半同居人との出会いと、傷跡
目を覚ますと、何やら違和感があった。懐が妙に暖かい。
「あ、そうか。そうだったな」
少ししてその理由を思い出した。目を向けると美咲が眠っていた。昨日は彼女と一緒に寝たのだ。
「……ん」
ゆっくりと美咲が目を開ける。
「──あっ。ごめんなさい……先に起きないといけないのに……」
彼女の顔が青ざめていく。ゆっくりと眠る、という当たり前さえ許されなかったのが、やるせない。
だから、俺の行動は決まっていた。
「大丈夫だから、もうちょっと寝てろ。俺は飯作ってくるからゆっくりしてな」
彼女の髪を撫でて、起き上がる。机の上の時計は午前五時半過ぎを示していた。俺には当たり前の起床時間でも、美咲に――というか未成年には早すぎるぐらいではないだろうか。
部屋を出て脱衣所に。箪笥からジーンズのズボンとシンプルなTシャツを取り出して着替える。パジャマはカゴの中に。
着替えると、俺が着たのと同じ組み合わせの服を持って自室に。脱衣所と他の生活空間が離れているのが少し面倒くさいと思っているものの、今更この往復を変えるつもりはない。
机の中にあるメモ帳とペンを取り出して着替えと書く。服を布団の横に置いて、その上にメモ書きを置いた。
続いて居間へ。ストーブを起動させる。俺自身は暖房器具に頼らなくても割と平気なのだが、美咲がいるからには暖めておく必要があるだろう。
しっかりと稼働していることを確認してからキッチンに移動し、手を洗いながら献立を考える。メインは昨夜買った鮭、味噌汁に白米。あとはほうれん草のお浸しあたりを作ろう。
まずは米を炊く。米を洗って炊飯器へ。続いて鍋に水を入れて、出汁パックを放り込む。そのまま火にかけているうちに鮭三尾に塩を振りかけておく。
別の鍋に水を入れて火にかけ、ほうれん草を切ってラーメン調理用のザルに入れる。湯がいてそのまま水切りできる優れものだ。いろいろ活用できる。
で、味噌汁の具材を切る。大根が余っているので一口サイズに、ニンジンも同様にカットする。
そうしているうちに火にかけた水が沸騰したのでほうれん草を入れる。数十秒茹で、そのまま冷水で締める。浄水器の水は、冬場に限っていえばそのまま冷水として使えるほどだ。
ボウルにほうれん草を入れて味付け。そうしているうちに味噌汁の出汁が取れたので、パックを捨てて大根とニンジンを入れる。火が通りにくいものから煮るのは起訴中の基礎だ。
続いて鮭を魚焼きグリルに乗せ、着火する。味噌汁の具材が柔らかくなるまで煮て、味噌を投入。じっくり溶かして、味を確かめる。
「よし、完璧」
鮭が焼け、ご飯が炊き上がる。お皿三枚に鮭を一尾ずつ乗せ、お茶碗にご飯をよそう。お椀に味噌汁を注ぎ、小鉢にほうれん草のお浸しを盛る。
朝飯三人前出来上がり。そうしているうちに美咲が起きてきて、ドアに近い場所に座っている。時刻は六時半。
玄関のほうから原付が停車する音が聞こえる。ややあって玄関が開けられ、ドタドタと足音。居間のドアが勢いよく開けられる。
いつもの音だ。彼女が飯を食いにやってきた。
──ヤバイ、完全に忘れていた。
「おっはよー、慎二! あ、おはよう!」
「お、おはようございます……」
突然現れて美咲の目をパチクリさせている人物は、
「おはよう、輝子。飯できてるぞ」
平穏を保ちながら返事をする。何食わぬ顔で配膳を済ませると、輝子は定位置である美咲の横に座り、
「今日も美味しそうね!」
なんて目を輝かせている。
頼む、何も言うな。なんて内心思いながら俺も座った。
「じゃ、冷めないうちに……いただきます!」
という輝子の言葉を皮切りに、
「いただきます」
「いただきます……」
三者三様の声が、ややバラけて聞こえてきた。どうやら何事もなく終わってくれそうだ。
そう思っていたのだが、輝子が「これ美味しい!」なんて言いながら味噌汁を一杯飲み干し、ご飯を一膳しっかり食った後、
「……って、誰だこの子は! 慎二、説明プリーズ!」
ようやく違和感に気がついたらしい。俺の胸元を掴んで揺らしてくる。頭の中がかき混ぜられて、味の悪いシェイクが出来上がりそう。
「ちょ、ま、ストップ、ストップ!」
「すっごい自然に挨拶したけど、誰なのよ! まさか誘拐してきたんじゃないでしょうね!」
「する、説明するから、離せって」
パッと突然手が離される。思わずしりもちをついてしまって、痛い。
こうなるから祈っていたんだが、神というものは無常らしい。
「イテテ……もうちょっと優しく離せよな」お尻をさすりながら、「で、彼女は──保護したんだ」
「保護?」
「ああ。商店街でゴミを漁っていてさ。連れ帰って風呂入れて、飯食わせて病院に連れて行った」
「どうするつもりなの?」
「とりあえず親元には戻せない。施設もあれなんで、家で育てることにした」
「けど、それは犯罪──誘拐だよ。わかっているの?」
「わかってるさ。けどほっとけないだろ。だから輝子の親父さんに力を貸してもらおうかなって」
輝子の親父、すなわち龍さんを頼るのが最適解だろう。ヤクザだけあって法律にも明るい。
「ふーん」と輝子は少し考え込んだ後「話、通しておく?」
「ああ、頼む」
ふと、美咲が輝子に警戒しているのに気がついた。無理もない。
「美咲、この人は東堂輝子。俺の幼なじみで信用できる人だから安心していい。見てのとおり元気だけが取り柄、みたいな奴だな。で、こっちが美咲だ」
双方に紹介する。
「美咲ちゃんね。よろしく!」
「は、はい……よろしくおねがいします……」
「そいじゃ行ってくるね。今日は晩ご飯食べにくるから、そのつもりで」
玄関で輝子が元気に手を振る。彼女は大学一年で、俺とタメだ。不可抗力とはいえ、本当に情けない。
「じゃ、俺たちも行こうか」
隣で輝子を見送った美咲に話しかける。今の彼女は、輝子のおかげで髪が纏められている。これならある程度は邪魔にならないだろう。
「行くって、どこにですか?」
「生活用品を買わないといけないだろ。服とか、雑貨類をさ」
「服……いいんですか?」
「いいに決まってるだろ。そのくらい」
壁にかけてあるウエストポーチ──身軽さを重視する時に使っている──を取る。廊下に放置されているリュックサックから財布を取り出し、スマートフォンと共にウエストポーチに移動させ、
「行くぞ」
車に移動した。美咲が乗り込んだ後でエンジンをかけ、発進させる。
今日向かうのは、高校の近くにあるショッピングモール「ウッドキャッスル」だ。木城市一のショッピング施設で、この街の娯楽のほぼ全てはここに集約されている。
俺が留年してヤケになりかけていた時は、モールのゲームセンターでレースゲームに興じ、映画館でハリウッドのアクション映画やSF映画を立て続けに観るのが日課だった。
それだけではなくもちろんショッピングモールなだけあっていろんなものを売っている。とりわけ本屋はレアな洋書が売っていたりするので重宝していたりする。
「そういえば、美咲は読み書きや計算ってできるのか?」
本屋を思い出していると、ふと疑問に思い聞いてみる。
「あ、その……読みはできますけど、書きと計算は全然です」
「わかった。じゃあドリルとかも買わないとな」
ついでに昼飯も済ませて、モールで遊びまくるのもいいかもしれない。
そういうわけで、車を走らせること十分強。モールに到着した。立体駐車場の三階に駐車し、建物に入る。
開業して五年程度のショッピングモールは賑わっていた。流石に平日だけあって学生やサラリーマンはほとんど見受けられないが、そのかわり主婦層やフリーターらしき人物が買い物に来ているようだ。極々僅かにいるサラリーマンはサボりなのだろうか。
「じゃ、まずは服だな」
エレベータに乗り込んで二階のボタンを押す。エレベータが下降する時の浮遊感は結構好きだったりする。
エレベータを降りて右に曲がると、すぐにお目当ての店はあった。呉服屋「ファッションパライソ」だ。安くてしっかりとした服を取り扱っている。お店に入って女性服売り場に移動する。
「そうだな……色の希望とかあるか? 着てみたい服とかあったら遠慮なく言うんだぞ」
「あ……はい。ありがとうございます」
服を探す。冬物を中心としつつ、オールシーズン着れるものがあったり、わずかながら夏服があったりもする。
想像する。栄養をとって健康的な肉体になった美咲に似合うのはどの服だろうか。彼女は雰囲気が儚げだから、淡い色合いの服がよく似合いそうだ。
手に取ったのは薄いピンクのワンピース。裏地は暖かい素材でできている。近くにあった買い物カゴを手に取って、そのワンピースを入れた。
続いて手に取ったのはホットパンツ。三秒ほど見て、そっと戻す。彼女が望むのであれば良しだが、こちらからいう服装ではない。
「あ、あの……これとか、着てみたいです……」
美咲が服を持ってくる。淡い青色のTシャツと、白色のダウンジャケット。それとブラウンのパンツだ。
「了解──すいません、試着お願いします」
「あ、はい。こちらです」
女性店員がお店の端の方にある試着室に案内してくれる。
「ごゆっくりどうぞ」
「ありがとうございます。じゃ、待ってるから着替えてこい」
美咲を送り出す。直後、バッグが振動した。スマートフォンを取り出すと、画面には着信親父と表示されていた。
周囲に人がいない事を確認し、
「親父? もう調べてくれたのか?」
「ああ、問題ない。で、戸籍調査の結果だが──無かったよ。つまり、そういう意味では慎二が保護した子は存在しない子だ」
驚きはなかった。容易に想像できたことだから。だから、ただただ無感動に聞いていた。
ぼんやりと、美咲の戸籍を用意してやらないとな、どうしようかと考えていた。やはり龍さんに頼むべきだろうか、と。
「わかった、ありがとう」
電話を切る。それとほぼ同時に、
「あ、あの……どうですか?」
美咲が出てきた。厚手のダウンジャケットなら痩せすぎだと悟られることもないだろうし、何よりよく似合っている。
ただ、少し小さい。どうやら幼児用の物を選んだらしい。
「少し窮屈そうだな。一回り大きいの探してこようか──っ!」
思わず息を飲む。彼女の腹部に傷痕が見えたからだ。
周りを見る。変わらず周囲に人の目はない。そのまま彼女を試着室に押し戻した。
「悪い、美咲」
そのまま服をめくり上げる。
脂肪も筋肉もろくに無い腹部にあったのは、少し盛り上がった切り傷の痕や、タバコの火を押しつけられたと思われる火傷の痕。
腹部の左半分は茶色く変色している。これは熱湯か何かを広範囲にかけられたものだろう。
それに、つい最近出来たであろう殴られた痕と思われるものが、青紫のアザになっている。その中でも特に酷い、所々濃い色に変色している部位は内出血しているところだろう。
酷いと思った。こんなの、大人だって耐えられるかどうか。
「痛かったよな……苦しかったよな……」
この小さな体で、どれだけの痛みに耐えてきたのか。
「俺が、守るから……」
そんな彼女を、これ以上苦しませたくないと、心の底からそう思った。
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