第20話 ミネ・ユルダクル<1>

 帝国ていこくにとってアザット連邦れんぽうとのたたかいは、けっしてらくなものではない。

 彼らは帝国より広い領土りょうどを持ち、帝国の倍近ばいちか戦力せんりょく保有ほゆうしているのだ。

 さらに、陸上戦りくじょうせんでは優位ゆういに立てる帝国だが、海上戦かいじょうせんおいてはアザットに一日いちじつちょうがあった。


 半年前はんとしまえあらたに皇帝こうていとなられたメシフ様は、帝国の長年ながねん宿願しゅくがんであった海上交易かいじょうこうえき主導権しゅどうけん奪取だっしゅしようとアザット連邦に対して戦いをいどまれた。

 しかしアザット連邦は地形ちけいたくみに利用りようしていくさ長引ながびかせることに成功せいこうする。

 これにより帝国がもっともおそれていた冬が到来とうらいした。


 帝国とアザットとのあいだにあるドンマイェリ山脈さんみゃくゆきふかく、冬の行軍こうぐん不可能ふかのうと言っていい。

 陸上戦力りくじょうせんりょく主体しゅたいとする帝国にとって、主要しゅよう行軍路こうぐんろを雪でざされてしまえば、戦いそのものを継続けいぞくすることがむずかしくなるのは当然とうぜんである。

 つまり来春らいしゅん雪解ゆきどけけまでの三月余みつきあまりは、ふたた受忍じゅにん日々ひびおくることになるのだ。


 ただし、この中断ちゅうだんは、皇帝陛下こうていへいかには御不快ごふかいであろうが、末端まったん騎士達きしたちにとっては母国ぼこくに帰れるという朗報ろうほうとなる。

 かく言う私も昨日さくじつ雪中行軍せっちゅうこうぐんえて、帝都ていとフェルハトラに帰還きかんしたばかりだ。


 ようやく野営続やえいつづきの行軍から解放かいほうされ、ひさしぶりに官舎かんしゃにある自室じしつ清潔せいけつあたたかな寝台しんだいねむることができた。

 昨日まで雪の屋外おくがいで眠っていたことがうそのようだ。


 統帥府とうすいふからの辞令じれい数日すうじつ休養きゅうようあたえられていたので、朝食ちょうしょくをとることなく、昼過ひるすぎまで自堕落じだらくに過ごした。

 このまま夕食ゆうしょくまで寝ていようかと思っていたところへ、参謀府さんぼうふから召致しょうち連絡れんらくとどいた。

 私は渋々しぶしぶ戸棚とだなおくからみどり礼服れいふく取出とりだし、数ヶ月ぶりにうでとおす。


 初秋しょしゅうからアザットとの戦いに出陣しゅつじんし、すで三月以上みつきいじょうっていたので、かびのにおいがただよっている。

 それをごまかすため、香水こうすいおおめにふることにした。


 姿見すがたみなりをととのえる。

 ぐん規律きりつにより、女でもかみばすことはきんじられ、クセのある私の赤毛あかげみみの上まで刈上かりあげられている。


 私はあまり自分じぶんの赤い髪を好きではない。

 長くばしていたときなど、雨が降ると四方八方しほうはっぽうちぢれて大変たいへんだった。


 一方、灰色はいいろひとみは、とても気に入っている。

 きたえ上げた剣のようなかがやきをはなっているように見えるからだ。


 実家じっかに帰ると母はいつも、こんなに美人びじんなのに殿方とのがたとの恋愛話れんあいばなしはないのか、と聞いてくる。

 わずらわしいことこのうえない。

 むかしから自分の容姿ようしとくにしたことはなかった。


 言寄いいよる男もいたが、すべ無視むししてきた。

 私は一人娘ひとりむすめであり、くなった父にわり、ユルダクルの家名かめい存続そんぞくさせる義務ぎむがあったからだ。

 婿養子むこようしをとることもできたが、私は自分の力で家名かめいまもりたかった。

 そのためには騎士きし地位ちいることが重要じゅうようであり、恋愛れんあいにかまけている時間はなかったのだ。

 姿見すがたみの中の自分をにらみつけ、外套がいとうかたにかけて自室をあとにする。


 冬にはいり、帝都では厚手あつで衣服いふくをまとい、どことなく気忙きぜわしく歩く人達の姿すがたが目につく。

 外套がいとうの下に垣間見かいまみえる緑の礼服れいふく馨侖侯けいりんこう地位ちいにある貴族きぞくしか身につけられない。

 足早あしばやに歩いていく人々の中にも、目ざとく礼服を見つける者がいて、すれちがうときには立止たちどまり、会釈えしゃくしていった。


 軍の官舎かんしゃから行幸大路ぎょうこうおおじに出て北をのぞむと、巨大きょだいな『英雄大門えいゆうだいもん』が目に入る。

 さらに英雄大門えいゆうだいもんの奥には、千年せんねん近い歴史れきしほこ荘厳そうごんなエスクリムジ皇宮こうきゅうが、そびえている。

 くれない基調きちょうにし、所々ところどころ黄金おうごん装飾そうしょくをされた皇宮こうきゅうはフェルハトラの象徴しょうちょうであり、帝国の心臓部しんぞうぶでもある。


 英雄大門えいゆうだいもんわきにある掖門えきもんをくぐって皇宮前こうきゅうまえ広大こうだい閲兵えっぺい場をわたり、階段かいだんを上ると、やっと玄関にたどりつく。

 そこで衛兵えいへい用向ようむきをつたえ、通用口つうようぐちとびらを開いてもらう。


 中に入れば、数々かずかず装飾品そしょくひん絵画かいがをしつらえた玄関広間げんかんひろまあらわれる。

 玄関広間の中央奥ちゅうおうおくにある正面階段しょうめんかいだん踊場おどりばには、剣をかかげる『太祖帝たいそてい』フェルハト様のぞう鎮座ちんざしていた。


 初代皇帝しょだいこうていチラック様とフェルハト様の間に血縁けつえんい。

 しかしチラック様はフェルハト様をじつあにのようにしたい、帝国を建国けんこくしたさいに『太祖帝たいそてい』という皇帝の始祖しそたる地位と名誉めいよささげ、そのれいまつったのだ。


 正面階段をのぼれば玉座ぎょくざのある謁見えっけんだが、左にれて参謀府さんぼうふのある左翼さよく廊下ろうかへとすすんだ。

 参謀府さんぼうふの部屋は廊下ろうかに入ってすぐの場所にあった。

 とびらの前に立ち、こぶし四回叩よんかいたたいたあとげる。


「ミネ・ユルダクル、召致しょうちおう参上さんじょういたしました」


「どうぞ」


 中から少し甲高かんだかい声でいらえがあった。


失礼しつれいします」


 扉を開き、しずかに素早すばやく中へ入る。

 室内しつないには三人の男性がいた。


 おくにあるつくえには、青色の礼服を着た参謀府さんぼうふちょうであるバリス・エファンジ府督ふとくがいらっしゃり、私を見るとかるくうなずかれた。

 府督ふとくの横に立つのは灰色はいいろの礼服を着た補佐官ほさかんのアリ・カイマク府佐ふさ

 机の前に立つのは緑色の礼服を着た十二聖戦騎士団じゅうにせいせんきしだんの第四団をひきいるトゥガイ・デスタン団長だんちょう


 私はトゥガイ団長の横にならび、むね右拳みぎこぶしを当ててバリス府督ふとく敬礼けいれいした。

 団長はこちらに顔を向けることなく、一瞬いっしゅん横目よこめで私をとらえる。

 私の心臓しんぞうはそれだけで、鼓動こどうはやくしてしまった。


 帝国の上級貴族じょうきゅうきぞく四階級よんかいきゅうあり、下から常侖侯じょうりんこう庸侖侯ようりんこう馨侖侯けいりんこう盈侖侯えいりんこうとされており、礼服の色も灰、黒、緑、青と決まっている。


 また下級貴族かきゅうきぞく酬侖卿しゅうりんきょうという名称めいしょうばれ、礼服は褐色かっしょくである。

 上級貴族の四つは世襲制せしゅうせいであるが、酬侖卿しゅうりんきょう身分みぶん本人一代限ほんにんいちだいかぎりとされている。


「ミネ君、前線ぜんせんから帰還きかんしたばかりなのに呼出よびだしてすまないな」


 バリス府督ふとくは、ゆったりとした様子ようすで、にこにこと微笑ほほえまれている。

 年はもう七十に近く、髪やアゴひげは白いが、均整きんせいのとれた身体からだつきからは、おとろえを感じさせない。


 エファンジ家と我がユルダクル家はふるくからの付合つきあいであるため、バリス府督ふとくは、公式こうしき場以外ばいがいでは、実のむすめであるかのようにせっしてくださる。

 貴族同士きぞくどうし普通ふつう家名かめい職名しょくめいで呼び合うのだが、したしい友人や仲間内なかまうちでは名前を呼ぶのだ。


「いいえ、帝国騎士としてのつとめですので」


 私は敬礼したまま答えた。


らくにしてくれたまえ」


「はっ」


 拳を下ろし、こしうしろでむ。

 バリス府督ふとくはアリに向ってげた。


「ではカイマク侯、二人に召致しょうち理由りゆうを説明してくれたまえ」


「かしこまりました」


 ネズミのような顔をしたアリは、神経質しんけいしつそうな手つきで持っていた書類しょるいをめくりながら、男にしては甲高かんだかい声で召致しょうちの理由をべた。


「今より15日前、同盟国どうめいこくのゲチト王国で、ある問題が発生はっせいしました。それは王族おうぞく所有しょゆうするスブシュマ荘園しょうえんきた虐殺ぎゃくさつ事件じけんであります。荘園領主しょうえんりょうしゅであるヤシャル・スプシュマこうをはじめ、衛兵えいへいや男の農奴のうどのほぼ全員ぜんいんの合わせて二百名余にひゃくめいあまりがころされております。ただし女の農奴のうど子供こどもおよ領主りょうしゅ一人娘ひとりむすめイゼルじょう危害きがいくわえられておりません」


 どうでも良い話だが、私はこのアリという男を好きになれない。

 常侖じょうりんこうという上級貴族でありながら、ときおり見せる下品げひん仕草しぐさや、はら一物いちもつありそうなうさんくさい目つきが鼻につくのだ。


 年嵩としかさ印象いんしょうがあり、当初とうしょ四十代よんじゅうだいくらいと推察すいさつしていたが、29歳だと聞いてとてもおどろいた。

 私より年が5つ上なだけで、こんなにもけてみえるということにあきれるばかりだ。


 アリはゆびをなめて、書類しょるいをめくる。

 そのなめ方が、あまりにもしつこくてムカムカさせられる。

 しかし私の心情しんじょうなど知らぬアリは、そのまま説明せつめいつづけた。


「――生きのこった女達の証言しょうげんから、犯人はんにん農奴のうどの一人と判明はんめいしました。農奴名簿のうどめいぼによると、氏名しめいはジョルジ・エシャルメン、男性、19歳、生国しょうこくはアヴジ王国、であります。ジョルジは事件後じけんご逃走とうそうしましたが、目撃者もくげきしゃ証言しょうげんによると『災厄さいやく荒野こうや』方面へむかったことがわかっております。第四団には、このジョルジ・エシャルメンの討伐とうばつをおねがいしたいのです」


 私の直属ちょくぞく上司じょうしでもあるトゥガイ団長だんちょうは、勇猛ゆうもうな騎士達をふるえ上がらせてきたするどい目つきでアリをにらみつけた。


 赤みがかった金髪きんぱつ碧眼へきがん

 左頬ひだりほほに深い刀傷かたなきず

 上背うわぜいがあり、がっしりとした体躯たいくは騎士につかわしいが、の騎士とは明確めいかくことなる凛然りんぜんとした雰囲気ふんいき全身ぜんしんからはっしていた。

 英雄えいゆうという称号しょうごうは団長のためにあると言っても過言かごんではないだろう。


 アリの背丈せたけは団長の首元くびもとまでしかなく、見下みおろされるようににらまれ、ねずみに似た顔は、みるみる青ざめていった。


「なぜ我が団にそのにんめいじられるのです? 二百余名にひゃくよめいころしたことはたしかに重大じゅうだいですが、たとえ中断ちゅうだんしたとはいえ戦争継続中せんそうけいぞくちゅうのこの時に、一人の犯罪者はんざいしゃに対して、正規せいき軍団ぐんだんうごかす必要ひつようがありますか? それにゲチトの軍は何をしているのです。帝国に犯罪者の討伐とうばつをさせ、たかみの見物けんぶつですか?」


 トゥガイ団長のひくおさえられた声は、あまたの戦場せんじょうをくぐりぬけてきた猛者もさが持つ鬼気ききをおびていた。 

 おびえたアリは返答へんとうきゅうして、目を白黒しろくろさせる。

 私は内心ないしん、ざまあみろと溜飲りゅういんを下げた。


「デスタン侯、そのあたりりで。――カイマク侯にせきは無い、侯を指名しめいしたのは私なのだ」


 バリス府督ふとくが助けぶねを出された。


「実は、9日前、別の討伐隊とうばつたいの千人を派遣はけんしたのだ。隊の主力しゅりょくはゼリハ・ヘペルきょうが率いる第八団だ」


 ゼリハ・ヘペルは最近団長に抜擢ばってきされた盈侖侯えいりんこう地位ちいをもつヘペル家の令嬢れいじょうだ。

 実力じつりょくではなく、父親のカシム・ヘペル侯の縁故えんこによって、第八団の団長となったのだともっぱらのうわさだった。


「――第八団はゲチトの軍二千と協力きょうりょくし、『災厄さいやく荒野こうや』でジョルジと交戦こうせんした。その結果けっか、千の騎士と二千の兵は全滅ぜんめつしたのだよ」


 さすがのトゥガイ団長も目を見張みはる。

 もちろん私もおどろいた。


「ただ団長のヘペル卿だけが無傷むきずのまま見つかっている。ここでもジョルジは、女を殺さなかったことになるな」


「三千の兵を一人で全滅させたとおっしゃるのですか?!」


「そうだ」


 バリス府督ふとく困惑こんわくした表情ひょうじょうでうなずく。


昨年起さくねんおこったヒュリア皇女討伐おうじょとうばつけん状況じょうきょうていますな」


「言ってくださるな、デスタン侯、その件については、陛下へいかから強いおしかりをけている。その上に今回こんかいのこの事件……、がおかしくなりそうなのだ」 


 バリス府督ふとくまゆをひそめ、深く溜息ためいきをつかれた。


 ヒュリア・ウル・エスクリムジ第一皇女だいいちおうじょ

 皇女でありながら反意はんいいだき、帝国滅亡ていこくめつぼうくわだてたとして反逆罪はんぎゃくざいわれた重罪人じゅうざいにんである。

 最高法廷さいこうほうてい斬首ざんしゅけい言渡いいわたされるも、処刑前日しょけいぜんじつ共謀者きょうぼうしゃの助けをりて脱走だっそうした。

 ほどなく皇女討伐に向った聖戦騎士団第二団から、『災厄さいやく荒野こうや』で皇女を追詰おいつめたとの報告ほうこくが入る。


 皇女は断迪だんじゃく刑を受け、魔導まどうの力をうしなっていたため、討伐は時間の問題と思われた。

 しかし、数日後に伝令でんれいが『災厄さいやく荒野こうや』に到着とうちゃくすると信じられない光景こうけいが広がっていた。


 第二団だいにだんのほぼ全員ぜんいんである五千の騎士が全滅ぜんめつしていたのだ。


 全滅の理由はあきらかにされていないが、魔導まどうによるでも、武器ぶきよるでもない手段しゅだんで殺されていたそうだ。

 遺体いたいの顔は苦痛くつうにゆがみ、皮膚ひふはところどころ黒く変色へんしょくしていたと聞く。

 

 皇女が使った殺害手段さつがいしゅだん不明ふめいだが、皇女自身おうじょじしんについての詳細しょうさいは帝国人なら誰もが知っている。

 彼女は15歳で成人せいじんしてすぐに『勇者号ゆうしゃごう闘儀とうぎ』に参加さんかし、そこでいきなり『二席にせき勇者号ゆうしゃごう』を獲得かくとくする。

 そして空席くうせきだった聖戦騎士団の第三団の長に抜擢ばってきされた。


 仇敵きゅうてきキュペクバルとの戦いでは数多あまたてきを殺し、“氷刃ひょうじん皇女おうじょ”としての名声めいせいをもはくしている。

 次期皇帝じきこうていを決めるための『選帝せんてい闘儀とうぎ』においては、他の皇子皇女を圧倒あっとうし、太子たいしであった現皇帝メシフ陛下へいか完膚かんぷなきまでにたたきのめして、一時いっとき皇帝権こうていけんを手にしてもいた。

 戦闘せんとう天才てんさいと言っていい。


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