第10話
待ち合わせ時間5分前に森川先生が現れた。
ここは森川先生の最寄り駅近くにある趣味のいい喫茶店。
パーティションで区切られた個室形式になっていて、打ち合わせにはちょうどいい作りなのだ。
実はこの駅は昔から何故か漫画家や小説家などが多く住んでいて、ここのマスターもそれを知っているためわざわざこういう作りにしたらしい。
俺はコーヒーを、森川先生は紅茶とケーキのセットを頼んでいた。奥の静かな場所に向かい合って座る。籐の椅子がいい感じの甘い茶色になっている。
「お待たせしました。この間はありがとうございます」
「お気になさらず。そんなに待ってませんよ、では、始めましょうか」
ささっと流して打ち合わせを始める。
こと漫画の話になったら二人とも真剣だ。これからの展開と大まかな流れを決めるため、特に今はクライマックス前の盛り上がる時期と来ている。アニメ化は実は3期までは確実にやる予定になっているので人気が出たら最終回まで入るかもしれない。
そしてこれから数回分の連載原稿のために先生の考えた大まかな流れを確認しながら、細かい肉付けをしてストーリーを仕上げていく。キャラクターの性格の確認や、伏線の回収。広げてきた風呂敷を一気に畳んで形に仕上げていく繊細な作業。担当編集の俺としても結構胃の痛くなる作業だ。時には厳しいことも言わなくてはならないから。
天才肌の作家さんはこれを全て一人でやっていく。森川先生も実は一人でできるはずなのに、少しだけ自信が足りないのか打ち合わせを重ねて作り上げていくことを好む。
「……で、ここでこうしたいんですよね」
「それでは、この部分に齟齬が出ますね、ではこうしたらどうでしょう」
「あ、すごい、繋がりました。長尾さんさすがです」
実際はパターンをいくつか用意していたものの一つだろうに、先生は大袈裟に喜ぶ。
俺はコーヒーを口に含み、少々しゃべりすぎた喉を潤した。
先生の前にはタブレットと紅茶とモンブラン。紅茶にはミルクも砂糖も入れていない。香りを楽しみながらケーキを口にしている。
昔は打ち合わせのテーブルには紙の束が散乱していたらしい、最近は楽になったもんだと編集長が言っていた。俺からしたらそっちの方が想像つかないのだが。
ある程度の方向性や、3作分のプロットも決まり、ようやく目処がたつ。
今回の打ち合わせも非常に有意義だった。
「それでは、この辺にしましょうか」
俺がそう切り出すと、タブレットをしまった森川先生が姿勢を正した。
「あの、長尾さん。仕事と関係のないお話をしたいのですが……」
そういう森川先生は、緊張しているのか、肩がプルプルと震えていた。顔が赤くなり、俺は心の中で天を仰いだ。
だが、今は逃げるわけにいかないんだろう。
「はい、いいですよ。聞きます」
ゴクっと唾を飲む音がしたかと思うと、森川先生が一気に話出す。
「初めて打ち合わせをしていただいた時から、ずっと好きでした。今長尾さんにはお付き合いをしている女性はいないと聞いています。ですが、この間の真由さんを見て不安になりました。どうか私とお付き合いしていただけないでしょうか」
緊張がまだ続いているのか、おしぼりを取って固まったまま俺を見ている。
キュッと口を結んで、大きな瞳をうるうるさせて、まるで漫画のヒロインだ。でも、やっぱり俺にとっては大事な作家さん。
「申し訳ないのですが、俺は森川先生を作家以外の目で見ることができません。お気持ちは嬉しく思います。ごめんなさい」
キッパリと断ると、森川先生はにっこりと微笑んだ。
「やっぱり、そうですよね。長尾さんは優しい方です。しっかり振って頂いてよかったです」
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