第8話 フィールの、新生活2日目。

ーあらすじー

 Sランクの狩人であるフリジアに弟子入りすることで、魔導士の資格ーCランクーを得たのは、フィールという17歳の元見習い魔術師。訳あって、フィールは通っていたキトラ魔術学校は退学になっている。

 二人でフリジアさんの実家が所有する周りに何もない家で暮らし始めて二日目。

 昨日は長旅からここに到着して、そのあと二人で、しばらく放置されていたこの家を住める状態にしたため、疲労と心労で疲れたフィールは太陽が昇ってしばらくしてもまだ眠っていた。





8話


 体が揺さぶられているのを感じてフィールは目を覚ました。

 揺らしてくる手は柔らかくて、眠気眼ならぬ、眠気鼻はかすかにいい匂いを捉える。


「フィール、起きた?」


「んっ、、??」


 フリジアはフィールのベッドに浅く腰かけている。

 フィールはどうにか上半身を起こしてフリジアと向き合う。


「私はもう出かけるから、朝ごはんは台所に準備してあるから食べてね」


「えっ?」


「ん?」


「どこに行くんですか?」


 目をこすって見ると、フリジアさんは着替えを済ませてすぐにでも出かけそうな格好だ。相変わらず、露出は比較的多い。昨日のよう肩が全部でた服ではないけど、胸元は開いていて、おなかは半分以上露出している。

 

「街の駅まで行って、実家の人に会うんだよ。昨日言ったじゃん」


 そういえば夕飯の最中にそんなことを言っていたような気がする。


「鍵?を受け取るんでしたっけ?」


「そうよ」


 昨日フリジアさんが整理した武器庫、中には大層な装備が収められていたわけだが、昨今の武器への規制の強化で、一部の武器は、責任者が一つ一つに鍵を掛けて保管することが義務付けられていた。この家はミルディア家長男のために用意されているものだし、名義は彼のもの。フリジアさんは鍵をもっていないので、実家に頼んでいたのだ。


「僕も行っちゃだめですか?」


 フィールはまだ寝ぼけている。フリジアの右手を両手で掴んで懇願した。


「んっッっ」


 フリジアは何度かフィールを起こそうとした。狩人の性で、起きるのも早ければ、寝起きも良い。けれど、フィールはまったくそんなことはない。この数日の疲労(肉体的、精神的)もあいまって、フィールの眠りは深く、3回起こそうとしたが全て失敗に終わっていた。4回目でやっとフィールは目を覚ましたわけだが、もう11時をまわっている。


「電車の時間があるから、待たせるのも悪いし、もう行くよ。そんなに遠くないし、往復しても多分3時くらいには帰ってくるから」


 フリジアはフィールの願いを断るが、明らかに残念そうな顔をするので、後半の言葉を付け足した。


「それに、せっかく私が用意した朝ごはん、置いてっちゃうの?もう冷めちゃったのに、食べないで出かけたらダメになっちゃうよ」


 フリジアは説得を試みる。

 フィールがすんなり起きてきたなら、一人で行く理由も特にないので二人で行っていいと思っていた。けれど本心でいえば、まだ、今日鍵を持ってくるミルディア家の人に、フィールを合わせるのを躊躇している部分もあって、できるのなら一人で行った方が気が楽だな、とは考えていた。

 だから、このお寝坊さんを置いていけるならそれがいい。


「うん。分かりました」


 寝起きのフィールは聞き分けがいい。これはキトラ魔術学校の一部では知れ渡っていたことだ。そのせいで、何度かフィールは気が付いたら女装していたことがあった。ちなみに主犯はやはりザールか師匠の二択だ。


 フリジアは、握ってきたフィールの手に左手を重ねて、優しくそれを引き離すと、フィールの寝室を出ていった。





 さて、フリジアさんの作った朝食を食べ終わると、暇になった。


 食器を片づけて、紅茶をいれてみるけど、やることがない。学校に通っていたころなら、こういう時には魔法の書物を読むか、それか休日なら通りの呑み屋にでも行っていたが、あいにく書物はすべて学校の図書館で借りたものだったし、ちかくには呑みやどころか、建物も見当たらない。

 魔法の練習をしたいところだが、魔法は市街地でぶっ放していいものではない。教練場の中か、狩場、戦場、そういったところでないと原則攻撃魔法は禁じられている。むしろ、一部の魔法、移動系のような実生活で役に立つ無害な魔法しか許されていない。


 さて、暇だ。


 一度、二階の自分の部屋に戻ってみた。ベット、街で買った数着の服、この間のローブ以外に何もない。机の引き出しの中も、タンスの中も、ベットの下も空だ。できればベットの下はずっと空でいてほしい、なんて考えてはいないけど、この部屋ですることもない。


 さて、自分の部屋を出て、その扉を閉じると、目に入ってくるのはその隣の部屋。すなわち”彼女”の部屋だ。昨日チラッと見た感じ、フィールの部屋と間取りは線対称で一緒のはず、もちろん、扉は閉じられている。


 フィールはそのドアノブに手を掛ける。


 ここにきて、フィールの甲斐性のなさと臆病な性格が顔を出してくる。フリジアさんと初めて会った夜のことをフィールはまったく覚えていない。酒場までの話はおぼえているけれど、その後のことはまったく分からない。何度か、彼女は美人局の類なのかもしれないと疑おうとしたけれど、もうそんなことは露程も考えてはいない。そんなことはさておき、とにかく、この扉の向こう側の情報は、その間取り以外フィールにとって未知の領域であることには変わりない。 


 これは、冒険だ。フィールは意を決して、扉を少し押した。


 カチャッ


 コトン


「!?」


 バタン

 

 扉を少し開けた瞬間に物音がして、咄嗟にフィールは扉を閉めた。部屋の様子は全く見ていない。


 物音の主を確認しに一階に降りる。立てかけていた朝食で使った木製のプレートが倒れた音だったようだ。

 ホッと胸を撫でおろし、フィールは我に返って、自分が何をしようとしていたのかに気がついた。留守中に他人の部屋に侵入するなど、それはどんな関係の相手であっても、失礼極まりない。まさか、見られて困るものを置いているとも思えないけれど、少なくとも二人の部屋は分かれている。片方の部屋に邪魔するときは相手の許可が必要なのは当たり前だ。


「いい匂い、したな。」


 フィールが扉を開けたのは数瞬で、しかもほとんど開けていないに等しく、1㎝の隙間があったかどうか。けれども、かすかに漂ったそれは、フィールの鼻から脳まで届いていた。


 いかがわしい気持ちが立ち上ってくる前に、それを忘れるため、どうにか他の作業をして気を紛らわそうと、綺麗な家の掃除を始めた。



 フリジアさんが帰ってくると言っていたのは3時。今は1時。まだ二時間もある。


 掃除をし終えて、完全にやることがなくなったフィールは、ダイニングテーブルで物思いにふけようとしていた。


 この家の構造は面白い。フリジアさんのお兄さんが使うため、という目的に答えるため、地下に武器庫があるだけでなく、彼が出世して部下を引き連れても利用できるよう、最大で8人程度が宿泊できるようにできている。二階には二人が使っている部屋のほかにまだ部屋があって、風呂場、脱衣所、洗濯場、それぞれ一般家庭の二倍くらいの大きさだ。台所に至っては、フリジアさんのお兄さんの上司(即ち軍の高級将校)を連れてきても十分に持て成せるよう、一端の貴族本家の厨房に近い設備がある。もちろんそこで食事を用意する人が居なければ有効利用できないのだが、シェフの出張料理を頼めば問題ない。アルヴェニアでは特段珍しいことではない。中流家庭なんかは誕生日に利用したりしているらしい。


 実はフィールには二つの悩み事がある。


 一つは将来について。魔導士にはなりました。で、どうするの?フリジアさんのような狩人は未だに魔物のいる環境なら役に立つ。しかし、フィールは争いも殺傷も元来好まない。できれば魔術学校から研究職か教員になって好きに魔法を弄っていたいというのがささやかな願いだった。それが途絶えてしまった今、次の道を考えなくてはいけない。いつまでもフリジアさんのもとで養われているわけにはいかない。


 そして、もっとも重要な、二つ目の悩みは、フリジアさんとのこと。


 あの夜、”こと”はあったのか?


 これは重要な問題だ。もしも、フリジアさんの貞操を汚していたのなら、、そして、フィールがそれを覚えていないのは、まずい。

 少なくともフィールには、そして恐らく彼女にとっても初めてだった。それを忘れているというのはお互いの経験として、失礼だし、残念だ。男として、初体験を覚えていないというのも悲しい。フィールとしては内心、未だ至らず、というのに対してかすかに期待をしている。しかし、あの朝の状況からして、つまり、起きたら裸であったことから推測するに、その可能性は低い。(フィールは裸族ではない)


 フィールにとって重要な問題について悩みながら、彼は、家の中を歩き回って、色々と考えを巡らせた。一つ目に関してはいくつかの選択肢を思い浮かべることができる。二つ目は、どうしようもない。

 そうやって、考えに詰まるたびに、階段を見つめては、二階の例の部屋まで思い浮かべて、頭をふることを何度か繰り返していた。


 庭に出てみて、生えている木に拳をぶつけてみたり、

 武器庫の薪割り斧を持ち出して素振りをしてみたり、

 北の雄大な山々に対して精一杯両手を振ってみたり、 

 村のある方向に続く地平線に向かって叫んでみたり、


 そんな変なことをしていたら疲れたので一度部屋に戻った。


 ベットに腰かけて、一息ついた。

 すると、ここに着くまで買った服たちを、まだおろしていなかったことに気が付いた。新しい服や下着は、切る前に一度洗うタイプのフィールなので、それを済ませてしまおうと、それらを抱えて半地下の洗濯場へ向かう。


 なんと用意のいい家なんだろうか、洗濯籠までちゃんとあるし、フィールには使ったことのない洗濯機というシロモノまである。未知の機械への興味もあって、ワクワクでフィールは洗濯にとりかかろうとした。


 なんどかためして機械を動かして、使い方を学んでいるうちに、洗剤が必要なことに気が付く。洗濯場をみわたしてみると、洗濯機のうえの棚にそれらしきものが見える。地味に高い場所で、背伸びをしてそれをとろうとする。


「っと、」


 カランカラン、


 丁度その時、玄関の扉についている鐘がなった。フリジアさんが帰ってきたようだ。


「あっ、あああ!!」


 洗剤はつかめたが、隣にあった籠に手があたって、それがフィールの顔面に落ちてくる。

 

「痛っ」


 その衝撃でフィールは尻もちをついて、籠の中身は盛大にぶちまけられ、宙を待う。


「っと」


 フィールは体の上にのっかている籠をどかして、顔面にのっかているモノをとった。

 タンタンタン、と足音がこちらに近づいてくる。こっちの騒ぎが聞こえたのだろう。


「大丈夫ですか?」


 近づいてくる人がフリジアさんであることを疑ってもいなかったが、洗濯場にやってきた一人の女性は、知らない人だった。前身を黒いワンピースで着こみ、前面には白いエプロンをしている。分かりやすく言えばメイド服。スカート部分の丈は短く、外でも不自由ないような仕様。 


 誰っ?


 フィールがこの疑問を抱くのは自然なことだろう。少し考えれば、この人がフリジアさんのメイド、もしくはミルディア家の使用人のひとりであるだろうことは分かるかもしれないが、それだって確証を持てるわけではない。

 すっころんでいたところに、フリジアさんが帰宅したと思って、完全に気が緩んでいたのだから、突然の不審人物の侵入と登場には、ひどく困惑して、混乱するのは仕方ない。


「この不届きもの!!!」


 しかしその女性は、フィールが疑問を投げかける、もっと言えば、状況を理解する暇もなく、いきなり物凄い形相になったかと思うと、彼女の腰の後ろに素早く手を回した。


 ザンッ


 続けてその女性の背後にフリジアさんが見えた。彼女も帰宅していて、様子を見に来た。


「ちょっフィール!危ない!!」


 かと思うと、フリジアさんは、二人の間に目にもとまらぬ速さで割り込んできた。


 フィールには何が何だかわからない。


 フリジアさんはキッとメイドの人を睨みつけた。その手には鋭い暗器が握られていた。

 

 睨みつけられたその女性も、困惑している。


 フィールには何が何だかわからない。

 





 






 





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