先生が電話に出てきた。
「藤原君ですか?今まで、アナタは一体何をやっていたのですか一ヶ月近くも?私のところへ診察にも来てくれないで・・・・・・」
彼から出た始めの言葉はお説教だった。だが、用件だけを伝え了承の言葉を貰うと直ぐに電話を切った。
弥生にはここに残ってもらい翠が風呂から上がってきたらここで待っているように託を頼んだ。
翠には何があったのか一切話しては駄目だともお願いしておいた。それから、俺は春香を抱きかかえ、彼女を車に乗せ、愁先生の待つ病院へと猛スピードで向かった。
* * *
病院まで辿り着くと、玄関口で愁先生が待っていてくれた。
彼に診察室へと促がされた。それから、そこに到着して・・・、また説教されてしまった。彼は俺に説教を呉れながら春香の診断をしていた。それが終わると口に手を当て何かを考えるような仕草をとる。
「涼崎春香さん・・・、見る限り・・・・・・、目診では外因死ではない様ですね。かと云ってこの歳で自然死はありえませんし・・・。実際、化学的且つ、科学的検査をした訳ではないので断定はできませんが」
「愁先生、詳しく調べられないのか?」
「これが若し、刑事事件なのであれば・・・、司法解剖。若しそうでないのであれば、春香さんのご両親の了解を得て、検察局から正式な依頼で司法解剖手続きを得て検査。そういう手順が必要ですよ」
「それを省いて、何とかお願いできないでしょうか?できれば解剖しないで・・・」
「ハァ、まったく、藤原君、あなたはいつも無理を言ってくれる。ですが、駄目です。受け入れられませんねぇ~~~」
愁先生はそう言うが、必死になって頼み込んだ。
中々折れてはくれなかった。
ゆえに余り洸大爺さん、肉親の権威を借りたく、使いたくなかったが・・・。それを使わせてもらった。
「本当にアナタは卑怯ですねぇ。ですが・・・、今回はそうして貰いたいですから、引き受けますよ。しかし、若し、これが警察沙汰でしたら、ちゃんと責任を取ってください。いいですね?」
「了解」
一体、どうやって愁先生にそう言わせたのか、というと確実な春香の死因を調べてくれたら『爺さんの持つ会社からこの病院への出資を多くして、より多くの患者を救えるように』と約束したからだった。
どんな時でもより多くの患者を救いたい、と言う愁先生は医者の鑑だ。
「明日の朝には結果を出せると思いますので、わかりましたらご連絡を差し上げますよ」
彼のその言葉を聞いて、礼をしてから自宅へと戻る。
愁先生の前では冷静にしている積りだった。だが、帰路の途中、運転ミスをして、事故に遭ってしまいそうな程、本当は動揺していた。
また、冷静を装って、自宅に待つ弥生と翠に顔を見せた。
「貴斗さん、私をほったらかしにしてくれちゃって一時間もどこに行ってたんですか?」
「弥生、待ちくたびれてしまいましたぁ」
何も知らない翠と違って弥生は無理して笑っているような表情だった。
「二人とも・・・、悪いな。それより・・・?何で、将臣君がいるんだ?」
弥生の兄である彼が来ている理由を聴いてみたら・・・、翠と彼の間にイザコザがあったらしくて逃げ出してしまった彼女を探し追っていたら、最終的に思いついた場所がここだったという事だ。しかし、俺の知らない間に将臣と翠が恋仲だったとは・・・。
しかもイザコザの原因は俺にあるようだと知ってしまうと・・・、己の存在の否定に拍車を掛けてしまいそうな話しだった。
「貴斗さん、どうしたんですか?深刻そうな顔してますよ」
将臣がそんな事を口にするから急に取り繕った様な言葉を出してしまう。
「ハハッ、俺が深刻そうな顔なのはいつもの事だ・・・。それより三人は夕食を食べたのか」
全員一致で『No』と言ってきた。どうしてか、自分の家にいるのが辛かったから三人を外食に誘い出し、そこから移動する事にした。
車での移動の途中、貸衣装ハウスで弥生のドレスを着せてから向かうは翠と将臣が口論した場所インペリアルハイム。
本当は今日そこで春香と食事をするはずだったのに・・・・・・。だが、それはもう叶わない。
将臣と俺の予約時間はとっくに無効になってしまっているが・・・、オナーは姉の翔子。彼女に電話で連絡して、姉さんに口添えしてもらい四人分の席を再確保してもらった。
姉さんはまだ俺と詩織の終焉を知ってはいないから、電話での会話、詩織と他二名を連れてそこに行くのだろうといと勝手に結論付ける言葉を出していた。
インペリアルハイムに到着して、その場所で少しだけ楽しい時間を過ごさせてもらった。
それが終わると、表情には出さないように努力したが、俺の精神状態は急降下していた。
始めに結城兄妹の二人を送ってから、翠を涼崎家宅まで連れて行く。
~ 車での走行中 ~
「貴斗さん・・・、どうしたんですか?気分悪いんですか?顔色悪いですよ」
「心配するな、気のせいだろう?周りが暗いからそう見えるだけだ」
「貴斗さん、嘘ついてますっ!どうして、隠し事するんですか。貴斗さんにお会いして、もう三年近くも経っているのに・・・。貴斗さんにとって私はそんなに信用ない子なんですか?」
「頼む、今は何も聞かないでくれ・・・。秋人さんと葵さんに会ったら話すから・・・・・・」
人を信用する事など月日など無関係、だが・・・、今は彼女の気持ちを酌んでやれないほど、多くを語ってやれないほど、精神的に参っている。
その言葉の後から翠は何も聞いてこなかったし、俺も声を出すことはなかった。
もう直ぐで日付が変わってしまう時間、その少し前に彼女の家に到着した。
翠が帰宅の言葉を家の中に向けると、彼女の父親である秋人が顔を出してきた。すると、冷静な表情のまま翠の側頭に拳を当てぐりぐりとそれを動かしていた。
「秋人ぱぱぁ~~~、いたいですぅ~~~っ」
「ハァッ、まったく。翠、お前という子は・・・。貴斗君、娘がこんな時間まで迷惑を掛けてすみませんね」
「き・・・、キに・・・、気にして・・・・・・、ませんから・・・。それより秋人さんと葵さんにお話が・・・」
翠には席をはずしてもらい、春香の両親とゲスト・ルームで話させてもらう事にした。
涙を流さないように、歯を食いしばって言葉を出す。
「秋人さん、葵さん・・・・・・、俺の所為で・・・、俺の所為でまた・・・、春香を・・・、はるかを・・・、今度は二度と目覚めない・・・、もう目覚める事ない・・・、死。俺は春香を死なせてしまったんだ、俺の所為で、うっくっ」
そう最後まで言葉にし終えると、涙をこられるために、爪で手の皮が向けてしまう程、両拳を強く握り、下唇を血が出るほど噛み締めた。
その俺の言葉に葵さんは真っ青な表情を見せ・・・、失神してしまった。
そんな妻を抱えながら、秋人は冷静にゆっくりと口を開く。
「貴斗君。春香、私の娘が亡くなったと言うのかね?しかも、君の所為で?馬鹿な事を言うものじゃないよ。どんな理由があって君がそんな事を言うのか、わからないが自分を卑下しては駄目だ」
三年前のあの時もそうだ、どうして、秋人は娘の死を耳にしても、こんなに冷静でいられるのか、信じられなかった。理解できなかった。
これが歳を積むというものなのか?それとも他に理由が?それから、春香の死について、彼に報告をした。
「ハァ・・・、君の話からどう推測しても、貴斗君、君の何処に原因があるというのだね?」
「そっ・・・・・・、それは・・・・・・」
愁先生から結果を貰うまで確証はできなかった。
だが・・・、確信はしていた。
すべての話が終わった後、秋人さんは泊まって行かないかと尋ねられた。しかし、愁先生にはセルラーではなくホームに掛けてくれと言ってしまったから泊まるわけには行かなかった。
翠には何も告げないまま帰ってしまう。
~ 2004年12月25日、土曜日 ~
愁先生から連絡を受け、病院へと向かっていた。
「センセイっ、おはよう御座います。それで、結果は?」
「おはよう御座います・・・。藤原君、そんなに慌てなくても結果はお伝えしますよ。落ち着いて下さい・・・・・・。こちらへどうぞ」
彼に椅子を勧められ、それに座って、先生の言葉を待った。愁先生の後ろの寝台を除くと、そこには顔に布を乗せられていた春香の姿があった・・・。それを見てしまうと彼女がもう、こちらの世界には戻ってこない事を知っ・・・、て・・・し・ま・う。
「藤原君、貴方が解剖しないで欲しいといっていましたから、できた検査は多くありませんよ。結果を報告する前に、その検査内容を言っておきます」
その言葉の後、先生はどんな検査を行ったのか説明してくれた。
NMR‐CT、ポジトロン・エミッションCT、X線‐CTによる外的要因による内部損傷。それと皮膚、頭髪、血液、体液等から得られる毒物、薬物反応などの検査をしてくれたようだった。
「外傷も毒物反応も見られませんでした。検査不十分の原因不明の心肺機能停止による死亡、と断定します・・・。ただ・・・」
「ただ、なんです?ハッキリといって下さい」
何故か、わざとらしく、仄めかす様に先生は言葉を止めた。
「いえねっ、大量にデキストロメトルファンが検出されたのですよ。それと適量のペルラピン、あと少々の一酸化二窒素、・・・・・・と一酸化・・・」
「なんですか、そのデタラメロンとかペロリン?」
「デ・キ・ス・ト・ロ・メ・ト・ル・ファ・ン、それとペ・ル・ラ・ピ・ンです。ああ、そうでした一酸化二窒素は亜酸化窒素ともいいますし、笑気ともいいますね」
「それじゃ、それが原因で春香は死んだのでは?」
「一つ目は風邪薬、特に咳止めなどの薬に入っている成分で・・・、弱いですが眠気を催す作用がありますが、大量に服用しても・・・、バカらしい。二つ目は持続性睡眠薬の一種ですね。ですが適量なので死因とはまったく関係ありません。三つ目、我々医者が使う麻酔の種類の一つです。ですが、これも死因とは無関係ですね」
「そうですか・・・」
「若し、解剖できれば、違う結果が得られるかもしれません」
先生は、そういうが、本当は真実を知っていた。
春香の死因について。しかし、それを先生が俺に教えてくれることはなかった。
頭部CTによって、脳の浮腫や淡蒼球の低吸収域化が起きていた事を。
それは一酸化炭素中毒を意味しているということを。
「そこまでわかればいいです。死んでしまった春香にメスを入れるなんって、可哀想過ぎる。想像するだけで死んでしまいたいくらい胸が痛くなってしまうから・・・、それ以上はいいです」
「そうですか・・・、では約束した事、守ってくださいね、藤原君。それと・・・・・・、忠告しておきます。後ろ向きにならないように、前を向きなさいっ!」
愁先生のその言葉に頷く事も、声に出して応える事もできなかった。それからは、春香の両親を呼び、今日直ぐに通夜が行われた。
思った以上の人達が来ていた。その中には宏之、慎治、香澄も交ざっていた・・・。だが、何故か詩織の姿はない・・・・・・。
ある筈がない。俺の推測が間違ってなければ春香の死の原因を作ったのは詩織・・・。しかし、実際そうさせてしまったのは他ならぬ俺の決断ミス。
通夜が終わって、宏之、慎治、香澄と顔を合わせた時、宏之に大声で糾弾され、その言葉と一緒に一発殴られた。
彼に言葉を返す事も、況してや、彼の怒りと悲しみの拳を避ける事など出来るはずが無かった。それから、さらに誰もいなくなった後、春香の納まっている棺の前で独り声を出して慟哭していた・・・・・・。
大きく哭慟するのは四度目だ。
以前、病院の中でしたばかりなのに、そのピリオドが短くなっていた。
「・・・貴斗さん?・・・・・・・・・、貴・・・、斗さ・ん」
いつの間にか現れていた翠に呼ばれているようだった。
彼女にこんな姿の俺を見られたくなかったが・・・、涙は止まってはくれなかった。
ほんの少し経つと、恥ずかしくも・・・、俺が翠に抱擁される形になっていた。
勝手に口が動きこの一月、春香と俺がどんな関係にあったのかを翠に伝えていた。
この時、正座している翠の膝に顔を埋める様な感じで抱擁されていたから、彼女がどんな表情をしていたか、など知る由もなかった。
冷静さを取り戻した頃に自分がどんな体勢をとっていたかに気付くと、翠に真っ赤な顔を見せ、距離を置いて背を向けてしまった。
意味もない咳払いをしてから、
「翠ちゃん、変なところを見せてすまなかった・・・・・・。それと有難う」
「そんなこと気にしなくていいんですぅ、ですから、元気出してくださいねぇ」
背を向けたままだったから、翠がどんな表情でそういったのか知らないが、声はとても明るかった。場には似つかわしいくらいに。
「それじゃ、俺、帰るから・・・」
「あのぉ、貴斗さんっ?若し、良かったらぁ・・・、お泊りして行ってください。気持ちが落ち着かないんなら私が添い寝さしてあげちゃってもいいですよぉ」
「バッ、バカ、そんなことが許される訳ないだロッ!」
「私の言葉で少しは元気だしちゃってくれたようですねぇ」
いつの間にか、正面に回っていた翠は俺の顔を見てそんな事を口にしていた。そんな彼女から今度は視線だけを逸らし口を動かした。
「ハァ~、こんなガキに励まされるとは・・・フッ、俺も地に落ちたな」
「貴斗さん、ひじょぉ~~~に、皮肉れちゃったこと言ってくれてませぇ~ん?」
「ああ、言ってるよ。だが、本当に気分も落ち着いた。だから、今度こそ帰る。しなければいけないこともあるし」
そう言って本当に涼崎家を出る事にした。
その時、翠が強引に俺を引き止め様としていた。だが、それをうまく振り払ってその場を逃れた。
彼女の傍に俺がいれば、何かしらに巻き込んでしまうと思ったからだ。二度と俺はこの家に足を踏み入れる事も、この周囲に近付く事もない。
いや、違う、『ない』ではなく、『出来なくなる』、だ・・・。
~ 2004年12月26日、日曜日 ~
真相を突き止めるため、詩織の家に向かった。
電話を掛けなかったのは居留守を使われるかもしれな、とそう思ったから直接そこに足を運んだのだ。
初めに顔を見せてくれたのは母親の方だった。響でなくて良かった。
若し弟の方だったら詩織に会う前に春香の後を追う事になっていただろうな。
「詩音さん、記憶が戻ってからこうして会うのは久しぶりですね・・・。処で詩織は?」
「あらっ?おかしいですね。てっきり私は貴斗君の所へお泊りしていますと思っていたのですけどね?違ったのですか?」
〈エッ?若しかして詩織、俺との関係を誰にも伝えていないのか?〉
「アッ、いえ・・・、そうじゃないんです。車で送っていく、って言ったんですけど、歩いて帰るから、って断られてしまって・・・、心配になって・・・、その顔出ししただけです・・・、携帯にも繋がらなかったし」
詩音には悪いけど、誤魔化してそう口にしてしまった。
「そうだったんですか?ハァ~、もうっ、あの子ったら・・・、わかりました。詩織が帰ってきましたら連絡するよう、伝えておきます・・・、ではなくて、娘が帰ってくるまでここへ上がってお待ちしてくれてもいいのですよ」
「いいえ、今からバイトがあるんですよ」
また嘘をついてしまった。
でも、仕方がない・・・。
多分、ここで待っていても詩織は帰ってこないだろう。
詩音さんに別れを告げ、詩織を探しに、彼女の行きそうな場所へと向かった。
そう、この日から詩織を探すために・・・、彼女を追いかけるための日々が数日、続く。
~ 2004年12月29日、水曜日 ~
バイト先に一週間くらい休暇を貰い、内三日間、車でいける範囲、詩織の行きそうな場所、すべて回った。だが、その何処にも彼女の痕跡はなかった・・・。
見落としていた事があった。車で行ける所、そこに詩織がいるはずない。それは車でしかいけないからだ。
彼女は車と名の付く物、自転車でさえもおろか、すべて、自分で運転する事が出来ない。だから、俺が車を運転して行ける場所に行っても意味がなかった。
移動手段を変更、詩織が最も使う物、それは電車。
三戸駅の駅員に詩織の写真を見せ、最近見かけたかを聞き、上り、下り、どちらの電車に乗ったかを訊ねてみた。
正解のようだ・・・。
彼女は24日の夜、終電上りに乗った、と確認が取れた。だが、しかし、何処で降りたのかはわからない。だから、俺も上りの電車に乗り、止まる駅すべてに降りて、その駅の駅員に聞いて回った。
行き着いた先は・・・、その場所から独りで、詩織を捜すのは不可能に近かった。
人工過密都市。
探す人、一人増えたところで、発見確率など差して変わらない。だが、いないよりはまし・・・、彼をこんな事に巻き込みたくないけど・・・、彼しか頼れる人はいない。だから、その人物に連絡を入れた。
「もしもし、藤原貴斗と申します。八神慎治さんでしょうか?」
「貴斗っ!いま一体お前、何処に居る?何度もお前の携帯に連絡入れたんだからなっ!何で、今まで出なかった」
慎治の声を聞いたら、何やら怒っている風だった。だが、冷静に対処するように口を動かす。
「無理な頼みだとはわかっている。モヤ像の前で待っている。そこに来てくれ」
「モヤゾウ?何処なんだ、そこは?」
「旧・ハチ公像前だ」
「98小僧の前田?わかんねぇよっ、一体何処にいるんだっ!」
「東京都JR山手線渋谷駅、モヤイ像前」
それだけ言い残し電話を切った・・・。
いつも通り手短に抑える事が出来た。
ずっと、バイブレーター機能offにしてマナー・モードにしていたから、慎治から連絡があったなんって、全然気付かなかった。
着履歴を確認すると五十件中三十件が彼からの物だった。
ここに来るか、来ないか、分からないが待つ事にした。
どんなに早くても一時間近くはかかるはずだ。
「ハァ、フゥーーーっ」
溜息を吐き、空を眺めれば、ここにきた時にはまだ陽があったはずだが、夜空に変わっていた。
「何、バカ面してんだ?貴斗。来てやったからな」
「慎治、すまない」
「そう思ってんなら、訳くらい聞かせてくれるんだろうな?」
慎治に隠してもしょうがない。すべて正直に彼に話す事にした。
すべてを話し終えると、怒りの声を上げ、俺の胸倉を掴んできた。
「貴斗っ、テメぇえぇぇぇぇぇっ、藤宮の気持ちに応える、って言ったのは嘘だったのカッ!」
人通りの多い渋谷駅前で彼が大声を上げて、乱闘にもなりそうな状態なのに行きかう人々は気にも留めていない。
「くぅをのっ、バぁっカっやロぉーーーーーーがぁああぁぁあっぁっ!」
本当に慎治はその言葉と一緒に俺を殴ってきた。だが、たった一発だけ、それ以上はなかった。
意識すれば、受け止める事も、慎治を突き飛ばして、避ける事も可能だった。
それを喰らっていた。それから、直ぐに慎治は平静になり、済まなそうな顔を俺に向ける。
「慎治、そんな顔しないでくれ。俺が悪いのはわかっている。お前が俺を殴って当たり前のことをしている・・・、すまない」
「貴斗、お前だったら・・・、藤宮を振って、涼崎なんかに付いたら、どうなるかくらい予想できていたんじゃないのか?そのくらいに藤宮詩織、って女を解かってたんじゃないのか?」
「・・・解かっていた・・・、かもしれない。・・・・・・、だが・・・」
「まったく、難儀な性格だな。過去に縛られすぎ、拘り過ぎなんだよ、お前は・・・。まあ、貴斗の過去を俺は知っているからこれ以上何も言わないけど・・・。チッ、こんな人が多い東京で藤宮をどうやって探せっていうんだ?」
「人の心理というものをよく知っている慎治だ、俺なんかよりは上手く、彼女の行動予測できるだろう?」
「わあぁったよっ、しょうがねぇなぁ。その代わり、一つ約束しろ。藤宮が見付かったら、もう彼女から手を離すな。絶対この約束を守るなら、手伝ってやる」
「努力はする」
「努力するじゃねぇーーーよっ、絶対だ、絶対守れっ!」
「了解」
「はっ、そんな簡単な言葉で返してくれやがって、まあそれでもいいか?応えてくれないよりはましだからな・・・。それじゃ、捜査に行くとしますか、貴斗警視」
「その前に夕食を摂りましょう、慎治警視正」
「俺が上司だ、奢れよ」
「心得ております」
それから近くにあった飲食店で二人して食事を取りながら、どう詩織を探すか相談しあった。
~ 2004年12月31日、金曜日 ~
もう、今日、後数時間を過ぎてしまえば、新しい年を迎えてしまう。
渋谷でぷっつりと足取りが消えた詩織を探していた俺は二日たっても彼女を見つける事はできなかった。
さっき、自動販売機で買って来た暖かい紅茶を飲みながら、大きな溜息をついてしまった。
すると、まるで俺の心の中を表すような白い靄が口から吐き出されていた。しかも中々消えないでいる。
本当は潰れてしまうくらい精神疲労し、それが肉体に影響を及ぼしているはずだが、体に鞭打って詩織を探しているというのに・・・。
彼女の携帯電話に連絡をいれても出てくれない。
話しすらできない、そんな状態が続いている。
こんな状態が続けば、詩織を探し当てる前に・・・、倒れてしまいそうだ。
ペットボトルに入っていた水分を口の中に流し込んでまた大きく溜息をつく、そんな繰り返しをして、それを飲み終えた頃に、慎治から連絡が入った。
~ 午後11時27分 ~
慎治の連絡があって、俺は港区六本木RFCホールという場所に来ていた・・・?聞き覚えのある場所だな・・・、脳内の記憶を辿り、その場所を知っていたかどうか、正面玄関前で、瞼を閉じ、開いてはその建物を見、また瞼を閉じるという動作を繰り返しながら、思い出してみた。そして、その答えは?
詩織の両親、藤宮律と詩音さんが毎年夏、クラシック・コンサートを開く会場。
付け加えるならこの敷地と建造物の所有者もその二人。だから、詩織はこの敷地内なら一般立ち入り禁止の場所も含めて、どの場所でも自由に出入りする事ができる。
外から中を眺めると、何かの催し物が続いているのか、まだ多くの人がその場所にいた。だが、そんなのは無視して、慎治が呼び出した場所に向かっていた。
~ 建 物 屋 上 ~
そこに辿り着くと、広い屋上に出た。まだだいぶ距離が開いていたから、よくは確認できないが、慎治と詩織が会話をしているようだった。
近付かないで耳を澄まして聞いてみる・・・・・・。しかし、俺がそれをすると何故か急に声が聞えなくなった。
「貴斗っ、そんなところに隠れていないでこっちに来いっ!」
何故なのか、慎治には俺の存在に気付いていたようだ。
そんな言葉を大声で言っていた。彼の言葉に従う様に二人のところへとゆっくりと近付いた。
それと呼応するように、慎治が俺の方に向かってくる。
彼は立ち止まらないで、脇を過ぎようとした時に、言葉を掛けてきた。
「後は、お前次第だからな。しくじるなよな」
慎治はそう囁くと俺の言葉も待たずに走り去ってゆく。
それを聞いた場所で、いったん立ち止まり、目を閉じてから、一呼吸置き、それを開いてまた詩織の方へと向かってゆっくりと歩く。
「御願ッ、貴斗、こっちに来ないで、こんな私を見ないで、お願いです、近付かないでください」
詩織の言葉は感情の起伏の所為かだろうか、いつもの様な淑やかな敬語ではなかった。
今、そんな事は関係ない。
彼女の言葉を無視して、歩み続ける。そして、詩織の顔がハッキリと見えるくらいの距離に着くと、脚の動きを止め、口を動かす。
「詩織・・・、俺がすべて悪かった。お前の事を分っていたはずなのに・・・・・・、お前の気持ちを踏みにじってしまった。春香を」
「いやぁーーーーーーっ、それ以上何も言わないで。こんな私を見ないで・・・、お願い・・・。貴斗がどのような言葉を掛けてくれたも・・・・・・、わたくしが・・・、春香を・・・・・・・・・、ころし・・・て・・・・・・、しまった・・・事実を変える事は・・・、出来ないのです。ワタクシが春香を殺してしまった事実は変えられません」
「そうか・・・、やっぱりそうなんだな。でも・・・、もう春香が戻ってこない事は事実だ。だが、まだ、詩織、お前はまだ存在している。もうこれ以上、俺を悲しませないでくれ。だから、詩織まで俺の前から消えようなど、しないでくれ。だから、さあ一緒に帰ろう」
「今更・・・、その様な事を言われましても・・・ワタクシが、私の手で大切な親友を殺めてしまったのですよ。私は殺人者なのですよ。そんな穢れがあります・・・、私がアナタの傍にいてよい・・・、はずが・・・・・・ない・・・、のです」
「こんな事で春香が亡くなってしまった事・・・、死んでしまいたいくらい辛い。だが、今はそれでも詩織に傍にいて欲しいんだ。こんなの手前勝手な我儘だ、って重々承知だ。それに・・・、お前が自分を殺人者などというのなら俺は大量虐殺者だっ!」
たとえそれが己の手に寄って直接でなくても俺のせいで何人もの大切な人達を殺している。
それと、詩織と同じように数年前、最も大切だった人を奪われ、そして、それからくる憎悪によって・・・。ただ、彼女と違うとすればステュクスを渉らせてやった者達は俺とは何の面識もない連中だったことくらいか。
「この事は刑事事件になっていない。それでも、若し、詩織、お前が、もし出頭するなら、その償いが終わるまで待ち続ける。そうしないのならずっと傍にいてくれ」
「もうだめなのです。このようなワタクシを・・・貴斗から愛されていいはずないのです。こんな私が・・・、アナタを愛していいはずないのです・・・。許される筈ないのです・・・。その様な資格、わたくしには・・・・・・、ございませんから」
「許す、赦さない、資格がある?ない?もうそんなもの関係ないっ!だから、俺の傍にいてくれよッ!詩織ぃーーーッ!」
俺のその言葉を聞いた彼女は手を口元に当て大粒の涙を流し始めた。
それを見て、説得に成功したと思った俺は詩織に近づいた。しかし、それは・・・・・・。
「だっ、駄目ぇ、貴斗、私に近寄らないでっ、いやぁあぁぁっぁぁっ!」
詩織は俺を拒絶し、あとずさってしまう。
何故か距離は縮まらずに彼女を更に後方へ追いやってしまう。
再び、俺の選択が間違いだと気付いた時は・・・、手遅れ。
「ハっ?」
詩織は小さく、口を動かすと何かに足を取られ、後ろへ倒れこんでしまう。
その後ろは彼女の腰元にも及ばないほど、有っても意味が無い様な低いフェンス。
彼女の体はそこから・・・。
「シオリィィィイィッィイイィーーーっ!」
そう叫んで彼女の所までダッシュして、間合いを詰め、そこから落ちそうになる彼女を捕らえようとした・・・。
詩織を落ちる瞬間ギリギリ、片手で捕まえる。
余りにも体勢が悪かった。力の入れ方を間違えたら、自分まで落ちてしまいそうな、そんな格好だった。
「しおり、もうこれ以上、これ以上、俺に誰かを喪う辛い思いを味合わせないでくれ。だから、俺の手を確り握り返してくれ、たのむヨぉーーーーーーーーっ!!」
詩織が握り返してくれさえすれば、引っ張りあげた時、それを滑らす事はないと思ってそう彼女にお願いしていた。
「タカト・・・・・・・・・、タカト・・・、貴斗、ごめんなさい・・・。いっぱい、一杯、ごめんなさい。もっとアナタの事知ってあげられていましたら、このような事にはならなかったのに・・・、ごめんなさい」
その最後の言葉のあと、彼女が俺の手を握る力が強くなった。
引き上げのタイミングだと思った俺は手に力を入れようとする。だが、しかし・・・、逆に俺の手に力が入らなくなり始めた。
それでも懸命に持ち上げようとした。
普段の俺なら詩織の体重など軽すぎて片手でも容易にリフティングできてしまうのに今は・・・。
「ウグッ、痛っ・・・、なぜ・・・・・、いまごろになって・・・。ユキナ・・・、俺がヒロユキをウ・・・ら・・・ぎっ・・・・・・た・・・から・・・かっ?」
一瞬、心臓に激痛が走った。
何とか痛みを堪えて、詩織を手放す事はなかった。
痛みが断続的になり始める。
その痛みは、宛ら握り潰される様な感じだ。
しかもジワりジワりと。
意識が遠退こうと・・・、矢張り俺の様な人間は生かされるべきでないのか・・・。
「誰か、来てくれぇっぇぇっぇぇぇぇえッ、しんっじぃぃいぃぃーーーッッ」
助かりたくて、詩織を死なせたくなくて、親友の名前を胸の中の痛みに耐えて、消え去りそうな意識を留め、大声を張り上げ叫んだ。
『ダッダッダッダ、ダダッ』
「貴斗ぉーーーっ、藤宮ぁあぁぁあっ!」
俺の声が届いたのか?走ってくる足音が聞えてくる。
その声は慎治?彼が来てくれた。
姿勢的に後ろを振り向く事は出来ない。
後どれくらいの距離があるか解からない。だが、もう一踏ん張り、耐えてくれ俺の体!意識よ、たもってくれっ!
徐々に足音と慎治の声が近付いてくる。もう、少しだ・・・。
俺を取り巻く負の因果は、俺だけでなく、詩織すらも生かしてくれる事はなかった。
呪われた運命を断ち切ることができなかった。
そう、慎治が俺の体に手を伸ばそうとした瞬間、完全に俺の意識が途切れてしまい全身の力が抜けてしまっていた。
俺自身が詩織の手を握っていたままか、どうかなど解からない。
彼女が一緒だったのか、知ることは出来ない。だが・・・、俺は地表に落ちて行くようだった。そして・・・・・・。
慎治は教えてくれなかった。
俺が死に追いやってしまったのは春香や詩織ばかりでなく・・・。
更に、俺の負の因果は俺がいなくなっても・・・、他の大切な人たちまで蝕んでゆく・・・、因果の鎖が、彼等、彼女等を捕らえ様とする。だが、それを阻止する術はもう俺に残されていない。
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