閑話1

 ある、少年と、狩人。

0話


 一人の少年が、森の中をあたりを見回しながら歩いている。装備は軽度、見つけている武器は、どれも高すぎないが品質の確かなものだ。見てくれは、手練れ。


「どこに行ったんだ?」


 魔導士になって、まだ日が浅いフィールは、森の中で獲物を見失っていた。そもそも魔導士は狩りの訓練をしていない。しょうがないといえば、しょうがないことだ。


 ガサッ


 少し遠くに、草木を掻きわける音がなる。ちょうど他の方向を見ていて、死角だったので、フィールは咄嗟にそっちへ振り返った。


 何も見えない。目を凝らして、そのあたりを探ってみるが、獣の影も見えない。風か?


 さっきまで追っていたのはイノシシ。それも北部山脈特有の魔素を含んだ個体。正面切って戦えばまず負けることはないが、ここは森の中、山の中。相手のフィールドで、経験の浅いフィールにとってのアウェイ。背後から襲われたり、不覚をとればただでは済まない。それほどの攻撃力がある獲物だ。


 フリジアさんにヘルプを出すわけにはいかない!!


 心の中でそう覚悟を決めているフィールには、一人でしとめる以外の選択肢はなく、一層深く感覚を澄ませた。


 イノシシには、氷魔法を一度当てている。クリーンヒットじゃなかったので、倒れなかったが、それなりのダメージを負っているはず、それに、しばらく追いまわしたので、やつはもう体力を切らしているに違いない。逃げるスピードも衰え、仕留められるところで最後の悪あがきに、やつが魔素をまき散らしたせいで見失ったが、そんなに遠くに行ってないはずだ。


 ガサッ

 

 また、さっきと同じ音が鳴った。一回目とは少し離れたところ。再び、フィールが他に目を向けている間の、死角からの音だ。一度なら偶然とも思えるが、こんなに短い間隔で二回連続となると、不気味だ。

 実をいうと、森で耳をすませば、草木が音を立てることなんてよくあることだ、見ていない方向で鳴ることも特別おかしなことではない。フィールは、一人の狩りで緊張して、敏感になっているせいで、多少過剰に反応している。


 今度も、やはり音のした所を見たが、何もおらず、獣の気配も感じない。


 あれ?


 よくよく見てみると、動く物はないが、膝下5㎝くらいまで生い茂る草の隙間に、茶色い、毛皮のようなものが見える。


 なんだ?あれ、


 フィールは、ナイフを抜いて、一応気配を発しないように装甲魔法を纏って少しずつ近づいた。彼我の距離は25mほど。


 息を殺しながら近づいて、残りが13mほどになった。


 ヒュッ・・・ベチャッ


 フィールの前方から、何かが振ってきた。かなり高い弧を描いて、フィールの足元に落ち、液体も含んでいたのか、すこしブーツに跳ねた。


「ッ!?」


 フィールは目の前に落ちてきたものを見て、一瞬言葉を失った。


 それは、先ほどまで追っていたイノシシ・・だったものだ。細切れになって、毛皮と、少しだけ肉が残った状態で飛んできた。明らかに何かに捕食されている。


 あのイノシシは全長1m50㎝近くあった。それを食い荒らす捕食者は、相当な大きさのはずだし、この飛んできた肉片の大きさが15㎝はあることから、この大きさを食べかすとして投げ飛ばすか、吐き飛ばすかするようなやつ。その大きさは最低でも3m、下手をしたら5mにも昇るかもしれない。緊張が最高頂になった。下手をしなくても死にかねない相手だ。


 魔道書を使って、自分の得意魔法かつ、もっとも高威力の魔法を待機状態にしようと用意する。それは3秒ほどで完了して、右手の魔道書に収まった。あたりを警戒し、いつでも右手に蓄えた魔法を放てるようにしながら、フィールは索敵を始めた。


 けれども、当のそれはしばらく待っても現れなかった。


 多少の迷いはあったが、明らかに危険な相手。フィール単独ではリスクが高いと判断して、引き上げるーフリジアさんと合流するーことにした。一応このイノシシの肉片も持って行って見せれば、何か知っているかもしれない。何せフリジアさんはSランクの狩人。この狩場での活動歴は長くないが、フィールよりも遥かに経験を積んでいるし、強い。


「ーフェルトー」


 獲物や食材を圧縮空気で包装する魔法を使う。この、よだれっぽいのもついている肉片を素手で掴む気にはならない。もしかしたら毒があるかもしれない。しかし、フィールはこの魔法をまともに使った経験が少ないのでまだ詠唱が必要だ。


 肉片に薄い膜ができる。周りの空気を多少吸い込んだので、草木が揺れた。


 フィールは肉片を空気膜ごと持ち上げたが、手に触れた瞬間、なんとも言えない不快感を得る。この魔法は必要最低限の膜しか生成しないので、包んだ物の触感はダイレクトに伝わってくるし、温度も、気色悪い生暖かさがそのままだ。あきらかに食材としてまな板の上で扱う肉とは違う。


 顔をしかめつつ、それをリュックの中にしまった。


 フィールは、来た道を引き返すが、例の正体不明の強敵がうろついているのかもしれないので、警戒は怠らない。


 下っていくこと10分ほど、さっきフリジアさんと別れた場所に近づいてきた。彼女はもっと開けた場所に向かったので、簡単に見つけて合流できるだろう。もしかしたら、フリジアさんのことだから、フィールの目の前で起きた異変にも気が付いているかもしれない。


 その時、後ろに強い気配を感じる。


 ゴォルルウル


「っ!?」


 近い!?


 フィールは咄嗟に、地面に魔法をぶつけて、その反動で飛ぶことで、音と気配の主から距離をとった。


 向き合って、目に飛び込んできたのは、樹木によって全長がさえぎられている、巨大な獣。この森の木は、最低でも10mはあるので、それに迫ろうとして、木の上の方の葉っぱと枝で顔が隠れているこの獣の大きさは、10mに達する。フィールの想定していた最大値の二倍。完全に戦ってはいけない相手。


 獣の姿を捉えた瞬間、交戦不可と判断したフィールは一目散に逃げようとした。


 こういう敵は、単独で相手するものではない。あの巨体ゆえに速さはそこまでなので、複数人で囲んで、ヘイト役が防御と回避に専念し、アタッカーが弱点を探って攻撃すれば、Bランク程度でも相手できるかもしれない。しかし、単独なら、あの巨体故の防御力から、遠距離から魔法を放っても有効打になるか分からず、それならと、近接戦に持ち込めば、膂力とリーチの差で殺される。Aランクの、こういうのが得意な人でやっと勝負になるような相手だ。


 フィールの退路の地面に、雷電が走る。咄嗟に高く飛んで、それを避け、着地するまでに絶縁魔法を体に纏った。

 

 雷っ!?火か水じゃないのかっ!あの攻撃の速さで、逃げ切れるか・・・?いや、戦う選択肢はない!


 フィールは、絶縁状態を維持しつつ、相手が予測できないように木の影を利用したり、時折枝の上に飛び乗って、木から木へと移動しながら、逃げる。


 あの、正体不明の魔物は、雷電をフィールに向かって放つ。直線的なものだったり、着弾したら周囲に拡散するもの、電気のボールなんかのいくつもの魔法を使い分けてくる。どれもフィールは避けられているが、あきらかに回数を重ねるごとに精度が上がっている。こっちのよけ方の癖を掴んできたのか、フィールが飛ぼうとしているところに攻撃が置かれ始め、緊急回避も必要になってくる。


 ふと、視界の端に映った空が、どんよりと曇っていることに気が付く。束の間に、木のせいかもしれないが、肌に雨粒が当たる。


 ヤバいっ!雷持ち相手に雨は、死ぬ。


 本格的に降ってきたら、雨粒を介して、相手の魔法は自由に飛び回る。精密に狙わずとも、適当に何回か放てば、どれかは当たってしまう。雷魔法の使い手なら雷に耐性があるので、そこら中に好き放題打って、あたり一帯の領域を小さな雷で埋め尽くすことで、確実に攻撃を当てられる。自分に当たっても耐性があるから問題ない。こうなれば地獄だ。


 悪いことは重なる。フィールの進行方向には、少し大き目の沢が見える。まだ距離はあるが、沢の上に出てしまうと、開けた場所でしかも下は水面、沢をバシャバシャ進むなんて自殺行為だが、どのみち雷魔法を避けられそうもない。


 戦うしかないのか?どうやって?雨だぞ。こっちの体が濡れていれば、あたりが湿ってれば、それだけ相手に有利になっていく。晴れていても分が悪い相手。勝算は、あるのか?いや、戦うしかない!!どのみち沢に出れば死ぬだけだ!


 フィールは、覚悟を決めた。


 先ほどから木々の合間を飛んで逃げているが、フィールは逃げる速度を遅くする。代わりにもっと複雑な動きをして、絶対に敵の攻撃に当たらないようにする。

 雨が降ってきて、有利になったことを認知しているのか、さっきから敵の攻撃は大雑把になっている。フィールは、余裕を持って攻撃を躱せているが、速度を落としたことで彼我の距離は縮んでいく。もう10mもない。目の前には30m先に、沢が近づいている。


 敵との距離が5mほどになって、沢に突入する。


 敵が、勝利を確信して、不気味な声を上げているのが、雨音の向こうに聞こえる。


 今だっ!


 フィールは、沢の手前にある、もっとも沢に近い所に生えた木をめがけて飛び、減速すると、木に垂直に足を付け、力の限りを以てそれを蹴って、飛んだ。身体強化魔法、加速魔法を同時発動した。


 バキィッ


 反作用で、フィールが蹴ったところから木が折れる。


 フィールは、逆向きに一気に飛んだ。そのままスレスレまで惹きつけていた魔物とすれ違って、その背後をとる。相手は反応できていない。素早く向きを変えたフィールを目で追うが、捉えそこね、振り向いてくる。

 フリジアさんから借りた、対魔物用のピストルを取り出す。装填されているのは、得意の氷魔法を乗せられる弾丸だ。


 ダァン!!


 魔物のうなじをめがけて放つ。相手は雷属性。熱にも多少強いかもしれないので、火魔法ではない。氷魔法なら、相手の神経を凍らせて、致命傷を与えられるかもしれない。このピストルの弾が脊髄に直撃すれば、フィールの乗せる氷魔法の威力を含めて、基本どんな生物も即死する。問題はそこまで綺麗に狙えることが不可能に近いということ。しかし、今回はこの作戦がうまくいった。確実にピストルの狙いはうなじから頸椎-脊髄を捉えている。


 魔物は、なりふり構わずに雷魔法を放っていた。それは、降りしきる雨粒と、木々に付いた水滴に飛び散り、魔物周辺を雷で包んだ。


 先程、フィールが反転するために蹴った木は、折れると同時にいくつかの枝も折れて飛び散っていた。そのうちの一つに、獣の放った雷電が直撃。パァンッと破裂して、飛ぶ。


 なんで!?


 枝が、フィールの放った弾丸によこからぶつかる。起動が少しずれ、確実にとらえられていた脊髄でなく、渾身の一発は、首の表面を滑ってどこかに行ってしまった。


 詰んだ。。。。


 フィールの魔力は枯渇しかけている。あと、放てるまともな魔法は3回だけ。どう考えてもその威力ではあの獣は倒せない。


 まだだ、まだ術はある!考えろ!


 フィールは、背中の方に飛んでいたが、適当な木で勢いを殺さずに方向を変え、体術だけで魔物の周りを飛ぶ。やつは、再び狙いを澄ました攻撃をしてくる。今までよりもすぐ近くを雷撃がかすっていく。少しでも反応と回避を間違えれば即死。そんな恐怖にありながら、フィールは有効打を考える。


 これか?


 一つの考えがまとまる。が、成功すると確信できない。半信半疑。やるしかない。



 フィールは、沢の方へと再び向かい、一つの魔法を仕掛けると、別の木を使って、また逆向きに飛んだ。


 今だ!


 魔物は、賢いからか、同じ攻撃をされても問題ないよう、首をかばった。 


「アイス・ドーム」


 フィールが使用したのは、氷魔法でもめったに使われないアイス・ドーム。氷の半球を作る魔法。沢の水を利用することで魔力の消費量を落とし、より大きなドームを、精緻に成形した。1㎜の狂いも許されない。最大の集中力を発揮する。出来上がったのは、パラボラアンテナのような形。その焦点は、勿論あの魔物。


 魔物は、突如現れた氷の半球に戸惑いつつも、ふぐにフィールに向かって、雷撃を放つ。


 フィールは、魔法の構築に全力を注いだので、動けていない。魔物の攻撃は、確実にフィールに当たる。しかし、放たれたその雷撃は消えてしまう。フィールは、消費量を節約した分で、アイス・ドームに絶縁効果を付けていた。


 魔物は、自分の攻撃が無効化されて、怒り狂う。


 そして、全力の雷撃を放つ。


 一瞬、魔物の体中から魔力が沸き起こって、その両手から特大の雷撃が放たれる。この威力なら、フィールがおまけでつけたに過ぎない、アイス・ドームの絶縁効果は容易く貫くだろう。


 ダァン!!


 フィールは、再びフリジアさんから借りたピストルを放った。今度は、貫通力だけ重視した弾丸。銃を放った瞬間、フィールは土魔法で地面に潜る。



 グオッ、、、ギャァァアアゴゴオアア



 フィールが放った弾丸は、狙い通り、大技を打とうとして隙だらけだった魔物の比較的皮膚の薄い脇腹を貫いた。そして、ピストルの発射音をトリガーに設定したアイス・ドーム最後の機能によって、地面に可能な限りの絶縁効果が付与される。地面に潜ったフィールは魔物の魔法から逃げられた。


 魔物の放った雷電は、一部は貫通したが、ほとんどを絶縁効果に弾かれ、ドームの中に閉じ込められる。そうして、飛び散り、ドームの内側の壁を飛び回った雷電は、全て、焦点に届く。


 その焦点は、、フィールが風穴を開けた、魔物の脇腹だ。


 この魔物の皮膚、表面20㎝は完全な絶縁体でできている。しかし、こういう生き物は、絶縁の皮膚に守られている分、その内側は物凄く電気に弱い。よって、皮膚の内側にまであけられた穴を通して、魔物の、魔物自身の最大威力の雷電が、体内に注がれたとき、はじめて食らう電撃に魔物はやられた。





 フィールは地面から出てきた。


 魔物は、自分の攻撃でダメージを負い、膝まづいている。脇腹が電気でしびれているようで、立てないし、動けない。


 ここに最後の魔法でとどめを差せばいい。フィールはこの死闘を決する魔法を準備する。


 その時、魔物が、自分の腕を脇腹に突き刺して、しびれていた部分を凪払い、自らの体をちぎり飛ばした。


 !?


 魔物は立ち上がった。


 フィールは、膝まづいた魔物の脊髄にピストルを使うつもりだった。これでは狙えない。しかも、相手はもう、痺れの原因を取り除いている。


 これは、、負けた、、、


 フィールは、10mにもなる巨大な魔物を見上げて、戦意を喪失し、握っていたピストルを落としてしまう。


 魔物は拳を振り上げる。物理で殺す気だ。


 拳が迫りくる。


 ヒュッ、ズダンッ


 フィールの背後から、岩の槍が飛んできて、魔物は、上半身を完全に穿たれて、ほとんどなくなった。


「フリジアさんっ!」


 槍の飛んできた方をみると、フィールの彼女、Sランク狩人のフリジアさんが立っていた。白に近いブロンドの髪に、ほんのりピンクの入った、その綺麗な髪を顔に貼り付けながら、息を荒くして駆けつけていた。今の魔法は彼女の土魔法と重力魔法の合わせ技だ。


「フィールっ!大丈夫っ?」


 フリジアさんが駆け寄ってきて、フィールの体を抱きしめる。


 いい匂い。


 フィールは、戦闘の緊張から解放されて、一気に脱力してフリジアさんに全体重を預けた。それはやさしく抱きとめられた。


 この人が、彼女でよかった。あの一撃で魔物を仕留められる狩人が、フリジアさん以外にいるだろうか?これがSランクの力だ。





 



  














 

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