もうすぐクリスマス──part1

「ん──朝か」


 ぼんやりする頭で天井を見上げる。隣には自分以外のぬくもり。すっかり慣れたぬくもりだ。いつもと違うのは一つだけ。彼女が寝巻き姿じゃないということだけだ。


「風呂、沸かしなおさないとな」


 美咲を起こさないように、ゆっくりと布団から抜け出す。


「う──寒いな」


 扉を開けて廊下に出ると、冷たい空気が思考をクリアにしてくれた。とはいえ考えることもなく、あったとしてもせいぜい朝飯の内容を考える程度だが。

 確か、鯖があったはずだ。なら鯖の味噌煮にして、後はほうれん草の胡麻和えと味噌汁で決まりだろう。味噌が重なるのは許してほしい。

 とはいえ和食には大豆、あるいはその加工品がふんだんに使用されるものだから仕方がないのだろう。

 そうやって考えているうちに、浴室までやってきていた。湯の量が問題ないことを確認して、追い焚きのボタンを押す。

 便利になったものだ。知識として知っている範囲だけれど、昔は息を火に吹きかけて湯を沸かしていたらしい。そんなの疲れるに決まっているし、何より一人暮らしでは油温の調整すらままならない。


「ホント、電気様万歳だよな」


 ぼそりと呟く。浴室を出て、脱衣所で着替えて今度はキッチンに。

 冷凍庫を開けると、鯖の半身が四切れあった。記憶通りだ。

 ザルに鯖を袋ごと入れて流水で解凍する。その間にほうれん草を野菜室から出したり、まな板と包丁を用意したりする。

 時刻は六時ちょっと前、まだ外は薄暗い。今から調理すればいつもの時間に食べれるはずだ。


「慎二さん」


 そうやって調理していると、後ろから声をかけられた。


「おはようございます」

「おはよう、美咲。風呂沸かしなおしてあるから入ってこい」


 声の主に返事をしてやる。


「はい、じゃあ入ってきます」


 トテトテ、と小さく足音を立てて、美咲が風呂に行く。それと入れ替わりで輝子が居間に入ってきた。


「良い匂い。ね、今日の朝ごはんは?」

「ああ、今日は鯖の味噌煮だ」

「やった、味噌煮大好きなんだよぉ」


 手を上げて喜びを表現する輝子。どことなく子供っぽい。


「ところで、美咲ちゃんはどこに行くの?」

「風呂だ。結局入らずに寝てしまったからな」

「朝風呂かぁ。いいなぁ、乱入してこようかな」

「それはダメだ」

「なんでよー」


 ぷう、と頬を膨らませて抗議する輝子。けど傷痕を見られるのは嫌だろうから、止めておいた。


「退屈だなー。ねえ慎二、なんかないの?」

「ない。大人しく座って待ってろ」

 



「いただきます」

「いっただっきまーす」

「いただきます……」


 三者三様、個性あふれるいただきますが響き、続いて箸を動かす音が奏でられ始める。


「ん、今日の味噌煮いつもと違うね」

「ああ。八丁味噌が手に入ったんで、使ってみた」


 いつもより渋い味付けの鯖の味噌煮。これはこれでなかなか美味しいが、やはり馴染み深い味のほうが良いなと思う。


「美咲、今後の勉強なんだけどさ」

「はい」

「俺たちが教えられる時間って結構少ないんだ。だから、自分でできそうなものをリストアップしておいた」

「自分で、ですか?」

「ああ。解説書などを読んで学習できるもの選んだ」


 昨夜、輝子が風呂から上がるまでの時間で、眠気と闘いながら作ったリストを思い出す。


「今日はまだ資料が用意できてないから無理だけど、輝子が持ってきてくれるから、明日からできるはずだ」

「あ、ありがとうございます」


 美咲が小さな笑みで答える。


「うんうん、良い笑顔だ──って、ヤバ! 今日早く行かなきゃいけない日だった!」


 輝子が突然声を荒げて、食事のペースを上げた。


「ご馳走様! じゃあ、行ってくる!」


 こちらの返事も待たずに居間を飛び出る輝子。全く、忙しない奴だ。


「なんか、良いですね。こういうの──家族ってこんなかんじなのかな」


「そうだな。これが家族の──まあ、普通の家にある光景なのかもしれないな」


 千差万別、家庭環境はそれぞれ違うから少しだけ濁しておく。けれど、我が家庭は些か特殊であるのは間違いないだろう。

 一企業の子息。

 ヤクザの一人娘。

 親のいない子供。

 これは普通の家庭においてあり得ない組み合わせだと思う。けど、普通でなくとも俺たちは家族だ。少なくとも俺はそう思っている。


「って、もうこんな時間か」


 ふと時計に目をやると、針は七時半を指していた。始業時間が八時半だから、後一時間しかない。

 急いで食事を済ませると、お皿を流しに。洗剤をスポンジにつけて洗い始める。


「ごちそうさまでした」


 美咲も食事を済ませたようだ。流しに下げられたお皿を手早く洗う。

 慣れた作業だ。一人分の食器が増えた当初は少しだけ手間取っていたものの、数日で以前と大差ない時間にまで短縮できるようになっていた。

 程なくして全て洗い終わった。時間は七時四十五分。


「じゃあ、行ってくる。四時半ぐらいには帰れるはずだから、待っていてくれ。昼飯は、鍋の中に鯖の味噌煮が一切れ残っているからそいつをレンジで温めて食ってくれ」


 手を拭きながら、数回のブレスを挟んで言い切る。


「わかりました」

「悪いな、朝と一緒のおかずで」

「いえ、食事があるだけ有難いですから」


 なんとなく後頭部に手を当てて、頭を掻く。どうやら彼女は、食事を用意してもらえる事に感謝しているようだ。

 悪い気はしないけど、それよりも別の物に感謝しなくちゃいけない。

「本当はそれが当たり前なんだ。そりゃ、食糧生産をコントロール出来ていなかった時代なら食えるだけでいいかもしれないけどさ。今は食料が豊富にあるんだから──少なくともこの国には。だからそれが当たり前じゃなきゃいけない。けど、食材に対する感謝の気持ちを忘れてはいけない。生きるとは他者の命を喰らうこと。だから、その命に対する感謝だけは忘れちゃいけない」

「食材に対する感謝……」


 いまいちピンときてないようで、顔を傾げている。確かに難しい事柄だと思うし、俺でもそれに気がつくのに結構な時間をかけてしまったから、仕方がないのかもしれない。


「ま、今はこの言葉を忘れないようにな。そのうち理解できると思う」


 ポンポン、と美咲の頭を撫でるように叩く。力は無く、優しく。


「じゃ、行ってくるよ」

「はい、いってらっしゃいませ」


 居間を出て、玄関で鞄を手に取って靴を履いた。外に出れば、外気は室内とは比較できないほど寒かった。



 

 昼休みになる。


「慎二! 今日も弁当か?」

「いや、残念ながら今日は学食だ」


 清は俺が弁当を持参すると必ずおかずを貰おうとする。美味そうに食ってくれるから悪い気はしないものの、食事の量が減ってしまうのは考えものだ。


「ちぇ。じゃあさっさと行こうぜ」

「同感だな。早く行かないと目当てのメニューが売り切れちまう」


 残念そうな清と一緒に教室を出て、食堂に向かう。その途中、幽霊の噂を数回耳にした。

 なんでも、目撃情報が入らなくなったとか。当たり前だ。だってその幽霊──美咲は家にいるのだから。

 食堂は混み合っていた。食券機の列に並んで、待っている間に今日の晩飯の内容を考える。昨日は炒飯だったから、今日は洋食か和食か。


「お、今日の定食はコロッケか。じゃあそれにするかな。慎二は?」

「俺はオムライスだが──コロッケか、いいな」


 ほっくりとしたジャガイモと牛肉のミンチ、塩胡椒で味付けしてある。そこにソースをかけて──。


「今日の晩飯、決まりだな」

「なんだ、今日はコロッケにすんのか」

「ああ。残ってたら明日持ってきてやるよ」

「絶対だからな」


 食券機から券を取り出しながら清が言う。続いて俺も小銭を食券機に投入して、オムライスのボタンを押す。小さな券は、しっかり持っていないと無くしてしまう事もある。

 食券をカウンターの人に渡して機械を受けとる。灰色で小さい板のような機械で、スピーカー穴が付いている。

 適当な席に座る。


「そういや今週末はクリスマスだな。慎二は予定とかあるのか?」

「残念だけど無いんだな、これが」

「ホントか? この前女の子と一緒に歩いているとこを見たぞ──確か一ヶ月ほど前だったか」


 一瞬ギクッとしたが、一ヶ月前であるのなら、相手が美咲ではないことに気がついて安堵する。


「ああ、アイツは──腐れ縁だ。てかお前も知ってるだろ? 輝子だよ」

「ああ……確かに半年以上もあってないもんな。ずいぶんと印象が変わったもんだ」

「そうかな。家じゃ全然変わらないからな──しかしクリスマスか」


 クリスマスにはいい思い出がない。なぜって、俺の実家がおもちゃ屋だからだ。特撮ヒーローのパワーアップはクリスマス直前、大作ゲームソフトの発売もクリスマス直前。

 この時期になると親父はよく言っていた──クリスマスは稼げるから、キッチリ新商品を出すんだ──つまり、年末商戦というわけだ。それに向けて泊まり込みで仕事をするもんだから、クリスマス前後は寂しい思いをしていた。

 もちろん全て終わった後はその分まできっちり一緒に過ごしたのだが。


「何か良いプレゼントは無いかな……」


 美咲には、そんな思いをして欲しくない。思い出に残るクリスマスにしようと思う。


「なんか言ったか?」

「いや、なんでもない」

 



 帰路につきながら、クリスマスについて考える。プレゼントとケーキ、あとご馳走があればとりあえず良しだろうが、それではつまらない。

 スマートフォンを取り出して電話をかける。


「もしもし」


 電話の相手が出る。ややくぐもった、電話特有の音声だ。


「輝子? ちょっと相談があるんだけどさ」

「相談? いいよ、何?」

「ほら、もうすぐクリスマスだろ。それで──」

「パーティーでも開きたいって?」


 少し驚いた。


「よくわかったな。けど、どうすればいいのかがイマイチ分からなくてさ。ほら、実家が玩具メーカーだからさ。親父たち忙しそうにしてるだろ、この時期」

「確かに──じゃあさ、今年のクリスマスが丁度土日にかぶっているわけだし、どっか出かけるってのはどう?」


 確かにいいアイディアだ。三人で出かけたら面白そうだし、人のいるところに慣れさせる事もできる。問題はどこに連れ出すかだ。あまりに人が多い場所はまだ早い。


「遊園地とかはまだ早いと思う。人が多いからな。混み合うクリスマスシーズンであることを考えれば、選択肢は限られるぞ」

「そうねぇ……」


 少しの間沈黙する。ややあって、


「じゃあ、機構町の商業施設とかどう? 大体の人は生園町に集中するからクリスマスといえそこまで混まないと思う──ゲーセンとか以外なら」

「機構町か……」


 機構町の商業施設とは、主にその周辺で働く労働者に向けて作られた建物だ。華々しさでいえば生園町のウッドキャッスルには及ばないが、その代わり機構町の工業施設で作られた物が売られていたりする。

 アクセサリー類なんかも置いてあって、なかなか面白い場所だ。


「いいな、それ」

「でしょ? で、家に帰ったらご馳走食べて、ケーキを食べるのよ──前日夜に焼いておけば飾りつけるだけで済むでしょ?」


 確かに、ショートケーキの土台、スポンジケーキの部分は基本的に前日に作る。ご馳走も、下準備を事前にすれば出来ないこともなさそうだ。


「じゃあそのプランで行くか。後はプレゼントだな──そもそもサンタクロースの存在を美咲は知っているのか?」

「多分知らないと思う」

「だよなぁ」


 ならその知識を植え付けるところからだろう。古来よりこういった場合には絵本などを用いる。今回はそれに習おう。


「助かったよ。じゃあまた後で」

「また後でね」

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