孤独の涙

 美咲と暮らし始めて一週間ほど経った。

 一週間もの間高校を休んでいたので、流石に行かないとまずいなと思う。


「じゃあ、行ってくる。何かあるといけないから、誰か来ても絶対に開けない事。何か問題があったら俺の携帯に電話をしてくれ。番号は電話の隣に貼ってある。飯は机の上にラップを掛けて置いてあるから昼時に食ってくれ。じゃ」

「はい。いってらっしゃい」

「ああ、いってきます」


 小さく笑って見送ってくれる美咲に手を振って家を出る。


「清のやつ、絶対色々聞いてくるだろうな」


 通学路を歩きながら憂鬱になる。一度食いついたら吐くまで離さない。スッポンの清は、食いついたら絶対に離しませんよ、と言っていたのを思い出す。


「よう、慎二。一週間ぶりじゃないか」


 商店街を抜けたところで、その人物が話しかけてきた。どうやら待ち伏せしていたらしい。やけにニヤついている。


「ああ、久しぶりだな」

「一体全体どうしたっていうんだ。一週間も休んじまってよ。出席日数足りなくなっても知らないからな」

「そうだな。色々あった、とだけ言っておく」

「色々ってなんだよ──あ、もしかして女か? キャバ嬢にでも入れ込んだか」


 この不良が、と肩を組んでくる。その腕を払い除けて、露骨なため息をついてみせる。正直言えば鬱陶しいからだ。


「違う。そうだな、家族が増えたからその手続きやらなんやらだな」

「ん? なんだよ、ペットでも飼ったのかよ。いいなぁ。アパートじゃ小鳥すら飼えないぜ」

「ペットじゃない。家族だ」


 ムッとして言い返す。美咲は人間だし、家族だし、愛玩動物じゃない。そりゃ、たしかに小さくて小動物みたいに見える時もあるけど。


「そう怒るなって、悪かったよ。それで、休んでいた間、勉強はやっていたのか?」

「全然やってないな。ま、もうほとんど卒業も決まったようなもんだし、大丈夫だろ」

「そうだな。けど、慎二は大学に受かったんだろ? なら勉強はしないとついていけないぞ」

「それを言われると弱る。ま、地道にやっていくさ」

「そうしろ。それから、これ宿題な。写して返してくれ」




「ただいま」


 大きめの声で言いながら家に入る。時刻は四時半ごろ。鞄を置いて、美咲がどこにいるか考える。


「居間かな」


 予想をつけて居間に向かう。扉を開いて、室内を見渡してみるが、いない。


「部屋にいるのか──ん?」


 机の上に、昼飯用に作っておいた炒飯が置いてあった。ラップは掛かったままで、手がつけられた痕跡はなかった。


「飯を食っていないのか?」


 美咲の部屋の前に向かう。ノックをしても反応は無い。となると、俺の部屋だろうか。俺の部屋に入る。


「美咲?」


 部屋の隅に美咲がいた。膝を抱えて座り込んでいる。表情は見えないが、落ち込んでいるようにも見えた。なら何か言葉を掛けないといけない、そう思って近づいていく。


「あ、慎二さん……」


 美咲が顔を上げる。目元は赤く腫れ、目が充血していた。泣いていたのだろう。ゆっくりとこちらに近づいてくる彼女の足取りは不安定だった。


「良かった……」


 恐る恐る美咲が抱きついてきて、消え入りそうな声で呟いた。震えている。


「不安でした……また、一人にされたんじゃないかって」


 ああ、そうか。それで理解した。彼女は──美咲は一人でずっと座り込んでいたのだろう。

 不安でしょうがなかったはずだ。この世界において、自身を認めてくれる人が居なくなったのだから。

 罪悪感で押しつぶされそうになる。どんな言い訳をしたところで、俺が彼女を一人にしてしまった事は事実だ。


「……一人にしてごめん、美咲。それと、ただいま」

「はい、おかえりなさい」


 美咲が小さく笑みを浮かべた。それと同時に、クゥという可愛らしい音が鳴り響いた。緊張が解れて、腹の音が鳴ったのだろう。


「あ、ごめんなさい」

「大丈夫だよ。腹が減ったろ? 晩飯にはちょっと早いが、たまにはそんな日もいい」


 美咲と一緒に部屋を出て、居間に移動する。ストーブに火を入れ、


「炒飯温め直すから、ちょっと待っててくれ」


 炒飯を電子レンジに入れて、自動温めを押す。ターンテーブルが回って、温まるまで一分強。スプーンを出して待つ。


「はい、お待たせ」

「あ、ありがとうございます──いただきます」


 美咲がスプーンを手に取って、炒飯を口に運ぶ。しっかりと味わっている様子で咀嚼する。その表情がすごく美味しそうで、嬉しくなった。


「今まで……」


 突然、美咲が声を出した。


「今まで、一人でも平気でした……けど、今日は違った。平気だと思っていたけど、慎二さんが居なくなると、この家がとても広く感じて……寒くて……帰ってこなかったらどうしようって、不安で……」


 スプーンを持つ手が震えている。


「そうか……美咲、俺の帰る場所はここだし、お前の家もここだ。約束する、美咲を置いて消えたりしないって」


 膝をつき、目線を合わせてそう言った。


「学校には行かなくちゃいけないから、寂しい思いはさせてしまうかもしれないけど、それだけは約束する。絶対だ」


 小指を差し出すと、

「うん……約束です」


 美咲が自分の小指でそれに応えてくれた。小さい笑顔を、顔に浮かべて。


「たっだいまー! ってあれ、どうかしたの?」


 指を離したのとほぼ同時に入ってきた輝子に、場の空気が一気に暖かくなる。それが何故か笑えてしまって、美咲と二人で吹き出した。


「いや、なんでもない」

「もう、なんなのさ。いきなり笑い出してさ」

「はは、気にしないでくれ」

「む──一体なんなのよう」

「なんでも、ないです……」


 笑いを噛み殺した様子で美咲が言う。口角が上がりっぱなしだ。


「ああ、笑った──うん、やっぱりそっちの表情のが良い」

「だね。美咲ちゃんは可愛いんだから、もっと笑わないと」

「か、可愛いですか……」

「そうよ」

「そ、そんな事ないと……思いますけど」


 顔が赤くなる。目線を少し下に下げた美咲が可愛らしい。


「輝子、その辺で──美咲がオーバーヒートする。確かに可愛いけどさ」

「それもそうだけど──慎二、それノックアウトだと思う」


 ドサリ、と音を立てて美咲が後ろに倒れる。


「わたし──」


 ──こんなに幸せでいいのかな、と美咲が呟いた。

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