7.図書館の男
ステーキとビーフシチュー、それにシーフードパスタ。追加した料理のそのほとんどを螢が平らげた後、与志人は再度図書館に足を向かわせていた。
『この人だと思います……毎回違う女の人と来てたんです。それもありますけど、あの笑い声がやっぱり印象に残ってて……』
最後に写真をもう一度見下ろした彼女はそう言って携帯電話を差し出した。
示された写真に写るのは、白いシャツに濃紺のネクタイを締めた二十代後半の男。
目鼻立ちの整った顔だが、なぜか印象は薄い。記憶力に少々自信がある与志人でもその自信を失わされそうな顔立ちだった。
「こいつはあれだな、司書ってやつだよ」
「図書館の従業員ってことか」
「そうとも言う」
「螢は実際に姿を見たんだよな。どんな男だった?」
「ああ、まぁ……普通の男だった」
「普通?」
「与志人だってそう思ったろ? 普通の奴だ。普通の若い男」
隣から戻るその言葉に与志人は何も応えなかった。
普通の男。犯罪者の多くは得てしてそのような印象を持たれることがあるが、だからとそんな先入観に惑わせられれば今後の障害にしかならない。
今自分はどの程度犯人像に近づいているのだろうと与志人は考える。
有益性と無駄骨。螢の能力に疑いは持っていないが、あの言葉一つ一つがどれだけの意味を持つかを図るのは不可能だった。言葉を頼りに手繰って辿りついても事件に直結しない例はある。無論写真の男には話を聞くつもりだが、空振りの可能性もある。単にあの笑い声の主が分かったという結果に終わる可能性もある。
しばらくすると図書館の建物が木々の向こうに見えてきた。夕刻に近づいても燐是と真逆のこの場所に湿った薄暗さは見えない。
車で待機する螢達と駐車場で別れ、与志人は本日二度目となる図書館に向かった。目的の男の所在を貸し出しカウンターにいた別の図書館従業員に訊ねたが、戻った答えは期待に添うものではなかった。
「早退?」
「ええ。急に具合が悪くなったって言って帰宅しました。彼、どんなに体調がすぐれなくても無遅刻無欠勤な人なんで珍しいなって話してたところなんです」
男の同僚が言うには早退した時刻は二時半過ぎ。
それは自分達が図書館を訪れたその直後で、そこに何らかの引っかかりを感じないでもない。
与志人は続けて男の名前、自宅住所も彼に訊ねた。礼を言ってその場を離れようとしたが、あることを思い出し、もう一度向き直った。
「あひゃひゃひゃひゃ」
「えっ? きゅ、急に何です、刑事さん?」
「その同僚、こんな笑い方する?」
与志人は記憶を呼び覚ましながら螢が真似た笑い声を再現した。突然の奇異な行動に男の同僚は驚きを顕わにしたが、顔にはすぐに了承の笑みが浮かび上がった。
「え、ええそうなんです。どうしてそれをご存じなんですか? ちょっと変な笑い方をする奴でね、仕事はまじめだし結構男前だし、いい奴なんですけど、時々それでイラっとさせられることもあるんですよ。笑い声のせいでたまに嫌われることもありますしね」
「へぇ……」
与志人が相槌を打つと、生来話好きらしい相手は訊ねてもいない男の話を続けた。
「だからって訳じゃないですけど、ここだけの話、あいつ少し変わった奴で、どう言ったらいいのかな? 固執しすぎるっていうか、執着しすぎるっていうか……まぁ、表面上は僕らも普通に付き合ってますけど、ちょっと一線を引いてるところはありますね」
「固執しすぎるって一体どんな?」
「簡単に言えば思い込みが激しいってことですよ。自分がこう思ってるから相手もこう思ってるだろうって。だからそれが違うって分かると、途端に不機嫌になっちゃうんですよ。前に会議中にこれ、やられちゃって……そうなると後のフォローが大変なんです」
レストランに毎回違う女性と訪れていた男。
思い込みが激しく、自身の意見が受け入れられないと感じた時には幼児性さえ窺わせる行動を取る。しかし世に溢れるであろうそんな人物が皆犯罪に関わるでもなく、実際に犯罪を起こす訳でもなかった。
「あっ、刑事さん、僕がこんなこと言ったってのは絶対彼に言わないでくださいよ。知られると後が怖いんで。で、刑事さん、あいつ一体何をしでかしたんです?」
確かに自分の長所は忍耐力と体力だけかもしれない。多大な成果も自分には望まれていないのかもしれない。でもどう思われようと自分が今感じ取った何かは、まだ手放すべきではないはずだった。
「いいや、そんなんじゃない。ある事件のことで協力してもらいたいだけだ」
「ええー、それほんとですかぁ」
全ては不確かでしかなく、勇んだところで無駄骨に終わるかもしれない。だが自分がやるべきことに迷いを感じていては先には進めなかった。
「進展があったら絶対教えてくださいねー、僕、警察への協力は惜しみませんからー」
興味津々で手を振る男の同僚に密かな苦笑を零すと、与志人は図書館を後にした。
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