9.昏い家

 時刻は午後六時。

 昼間とは一転、雨がしとしとと降り出していた。それに合わせて早い夕闇が訪れている。

 閑静な住宅街と言えば聞こえはいいが、周囲には商店もコンビニもなく空き地だらけ。隣家とは数十メートルも離れた不便な立地だった。

「何か変な家だな」

 螢が車内から男の家を見遣って呟く。与志人も同じように見上げてその言葉に同意した。


 中途半端な感じの洋館。

 外観的にも昔のままの和風建築と近年の洋風建築が入り乱れ、全体的にちぐはぐで何となく落ち着かない。褪せたオレンジ色の屋根が洒落た雰囲気を醸し出そうとしているが、虚しい徒労に終わっている。

 高台に建ち、裏手に広がる庭と一人暮らしには充分すぎるほどの三階建て家屋は一見魅力的にも映るが、気の休まる我が家には程遠い印象。野崎は恐らく中古で手に入れたのだろうが、二十代で買えるほどの価格だったのではと想像できた。

 降り続く雨が地面と周囲の雑草を濡らし、青臭い匂いを放っている。まばらな街灯が、高台から延びる歩道をぼんやりと照らしていた。


「クソ、やっぱり濡れた」

 なるべく近くに車を停めて走ったが、既に雨は衣服を重く湿らせていた。

 螢は軒下で自らの現状を嘆いた後、数回咳き込んだ。ハンカチを取り出した水餓は螢の濡れた肩や背を拭い、その後に手渡している。ハンカチで口元を拭ってこちらを見上げた螢の相貌は与志人の目に酷く青白く映る。「大丈夫か?」という言葉も自然に漏れていた。

「大丈夫だ。それより見ろ、与志人」

 螢は常夜灯に照らされる玄関扉を指した。

 塗装の剥げかかった緑の木製扉が吹き込む雨や風に揺れ、ぎぃと音を立てる。

「誘われてんのかな」

「誰かは……いるみたいだ。気配はある」


 与志人は灯りが漏れる窓に近づき、慎重に中を覗き込んだ。

 そこには誰の姿も見えないが、螢が言う「誘われている」の意味は理解できる。

 扉の数センチの隙間からは、何者かが息を潜める気配が絶え間なく漂う。

 時折鼻を突いて掠めるのは、不快としか形容できないどこかで嗅いだにおい。

 ここに立つまではまだ、野崎を重要参考人と考えていた。

 けれど今は違う。

 地面を舐めるように吐き出されてくるのは、とろりとした異様な気配を帯びた空気。

 この家の奥で息を潜める何者かが、通常の手順に添う相手とは思えなかった。


「無駄に大きい家だ。おれと水餓で上を見る。与志人は下の階から見ろ」

 暗がりの中、傍に立つ二人を与志人は見る。

 銃を所持する警官の自分は単独でも構わない。

 しかし螢と水餓、どこから見ても他者より線の細い少年少女である彼らと別行動を取ることには、未だ抵抗を感じていた。

「心配するな、与志人」

 見下ろした少年はレストランの時と同じ言葉を言って、微かな笑みを浮かべた。

 顔色はやはり悪い。これが任務だと割り切っても、仕事を共にする相手を思う感情はそれと同等ではなかった。

「少なくともお前より耐久性だけはある。もうじき半年だ。いい加減これにも慣れろ」

 青白い蛍光灯の下には、青白い顔をした少年と少女が立っている。

 痩せた手で肩を叩かれ、与志人は揺れる扉に目を向けた。

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