第5話アガリビト
「和尚ま!おととが柿の木から上洛下洛、銘石で頭打って、朱膳朱椀をだしとる!」
何かの暗号の様な訳の分からない大声が響く。
その声に庫裏に居る俺以外の三人が顔色を変えた。
そして口を引き結び、すっと立ち上がると庫裏を出ていこうとする。
「あ、あの…俺は!」
わけが分からずに…呼び止めたくて声を出した。
「みの吉や!みの吉や!」
和尚まが大声で呼ばう。
すると三人がいなくなってすぐにみの吉老人が庫裏に足早に来た。
みの吉老人は手にボートのオールに似た棒(後で農耕具だと教えて貰った)と、一旦脱がされた俺のズボンを携えて言うに。
「わしが案内するけ!つんだってこい!」
みの吉老人の表情は固く、どこか恐れの様なものがありありとみれた。
みの吉老人に先導されて村から離れた小高い丘に連れて来られた。
その丘の麓には恐らく村の村民だろうか。複数の老若男女が手に手に棒や刀槍、みの吉老人の持っている様な珍妙な形の物も持って群れていた。
そして全員がざわざわとしながらも丘の方を向いていた。
それにつられる様に俺もその丘を見た。
そこにはボロを着込んだ髪と髭が伸び放題の男が一人。
遠目ではあるがゆらゆらと揺れながらこちらを見下ろしていた。
「皆落ち着きなさい」
群衆の後ろから通る声が聞こえる。
そこには時代劇に出てくる様な甲冑を着込んだ庵主が石に腰掛け、その傍らにこれまた甲冑を着込んだ和尚まが立っていた。
「和尚ま、あんやつはどう動きますかの…?」
日に焼けた男が和尚まに問いかけた。
そいつは俺を殴りつけたあの男だった。
手には今度は長い槍を持っていた。
「あ奴とはまともにやり合ってはなりませぬよ。魅入られて『上がって』しまいますから。ですから一人にならず群れて威嚇して下さい」
和尚まは手にした数珠をギュッと握る。ギチチチ…数珠玉の擦れる音が聞こえる。
「じゃあ彼奴が『アガリビト』ですか!」
群衆がざわざわと騒ぎ、動揺が広がる…
(上がったら人には戻れん…)
(尾張ものはよくもあんな奴ばらを…)
群衆から漏れ聞こえる。
『アガリビト』
聞いたことがあった。
人は山から下りて生活して文明を築いたが、そこから逸れた人間が山に登ると精神が開放されて「上がって」しまい…
アガリビト…と呼ばれ神に近しい存在になるとか…
「本当にいるのか…?」
俺は改めて丘の上の人物を見る。
髪も髭も振り乱したボロを着た男。
離れていても分かる妙に強い眼力。
更には西洋では髪と髭は長ければ長い程魔力を帯びて強力になると伝わる。
アガリビトは身だしなみには気を使わないだろうから自然と髪も髭も伸びて魔力も帯びているのかもしれない…
「ンーーーーーーーーーーーーー!」
丘の上の男が奇妙な奇声を発する。
「ひぃぃ!」
「ああああ!」
群衆が急に乱れ始める。
かく言う俺の胸も急に締め付けられて苦しくなる…
目がチカチカする。足が震える…
恐慌寸前だ。
「喝!」
ピシィ…
空気が割れる音がしそうな程の大喝。
声の方角を見ると石から立ち上がった庵主が鋭い目を俺と群衆に向け、大ぶりの数珠を下げた腕をも向けていた。
狸親父の生臭坊主だとばかり思っていたが、今の庵主は甲冑もあいまって一流の指揮官の様であった。
パーーーン………
乾いた、何かが炸裂する音が響く。
「ンンンン……!」
丘の上の男はおかしな声を上げて腹を押さえる。
男は髪を振り乱し、音が聞こえた草の茂みを見やると少し弾みながら丘を駆け下りる。
駆け下りながら石を数個器用に拾うと。
ヒュバッ!
ヒュバッ!
鋭い風音をさせて男の手から石が放たれる。
その石が地面に当ると、ボッ!、ボッ!と土を抉って炸裂する。
半分吹き飛んだ草の茂みから一人男が立ち上がり。
パーーーン!
また乾いた音を立てた。
丘を駆け下りた男の上半身がぐらんぐらんと揺れる。
茂みから身を出した男が群衆に向かって走り寄る。
近付いてわかったが、その男は根来だった。
「今です。閧の声を!」
和尚まが群衆に声をかける。
ざわざわ…と群衆はざわめく。
あまりにもあまりなアガリビトの動きにもう萎縮してしまっていた。
「ぬしゃら、アガリたいんか!」
続けて庵主が大音声を放つ。
それに正気を取り戻した群衆が、手に手に持つ獲物を振りかざしながら。
「おう、おう、おう!」
と威嚇の声を上げる。
「せいぞうさんも!」
和尚まが俺に声をかける。
「お…おう!、おう!」
群衆を真似て調子を合わせて声を上げる。
パーーーーーーン!
また根来が筒から音を出した。
どうやら鉄砲の様で、その音がするとアガリビトはまた身体を震わせる。
「おう、おう、おう!」
ガチャガチャガチャガチャ!
声と獲物の音を響かせるとアガリビトはやっと止まった。
よく見ると体中から出血している。
根来の射撃が正確にアガリビトを穿っていた。
群衆はまだ威嚇している。
「ンーーーーーー…」
アガリビトがまた奇妙な声を出す。
「喝!」
庵主の大喝。
そして大ぶりの数珠をジャラジャラ鳴らしながら経文の様なものを唱える。
群衆の威嚇も少しずつ収まり、庵主の経文に合わせて。
「おう、おう」
ガチャガチャ。
祭囃しの様な一体感のある囃子。
アガリビトはそれを血を流しながら聞いている様だ。
「ンーーーーーーー…」
力なく声を発すると、ゆっくりとアガリビトは丘を登り…
やがて見えなくなった。
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