熊と餅と、それから母さんと
遊月奈喩多
おつかい いず そ だんげろうす
2年に一度、この町には巨大な熊が出没する。オリンピックの半分の周期だと思っていればちょうどいい――ちなみにありがたいことに、この熊は夏季、冬季どちらのオリンピックとも重ならない周期で現れるから、観戦に出かけることも一応はできる。うん、そこだけはありがたいと言ってもいいかも知れない。いやもちろん、現れる時点で心穏やかではいられないのだが。
ただ実際、この熊は人間を襲うことはない。この熊の主食はあくまでわなびもち――夢破れた生き物たちが何らかの条件を満たすことでこの世界に残していくと言い伝えられている、謎の玉だ。それは餅じゃないんじゃないか――そう思わないでもなかったが、どうやら最初にこのわなびもちを発見したという冒険家が餅のような晩年を過ごしたことからそう名付けられたらしい。なるほどそれなら納得だ。
このわなびもちは、世界中で見つかっている。鑑定紳士というチェーン店に持っていけばその価値を確かめて、時には買い取ってもらえたりするらしいが、その目利きの信頼性はピンキリらしい。レビューサイトを見てもその鑑定に対する不満とかが目立つ。そんなこんなするうち市民の間にはより確かな鑑定方法として、ある方法が広まったのである。
その方法というのが……。
「たかし、時間ありそうだからそこに貯まってるわなびもち持ってってくれる? お母さんこれから隣の旦那さんと出かけてくるから」
「えぇ~また?」
「大丈夫大丈夫、日付が変わる頃にはたぶん帰ってきてるから! 夜ご飯だって用意してあるし、たかしだって来月には30になるんだから
「わかってる、今回も父さんには内緒にしとくから小遣い
「えぇ?」
「熊の方だよ熊の! 俺一昨年も行ったしさぁ……あんときも母さん、近所の高校生の家庭教師だとか言って行かなかったじゃんか。今年くらいは母さん行ってよ」
「あれはいいの、年頃の男の子がいるなんて知ったらほっとけないでしょ? たかしが小学校の子に勉強教える計画立てたり、あと近所の子と温泉宿に泊まる予定だけ何パターンも立ててるのと一緒だから」
「くっ……!」
それを引き合いに出されたら、もう何も言えなくなっちまうじゃないか……。勝ち誇ったような笑顔でお隣さんの車に乗り込んで行った母を恨み千万の心地で見送りながら、俺は覚悟を決めた。
熊の方――それは文字の通り、“わなびもちを熊のところに持っていく方”のことだ。
熊と言っても、もちろんそこらの野山にいる熊ではない。
2年に一度――今年この町に現れている巨大な熊の前に持っていくのである。熊はわなびもちの捕食者であり、何よりも雄弁にその価値を物語ってくれる鑑定士でもあるからだ。
理屈としては簡単で、熊の食い付き方が凄まじければそのわなびもちは値打ちものということ。実際、鑑定紳士でも熊が食い付いたという前情報があるのとないのとでは値の付き方が天地ほどの差になる。もちろん、虚偽申告がバレたら聞いただけで鳥肌が立つような罰が待っているらしいが。
ただその鑑定方法は、ある程度の信頼はできるものの危険が伴う。
その熊は
そう、わなびもちを目の前で奪おうとすれば、さすがの巨大熊も人間に腹を立てて襲ってきてしまうのだ。かつてこの方法を試した何人が病院送りになったか、そんなの数えようとしたら今まで食べた根生姜の数をどれだけ覚えているのかという問いとほぼ同じになってしまう。
だから正直、できれば行きたくはない。家で刻み生姜を散らした和風パスタを食べながら包容力のある年下のお姉さんについて妄想している方がよっぽどいい。だけど行っておかないと何をされるかわかったものじゃないから、それなら……仕方ないか……行こ、うん。
* * * * * * *
「行くぞ熊ぁぁぁぁっ!!!!」
男は、まだ自分はピチピチの若者なのだと、少年の心を忘れていないだけなのだと日頃から言い張る男は夕焼けを背負って駆け出した。母親からわなびもち鑑定を頼まれたのは数時間前だったが、彼が決意するのには、それだけの時間が必要だったのだ。
しかし彼は知らない、毎回自分が着の身着のまま挑んでいるその熊は、きちんと装備を整えた手練れの冒険者たちでさえ大体負傷するほどの存在であることを。
そしてそんな熊相手に何度も普段着で突撃して、まったくの無傷で何事もなかったかのように帰っていくゆえにある異名を得ていることも、知る由がなかった。
わなびもちを奪われた巨大熊の恐ろしさ、そしてたかしの存在を知っている者は、揃って彼をこう呼んでいる。
《レジェンダリーワナビモッチャー・たかし》と……!
熊と餅と、それから母さんと 遊月奈喩多 @vAN1-SHing
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