最終話 隠闇明 オンヤミメイ
1.鳴る電話
その電話が鳴ったのは宵の口だった。
『大倉さん?』
呼びかけに迷ったのは数秒、相手が誰か気づけば同時に遺体袋の黒とモルグのにおいが蘇った。
『結城です。すみません、突然で』
穏やかな声にはまだ残っていた緊張を緩められる。口元を軽く綻ばせると、与志人は電話向こうの相手に応えた。
「いいや、別に構わないよ。でもどうした? 昨日の件か?」
廃地下鉄で大勢の遺体を発見したのは昨晩。モルグ職員は総出で回収と身元確認に追われ、その忙しく駆け回る彼らの中に結城もいた。若くして主任の立場にいる結城は、数多くの遺体を前に冷静且つ的確な指示を出していた。夜明け前に全て終えられたのは彼の采配のよさがあってのことだった。
『いいえ違います。ですけど関係がない訳では……昨晩の件があって多少ばたついていたのは確かです。外部からの入所手続きはいつももっと慎重です……いえ、すみません、これはこちらの事情でした。大倉さんには関係なかったです……』
要領を得ない言葉は彼らしくもなかった。与志人は手にしていたビール缶を床に置いて言葉を繋げた。
「一体どうしたんだ? 大体俺に直接電話をかけてくるのも珍しい、と言うよりこの番号はどこで知ったんだ?」
『それはすみません……山口に聞きました』
与志人はその言葉に多少複雑な気分を味わった。彼が言う山口とは山口
「いや、それはいいんだ。それで一体……」
『……すみません、本題に入ります』
結城は何度目かになる謝罪を口にすると、ようやく語り始めた。
『昨晩のことですが、こちらの施設に何者かが侵入する一件がありました。多分昨日の混乱に乗じたのだと思われます。侵入者は安置中のご遺体や所持品を探り、事務所の関係書類にも触れたようです。侵入者が狙ったご遺体は昨晩搬入したご遺体ではありませんでした。引き取り手が見つからず、今もモルグに安置中のご遺体です。それは大倉さんが見つけた、あのご遺体なのです』
与志人は言葉もなく部屋を見渡した。一晩経っても半分以上片づいていない部屋は、斉藤公紀の自宅と同様の様相を今も晒していた。
『それで大倉さん……これも昨晩のことなのですが、職員一人と私の自宅に空き巣が入りました。どちらも無人だったため幸いにも怪我人もなく、しかしなぜか盗まれたものもなく、被害は部屋を荒らされた時に壊されたものぐらいで済みました。職員の彼と私、昨晩謎の空き巣に入られた二人に共通するのはあの燐是のご遺体移送に関わったことです。大倉さん、私、これでも人を見る目はある方です。大倉さんがあのご遺体から何かを持ち去ったのは知ってます。でも私は何か理由があってそうしたんじゃないかと思ってます。その理由は訊ねません、きっと聞いてもしょうがないと思います……ですが大倉さん、用心してください。モルグに侵入した賊は恐らく何かを探していたのです。それがもし大倉さんが持ち去った何かなのだとしたら……いえ、これは私のいらぬ心配だと思ってくれていいです。実際昨晩の出来事全てがただの偶然の重なりであったらいいと本当に願っています。あの……すみません、取り留めのない話を一方的にして……』
「いや、いいんだ……」
『ではこれで失礼します……大倉さん、また職場で』
電話は静かに切られた。
与志人は通話を終えた電話を手に先程より複雑な心境を味わっていた。
結城はあの日の自分の行為を知っていた。けれど彼はそれを知った上でなお、その行動に疑問を持つべき相手の心配さえしていた。その気遣いは深く身に染み、深く悔恨させていた。
あの時封筒を持ち去らなかった選択が今更のように過ぎる。それに触れることすらない、その選択もあったはずだ。しかし自分が選んだ選択肢。あの日そうすることを選んだ自分を今責めても、事態を変える術は何もなかった。
「人を見る目はある方、か……」
与志人は結城の言葉を思い出し、小さく笑った。
『買い被られて喜ぶのは阿呆とガキだけだ』
ふと昨晩の彼の言葉も思い出し、再び嗤った。
倒れた家具の下からガラス部分の割れた写真立てを拾い上げる。
そこには両親と自分、笑顔の妹が写っている。
幸せしか写し取られていないその写真を手に、与志人は随分と長い間暗い部屋で立ち続けていた。
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