まつゆき駅で、お話ししましょ?
双瀬桔梗
『言葉の呪い~黒河ユリの場合~』前編
どこか遠くへ行きたい。
そう思い、キャリーバックとリュックに荷物をつめて、早朝に黙って家を飛び出した。
行先は決まっていない。
最寄り駅の始発に乗って、適当に乗り換えて……兎に角、どこでもいいから遠くへ行こうと思った。
「次は、まつゆき駅、まつゆき駅」
聞き取りやすい、透き通った綺麗な声。女性の車掌さんだ。
ここで降りてみよう。
何となく、そう思って席を立った。
「まつゆき駅、まつゆき駅」
扉が開き、フラフラと電車から降りる。
視界がはっきりしない。頭もぼーとする。なんだろこれ、夢を見ているみたいな感覚……。
ぼんやりする意識の中、電車が発車したことだけは分かった。電車の音が遠ざかっていくにつれ、徐々に意識がはっきりしてくる。
辺りが静まり返ったところで、ハッとして辺りを見渡した。他には誰もこの駅で降りなかったようで、どこにも人の姿が見えない。それに──
「こんな時期に、雪……?」
今は夏なのに、確かに雪が降っている。
フェンス越しに見えるのは、自然に囲まれた小さな村。駅のホームも、その村も、雪によって真っ白に染められている。よく見てみると、村側のフェンス近くの地面には白い花もたくさん咲いていた。
「なに、この駅……?」
「こんにちは」
幻想的な景色に呆然としていると、急に後ろから声がした。振り返ると、不思議な雰囲気を纏った少女が一人。ふわりとした笑みを浮かべ、静かに佇んでいた。
『言葉の呪い~黒河ユリの場合〜』
「はじめまして、私はるり……
瑠梨と名乗る少女は、お辞儀をしてからニッコリと満面の笑みを浮かべた。
歳は小学一年生くらいだろうか? 腰の真ん中くらいまである長い綺麗な黒髪。青い花の
「貴方、名前は何て言うの?」
急展開についていけずに呆けていると、少女が再び声をかけてきた。
「え、わたし……?」
「うん!」
「……
「ユリちゃん! 素敵な名前ね」
瑠梨ちゃんはそう言いながら、パァーっと目を輝かせる。
「その……瑠梨、ちゃんは……ここでなにをしているの?」
しゃがんで瑠梨ちゃんと目を合わせ、とりあえず今思いついた質問をしてみる。すると瑠梨ちゃんは腰に手を当てて、えっへんと小さな胸を張った。
「私はね、『まつゆき駅』の
「えっと……それはどういう……あ! 瑠梨ちゃんはあそこの村に住んでるのかな?」
フェンスの向こう側にある村を指さして問いかけたが、瑠梨ちゃんは首を横に振る。
「あそこには今のところ誰も住んでないよ」
あんなにしっかりした家が立ち並んでいるのに、誰も住んでいないなんてどういう事だろう。今のところってことは、近々誰かが住み始めるのかな?
「それなら瑠梨ちゃんはどこから来たの? お父さんか、お母さんは?」
「うーん……そうだ! ねぇユリちゃん、こっちに来て!」
瑠梨ちゃんは質問に答えることなく、何か思い出したようにわたしの手を引っ張った。わたしは反射的に立ち上がり、戸惑いながらも小さな手に引かれるままついて行く。
「多分このまま話してても埒が明かないだろうからね! 手っ取り早く状況を理解してもらおうと思って! ねぇユリちゃん、ここを通ってみて」
瑠梨ちゃんが“ここ”と言ったのは、改札口だった。パッと見はどこにでもある普通の改札口。駅員さんの姿は……ない。
少し
わたしは恐る恐る何もない筈のところに手を伸ばす。すると改札口のほんの少し手前に透明な、所謂バリアのようなものがあった。
「なにこれ……」
「ビックリさせてごめんね? 現実世界にはないものに触れてもらったら、ここがどんな場所なのか、明確になると思ったの。そもそも察しのいいユリちゃんは最初から気づいてたよね? 気づいてて、気づかないフリをしていた。違うかな?」
瑠梨ちゃんは改札口に手を伸ばし、見えない壁に触れる。
全てを見透かすような目で言われ、ゾッとした。澄んだ真っ黒な瞳の中に、得体の知れない何かがいるような気がして、少し怖くなる。
見えない壁の所為で通れない改札、無人の駅と村、季節外れの雪……美しい謎めいた少女。
瑠梨ちゃんの言う通り、本当は最初から気づいていた。それなのに、『ここは夏でも雪が降る地域なんだろう』とか、『異常気象でとうとう夏でも雪が降るようになってしまったのだろう』とか……そう自分に言い聞かせていた。だけどもう、ここまで来ると認めてしまうしかない。
ここは自分がいた世界ではない、別の世界だということを。
駅ってことは都市伝説としてよく耳にする『異界駅』というものだろう。『まつゆき駅』は初めて聞く名だ。
そして
この手の話を信じていて、ほんの少しだけ『行ってみたい』という気持ちもあった。だけども、実際に異界駅に辿り着いてしまったとなると、ワクワクよりも不安が勝るものなのだな……と思った。自分が臆病な性格だからかもしれないが。
「そうだよ……認めたくなくて、気づかないフリしてた。けど、流石にもう認める。ここが……現実とは別の世界ってこと……」
わたしの言葉に瑠梨ちゃんは「それなら良かった」と満足そうに笑う。わたしはというと、次の電車はいつ来るのだろうか……と内心、穏やかじゃなかった。
いくら家を飛び出してきたとは言え、ずっと異界駅にいるつもりはない。だから現実世界には帰りたいけど……そもそも『まつゆき駅』から出られるのだろうか? もし一生ここから出られなかったら、どうしよう……。
「次の電車が来るのは四十九時間後だよ」
突然、瑠梨ちゃんがそう言ってきたので、驚いた。この子って、人の心も読めるの?
「流石に心は読めないよー」
「いや、読んでるよね!?」
「ユリちゃんの表情を見れば、大体の察しがつくだけだよ?」
そう言って瑠梨ちゃんは、にっこりと笑った。わたしってそんなに顔に出てるのかな……?
まぁ、なにはともあれ、電車がくる時間が分かって安心した。四十九時間というのは長いように思えるが、一生『
「ねぇねぇユリちゃん、電車が来るまで私とお話ししましょ?」
安堵しているわたしの手を、瑠梨ちゃんが引っ張る。
「え……ちょっと瑠梨ちゃん!?」
「ささ、このベンチに座って?」
ぽつんと一つだけあるベンチの前に着くと、それに座るよう促される。勢いに押されてしまったわたしは、おずおずとベンチに座った。それを確認してから、瑠梨ちゃんも隣に腰を下ろした。
「よし! それじゃあ、お話ししよっか!」
そう言われても、一体何を話せばいいのやら……それに、出会ったばかりの
「ねぇ、それって『モネとユメとボウケン』の、モネのキーホルダーだよね?」
「え……『モネとユメとボウケン』、知ってるの……?」
わたしが警戒していることには気づいていないのか、瑠梨ちゃんは普通に話しかけてきた。しかも、予想外な言葉が出てきたものだから、すごく驚いている。
『モネとユメとボウケン』は魔法が使える人達が住む架空の世界が舞台で、主人公の少女・モネが“自分の夢を思い出せなくなる呪い”を解くために、冒険に出る物語の絵本だ。
わたしは幼い頃からその絵本が大好きで、主人公モネのキーホルダーをカバンに着けて、常に持ち歩いている。
「うん! その絵本、私も好きだよ!」
「どうして
「ふっふっふっ! 人間界のことは何でも知っているのだよ!」
瑠梨ちゃんが突然、よく分からないキャラになった……でも、本当に『モネとユメとボウケン』が好きなら、瑠梨ちゃんは良い怪異、なのかな……?
一度そう考えてしまえば、瑠梨ちゃんを信じるのに、そんなに時間はかからなかった。『モネとユメとボウケン』の話はもちろん、他にもいろんな絵本の話ができて嬉しい。たったこれだけなのに、瑠梨ちゃんは安全な怪異だと思えた。絵本好きに悪い人も、怪異も居ないという持論の元、次第に心を開いていった。
我ながらなかなかチョロい気もするけど、そこは気にしない。
朝から何も食べていないし、昨晩はろくに眠れていないというのに、なぜか数時間が経過しても空腹を感じることも、眠気に襲われることもなかった。けれども、『まつゆき駅』では、それが普通なのだろうと自己完結した。
瑠梨ちゃんは本当に何でも知っていて、話題が尽きない。とはいえ、ずっと話し続けるほどお喋りという訳ではないので、持ってきていたお菓子を一緒に食べたり、ボーと雪景色を眺めたりして、適度に休憩も取った。無言の時間が続いても、気まずさはないし、何だか不思議と心地いい。
「ところで……ユリちゃんはどうしてそんなに大荷物なの?」
瑠梨ちゃんがふと、わたしのキャリーバッグを指さして、そう問かけた。
その質問に、答えるべきか少し悩んだ。
瑠梨ちゃんはじっとわたしの目を見ている。綺麗で澄んだ瞳。悪意のない真っ直ぐな目を向けられると、隠し事は出来なくなる。そもそも隠すほどのことでもないし、話してしまおうと思った。
「実は今、家出してて……
「どうして家出したのか……聞いてもいい?」
瑠梨ちゃんは遠慮気味な声で、そう問いかけてくる。
家出したことを話した以上、理由も言うつもりだったから、わたしは頷いた。
「お母さんと喧嘩しちゃって……悲しくなって家出した……」
「そっか……」
そこからしばらく無言の時間が流れた。
先に沈黙を破ったのは瑠梨ちゃんだった。
「ケンカした理由とか……聞いてもいいかな?」
また遠慮気味な声。純粋な瞳が微かに揺れている。怪異なのに何を遠慮しているのか、分からない。分からなくて、少しだけおかしくなった。
瑠梨ちゃんは、『
寧ろ自分のことをよく知らない相手だからこそ、何でも話せる気がした。全部聞いて欲しい。全て吐き出してしまいたい。そういう気持ちもあった。
「お母さんと喧嘩した理由は、あまり気分のいい話ではないけど……それでもわたしの話、聞いてくれる?」
「うん! 聞くよ、お話。そのために、私はここにいるんだもん!」
瑠梨ちゃんは力強く頷いてから、背筋をピンとした。その姿が何だか可愛くて、自然と笑みがこぼれた。
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