Ep:01 松原 透とは誰か

物心ついた時から、

俺はカメラにられていた。



天才子役として世界中から愛された姉、「松原まつばら あかり」の隣に並べられ、毎日浴びせられるカメラの激しいフラッシュに目が眩んだ。



「天才の遺伝子」



世間はそんな言葉で松原 透まつばら とおるをもてはやす。


だけど俺自身のことは誰も見ちゃいない。何をしたって姉貴、姉貴、姉貴。仕草がそっくりだとか表情が似ているだとか、外見も行動も全ての評価が姉を主体に語られた。いつだって世間が観ているのは「松原 透」じゃなくて「スターの弟」



俺は俺なのに。




「並べるだけで数字が取れる」




そんな単純なことに気づいたのは、数年子役をやってからだ。


いつからか「七光り」と揶揄やゆされるようになり、俺の言葉も表現も、姉貴の存在というフィルターを通してしか見てくれない。何をやっても空回り。「松原あかりのイメージを壊すな」と、それだけが世間から求められたこと。



姉貴は優しい人だった。



「あんなの気にすることない」といつも言ってくれていたけど、どんなに俺が気持ちを強く持とうとしても、ピントは常に横に立ってる姉貴にあてられている。自分はお飾りなんだと自覚してから、反抗期と卑屈な気持ちを拗らせて、うまくコミュニケーションが取れなくなった時期もあった。



嫌気がさしてメディアへの露出を減らしても、向こうは数字が取れればお構いなしだ。追い回されて学校生活を晒されて、ありもしない恋愛話を捏造されるのも、いつものこと、当たり前のこと。家族と数少ない友人が守ってくれたことだけが救いだった。



世界的スター、松原あかりの弟だから。

俺が暴かれる理由はただそれだけだ。



「有名税」


いつの頃からか、誰かがそんなことを言い出したっけ。




「俺が俺であること」



そんな当たり前で単純なことを、いつになれば、誰だったら、ちゃんと観てくれるようになるだろう。



芸能界はナマモノだ。誰もがいずれは賞味期限を迎える。


そうなってからなら戦えたかもしれないが、それより先に気持ちが折れた。一度この世界に「松原 透」として産まれてしまった以上、そのイメージを崩すことなど容易には叶わない。「お前らしくいろ」というのは、つまるところ「松原 透らしくしていろ」と同義だ。



今更この名義を変えても意味がない。

そんな俺の足掻きは世間に鼻で笑って済まされるだけ。



数字が取りたい演出家は、俺が少しでも変わったことをすると「君は今まで通りでいいんだよ」と甘ったるい声で言ったもんだ。こんなガキを相手に怒鳴ったりしないのも全て姉貴の存在があるから。「あの」松原あかりを敵に回せば、業界の数字に大きく関わるから。




大学に行くのも嫌いだった。食堂でカレーを食べたとか、うっかり教科書を落とした時の写真とか、そんなものがワイドショーで話題にされ、知らないうちに茶の間で笑われている。その写真を撮ったやつはいくらか局から小遣いをもらえる仕組み。


誰もが俺を「飯のタネ」にできる。

ほとんど全てが敵なんだ。



スマホをいじっている人間の前には立たないよう気を張り続け、学問に身が入るわけもなかった。それでも、中退なんて言葉がリークされれば「松原あかりのイメージが悪くなる」ということだけは確かだったから、ほとんど姉貴のためだけに卒業まで漕ぎつけた。



姉貴の才能と実力は本物だと思うから、俺がそれを邪魔してはいけない。



可愛くしてりゃあ売れる子役から世界的スターに上り詰め、今や芸能界の最前線で活躍する売れっ子女優。差し入れにもらったお菓子を俺の部屋に持ち込んでは、稽古のグチを俺にだけは話してくれた。食べてもあまり太らなかった俺はほとんどそれを食う係だ。思春期の頃は毎晩のように泣いていた。それでも次の日には平気な顔をしてカメラの前に出ていき、帰ってからはまた何時間も稽古に打ち込んだ。



大好きな唐揚げも我慢して成長期の身体作りも乗り越えて、まさに血の滲む思いだっただろう。


弟として、ひとりの俳優として。


あの人を「才能」なんて陳腐な言葉で片付けられたくはない。


あれは生ける努力の結晶なんだ。




だからこそ、誰が誰の家族だとか、血を受け継いだとかそんなことで姉貴の横に並ぶ自分が情けなくなった。こんなの本当の俺じゃない。本当の俺に向けられる正当な評価ではない。色眼鏡で見られて、環境による自分の価値が他人に握られている。俺は俺がやりたいことをまだ何一つとして自分の力でやり遂げてない。


小さな小さなプライドはいつのまにか強固な反抗心に育ち上がり、俺は大学を卒業してから正式に芸能界引退を公表し、街から少し離れて一人暮らしをはじめた。


世間はしばらく俺の行方を嗅ぎ回っていたが、姉貴がうまいこと世間から目を逸らしてくれたことと、単純に「飽きられて」いつしかその勢いは鎮火していき、時折思い出したように話題に登る程度の存在となった。




結局、そう。



数字を取れない「松原 透」も、思い通りに演出できない「松原 透」も、世間にとってはいらない存在だっただけ。そういうもんだ、芸能界なんてものは。




顔が割れてはいけないからマスクやサングラスでいつも顔を隠して歩いた。職務質問の受け答えにも随分慣れてしまった。家族のサポートのおかげで金銭的には困らなかったが、これではバイトもできやしない。


退屈で仕方なかった。かといってあの場所に戻りたいとも思えない。在学時、映像技術の科目を履修していた。ひとりで静かに過ごすようになってから、暇潰しに参考書を読み返していると随分な理想論が目についた。




例えばこうだ。


「演出は、俳優個々人の特性を見極め、適切な配置を行う」


…ちゃんちゃらおかしな話だ。



そんな言葉を未だに実行できる演出家がこの世のどこにいる?

綺麗事を綺麗事のままにできている配給所がどこにある?

金や肩書きに信念を一切揺るがされない人間がどこにいる?


一般の俳優ならいざ知らず「世界的スターの弟」という肩書きよりも尊重される個性がこの世のどこにある?あったとしてそれを観ようとしない奴らに抗いつづけてなんの意味がある?姉貴にも俺にも失礼な演出にどんな感動が生まれるっていうんだ?




俺はもう、演出なんてされたくない。



俺が俺らしく俺の世界で生きるためには

俺が「創って、演じる作品」が必要なんだ。

役者としてだけじゃ、足りないんだ。


この世のどこにもないのなら、どんなに惨めになったって自分で価値を創ってやる。コネなんか使わない。俺の力だけで、本物の俺自身とパフォーマンスに目を向けてくれる相手をいつか見つけて、そいつと本物の作品を創ってやろう。




誰に呼ばれなくてもいい。




俺が俺らしくあるために

その日から「演出家 松原 透まつばら とおる」と

そう名乗ることに決めたんだ。

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