新年、それは帰省の季節

 クリスマスを終えると、すぐに年越しがある。そして新年を迎えるわけだ。俺はといえば大掃除を忘れていたことに新年突入してから気が付き、こりゃ今年はあまり良い年じゃないかもな、なんてぼんやり思った。

 あとは、年越しそばに夢中になったり、そんな光景を輝子とほほえましいなと思いながら見ていたりもした。

 そういうわけで、新年のあいさつを輝子に済ませ、美咲と実家に帰省する。

 帰省、といってもそう遠い場所というわけではない。というか、車で十五分足らずの場所だ。生園町のはずれにある大きな洋館が俺の実家だ。

 敷地内にある駐車場に車を停め、美咲とともに屋敷の中に入る。三階建ての屋敷は町一の大きさだ。赤い屋根が実によく目立っている。


「ただいま」


 中に入ると、目の前にバカでかい階段があった。上質な内装もこの階段のせいで無駄になっているんじゃないだろうか、と思うこともあったりするが、そんなことは今問題じゃない。問題はその階段に堂々と座り込んでいる女性のことだ。


「お、やっと帰ってきやがったか。主人が顔を見せに来ないって愚痴を言ってたぜ」


 その女性――北条麗子。この屋敷で働いているメイドの一人で、俺が幼いころからの知り合いである。ちなみに年齢は二十五で、メイドと雇用主の子息というよりも気兼ねなく話せる友達といった関係性だ。


「久しぶり、麗子。さぼっているのバレたら今度こそ解雇かもよ」

「その心配はない、私がお前を出迎えるように指示した」と階段の上から聞きなれた声がした。「たまには顔を出せ、心配するだろう」


 階段から姿を現した男こそが、桐山拓海――つまり俺の父親に該当する人物だ。立派に整えられた口ひげを蓄えた姿は、厳つい顔つきも相まってとても子供向けの玩具を販売している会社の社長には見えない。

 こんななりでも我が子を溺愛し――多分に主観も含まれているが――子供たちを喜ばそうと働く善人である。


「ただいま、親父」

「お帰り。っと、そっちが例の?」

「ああ、紹介するよ。美咲……桐山美咲だ」


 というと彼は階段をゆっくりと踏みしめるように降りて、美咲の前に立った。


「桐山拓海だ。我が子の家族ならば我が家族も同然。自宅同然にくつろぐといい」


 その大きな手で美咲の頭をわしゃわしゃと撫でる親父。ごわついた手を彼女はどう感じているのだろうか。その頭を撫でるのは俺と輝子だけだと思っていた。

 チクリ、と胸の奥が痛む。ただ、心臓が痛んでいる様子は感じられなかった。いったいなぜなのだろうか。もやもやとした気持ちが残った。


「親父、美咲に家の中を案内してきていいか?」


 美咲の手を引いて階段を上がろうとする。


「なんだ、実の父親に嫉妬か」

「別にそんなんじゃない」


 多分、すごくぶっきらぼうだったと思う。とにかくこのわけのわからない感情に困惑するばかりで、いい返事ができなかった。


「いい子だ。大切にしてやれ」


 親父の淡々とした言い方が胸に入り込む感覚がする。


「ああ。解っているさ、親父」


 ならいい、と親父が踵を返して階段を登っていく。それの背中を見おくってから、美咲の手を引いて移動を開始しようとする。


「は、立派に嫉妬してるじゃないか、慎二」

「だから違うといっただろ、麗子」

「あのなぁ、お前がどう言おうと目が語ってんだよ。そりゃ、かわいらしい子だとは思うけどさ。男の嫉妬は見苦しいぜ」


 まったくこいつは、と思う。長い付き合いだけあって、こちらの考えていること――たとえそれが、深層心理下のモノでも――は全部筒抜けか。

 そうか、俺は嫉妬していたのか。自覚のない嫉妬に反省する。

 では、なぜ嫉妬しているのだろう。


「ま、心配しなくても誰も盗ったりしねぇよ」と彼女は美咲に向き直って視線を合わせ、「紹介が遅れたな。あたしは北条麗子、この屋敷のメイドで、そこの男の幼馴染だ。輝子の奴とも腐れ縁でな、あんたのことは聞いている。名前を教えてくれるか?」

「あ、あの……美咲です……よろしくお願いします、麗子さん」

「良い名前じゃないか。慎二が付けたのか?」


 にっこりと笑いかける麗子。こうしてみると少し年の離れた兄弟にも見える。

 美咲はその質問に対して笑顔になり、


「はい、慎二さんが付けてくれました」


 嬉しそうにそう語った。

 あの日のことは鮮明に覚えている。路地裏で見つけた薄汚れた少女の姿を。そのあまりに小さな命の灯を。

 目の前で緊張しながらも笑うその少女――美咲を見つめる。瘦せこけた肉体は健康的とは言えなくとも瘦せ型で済ませられる程度には回復しているし、保護した時と比べてよく笑うようになったと思う。それだけじゃなく、


「っと、さすがに仕事に戻らんと怒られそうなんで、戻るわ。また後でな」


 手をヒラヒラと振りながら仕事に戻る麗子。その仕草は世間一般のメイドとはかけ離れているようにも思う。けど、ある意味それが彼女の持ち味だ。粗暴だが優しさのある彼女を慕う人間は数知れない。


「さ、行こうか」


 美咲の手を引いて屋敷を回り始めた。その時に感じた柔らかな腕の感覚を意識しないように努めながら。




 この屋敷で寝泊まりする人数は、平均して五人前後しかいない。そのうち常駐しているのは二人。俺の両親だ。

 あとはまあ、ここで雇われているメイドや執事が入れ替わりで働いているわけだ。ただ、ごく偶にではあるものの客人がいたりするらしく、その関係で寝室自体は結構な数あったりする。

 とはいえそこがフルに使われることなど無いと思う。というか記憶にない。そして俺が自室として使っていた部屋はといえば、そんな客室の並ぶ一角の一番奥だった。

 以前は広い部屋を割り当てられていたが、どうにも落ち着かなかったためにその部屋に移動させてもらったのだ。

 寝室は三階の右側に並んでいる。そこまで移動しながら、やれキッチンだの書庫だのと色々教えて回る。


「で、ここが俺の部屋だった場所だ。今は俺の私物置き場になってるけどな」


 俺の説明一つ一つを興味深そうに聞いてくれる美咲。だからなのか、ついついいろいろ喋りすぎてしまう。ここで働いている女性が時々作ってくれるおにぎりの美味しさだとか、親父のお気に入りの本棚には漫画本が結構入っているとか。


「さて、この部屋が今の俺の自室だ。美咲はどうする? 別の部屋を借りるか?」

「その……一人で寝るのはまだ……」


 と遠慮気味に美咲がそう答えた。


「遠慮なんてするな。じゃ、今まで通りということでいいんだな?」


 笑顔で頷く美咲。


「じゃ、掃除しないとな。前帰ってきたのが確か去年の正月だったから――埃を落とすだけでよさそうだな」


 ドアを開ける。武家屋敷である俺の自宅と違い、この屋敷は完全な洋館だ。

 だから当然俺に割り当てられた部屋も洋室なわけで、和室に慣れ親しんだ俺にとっては違和感のある部屋だった。たとえそれが長年暮らしていた自室だったとしても、だ。

 人間意外とすぐに慣れるし、そうしたら前居た場所に対する慣れがどんどん消えていくということだ。

 そういうわけで本棚とベッド、机ぐらいしかないこの部屋に強烈な違和感を覚えた。俺のよく知る、記憶のまま時間の止まった自室だというのに。

 とはいえ拒絶されている感じはしない。単に俺がこの部屋での過ごし方を忘れてしまっているだけなのだろう。一晩過ごせばいつも通りになると思う。

 本棚の後ろに隠してあるはたきを手に取る。正直隠す必要もないわけなのだが、こんなものが部屋の中にあったら見苦しいというかなんというか。だから目につかない場所に隠してあるのだ。

 それを使ってベッド周りだとか本棚とかを軽く掃除したら、それだけで終わってしまった。


「っと、こんなところにあったのか」


 本棚に置かれている本の中に、ずっと探していた心理学の本があったのを見つけた。以前ある出来事がきっかけで心理学について勉強したことがあった。なかなかどうしてためになる内容だったので読み返したいと思っていたのだが、見つからなくて困っていたのだ。


「慎二さん、素朴な疑問なんですけど」

「なんだ?」

「書庫があるのに、部屋にも本棚があるんだなって思ったんですけど」

「面倒くさいからな、いちいち書庫まで本を取りに行くのは。それに、大量の本から探すのは大変だってのもあるな」

「そうなんですか?」

「意外と大変なんだよ。図書館みたいに広いからさ」


 ベッドのふちに座る。そういえば、今の家に移ってからしばらくは布団で寝るのに強烈な違和感を覚えていたっけなと思い出した。


「しかし本当に何にもない部屋だな……」


 寝るのと勉強をするためだけの部屋だったから無理もない。ゲームもあまり好まなかった――小説のほうが刺激的に感じていたから――し、テレビを見るときは家族兼用の部屋で見ていたから必要なかった。

 音楽を聴くようになったのは今の家に住むようになってからだから、やっぱり本棚と机さえあれば問題なかった。


「けど、今の部屋も大概だよな……」


 もっと物を増やすべきなのか考えてみる。とはいえ生活に不便するわけでもないし、いらないかなと思う。

 コンコンコン、とドアが三回ノックされる。


「どうぞ」


 と返答すると、ドアを開けて親父が入ってくる。その手に持った缶ジュース二本を俺に放ってくる。その缶ジュースをキャッチして見ると、オレンジの絵が描かれていた。

 机の前に置かれた椅子に座りこんだ親父が、はたしてなぜここに来たのか、容易に予測できた。


「一人一本ずつだ。ここ一年の話と、美咲ちゃんの話を聞かせてくれ」

「ああ、わかってる」


 予測的中。去年も同じやり取りを――美咲のことを除外すれば――した。

 用心深く缶ジュースを観察する。


「どうした?」

「いや、クリスマスの時に缶ジュースに混ざりこんだお酒を美咲が飲んでしまってな。まだ子供だし、気を付けないと」


 問題ないことを確認してから美咲にジュースを渡す。


「で、ここ一年の出来事だったな。学校は特に変わりなしで、順調にいけば今年で卒業ってところだけど」

「そうか。友達はいるのか?」

「ああ、親友が一人いる。いいやつだよ」


 ジュースを一口飲む。甘めのオレンジを使っているのか、少しだけ好みとは外れた味だったが、悪くない。


「そうか。ならいいんだが。勉強はしっかりとやっているのか?」

「まあ、普通にやってるよ。最近は忙しくてあまり時間をとれていないけど、それなりにって感じかな」

「勉強は大切だ。テストしてやろうか?」

「いや、いい。せめて正月ぐらいはのんびりしたい」

「それもそうか。日常生活はどうだ、不便なところとかないか?」

「いや、問題なしだ。飯もしっかり食ってるし、最近じゃ住人が一人増えたってんで寂しさを感じることも無いからな」


 と返答すると、親父は嬉しいような寂しいような、といった複雑な表情をした。こういう時、決まって親父はある行動をしようとする。それは――。


「親父、悪いけど美咲の前でタバコはやめてくれ。成長に悪影響だ」

「む……仕方がないな」


 胸ポケットに突っ込んだ手をもとに戻す親父。この人は少しニコチン依存症の傾向がみられる。

 とはいえ仕方がないのかもしれない。社長の仕事というのはストレスに晒され続ける仕事だと、いつだったか親父が語っていた。

 そんなことを思い出していると、突然場の雰囲気が凍った。まるで南極か北極にいるかのような冷気――緊張感。場を支配する空気に押されそうになる。


「で、ここからが本題だ。聞きたいのは――」


 その重苦しい、突き刺さるような空気の中で真っ先に口を開いたのは親父だった。彼の言葉を引き継ぐ。


「美咲のこと、だろ。親父」

「ああ。何があったのか、できるだけ詳細に話せ」


 話せと言われても、俺一人の独断で話せることではない。美咲のプライバシーというものもあるし、何より彼女の傷を広げないように話さないといけない。


「美咲、話しても大丈夫か?」


 小さな頷きで肯定する美咲。そして俺は今までの出来事を時系列順に語った。


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