『言葉の呪い~黒河ユリの場合〜』後編

 わたしは瑠梨るりちゃんに家出をすることになった経緯を、幼い頃の話も交えて説明した。

 小さい時からわたしは、何をするにもお母さんに否定されて生きてきた。

 『ユリの好きなように生きればいいんだよ』

 そう言ってくれていたお父さんは、小学二年生の時に事故で他界。お父さんの死を境に、お母さんはますますわたしに対して否定的になっていった。


 “わたしも○○ちゃんみたいにピアノ習いたい”

 『どうせ上達しないんだからやめておきなさい』

 “中学生になったら美術部に入りたい”

 『絵を描くだけの部活なんかより、運動部に入って体力つなさい』

 “○○高校に行くためにたくさん勉強する”

 『いくら勉強してもアンタは馬鹿なんだから○○高校なんて受からないわよ』


 他にもたくさん、たくさん否定されてきた。お母さんがわたしのことを肯定してくれたことなんて、一度もない。そして否定される度に、全部諦めてきた。

 だけど、こんなわたしにも、絵本作家になるという夢がある。

 絵の描き方や物語の作り方はこっそり独学で勉強して、絵本コンテストに応募するために、絵本を密かに作っていた。お父さんが買ってくれた大好きな絵本『モネとユメとボウケン』みたいな作品を描く作家になりたい。そう思って、毎日コツコツ夢に向かって進んでいた。

 それなのに数日前、お母さんに絵本を作っていることを知られてしまった。

 『もしかして絵本作家なんて目指してたの? お母さんに隠れてこんなものコソコソ描いて……まさか本気でなれると思っているの?』

 嫌だ……それ以上、言わないで。


 『アンタなんかが絵本作家になれる訳ないでしょ』


 夢を知られたら、否定されることは分かってた。だからずっと隠していた。否定されたら、何も出来なくなる気がして……。

 案の定、その日以来、絵本がけなくなった。絵が、前向きな物語が、えがけない。あともう少しで完成しそうだった話の結末が、迷いからききれなくなった。

 母親に夢を否定されたくらいで描けなくなるなら、そもそも向いてなかったんだ。それだけのことで意思がブレるなんて……所詮、その程度の覚悟だったのだと……考えれば考えるほど、自分自身が嫌になって……。

 このままだと、本当に駄目になると思って、行先とか何も考えずに、母親から逃げるように家を出た。


 そして気がつくと、『まつゆき駅』にたどり着いていた。


「――さっき、お母さんと喧嘩したなんて言ったけど、実際はわたしが一方的に怒って家を飛び出しただけなの。そもそもお母さんは……わたしの話をまともに聞く気なんてないから、どんな時も喧嘩にはならない」

 話してる内に泣きそうになって、それを誤魔化すように無理に笑った。

「そっか……ねぇ、ユリちゃん」

「なに?」

「ユリちゃんは……どうしたいの?」

「どうしたいって……」

 瑠梨ちゃんの質問に、わたしは戸惑った。

 『どうしたいの?』といきなり聞かれても、何て答えればいいのか分からない。

 そのことを察したのか、瑠梨ちゃんは「あのね」と口を開いた。

「私は人の夢を否定しない。そんなこと、絶対にしてはいけないと思ってる。だけど、無責任に全肯定も出来ない」

 瑠梨ちゃんは真剣な瞳で、わたしの目をじっと見る。

「だから私は問いかけることにしてる。貴方はどうしたいのって」

 どうしたいかなんて、そんなの決まってる。絵本作家になりたい。だけど『出来ない』という言葉が引っかかって、どうしても前に進めずにいる。


 思わず瑠梨ちゃんから目を逸らして、空を見上げた。相変わらず、雪は降り続いている。チラッと隣を見ると、瑠梨ちゃんも空を見上げていた。

「他人の言葉より、“自分がどうしたいか”が大事だと、私は思う」

 瑠梨ちゃんがポツリと、呟くように言った。今度はしっかり彼女の方を見ると、瑠梨ちゃんはまだ空を見上げていた。

「何かに挑戦しようとする時、“君なら出来るよ”とか、“お前には無理だろ”とか、他の人は好き勝手言ってくる。おまけに成功した時は“本当は無理だと思ってたけど”とか、“あの時はあえて無理だと言っただけで、内心ではお前なら出来るって信じてた”とか、言い出すこともあるんだよ! ……勿論、最初から本気で信じてくれてる人もいるし、そもそも他人の言葉の真意なんて、その人にしか分からない。それに……」

 空を見たまま話していた瑠梨ちゃんは、一旦口を閉ざし、わたしの方を見た。

「誰がどれだけ心の底から応援してくれていても、自分が自分を信じて行動しない限りは何も変わらないし、夢なんて叶わないんだよ」

「自分自身を、信じる……」

 瑠梨ちゃんの言葉に、自分に足りてなかったものがなんなのか、初めて気がついた。

「わたしは……絵本作家になりたい。夢を叶えたいよ」

 そう思っていても、『アンタには出来ない』って言葉が自分の中から消えなくて、自分には無理なんだと思ってしまってる。

 どうやって自分を信じればいいのか分からない。


「……素敵なお話だよね、『モネとユメとボウケン』」

「へ……」

 瑠梨ちゃんが不意にそんなことを言うものだから、間の抜けた声が出てしまった。

「絵本は……『モネとユメとボウケン』は持ってきてないの?」

「持ってきてる、けど……」

「ホントに!? じゃあさ、読んで欲しいな〜」

「え、うん……いいよ」

 自分で言うのもなんだけど結構、真剣な話しをしていたのに……いきなりどうしたんだろ……瑠梨ちゃん。

 困惑しつつも、わたしはリュックから絵本を取り出した。

「モネとユメとボウケン」

 タイトルを言ってから、絵本を開く。すると、瑠梨ちゃんも一緒に絵本を持ってくれた。

 誰かに絵本の読み聞かせをするのは初めてで、何気に緊張する。時々、横目で瑠梨ちゃんを見てみると、キラキラした目で絵本に夢中になっていた。

「──呪いをかけた魔法使いの正体は、モネに魔法を教えてくれていた先生だった。モネの夢は魔法学校の先生になること。しかしモネには『魔法の才能』がなかった。この国で魔法の才能がない者は、夢を叶えることは出来ない。だから先生はモネに夢を忘れる呪いをかけた」

 モネには魔法の才能がないから、夢は叶わないと決めつけられて……叶えられない夢を抱き続けるくらいなら、忘れた方が幸せだと思った先生に、呪いをかけられていた。

 それでもモネは、夢を諦めようとはしなかった。何よりモネ彼女は自分に魔法の才能がないことに、気がついていた。だからこそ、旅に出たのだ。自分を鍛えるためにも。

 数々の試練を乗り越えたモネは、習得出来ずにいた魔法も少しずつ使えるようになっていった。

 モネは戦いながら先生に、本気の想いを伝える。そして最後は先生に呪いを解いてもらえた。

「──こうしてモネは夢に向かって再び歩き始めたのだった……おわり」

 パチパチパチと瑠梨ちゃんが拍手をしてくれた。横を向くと、瑠梨ちゃんはふわりと微笑んだ。

 わたしは閉じた絵本を抱きかかえながら、天を仰いだ。

 自分に才能がないことを分かってても、モネは夢を諦めなかった。先生に何を言われても、最後まで自分を信じきった。そんなモネに憧れて、モネみたいになりたいって思って……いつしか、『モネとユメとボウケンこの絵本』みたいにわたしも、絵本作家になりたいと、思うようになったんだった……。

「わたし、なんでこんな大切な気持ちこと、忘れてたんだろ……」

 『アンタには出来ない』

 その言葉が、自分の中からすぅと消えていく。それと同時に、絵本作家になりたいという想いが、また強くなる。

「もう大丈夫そうかな?」

「うん……初めて、絵本作家になりたいと思った時の気持ちを、思い出したから……きっともう大丈夫」

 自分を、信じることが出来る。


「もうすぐ、電車がくるよ」

 瑠梨ちゃんは時計を指さして、そう言った。

 その言葉通り、微かに電車の音が聞こえてくる。わたしは慌てて絵本をしまい、ベンチから立ち上がり、リュックを背負った。

「ところで、家出少女のユリちゃんは、どこか行く宛てはあるのかな?」

 茶目っ気のある口調と明るい声だが、明らかに心配そうな表情で瑠梨ちゃんは、チラリとわたしの顔を見た。

「うーん……やっぱり家出はやめて、家に帰ろうかなって思ってる。それで本気の想いをお母さんに伝える」

 正直、全く行先を決めてなかったから一瞬、返答に困った。だけど、もうお母さんから逃げるのはやめて、しっかり向き合うことに決めた。

 自分の夢を、叶えるためにも。

「そっか……お母さんにユリちゃんの想い、伝わるといいね」

「うん。……ねぇ、瑠梨ちゃん」

「なぁに?」

 わたしは屈んで瑠梨ちゃんの顔を真っ直ぐ見た。きちんと目を見て、お礼を言いたかったから。

「いろいろとありがとう……異界駅に迷い込んで正直、最初は不安だったけど、今は貴方に出会えてよかったと思ってる」

「私は何もしてないよ。ユリちゃんが自分を信じられたのは、絵本のおかげでしょ?」

「その絵本を読むように言ってくれたのは瑠梨ちゃんだよ。それに、たくさん話も聞いてくれた。だから瑠梨ちゃん、ありがとう」

 本当に瑠梨ちゃんには感謝している。何より、『まつゆき駅』で瑠梨ちゃんと話した時間はとても楽しかった。

 だから、もうお別れしなければならないことが寂しい。

「ユリちゃん、そんな悲しそうな顔、しないで?」

 瑠梨ちゃんの小さな手が、わたしの頭を撫でた。

 自分より小さな子によしよしされて、なんだか恥ずかしいような、嬉しいような不思議な気持ちになる。

「ねぇユリちゃん、最後に一つだけお願い事、してもいいかな?」

 瑠梨ちゃんがわたしの顔を覗き込んで、またあの遠慮がちな目を向けてくる。

「うん、いいよ。あ、もしかして『まつゆき駅』のことは誰にも言わないで欲しいとか? それなら」

「ううん、その逆。ここで体験したことをSNSとかに書き込んでほしいの。理由は言えないけど……とにかく『まつゆき駅』の噂を、少しでも広めてほしい。どこまでくわしく書くかはユリちゃんに任せるからさ……だめ、かな?」

「ううん、駄目じゃない。分かった! 約束する」

 瑠梨ちゃんとわたしは指切りをして、少しだけ見つめ合って、照れくさくなって二人して笑った。


 電車が到着して、扉が開く。乗り込んだ車両には数人乗客がいたが、みんな眠っているのか、下を向いている。

「ユリちゃん、たくさんお話ししてくれて、絵本を読んでくれてありがとう。元気でね」

 瑠梨ちゃんの言葉を合図に、電車の扉が閉まる。瑠梨ちゃんは優しい表情で、手を振ってくれている。わたしも手を振り返す。

「こちらこそ、本当にありがとう。瑠梨ちゃんも、元気でね」

 電車がゆっくりと動き出す。その瞬間、あっという間に外は霧のようなものに包まれて、瑠梨ちゃんと『まつゆき駅』は見えなくなった。




 家に帰ったらきちんと、自分の意志をお母さんに伝えよう。

 本気の想いを伝えても、否定されるかもしれない。だけどもう大丈夫。


 わたしは、誰かに勇気を与えられる絵本作家になる。

 誰に否定されても、この夢だけは諦めない。




 『言葉の呪い~黒河ユリの場合~』END

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