正義の味方

「よし、これで観れるはず」


 居間のテレビにブルーレイプレイヤーを繋ぎ、マスクドドライバーサムライのブルーレイディスク──発売前につき放送されたものをダビングしたもの──を再生する。

 マスクドドライバーサムライは、太古より人類の脅威であり続ける鬼神きしんと、鬼神と闘うことのできる血筋の子孫である主人公が闘う物語だ。一年かけて放送されるマスクドドライバーシリーズに熱中する特撮ファンからの評価も今のところ高い。

 とはいえ、前半高評価にも関わらず、後半低評価な作品もあるのでなんともいえないが。


「さて、こちらも済ませちまうか」


 美咲がテレビに集中している間に皿洗いを済ませる。幸いほとんど終わっていたので、ほんの数分で終わった。

 続いて美咲が切った髪を処理する。落ちないように新聞紙ごと丸め、庭に出る。


「うわ……今日も寒いな」


 ぼやきながら庭の隅に移動する。そこには大きなゴミ箱が複数置いてある。分別して捨てれるようにだ。

 その中の一つ、一番右のゴミ箱に捨てる。燃えるゴミの箱だ。目的を達成したら寒い中外にいる理由もないわけで、さっさと戻る。

 居間に戻る前に、脱衣所の奥の部屋に行く。掃除道具が入れられた部屋から粘着クリーナーを持ち出し、ついでに脱衣所に寄って浴室に入る。栓をして、自動湯張りのボタンを押してから居間に戻った。

 暖房が暖かい。居間に戻ってまずそう思った。僅か数分外に出ただけで随分と冷えてしまったらしい。暖房を考えついた人間にノーベル賞を与えるべきだ、と思う。

 そんなバカなことを考えながら粘着クリーナーで髪の毛を集める。わずかに新聞紙から溢れた髪の毛が集められたので、粘着面を一枚剥いてゴミ箱に。

 一息ついて座り込む。テレビを観れば、ちょうど主人公が変身するシーンだった。


『目の前で誰かが傷ついているのなら、助けを求めるのなら……俺はその手を掴みたい。全てを救えなくても、目の前の人間を助けたい! それが、正義の味方になるということだ!』


 画面の中で主人公が叫ぶ。


「正義の味方……」美咲が呟き、「わたしにとっての正義の味方は、慎二さんですね」

「そう言ってくれるのは素直に嬉しいが……俺は」


 正義の味方じゃない、と言おうとして思い直す。彼女にとっての正義の味方とは、おそらく自信を救ってくれる者なのだろう。


「そうだな、俺は美咲の味方であり続けるよ」


 美咲が小さく頷いた。

 画面の中で、主人公が敵を倒した。エピローグと次回予告が流れて、終わった。


「あ……終わっちゃった……」

「そうだな。夜も遅いし、風呂入ってこい。パジャマとタオルはそこの袋から持っていけばいい」


 山積みの袋──ショッピングモールで買い込んだ物の山を指差す。日用品を手前に置いておいたから、すぐ見つかるはずだ。


「あ、はい。わかりました」

 



 のんびりとテレビを観ながらお茶を飲む。よくあるワイドショーの内容は全く持って頭に入ってこない。俺自身がそれに興味を抱けないせいなのか、あるいは別の要因があるのかは判らない。


「あの……お風呂上がりました」


 声がした。テレビを消して振り返ると、水色のパジャマを着た美咲が立っていた。


「ん、上がったか。行ってくるから先に寝てな──今日はどうする? また一緒に寝るか?」

「あ、その……お願いします」

「ん、わかった。じゃあさっさと行ってくるから部屋で待ってろ」


 立ち上がって、ふと思い出した。


「そうだ、これやるよ」


 部屋の隅に山積みになっている日用品の奥、玩具屋の袋からうさぎのぬいぐるみを取り出して手渡す。


「これは?」


 不思議そうな顔を浮かべる美咲。


「出会った記念。後はまあ、俺が美咲に似合いそうだと思ったというかなんというか……」


 言っているうちに恥ずかしくなってくる。これ以上会話をしていたら、支離滅裂な事を言ってしまいそうだ。


「とりあえず、そういうわけだから。じゃ、風呂行ってくる」


 半ば押しつけて逃げるように脱衣所に移動する。


「まったく、ただ普通に渡すだけだろ……そりゃ、誰かに物をあげるなんて初めての経験だけどさ……」


 自分の情けなさが嫌になる。けれども、過程はともかく結果として渡せた。最初はそれでいいだろう。

 服を脱いで、浴室に。寒いので急いでシャワーを浴び、髪を洗う。

 次いで掛けてあるタオルと石鹸で体を洗い、石鹸を落としてから浴槽に入った。思わず変な声が出てしまったが、仕方がない。寒いのだから。

 こうしてお湯に浸かっていると、平和を実感する。とりわけ寒い日にはずっと浸かっていたいと思うぐらいには穏やかな時間だ。

 ふと、美咲がこの時間をどう感じているのかが気になった。美咲にとってこの時間──のんびりと風呂に浸かるという時間は、きっと初めての経験なのだろう。

 それを、優しい時間と捉えているのか。それとも別の捉え方をしているのか俺には解らない。けど、俺は彼女にその時間を当たり前の優しい時間として感じて欲しい。


「ま、すぐには無理だろうな……」


 長い時間かけて壊された心は、より長い時間をかけて修復しなければならない。否、修復という物言いは不適切だろう。

 心は消耗品だ。使えば使うほど擦り減っていく。そしてそれは直すことができない。

 だから、厳密にいえば修復というよりは補修。擦り切れた分、別のもの──他者からの愛情や、あるいは精神薬やカウンセリングで補強するしかない。

 しかし、別の材質で補強した部分は脆い。何かのきっかけで穴が開き、壊れた部分が顔を出す。それが数ある心的外傷後ストレス障害の原因の一つだと、俺はそう考えている。

 美咲の精神状態がいまどのくらいまで悪化しているのかは正直わからない。それは心療内科に診断してもらうべきだ。けど、これ以上悪化させないように最善を尽くす事はできる。

 つまり、俺がやるべきなのはたった一つ。


「美咲を、全力で幸せにするだけだ」



 

「お待たせ、美咲」


 自室に戻る。美咲は布団の上でぬいぐるみを抱きしめて、顔を埋めている。それをみるにどうやら気に入ってもらえたようだ。


「あ、慎二さん……」

「気に入ってもらえたようだでよかった。じゃ、寝ようか」


 電気を消して、布団に潜り込む。美咲が俺の横──腹部のあたりに寝転がった。ぬいぐるみを間に挟んで、俺に抱きついてくる。

 だいぶ気を許してくれているのか、それとも無意識なのか。けど、安心したような表情の美咲を見ていると、嬉しくなった。


「おやすみなさい……」


 トロンとした表情を一瞬浮かべた美咲は、そのまま寝息を立て始めた。


「ああ、おやすみ」


 そう呟いて、俺も意識を手放した。

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