もうすぐクリスマス──part2

「アレックス、プレイリスト宇宙の旅を再生」


 有名なクラシック音楽が流れ始める。ツァラトゥストラはかく語りきという曲で、映画二〇〇一年宇宙の旅のワンシーンはあまりにも有名だ。

 八百屋で買ったジャガイモとニンジン、肉屋で買った挽肉を用意して調理を開始する。

 まずはじゃがいもの下ごしらえ。芽を排除していく。面倒でもしっかりと排除する必要がある、大切な手順だ。というのも、じゃがいもの芽には毒素があって、最悪死んでしまうからだ。そんなのは御免被る。

 そういうわけで丁寧に芽を取り除いたじゃがいもの皮に、軽く切れ目を入れる。


「あ、あの。何か手伝えることありませんか?」


 美咲が、恐る恐る聞いてくる。漢字の学習が終わったのだろう。


「何かって言われても──」

 振り返って美咲の顔を見て気がついた。もしかして彼女は不安になっているのではないか。自身がこの家にいる意味が無いのでは、と。


「そうだな──じゃあ、サラダを作ってもらおうかな。冷蔵庫の一番下、野菜室にレタスが入っているから、洗って盛り付けてくれるか?」

「はい」


 顔を綻ばせて、美咲が頷く。ゆっくりと野菜室を開けて、レタスを取り出して作業を始める。


「随分と手慣れているな」

「その……それぐらいしか食べる物がなかったので……」

「そうか……悪い」

「いえ……」


 場の空気がどんよりとする。確かにそれでは栄養失調になっても不思議ではない。

 野菜は大切だが、野菜だけ──それも、バランスを全く考慮しなかった場合、タンパク質やカロリーが不足する。

 大豆を食べればタンパク質に関しては解決するし、普通ならカロリーも容易に摂取できる。

 もっとも、美咲にその自由はなかったのだろう。


「そ、それじゃあ次にチーズを冷蔵庫から出して千切ってもらえるかな」


 作業を再開しながら、明るい声で言ってみる。


「さて、こっちはじゃがいもを蒸して──その間に挽肉をっと」

「たっだいまー! 今日は何?」

「お帰り、輝子。今日はコロッケだ」

「お帰りなさい、輝子さん」

「ただいま──二人でやってるの? 良いね、そういうの。家族って感じで」

「ああ」


 それには完全同意だ。今こうして共にキッチンに立っている俺たちは、まるで仲の良い兄妹のように見えるだろうし、それはとても素晴らしいことだと思う。


「あ、そうそう。お土産があるから机の上に置いとくね」

「お土産?」

「うちの若い者の実家から大量のリンゴが送られてきたんだって。それでそのお裾分けを貰ったからさ」

「なるほどね。じゃあ今日のデザートあたりにでも食べるとするか」


 挽肉を炒めながら返事をする。東堂組はこの地域でしか活動しないが、中には別の地域から来た者も在籍しているらしく、こうして時々土産を持ってきてくれる。

 調理は滞り無く進んでいく。時折美咲に指示を出しながら、コロッケを作っていく。成形してパン粉を付けるところまで作業した時、


「そうそう、ノート持ってきたから後で渡すね」


 居間でテレビを見ていた輝子が、ふと思い出したようにそう言った。


「あ、ありがとうございます……その、色々と世話してくれて」

「子供がそんなこと気にしないの。それに、家族なんだから」

「そうだぞ。だから気にすんなよな──っと、油使うから居間に戻っていてくれ」


 三者三様のいただきますを言ってから、食事が始まる。

 口に入れたコロッケはほっくりとしていて、美味しかった。程よい味付けのおかげでソースを使わずに食べれる。

 二人の顔を見てみると、満足そうだった。


「そういえば、もうすぐクリスマスだね」


 と、美咲がこちらの目を見てそう言った。話に乗れということなのだろう


「クリスマス?」

「クリスマスの起源には諸説あるが──ようはイエス・キリストの生誕を祝う祭りごとが変化したものらしい。現代ではケーキと豪華な飯でパーティをし、サンタさんという赤い服と帽子のお爺さんが、一年良い子でいた子供にプレゼントを持ってきてくれる行事になっているけどな」

「サンタさん……来たことは……」

「彼らだって見落とす事もある。美咲が悪い子な訳がないんだから、きっと今年は来るさ」


 と言ったものの、何を用意すれば良いのだろうか。親父に相談するのが一番だろう。


「ツリーの飾り付けとかもしたいよな……買って来ないとな」

「だったら家に小さいのあったはずだよ。持ってこようか?」

「良いのか?」

「予備だからね。そうだね、机の上にでも飾ったら良い感じだと思う」

「助かる」


 と、ふと新聞の夕刊が目に入った。一面の見出しは──育児放棄、児童虐待年々増加──だった。

 難しい問題だ。子を成し、自らの遺伝子を次の世代に残すのが生物の最も深いところにある本能だ。

 だが、同時に守るべき自らの子──すなわち後世に伝える遺伝子を持つ者を虐げる人間が一定数いるのも事実。

 その新聞を手に取って見てみると、年々増加している事を示すグラフが掲載されていた。

 虐待の疑いありで児童相談所に警察が通告した十八歳未満の子供の数はおよそ十万人。実際はもっと多いだろう。実際美咲の事に警察が気がつき、児童相談所に通告したかといえば微妙だ。


「どうかしたんですか?」


 心配そうな顔で美咲が尋ねてくる。咄嗟に新聞を隠す。


「いや、なんでもないよ。コロッケのおかわりがあるけど、食べるか?」


 笑顔を作って、安心させるように言う。


「良いんですか?」

「良いに決まってる。食べ盛りなんだから遠慮するな」


 大皿からコロッケを取って美咲のお皿に乗せる。


「それと、クリスマスは豪勢にやるぞ。せっかくの祭りごと、堪能しなくちゃ損だ」




「なるほどな。ならこう聞いてみれば良い──今欲しい物は何か、と」


 親父に電話して、美咲のクリスマスプレゼント──サンタクロースからの贈り物の相談をすると、そうアドバイスがもらえた。

 美咲は先ほど風呂に入り、まだ戻ってきていない。輝子は帰宅済みだ。


「たまには家に帰ってこい。愛する息子がいないと寂しいぞ。それに、噂の子にも会ってみたい」

「ああ、わかった。年末年始のどっかで顔を出すよ──三ヶ日のどっかになると思う」

「ああ、待っている」


 電話を切る。本棚から一冊の本を持ち出して布団の上に寝転がり、うつ伏せになって本を開く。冷戦下の一九六四年のソ連山中を舞台にしたミリタリー小説。特殊部隊員である主人公が師匠を暗殺する物語だ。

 この主人公と美咲は、ある共通点がある。それは、片目が見えないということ。作中で主人公は目を撃たれてしまう。ボロボロになっても戦い抜く主人公のカッコよさに憧れたものだ。

 俺には彼のように戦うことはできない。けれども、この手で掴んだ命だけは守りたいと思う。それは、ただ生かすだけではない。当たり前にクリスマスを祝い、年を越して笑顔で正月を迎える。それが俺の守りたいもの──つまり、当たり前の幸せだ。


「あの、お風呂あがりました」

「ん、わかった。じゃあ寝るか」


 本にしおりを挟んで枕元に置く。美咲を布団の中に迎え入れて、守るように手を回した。


「そうだ、今欲しいものってあるか?」


 表情を窺いながら聞いてみる。突然のことで少し驚いた様子を見せたあと、


「欲しいもの、ですか? わたしの欲しいもの……欲しいものはないです。ただ、安心できるこの場所があれば……それだけで」


 しがみついていたい、と言わんばかりにギュッと抱きしめられる。震える体からは恐れが伝わってくる。

 失ってしまう恐怖。

 俺にも覚えがある。曽祖母が亡くなった時、理解した。人はいつか死ぬ、と。そして怖くなった──自分の周りにいる、親しい人が突然死んでしまうことが。


「そうか……大丈夫、この場所は美咲の居場所だ」


 だから、優しく抱きしめた。安心させるように。

 ややあって美咲が寝息を立て始めた。俺も眠ろうと思い、目を瞑る。

 ──育児放棄、児童虐待年々増加。

 脳裏によぎる新聞の見出し。美咲だけではない。今なお増え続ける児童虐待は、きっと人間が在り続ける限り無くならないだろう。

 ──考えるな。

 救えなかった命の事など考えるな。俺は沢山の命を全て抱えることのできる人間じゃない。だから──。


「考えるな……」



 

 次の日、勉強の後のお楽しみ──特撮ヒーロー番組の視聴──を楽しんでいる美咲を盗み見る。少しでもいい、クリスマスプレゼントのヒントを得たい。


「ヒーロー、か……」


 ふと思い出したのは、子供の頃の話。枕元にヒーローのソフビが置いてあったことが──。


「あ、そうか」


 以前美咲が陳列されているソフビを見ていたのを思いだした。なら、そういった玩具を用意するのも一つの手だろう。

 再生が終わるタイミングを見計らって、声をかける。


「なあ、美咲。ヒーロー好きか?」

「あ、はい。好きです」

「そっか。なんでだ?」


 少し沈黙して、


「わたしには味方がいなかった……けど、わたしの知らない世界には、誰かのために行動できる人がいる……きっと、彼らとわたしを助け出してくれた人を重ねて見ているのかもしれないです」


 自惚れるわけではないが、美咲が言う人物とは俺のことだろう。少し嬉しい気持ちになる。


「でも、その人はずっとここにいるわけではないから……寂しいです」

「そうか……俺がずっと家に居てやれたらいいんだけどな」


 何か、代わりになるものを用意できればいいのだが。


「美咲、先に風呂入ってこい」

「はい」


 美咲が部屋を出てから、スマートフォンを起動する。通販サイトのアプリを立ち上げて、マスクドドライバーと検索をかける。


「ソフビか……」


 目についた主人公のソフビ人形をカートに入れる。

 ふと、これが代わりになってくれるかもしれないと思った。よくドラマである展開で、別れ際に何かを渡して、これを私だと思って大事にしてねと言う。ベタなシーンではあるけれども、脚本次第でいくらでもいいシーンにできる。

 上手くやれば、俺が不在の時の彼女の寂しさを埋めれるかもしれない。


「それと、サンタからは──うん、これがいい」


 選んだのは刀剣型の変身アイテムだ。ブレスレットにセットして変身する。

 なりきり遊びは大切だと思っている。なりきって遊ぶうちに、キャラクターに入り込んでいく。そうすることで得るものもあるだろうし、なによりも楽しい。

 以前美咲がこっそりとなりきり遊びをしていたのを見かけたのも決め手の一つだった。

 結局その二つを注文し、コンビニ受け取りで配送してもらうことになった。

 便利な時代だ。何を買うにしてもインターネットで買える──車のように現物を見たほうが良いものもあるが。とりあえず、プレゼントはこれで決まりだ。


「あの、あがりました」


 と、良いタイミングで美咲が戻ってきた。


「ん。じゃあ、風呂に行ってくる。部屋で待っててくれ」

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