診断


「そのまま家に帰るのね」

「ああ。慣れた環境のほうがいいだろうし、みんなに移すわけにもいかないから」


 暖房を入れた車に美咲を座らせ、窓から顔を出して母さんに返事をする。


「親父には母さんから伝えてくれ。ああ、でも仕事中に心配させるといけないから、仕事が終わってからにしてくれ」

「わかったわ。美咲ちゃん、お大事にね」

「はい。その……ごめんなさい、心配かけて」

「人間だもの、病気になるのも仕方のないことよ。慎二、元気でね」

「母さんこそな」


 車を発進させる。目的地は家ではなく病院だ。正月ぐらい実家でのんびりとしたいという気持ちも残っているが、そんなこと優先順位としては現状最下位だ。そんなのはいつだって出来る。それは、美咲が治ってからすればいい。


「美咲、病院につくまで寝てていいぞ。てか寝れそうなら寝てろ」

「は、はい」


 安全運転、揺らさない運転を心がけながら、なおかつ急ぐ。時刻は午前十時過ぎ。今からなら午前の診察には余裕で間に合う。




 木城篠原クリニックは、年末年始でも緊急外来を受け入れている。実質的に木城市の市民病院の代わりとなっているこの病院が、仮に年末年始休みとなったら――おそらく死者が出る。

 医者の仕事は人を救うこと。この規模の病院が、年末年始だから休みますとなれば困る人が出るだろう。だから交代制で年末年始も診察をしているんだ。

 篠原先生がそう言っていたのを思い出す。あの人は仕事に誇りを持っている。休業したせいで誰かが救えないのが嫌だ、とも言っていた。そういえば、昔大晦日の日に大怪我した時も助けてもらったっけと思い出す。ほんと、ありがたい。

 病院には二十分ほどで着いた。結構込み合っている様子だ。そのせいで入り口から少し離れたところに駐車するよりほかなかった。この寒空の下、美咲を歩かせるというのも酷というものだ。


「美咲、ほら」


 車から降りて、助手席のドアを開ける。そのまましゃがみこんで背中を見せる。


「入口までは遠い。歩くのも辛いだろ? 遠慮せず、おぶられてろ」


 背中か感じる美咲の重さを確かめる。綿のように軽く、飛んで行ってしまいそうで、怖くなる。けど、体を支えるために回された腕が、その不安を消し飛ばしてくれた。

 しかし、この軽さは痩せているとはちょっと違う。どちらかと言えば貧相な体と言える。美咲の体に力が入っていないことが、さらにそれを実感させる。

 できる限り揺らさないように注意して病院に入る。病院内は結構な込み具合で、時間がかかりそうだ。印象としては、空気が淀んでいる、あるいは重いといった感じだ。

 運のいいことに、受付に人は並んでいなかった。


「すみません、篠原先生はいらっしゃいますか?」

「はい、ご用件は何でしょう」

「ちょっと訳ありで……桐山慎二が診察に来たと伝えてもらえれば判ってもらえると思います」

「かしこまりました。少々お待ちください」


 受付の女性は電話を取り、


「北条です。院長をお願いします――はい、はい、桐山慎二と言えば判ると。女の子ですか? 一緒です。はい。わかりました、失礼します。二階、小児科前の待合でお待ちくださいとのことです」

「わかりました。ありがとうございます」


 事務的な会話をする女性に礼を言って、エスカレータで二階に向かう。右に曲がった先に、たくさんのベンチが置いてある。空いているスペース――周囲に人がいない席――を選んで美咲を座らせる。

 ふと、子供の声が結構聞こえることに気が付いた。


「美咲、うるさいか?」


 小声で尋ねる。美咲が頷いたので、カバンからイヤホンを取り出して美咲に着けた。音楽は流していない──それも負担になるだろう──が、ないよりはましという言葉がこの世界にはある。


「ありがとうございます……少しだけ、楽になりました」

「よかった」


 美咲の右隣に座る。頭を俺の肩に預けてきたので、優しく腕を回してやる。


「やっぱり、落ち着くなぁ……」


 美咲がそう呟いた。きっとそれは、意識の外から出た言葉。だから、聞き返すことはしなかった。

 少しして、美咲は寝息を立て始めた。やはり、回復に相当体力を持っていかれているようだ。車の中でも寝息が聞こえていたような、と思い出した。

 時間だけが過ぎていく。控えめな喧噪と、苦し気な美咲の寝息が聞こえる中で、呼ばれるのを待つ。美咲の苦し気な声は聞きたくないな、と思いながら待った。




「インフルエンザだな。発症は今朝――というか昨夜か。普通の場合発症したばかりの頃っていうのは検出されにくいが、美咲ちゃんの場合免疫力が落ちていたからな。それだけウイルスの増殖が速く、結果として確実に検出できるほどまで増えていたというわけだ」


 診断結果が映し出されたディスプレイを見ながら篠原が言う。


「ま、可能な限り睡眠をとらせたこと、栄養のある物を食わせたことは正解だ。飲料水や茶の類ではなく、スポーツドリンクを飲ませたのも正解だ。よくやったな、慎二」

「褒められるのは嬉しいですけど……正直頭が空っぽで、やれることをやっただけっていうか、そもそもスポーツドリンクを用意したのは俺じゃないっていうか……」


 俺一人だけだったらどうなっていたか、と考えるとゾッとする。麗子の機転があったから、必要な物を美咲に与えられた。


「だから、俺一人じゃどうにもならなかったから、やっぱり俺は皆に支えられているんだなって」

「そうだな。ま、それを理解しているなら大丈夫だろ。さて、どうするかだが……とりあえず栄養のある物食べて薬飲んで寝る、だな。異常行動に出るかもしれないから、基本目を離すなよ。飯は輝子さんに作ってもらえ」

「輝子に? いや、輝子は飯作るのそんなに上手じゃないですよ」

「知ってる。作り方メールしておくから大丈夫だろ」

 ふと、疑問に思ったことを声にしていた。

「輝子の事、さん付で読んでるんですね」

「そりゃお嬢だからな。最初はお嬢って呼んでいたけどさ、輝子で良いっていうんで――」

「間を取って輝子さん、ですか」

「そういうこと。さて、無駄話よりも治療の説明をさせてくれ」

 簡単だけどな、と前置きをしたうえで、

「基本的にインフルエンザの治療というのはシンプルだ。薬を決まった時間に飲むことと、食事を可能な限り摂る事。そしてよく眠ることだ」

「よく眠る事、ですか?」

 美咲が恐る恐る聞き返す。

「そうだ。起きているときよりも寝ているときのほうが体力の消耗は少ない。体力が残っているということは、それだけ回復に回せる体力が残っているということだからね」

 優しい言い方だ。俺に対してこんな優しい言い方をしたことないじゃないか、と内心思う。子供の頃からの付き合い故の口調なのだろうか。ついでに言うと、俺以外の患者にどういった口調をしているのかを知らない。

「前の家でどうだったかは知らないが、慎二は病人に起きていろなんて言う奴じゃない――というか、無理矢理にでも寝かしつけるだろうな」

「え……はい、そうです。寝てろってベッドに寝かされました」

「だろうな。で、薬だけど――」


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