第3話一揆前

庫裏と呼ばれた粗末な部屋に転がされてどれ位経ったろう。


変な形の窓から差し込んでいた日光がもう夕暮れの赤に変わっているので、半日程放置されて居たようだ。


カコン…


庫裏の戸から何かを外す音がして誰かが入って来た。


ぎしぎし板床が音をたてる。どうやら俺の所に来るようだ。


薄目を開けると、ボロをまとった坊主頭の歳の頃60はいってそうな男が何か椀と布を持って俺の頭側にあぐらをかいて座った。


その老人と言って良い世代の男は椀の中から何かを掬って布に塗りたくり、殴られた俺の頭にその布をあてた。

べちゃりとした嫌な感触の物だ。だが、少し冷たく、殴られて腫れた頭には心地よくもあった。


「もう起きとるか」

男…老人は俺に言う。

俺はだんまりを決めた。


「かわいさげに…加減しとっても頭は不味いでな…和尚まに言われて芋薬練って腫れにあてたで。少しずつ痛く無くなる筈や」

老人は憐れむ様に言う。


「他に痛いとこ無いか?あれば芋薬で湿布したるから…言えや」

俺はまだ黙る。もしかしたら誘拐で、俺に死なれたら困るだけなのかもしれないから。変に同情にすがるのは危ないと思った。


「分かったわ。取り敢えず頭の湿布はまた替えに来るけ。それと庫裏の戸はかんぬき閉めるで、糞はおまる持ってきたるから起きたらそれにせい」

そう言って老人は立ち上がる。


(縛られてるのにトイレなんて出来るか!)

内心言葉が出そうになったが何とか黙る。


老人は庫裏を出て戸にかんぬきをして一旦離れ、おまるを持ってきて庫裏の隅に置いて今度こそ去っていった。




もう庫裏の中は真っ暗になった。

窓からうっすらと月明かりが差すのみ。

俺はゆっくり体を起こして壁にもたれた。

後ろ手の腕の縄が痛い。


「どうやって小便するんだよ…」

理不尽な状況に怒りがわく。自分の運のなさが悲しくなり、やはり昨日山の中で死んでいれば楽であったと本当に悔やんだ。


きっと助けは来ないだろう。

警察を呼ぼうにも携帯は解約してあるし、辺りを見るに電気が来てない様なのだ。

相変わらずの月の薄明かりだけで何処からも電気の灯りが無いようなのだ。


「ちくしょう…」

俺は泣いた。泣きに泣いた。

周りに助けてくれそうな人もいなさそうで…山登り前の街の喧騒が恋しくて…


そう。音もしない。テレビの音や車の音。人の話し声も。

耳がキーンとする静寂。


「誰か…居ないのかよ…」

涙が止まらない。長く泣いて涙や鼻水で顔はぐしゃぐしゃで目も痛くなっている。


「ちくしょう…」

そこで俺の意識が途切れた。





カタカタ…カコン…


戸から物音がして俺は目を覚ました。

人間もう希望も無くなると眠るようだ。

そして恥ずかしい事にトイレも出来ずに小便を漏らしていた。ズボンとパンツが臭う。



戸が開くと、昨日の老人と、お坊さんが着てる様な黒い着物を来たこれまた坊主頭の男が入ってきた。


「和尚まじゃ。頭下げぇ」

老人が足早に俺に近付いて言う。


俺は訳も分からずに兎に角四苦八苦して体を起こしてその「和尚ま」に頭を下げた。


和尚まは歳は五十がらみだろうか。背は低めで釣り上がった目をしていて、痩せ型な体躯と合わさって狐の様だった。


「はい、おはようです」

和尚まは昨日より柔らかい口調で言った。


「みの吉や、芋薬を替える前に細袴を脱がしてやりなさい。そのままでは可哀想でなりません」

和尚まは老人をみの吉と呼んで、指示をして、みの吉老人は俺のズボンを脱がそうとする。


だが脱げない。ベルトをしているからそれをまず外さないと脱げない。

だがみの吉老人は分からないのか、無理くり引っ張るので。


「痛いです…あの…まず縄解いてくれたら自分で脱げますから」

俺がそう言うと、みの吉老人は手を止めて和尚まを振り返る。


「分かりました。解きましょう」

意外とあっさりと縄を解かれて腕を動かせる様になった。

そして恥ずかしいが、濡れたズボンが気持ち悪いのは変わらないので立ち上がりベルトを解いて脱いだ。


二人はその動作を不思議そうに見ていた。


兎に角パンツは汚いが死守して座ると、みの吉老人が俺の頭の布を取り、昨日の椀と替え布を出してまた頭に貼り付けた。


俺は抵抗しなかった。もう体中痛かったし、空腹がピークできっと男二人相手にどうにか出来るとも思えなかったからだ。

それにもしかしたら犯罪者集団で、国に身代金を要求していて、何もしなければ殺されないかもしれないからだった。



俯く俺に和尚まは。

「夜分…泣かれてましたね」

そう言った。



「実は昨日は貴方を庫裏に入れてから明り取りから私がずっと見てました」

そう言う和尚まの目は確かに充血していて眠たげにも見える。


和尚まはみの吉老人と同じ様に俺の側に来て座った。


「今は大切な時分なので貴方を調べたのです」


「和尚ま…それは…」

隣のみの吉老人が顔を青くする。

それを大丈夫と手で抑えて言う。


「貴方は村人が言うにはイカレ者…と言われてましたが、私が見ますにはきっとイカレ者では無いでしょう」


「はぁ…」

俺の口からはそれ位しか出ない。


「もし怪しの者でしたらかんぬきだけの庫裏なんて昨日のうちに逃げ出せた。イカレ者なら狂い叫んだり暴れもしたでしょう」


「…」

逃げれたのか…と今更思う。でも現代人は縛った縄の縄抜けなんて普通出来ないし、そもそも交番が近くに有りそうもなかったので考えもしなかった。


「貴方…名前は」


「…製造2050型」

俺は名乗った。


「は?」

今度は和尚まとみの吉老人が変な顔をした。


「いや、名前とは…太郎ですとか、侍だと何処其処の家中の某…等…」


「いや、俺は製造2050で、個体識別番号迄言うんですか?」


「その…名前にその様な…沢山の数えの字を使われているのは珍しかったもので…そうですか…せいぞうさんですか…」

和尚まは製造を名前と理解した様だ。



「和尚ま、清三なる村の童が十年は前に神隠しにあっとります。子供で連れ立って山に薪拾いに行ったっきり見付かりませなんだ…」

みの吉老人が言った。

「もしかしたら山神様に奉公しておったのかも…そいで、今暇を出されて下りてきたのやも…」


「神隠しですか…確かにそうなのかも知れないですね」

和尚まは神妙な顔で俺を見ながら言う。


「体躯は太り肉(しし)で色が白い。これは日に焼ける農民や足軽とは違いましょうとも。着物もこの日の本六十余州や、聞くに唐高麗の文物とも違いますでしょうし…最近尾張ものが懇意にしている南蛮でも伝え聞きとは違いますのでね」


(ん?…)

俺は何とか分かりそうな単語を聞き出した。日の本…南蛮…尾張…


「あの…今は西暦何年ですか?」 

俺は聞いてみた。


「?…せいれき…とは」

和尚まは聞き慣れないと言った様で首を捻る。


「今年は何年なのか聞きたいんです」

俺は重ねて聞いた。


「せいれき…と言う元号ではないですね。今年は元亀年間ですよ。尾張ものが…恐れを知らずに帝に天正…とさせた様ですが」

和尚まは苦々しく答えた。


盛大なドッキリなのだろうか?

俺は詳しく無いが西暦ではないらしい。

尾張と言うのも昔の国の名前だと習った気がする。


「尾張ものはお山に将軍の為にと矢銭5千貫を出させたばかりか、その銭で帝に取り入り、残りの銭で人を集めてご開祖上人が耐えられて後々の法主が整えたお山を軍兵で囲み、全てを寄越して立ち退けと言う悪漢……失礼…」

和尚まはそう色々語りながら時々俺の顔色を見ていた。


「本当に知らないのですな…」

和尚まは何か納得した様だ。

するとみの吉老人に言って食事を出す様に言いつけてから、二人きりになって言うに。


「貴方の背負物を改めたいのですが」 

ザックを見やる。


俺は了解してザックを手元に寄せてチャックを開けた。


和尚まは少し中の道具等を見て、人を呼ぶと言って庫裏を出た。



次はみの吉老人が盆に何かを載せてやってきた。

戸を開け放った庫裏に俺しか居ないのを見て少し驚いた様だが、ゆっくり近寄り盆を俺に寄越した。


「粥に大根漬けに湯冷ましや。お上がりよ」 

そう言った。


何とも珍妙な食べ物だった。粥と言いながらも何か色が黄色い。きっと傷んだ古い米だろう。

大根漬け…丁寧に切って小皿に盛っているが、知っている漬物の匂いではない。色も黒っぽく、藁屑が付いていた。

湯冷ましはまあぬるい水であった。


でも一日何も食べて居なかったので俺は匙を持って黄色い粥を早速すすった。


(米じゃないぞ…これ)

米粒より小さな黄色いつぶつぶがその粥の正体だった。米じゃないなら白くもないのかもしれない。


大根漬けも粥に落としてすすり齧る。

かなり塩辛い。そして…大根の辛味が強い。舌と鼻がおかしくなる。そして藁の臭いがした。


空腹はスパイス。ものの数分で平らげてぬるい水を飲んだ。

だが3食抜きの後の食事としては、牛丼とかのガッツリしたものを食べたかった。


俺はお替りをねだったがみの吉老人はそれはきっぱり断った。


そうこうしている内に庫裏に男三人が入ってきた。


一人は和尚ま。では他の二人が呼んでくると言った人達なんだろう。


その二人も坊主頭であり、まあお寺っぽい場所だから当然なのかもしれないが、誰も彼も本物の坊主なのだろうか…


みの吉老人は空いた食器を持って庫裏を出る。何だか同席を避けているようで不思議に思った。


三人が俺を囲む様に座る。

「この者です」

今度は和尚まが畏まった様に言う。


「なんやけったいなお人やね」

二人の内の一人が言う。少しふっくらしたやはり五十がらみの男で、和尚まより派手めな着物を着ている。和尚まが狐ならこの男は狸であろうか。


「早うそのけったいな品々見たいですわ」

そう言ったのは最後の一人。歳の頃三十代だろうか。黒い着物は和尚まの様だが、恐らくこの中で一番ヤバい。

何がヤバいかと言うと、昨日の男が持っていた棒より太くしっかりした棒を持参して座っているからだ。


殴られた記憶がまだ鮮明で、凄く嫌になった。



「せいぞうさん。この方々は都と国家鎮護の叡山の方々…」



後に知る事になるが…叡山とは比叡山延暦寺。当時大名並みの僧兵を持ち、天下一の学僧をも擁す、壮大な山城とも言うべき大伽藍を備えた大立者…



「ほんなら、改めは皆でやりましょ」 



叡山等知らぬ製造2050は、これが本格的な調べと知らずにザックを開放した。




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