戸籍と施設

「美咲、今から来客があって、大事な話をする。美咲にも関係のある話だから同席してもらいたいが、大丈夫か?」


 次の日。朝食の後、美咲に聞く。


「はい、大丈夫です……誰が来るんですか?」

「ああ。東堂龍って人が来る。この辺一帯仕切っている極道の大親分で──」

「わたしのお父さんだねー」


 煎餅を齧りながら輝子が話に入ってくる。


「極道……ヤクザですか?」


 美咲の声が強張る。確かにヤクザといえば強面で、恫喝殺し違法薬物なんでもござれな無法者というイメージが強いかもしれない。けど、


「だいじょーぶだよ。お父さんはそこらのチンピラヤクザとは違うんだから」

「そうだ。龍さん──というより東堂組の人たちは確かにヤクザだけど、市民の味方なんだ。困っている人を見かけたら助けずにはいられない。そんな人たちの集まりだから、心配しなくてもいいさ」

「そうなんですか? ちょっと驚きです」


 目を見開いて美咲が驚く。


「組にいる健二くんなんてね、この前お母さんとはぐれた子供を肩に乗せて町中探し回ってたんだから。アキオくんは屋根に穴が空いたお家にお邪魔して無償で直してあげたんだから」


 えっへん、とまるで自分のことのように言う輝子。それだけ彼らの事を大切に思っているのだろう。それは良いのだが、


「他にもねぇ──」

「輝子、話が進まん。組員自慢ならまたの機会にしてくれ」

「えー」

「えー、じゃない。そろそろ来るんだろ? お茶の用意しなきゃいけないから手伝ってくれ」

「普通客人の娘に茶を入れさせるかってのよ」


 文句を言いながらもキッチンに移動して、手慣れた様子でやかんに水を張り始めるのが、輝子らしい。


「で、美咲に話してもらいたいのは、自分のことだ。話せる範囲でいいから」


 湯呑みを出しながら美咲に言う。その後で会話相手を輝子に変えて、


「決めなくちゃいけないのは、戸籍のこと。あとは法律をどうクリアするかだ。現状ではえっと……」

「未成年略取か、誘拐かになるかな。だから現在進行形で慎二は犯罪者街道まっしぐらなわけ。けど親告罪だからとりあえず問題はないと思う。彼女の親の顔は調べればすぐにわかるし、あとは鉢合わせて気が付かなければ問題無し。美咲ちゃん、捜索届──お父さんかお母さんが警察に、探してくださいって言う可能性はある?」

「あ……多分無いと思います。暴力はありましたけど、基本興味無しでしたから……きっと、気がついても探さないと思います……」


 輝子が息を飲む。肩が震えて、その感情がこちらまで伝わってくる。

 怒り。

 その感情が輝子を支配している。気持ちは俺もわかる。自分獅子の中に憎悪の感情が渦巻き始めているのが、はっきりと自覚できた。


「落ち着け。今は感情で動くときじゃない」


 だからこそ、冷静に。感情は時に最悪な事態を引き起こす。


「けど……そう、わかった」

 



 それからしばらくして、家に東堂龍がやってきた。居間に通して、お茶を用意する。


「ふむ……上質な葉ではないが、入れ方がいい。うちの若いもんでは無理だな」

「どうも」

「いや、若いのが言っていたぞ。慎二の飯が食いたいってな」

「じゃあ、また作りに行かないといけないですね」

「ああ、頼む」


 目の前に座ってお茶を飲んでいる男が、東堂龍だ。厳つい顔に、立派な口髭。高級スーツが見るからにヤクザですといわんばかりだ。今年で五十になる。


「それはそうと、そちらのお嬢さんが噂の?」

「あ、はい……えっと……」

「桐山美咲です。名前がなかったもので、俺が名付けました」


 言い淀む美咲の代わりに紹介する。


「名前がない、とは。それはいけない。名前とは大切なものだ。名付けた者の想いや願いが込められている。美咲とは良い名を貰ったな。大切にするが良い。それで、法的な彼女の状態は」

「戸籍が無い、すなわち存在しない人間という事に」

「ふむ……戸籍を用意するのは難しいな。美咲、という人物で年齢が一致している戸籍が偶然流れてくれば話は別だが」

「では、学校には通えない?」

「いや。文部科学省のホームページにも明記されているが、手続きを行えば速やかに就学できるようになっている」


 ただ無感動に、話を進める。感情的な話を入れてしまえば、きっと関係のない話になる。それを俺も龍さんもわかっているから、淡々と進めていた。


「ただ、手続きに際して保護者が必要になる。その時に保護者になるのは慎二だが、どう説明する?」

「それは……」


 誘拐した子供ですだなんて言えないし、かと言って親ですと言ったら年齢でバレる。


「方法がないわけではないが……美咲ちゃんは今何歳かね?」

「あ、十五です……」


 一瞬、龍さんが顔をしかめる。


「親の屑が……」聞き取ることすらなかなか難しい声量で彼がそう言って、「となると中学は無理だ。年齢的にな」

「高校に入らせる事になる?」

「いや、学力が足りん──お前、試験のことを忘れてただろ」

「む……いや、まあ忘れてました」

「だから、とりあえず家で勉強をする事だ。学力が相応になったら、試験を受けさせろ」

「わかりました」


 龍さんがお茶を飲む。雰囲気だけで、話の転換点だと理解できた。


「で、戸籍をどうするか。一番手っ取り早いのは、彼女の両親が既に死亡している、という事実をでっち上げる事だ」

「死亡している?」

「そうすれば何処かしらの施設に在籍する事になる。その過程で戸籍を取得させることも、不可能ではない」


 話が、龍さんの考えが見えてくる。


「つまり、東堂組傘下の施設に籍を置き、場合によってはそちらに預けると? それは反対です。今の彼女に――」


 必要なのは施設じゃない、と言おうとする俺の言葉を遮って、


「――早とちりするな。彼女の精神面を鑑みれば、誰だってそれが良くない手段だと気がつく。あくまで籍を置くだけだ。それで不自由があるのなら、養子に出た、という事にすればいい。そうすれば堂々と街を歩ける」

「彼女の親と鉢合わせた場合、どうすれば?」

「人違いだと言えばいい。それでダメなら、組に連絡してくれ。木城市は我々の街だ。住民を助けるのは、外道に堕ちた我々の役目でもある」


 その言葉は力強く、頼もしかった。間違いなく助けてくれる。たとえ、どんな手段を用いたとしても。


「じゃあ、とりあえずはそれで。手続きはやっておく」

「助かります」


 それで、問題は解決した。裏社会の人間はこういうとき頼りになる──本来は頼ってはならない相手だと理解してはいるが、どうしても頼らざるをえない状況もあるのだ。


「しかし、あれだな。あんなに泣き虫だった慎二が、まさか誰かを守る立場になるとはな」

「一体いつの話してるんですか、それ」

「五年前だ。よく泣かされてる所を、輝子が助けていただろう?」

「う……」


 そう。五年前、クラスに馴染めなかった俺は虐められていた。

 たいそうな理由なんてないんだと思う。理由なんて、クラスにとっての異端者──つまり、馴染めない者──ってだけで十分なんだろう。

 けど、幼馴染みの輝子だけは一緒にいてくれた。彼女は強い。

 柔道、剣道、弓道に精通し、近接戦闘では柔道を中心に、空手やボクシングを組み合わせて闘う。剣道は全国大会優勝。弓道は百発百中だ。もっとも、弓道の重要の部分──射の美しさが疎かになっているが。

 そういうわけで、彼女に勝てる者は同年代にはいなかったのだ。


「誰かに助けられた分、他の誰かを助ける。これはあなたの教えです」


 これだけは忘れていない。


「ああ、そうだったな……」と、龍さんは感慨深いような雰囲気で目を瞑り、「手を取ったなら最後まで守り抜け。それが、お前の義務だ」


 目を開けて、しっかりとこちらを見据えてそう言った。

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