十七歳

 「おまえ、あの魔女のとこのやつだろ」


 ヨウとともに町へ出ていたアルドは、彼女の買い物を外で待っていたときに背後から肩を掴まれた。見れば、アルド自身とほとんど歳の変わらないような少年たちだ。大柄で、粗雑。小柄だが、抜け目のない顔。猫背で、鈍そう。みな剣を佩いており身なりは悪くないが、どれとも関わりたくない。

 アルドが返事をしないので、大柄な少年が焦れたように言った。


 「返事くらいしろよ。それとも口が利けないのか? 」

 「僕になにか」

 「……なんだ。女じゃないのか」

 「ほら見ろ、だからそう言ったじゃないか」


 少年たちは勝った、負けたと好き勝手に言い合っている。色が白く、大人しく見えるアルドは、こうして女の子に間違われることも少なくない。別に女性の服を着ているわけでもないのに、実に不可解だ。だが、もう自分に興味はないだろう、と背を向けようとしたアルドに、彼らはなおも言った。


 「なあ。魔女って、産婆した子どもを化けものと取り換えちまうんだって? 」

 「それに、薬だっていってカエルやイモリを鍋で煮たのを渡してくるんだろ」

 「自分はずっと若いまんまで、全然年取らないって本当か? 」

 「………」


 アルドの絶句をどう思ったのか、少年たちは言い募った。


 「どうなんだよ! 本当なのか? 」

 「……そんなことが本当にあると思いますか? 」


 呆れてそれ以外の言葉が出なかった。これ以上、他になんと言ったらよかったのだろう? だが、それがよくなかった。


 「おまえ、おれたちを馬鹿にしてんのか! 」


 大柄な少年が言いざま剣を抜いた。両脇のふたりがぎょっとした顔をする――だが、彼ら取り巻きがどんなに止めようとしても逆効果だ。アルドは何も言っていないのに、一度剣を抜いた以上引っ込みがつかなくなったのか、少年は勝手に態度を荒立てていった。


 「決闘しろ! 魔女の弟子の中身が人間かどうか、確かめてやる! 」


 周囲に人が集まる。誰かが彼を宥めてくれるのではないかとアルドは思ったが、みな心配そうな顔をしながらも遠巻きにしているだけだった。あれはバーデン卿の坊ちゃんだ、と誰かが言うのが聞こえた。どうやら、それなりに身分のある相手らしい。そんな相手が一方的に喧嘩を売ってきたのだから、災厄と言わずになんだというのだろう。

 ともかく、ここで剣を振り回されては危険だ。場所を変えれば、そのうちに彼も頭が冷えるかもしれないし。だが、アルドが


 「場所を変えましょう」


 と提案する前に、バーデン卿の息子は剣を振った――同時に、アルドの前に誰かが立った。

ヨウだった。バーデン少年が驚愕の表情を浮かべるのがアルドから見えた。恐らく、生意気なやつをちょっと脅してやろう、というくらいの心構えしかなく、本気ではなかったのだろう。

 しかし彼の振った剣は、その刃先で確かにヨウの左腕を切り裂いた。


 「………ヨウさん! 」


 剣から飛んだ血が、石畳に赤い染みをつける。周囲から悲鳴が上がる。アルドは血の気が引くのを感じたが、それは切った方も同じらしかった。少年たちはこの光景を見て震えあがり、バーデン卿の息子はすっかり腰が抜けてその場にへたり込んだ。


 「大丈夫よ」


 ヨウは何でもないことのように言ってアルドに買ってきたものを渡し、わずかにふらついただけで、少年たちに向き直った。先ほどまで彼女に関するありもしない話を散々していたのに、いざ本人が目の前に現れると、彼らはもじもじと戸惑っている様子を見せた。当然だ。ヨウは、彼らが話していたような邪悪な魔女とは似ても似つかない美しい女性なのだから。


 「こんにちは、若さま方。騎士におなりですか」

 「……あ、ああ……あの……」

 「人を斬るのは初めてでいらっしゃる? 」


 ヨウはあくまで優しく尋ねているのに、少年たちは厳しく叱責されているかのように涙ぐんでいった。彼らが騎士道を身に着けているかはさだかではなかったが、少なくとも女性を傷つけようというつもりはなかったらしい。


 「本当に斬るつもりはなかったんだ……本当に……」

 「……それで済む話ですか! 」


 アルドは思わず前に出ていきかけたが、ヨウは彼の肩に手を置いて宥めた。そして、少年たちに向かってにっこりほほえみかけた。


 「むやみに人を傷つけてはいけないということを、よくご存じのようですね。それでこそまことの騎士というもの。……この子を斬るのも、どうかご容赦願えませんか。わたしの大事な弟子なのです」

 「………ああ。おまえに免じて、許してやる……」


 少年たちは逃げるようにその場を去っていった。周囲の人垣はまだ心配そうにこちらを見ていたが、ヨウはアルドを連れて人混みを抜けた。


 「アルド、怪我はない? 」

 「僕はなんとも。……しかし、ヨウさんが……」

 「大丈夫よ。すぐ治るから」


 とてもそうは思えなかった。暗い色の布地では目立たないが、血が止まる様子はない。今の時点では分からないが、もし腱や筋を傷つけていたらこの先腕が不自由になる可能性だってある。ヨウがあまりに平然としているので、アルドはかえって心配だった。


 「ヨウさん。……痛くないんですか? 」

 「そりゃあ、痛いわよ。あたりまえじゃない……だけど、本当にすぐ治るから。心配しなくていいからね」


 そう言われても、彼女の怪我はアルドのせいでもある。アルドは家に帰りついてすぐヨウを手当てし、遅れて帰ってきて訝るブレンを尻目に夕食の支度から後片付けまですべて担った。


 「兄さんが全部やるなんて珍しいね。いつもヨウさんとふたりでやってるのに」

 「お料理を覚えたいっていうから、今日はやってもらうことにしたのよ」


 ヨウはそう言って笑い、昼間の事件を明かすことはなかった。



 「……ヨウさん」


 深夜。アルドはそっとヨウの部屋を訪ねた。温かい薬湯を持ってきたのだ。痛み止めの薬草を使った抜群によく効く処方で、もともとヨウが教えてくれたものだった。

 ヨウは夜更かしだ。だから、きっとまだ起きているはずだった。そっと戸を叩くと、果たして中から


 「お入りなさい」


 と返事があった。ヨウは窓辺の椅子に腰かけ、自分で腕の傷を診ていたらしい。アルドが静かに入ってくるのを、彼女はひそやかに笑って迎えた。


 「なあに? 夜這いかしら? 」

 「……だったら、どうします? 」

 「冗談よ、そんな顔しないの。せっかく来たんだから、まあお掛けなさい――ああ、この薬湯ね。ありがとう」


 ヨウは嬉しそうにカップを受け取り、静かに飲んだ。そして、ほっとしたような笑顔を彼に向けた。


 「おいしいわ。もうわたしより上手なんじゃない? 」

 「まだまだですよ。まだ教えていただきたいことは山のようにあります。……傷の具合いはいかがですか? 」


 ここでヨウはなぜか、探るような目でアルドを見つめた。そして、静かに尋ねてきた。


 「あなたは、これからもこの家にいる気はある? 」

 「……許していただける限りは」

 「ああ、違うのよ。出て行けって言ったわけじゃないから――ただ、町に出て暮らすつもりが少しでもあるなら、この先は見せない方がいいかと思って。ほら、ブレンは町の自警団に入るって張り切ってるじゃない? 」


 どうにも含みのある言い方だった。アルドは言った。


 「まだ教えていただかなければならないことがたくさんあると先ほど言ったはずです。僕は出て行くつもりはありませんよ」

 「……そう。じゃあ、もう少しそばにいらっしゃい」


 どことなく落ち着かない気持ちを感じながら、アルドは椅子をヨウのそばに寄せた。ヨウは腕を差し出し、月明かりの下に傷をさらした。剣先が切り裂いた傷は重要な腱や筋を傷つけることはなかったようだが、深く開かれていた。


 「見ててごらんなさい」


 何を、と問い返す暇もなかった。アルドが見ている前でヨウの傷は瞬く間に塞がり、数秒も経たないうちに痕も残さず消えた。

 ヨウは何事もなかったかのように袖を戻した。


 「ほらね。だから、すぐ治るって言ったでしょう」

 「……どうなっているんですか、これは? 」


 アルドは困惑した。困惑しない方がどうかしている――これではまるで、本当に……。


 「本当に魔法みたい? 」


 ヨウは静かにほほえんだ。その表情には、こちらの反応を少し恐れているような気配が感じ取れた。


 「仕方ないわよ、本当に魔法だから。……聞いてくれる? 」

 「もちろん」


 アルドが頷いたので、ヨウはややあって口を開いた。


 「わたし、自分で自分に魔法をかけたの。むかーし……わたしが本当にこの姿にふさわしい年齢だった頃のことよ。難しい魔法だったから、きっと無理だろうと思っていたんだけど……それから、わたしは歳を取らなくなったの。一日の最後に体の時間が巻き戻るのよ。精神には干渉しないみたいだから、記憶はそのままだけど。なにしろ、かけるのも難しい魔法だったから解くのも難しくてね。なかなか元に戻れなくて」

 「……だから、傷が」

 「そう。驚いたでしょう? 」


 アルドは昼間少年のひとりが言っていた言葉を思い出していた――ずっと若いまんまで、歳を取らない。彼女の話を聞く限り、あの言葉だけは本当だったということになる。


 「だから、こんな森で暮らしているのよ。近所にいつまでも歳を取らない女が住んでいたら、みんな怖がるもの。誰かと知り合って仲良くなっても、辛いだけだしね。あなたも――」


 ヨウはいつになく小さな声で囁き、アルドの頬に指を添えた。


 「いつかは、わたしを置いていくんだもの」

 「………」

 「どう? やっぱり町へ出て行きたくなった? 」


 寂しそうにほほえむ様子に、それ以上耐えられなかった。彼は努めて唇の端を上げた。


 「なるほど。だから、あなたはいつまでも美しいままなんですね」

 「……まあ、生意気」

 「なんとでも。僕の気持ちは変わりません――あなたが許してくださる限り、そばを離れたりはしない。師が長命というのは学ぶ側にとっては僥倖です」

 「いつまでも弟子のままってことよ? 」

 「望むところです」


 師弟は人知れず語り明かした。

 それからさらに数年が経った。

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