8.ストライプのワンピースの少女
全てを終えた時刻は日付を越えていた。
自宅アパートに帰る途中、与志人はふらりとコンビニに立ち寄っていた。
店を一周して手にしたのは雑誌一冊に弁当とカップラーメンが一つずつ、焼き鳥三本と缶ビールが二本。こんな時間である上に褒められた食事内容ではないのは分かっているが、今日は身体がそれらを欲していた。
結局あの後応援を呼び、松下社長は駆けつけた別の警官に任せた。それからは遺体の検分、モルグへの移送、その合間に燐是に向かう車中は針のむしろだった。
一言も言葉を発しない螢。
意識を失ったままの水餓。
ホテルに着き、再び水餓を抱き上げた時に注がれた螢の視線は鋭さを増していた。
不機嫌なだけだったと考えてもいい、ただ虫の居所が悪かったと考えてもいい。
けれど今日の螢は何か全てが違っていた。
意見が異なる相手に腹立たしさを感じているというよりも、苛立ち。
それが螢を埋め尽くしている。
確かとは言い切れなかったがそう感じ取れるものがあった。ただその理由は最後まで知ることはできなかった。
夜道を歩き続けていると、木造の古いアパートが見えてくる。
コンビニから約五分、転職してから引っ越した部屋は古く狭いながらも自分には合っていた。一人暮らしは寮生活を入れてもう九年になる。とっくに慣れたものだが、今日のような日は多少侘びしかった。
「来週にでも一度帰ってみるか……」
帰り際に見た少女の横顔が過ぎり、同時に失くした家族、離れて暮らす家族を思い出していた。
十六で家を出てからもできるだけ帰省していたが、結有果のことがあってからはより頻繁にしていた。両親、特に母親が悲しみを未だ消化できずにいることを知っている。実家はこの国の北の海に面する地方にある。戻るには時間も金も必要とするが、それでも両親の顔を見て妹の墓参りをするために急な仕事が入らないことを望んだ。
深夜の路地は人もおらず、夜道を照らす街灯がたむろする虫を集めていた。
新たな虫が仲間入りしてもすぐに群れに溶け込んで分からなくなる。
それから視線を外すと、街灯の陰、人影が見えた。
多分若い女。
こんな時間に、とまず思うがその影が纏った服に目が行った。
白と水色のストライプのワンピース。
一気に喉が干上がった気がした。
見覚えのあるそれは自分がよく似合うと褒めたものだった。
「結有果……?」
呟きが漏れたが、再度見た場所にはもう誰の姿もなかった。
目に映ったのは一瞬、疲労の末の見間違いだと片づけるのは簡単だった。けれど目に焼きついた二つの色はしばらくの間、瞼の裏に残って消えなかった。
帰宅の途の最後にもやもやとしたものを抱えて、辿り着いたアパートの階段を上る。鍵を開けて狭い玄関で明かりを灯すが、目にした光景は残った蟠りを吹き飛ばしていた。
「何だ……これ……」
室内は滅茶苦茶に荒らされていた。
元々雑然としていたが、その雑然すら掻き消すほどだった。
テレビは床に投げ落とされ、テーブルはひっくり返され、布団やマットレス、座布団まで切り裂かれている。数少ない本棚の本はばら撒かれ、ページを破かれたものもあった。トイレットペーパーは部屋中に散乱し、冷蔵庫の中身は調味料だけだったが、それらも全てぶちまけられている。台所の洗剤も風呂場の石鹸類も同様、無惨な状態だった。
これは空き巣の類ではない。警告にも似たものを感じる。
目前の光景は数週間前に目にした同一のものを呼び覚ましていた。
燐是で死んだ男、斉藤公紀。彼の自宅も今の自室と同じような様相を晒していた。
「もしかしてこれか……?」
与志人は更に皺が増した封筒を懐から取り出した。中身は斉藤が遺したフロッピーディスク。いつでも螢に渡せるようにと性懲りなく持ち歩いていた。
この惨状の原因がこれであると断定するには根拠も乏しく、早計かもしれない。しかしそうだとするなら部屋を荒らした何者かはこれを捜していたのか、この中身に関わらせないよう警告を残したのか、それともまだ別の何かがあるのか……。このフロッピーディスクの中身が何であるか分からない。知る必要も知る権利もないと思っていたが、早急に確かめなければならない必要性が出たきたのかもしれなかった。
揺れる蛍光灯の下、与志人は悪意が振りまかれた部屋を見渡す。
原因がまだ分からなくとも、間近で何らかの異常事態が起きているのは確かだった。
瞼を閉じれば鮮やかな縞模様が浮かび上がる。でもそれも間もなく闇の中に消えていった。
〈二話 人食洞ジンショクドウ 了〉
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