エピローグ──未来に続く道
「様子を見に来たよ!」
と、元気が有り余っている様子で輝子が別荘に入ってくる。手にはたんまりと何かが入ったレジ袋があった。
時刻は午前八時過ぎ。スーパーが開く時間には早いから、自宅の厨房からくすねてきたのだろう。
「いや、ごめんごめん。この別荘食料の備蓄がレトルトしかないのを忘れててさ。色々家から持ってきたよ」
「そりゃありがたい」輝子から袋を受け取り、「で本音は?」
「久しぶりに慎二のご飯食べたい」
「だと思った」
即答した輝子に苦笑しながら袋の中を確認する。肉や魚、野菜――特に何か特定のレシピに特化している様子はない。
「これ、とりあえず詰め込んできたって感じに見えるな。さてどうしようか」
「あ、輝子さん! 食材を持ってきてくれたんですか?」
「そう。あと元気かどうかを見るって目的もあったんだけど、それは問題ないみたいだね」
ダイニングから出てきた美咲が、駆け寄ってくる。
「助かりました。冷凍はどうにも好きになれなくて」
「と、まあそういうわけだ――お、食パンがあるな。昼飯はサンドイッチにするか。ついでにピクニックにでも行くか?」
確かちょっと歩いたところに良い感じの広場があったはずだ。雨も上がっていることだし、軽い運動も兼ねて提案してみる。
「いいですね。じゃあ早速準備しますか?」
「そうだな。出来るだけ早く支度を済ませちまおうか」
袋を受け取ってダイニングに併設されているキッチンに移動する。必要な食材を取り出して、他の食材をしかるべき保管場所に入れる。冷蔵庫だとか野菜室だとか。
手を洗って、調理を開始する。
「美咲はレタスを頼む。輝子は耳を落としてからパンを半分――薄くするイメージで切って、マヨネーズを薄く塗ってくれ。そうだな、この人数だから五枚ぐらい切ってくれればいい」
「了解。で、中身は何にするの?」
「ジャム二種類と、ツナと玉ねぎ一枚にレタスとチーズとハムが二枚。食材的にこれが一番な気がする」
玉ねぎを洗って皮をむく。作業をしながら美咲のほうに目を向けると、手慣れた手つきでレタスを洗っていた。
「またこうやって一緒に厨房に立てるとは思いませんでした」
「そうか? 俺はずっと続くと思っていたけどな」
「でも、これからはずっと変わらずにいられるんですね」
その事実を喜ばしいものだと言わんばかりの笑顔。その笑顔を見れただけでも今までの行動が間違っていなかったと確信を持てる。
「そうだな。変わり続ける世界の中でも、これは変わらない事であり続けよう」
そう。いつまでもそうあり続けたい。普遍性などありえないこの世界で、それでも美咲といる時間は普遍的なものであって欲しい。
「慎二さん、レタス洗い終わりました」
「そうか。じゃあマヨネーズが塗られているパンに乗せて、その上にハム、チーズの順に置いてからもう一枚のパンで挟む。簡単だろ?」
玉ねぎを切りながら指示を出す。理由は判らないが、やはり目に沁みて痛い。石鹸が目に入った、謝って眼球に触れてしまったなどの痛みと同等なのはどうかと思う。
玉ねぎを食べようなんて言い出した人間はきっと、その痛みに悶絶した事だろう。
「切り終わったよ、どうすればいい?」
「じゃあタッパーを用意してくれ。持ち運ぶのにそのままってわけにもいかない」
切った玉ねぎを水にさらす。こうすることで苦みが抜けていく。
「慎二さん、ツナ開けておきますね。マヨネーズかけて混ぜればいいですか?」
「そうだな……ちょっとマヨネーズの量は少な目で頼む」
「わかりました」
「いつの間にか随分と距離が縮まったんじゃない? もしかして付き合い始めたり、とか?」
輝子が声を出す。純粋な好奇心、あるいは疑問といった感じだ。
「そうなんです。昨夜、いろいろありまして。襲われたとかじゃないので安心してください」
「え、ほんとに! いや、でも確かにどっちも相手の事を意識してる節はあったし、あるべきところに収まったって感じかな。ま、慎二なら大丈夫でしょ」
調理を進めながら話を聞く。というか、輝子にさえも見抜かれるほど俺は美咲のを意識していたのか。そして美咲もそういった素振りを見せていたらしい。気が付かなかった。
「っと、これで良し。輝子、ジャムのサンドイッチ作ってくれ」
「はいはい。詳しい話また聞かせてね」
「はい。いっぱいお話したいことがあるので、楽しみにしています」
しかし、この二人仲が良い。やっぱり姉妹のようだ。
「でも、良かったんですか? 慎二さんと輝子さんは幼馴染で――」
「だからよ。わたしも慎二も互いに恋愛感情を抱いていないの。本当の兄妹みたいな感じだから余計にね。だから遠慮することないのよ」
それは事実だ。というか俺から見れば輝子は世話をする対象という感じでもある。互いの価値観こそ最も理解しているが、だからこそ恋愛感情を持ったことなど一度も無い。これは断言できる。
「ジャム出来たよ」
「こっちも玉ねぎ切り終えた。さ、手早く挟んでさっさと行こう」
パンに水気を切った玉ねぎを置く。美咲がスプーンでツナをその上に乗せると、その上から最後のパンを重ねて完成だ。
「慎二、タッパーあったよ」
「ありがとう。じゃあ俺が四等分にしていくから、詰めていってもらえるか」
「わかりました。美味しそうですね、これ」
「ああ、けどつまみ食いはダメだぞ。それは昼飯までのお楽しみだ」
包丁を手に取り、作っていった順に切っていく。断面から見える具材が美味しそうだ。先ほど摂取した朝食が冷凍だったからか、すごく色鮮やかに見える。
もちろんそれは色合い的な意味ではなく、どちらかと言えば在り方が、だ。生き生きとしていると言い換えてもいいだろう。
冷凍食品が劣っているとは思わない。商品開発者の努力が感じられるし、味も良いから俺も使うことがある。ただ、生園町の商店街にあるお店が高品質なおかずを売っていたりするせいで相対的に味気なく感じるのだろう。
「さ、行こうか」
タッパーを布巾で包んで、保冷バッグに入れる。おそらくはどこかに遊びに行くことを想定して色々用意されているのだろう。そういったことも含めてのこの別荘なんだと思う。
先に玄関に向かった美咲を見て、輝子が呟いた。
「あの子、明るくなったわね」
「そうだな。色々あったけど、美咲が笑ってくれているのならそれだけで十分だ」
靴を履いて別荘を出る。その音を聞いてこちらを振り返った美咲に、思わず息wを呑んだ。
日差しが彼女の横から差し染める。鮮やかな黒髪が彼女の顔に僅かにかかって、それが日の光とのコントラストを演出していた。柔らかい笑顔はとても幸せそうに見える。
「綺麗だ……」
俺が助けた少女は、こんなにも笑えるようになった。彼女と一緒に過ごして、その笑顔を見ることが出来るのが嬉しい。この一ヶ月で大きく変わった生活だが、以前の生活より充実しているように思う。
「慎二さん?」
「何でもない。じゃあ行こうか」
美咲の手を取る。輝子も含めて三人で森の奥、広場に向かっていく。この三人で過ごす日常はこれからも続いていくのだろう。それが幸せだと思った。
自然と笑顔になるのがわかった。
「わたし、今すごく幸福です。ちょっと前までは考えられなかったほどに」
横を歩く美咲がそう言った。彼女も幸せを享受できるようになったのだな、と実感した。
出来上がったうどんを食べながら、俺は思い出していた。一ヶ月という時間を、記憶を使って遡行する。
「どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない」
不思議そうに顔を覗き込む美咲に返事をする。
そう、なんでもないんだ。事件は全て終わった。新しい日常がその後に残っただけで。
新しい、幸せな日常を過ごしていく。
きっといつまでも、変わらずに。
第一章 小動物のような少女を助けた 完
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