病院と、彼女の家


 彼女が食事を終えたのを確認する。ようやく安心できた、といった表情だ。

 一通り食べることができたところを見るに、深刻なレベルまで到達していなかったのかもしれない。

 あるいは、無理をしてでも栄養を摂取しようとする本能が働いたのか。

 どちらにせよ、俺では彼女の体調を診断する事ができない。


「よし、そいじゃ行くか」

「え? 行くって、どこにですか……」

「病院だよ。診察してもらって、どうすればいいか知らないとな」


 ポケットに二つの鍵がついたリングをしまって、玄関に向かう。ゆっくり、美咲が余裕をもってついてこれるように移動する。

 玄関でリュックサックを背負った時、美咲が靴を履いていなかったことに気がついた。


「予備の靴とかあったかな……」


 靴箱を漁る。やあやってサンダルが一足見つかった。


「む──流石に寒いよな……」


 今は冬だ。というわけで却下。足を壊死させてしまう可能性すらあり得る。

 結局、子供時代に使っていたスニーカーを貸すことにした。今の俺には小さいが、なんとなく捨てるのが惜しかった物だ。

 もっとも美咲にはそれでも大きかったらしく、歩き辛そうにしている。

 外に出ると、雨は止んでいた。


「抱っこするか?」

「あ……いえ、大丈夫です……あっ!」


 美咲が転びそうになる。右手で支えて、そのまま抱きかかえる。やっぱり軽い。綿を抱いているようだ。


「あまり無理するもんじゃない。な?」


 抱きかかえたまま家に鍵を掛け、隣にある駐車場まで歩く。その駐車場には俺の車が置いてある。

 なぜ高校生の俺が自動車を運転できるのか――告白すれば、俺は留年生だ。一年生の時に怪我をして入院、その結果出席日数不足になったという、まあまあしょうもない理由だ。

 だから、高校二年の終わり頃から自動車を乗り回したりしていた。俺が乗っているのは、ダークブルーの軽貨物車だ。パワーウィンドウ無し、ABS無し、オーディオ無しで中古三十万ポッキリ。

 新車価格でさえ総額五十万。軽貨物仕様だから保険税金も安くて助かっている。が、流石に欲しかったのでオーディオだけ後付けしてある。

 美咲を車体左側に下ろして、回り込んで運転席の鍵を開ける。車内に入り込んでリュックサックを後ろの席に放り込んだ。

 運転席から身を乗り出して助手席の鍵を開け、美咲に乗るようジェスチャーをする。安さの理由の一つだろう。今時ドアの鍵が連動していない、とはある種の希少価値ではないだろうか。

 このデメリット、普段は問題ないがごく稀に誰かを乗せる時にいささか不便だなと思う。もっとも滅多にないことだが。

 クラッチペダルを踏み込んで、ギアをニュートラルに。ブレーキを踏んだ状態でエンジンをかける。


「よし、んじゃ行くか」


 ギアを入れて、ゆっくり発進する。いつも以上に丁寧にを意識する。シフトショックなんて絶対に起こしてやらない。それは車を長持ちさせるという意味もあるのだが、それ以上に美咲を驚かせないようにという理由だ。

 なぜマニュアルなのか、それは俺の親父がマニュアルに乗っていたからだ。幼いころよりその運転に憧れていた。だからマニュアル車に乗っている。最も親父は良い車で、俺はこの軽自動車なのだが。けどこの車は気に入っている。



 

 今から行く病院は、商店街を抜けて学校とは反対側に曲がった先にある。住宅地の手前に建てられている、俺の知る限り常に繁盛している病院だ。

 いい病院だと思う。少しばかり問題を抱えていることを気にしなければ。

 十分ほど走らせていると、その病院に着いた。四階建ての建物で、個人で運営している病院としては大きい部類ではないだろうか。入院も対応である。

 建物前の駐車場に車を停める。ギアをリバースに入れてサイドブレーキを引き、リュックサックからスマートフォンを取り出して車から降りる。

 美咲を抱きかかえようとしたが、


「恥ずかしい、です……ごめんなさい」


 の一言で却下。結局、俺を支えにすることで転ばないようにする。それでもやや不安定気味なのが気になった。

 病院に入ると、すでに一人の男が待ち構えていた。


「よう、慎二。デカい怪我でもやっちまったか?」

「やってないですよ、篠原先生。やってたら救急車で運ばれていると思いますがね」

「違いない」


 顎に髭を残したこの男は、篠原哲也しのはらてつや。木城篠原クリニックの院長で──極道だ。


「今日は俺じゃなくて、この子を見て欲しいんですよ」

「ほう、なるほど。そういう事か」と、彼は耳打ちで、「誰との子なんだ?」

「まさか。保護したんですよ。訳ありらしくて、まだ警察には」


 引き剥がしながら言う。彼はつまらなさそうに、


「なんだ。じゃあ、龍さん呼ぶか?」

「いや、こちらから連絡します。状況によってどう対処するのかで変わるので」


 篠原が言う龍さん──東堂龍とうどうたつは、木城市を支配する極道の長だ。彼の治める東堂組は古くからある組だそうで、龍さんで八代目だとか。

 ただし、そのあり方は自警団に近い。それは、歴代組長が徹底している事だ。民間人に危害を加えない。それどころか無償で助けるっていうんで、世間一般のイメージするヤクザとはかけ離れている。

 それもそのはずで、元々江戸時代末期、集落だった木城の地を守るために、住民たちが一丸となって作った組織だからだ。

 実際、彼らのおかげで治安は維持されている。警察組織にさえ当てにされている節があるのがその証拠だ。

 それを考えるとこの街は異常と言えるだろう。実のところこの病院も、東堂組の息が掛かっている。それが、問題といえば問題だ。

 俺たちは二階にある小児科の診察室に通される。二つのディスプレイと、キーボードとマウスにペン。棚の上には書類がいっぱいだ。

 篠原は美咲を椅子に座らせ、


「さて、嬢ちゃん。名前は?」

「あ、えっと……」

「美咲です。名前を持たない様子だったので、勝手に名付けました」

「美咲、ね。了解っと……いい名前だ」


 感想を漏らしながら篠原がキーボードを打つ。手慣れた手つきだ。


「年齢は?」

「あ、はい……十五歳です……」


 その年齢に驚いた。俺とそう変わらない──少なくとも成長期は終わっているであろう年齢だ。それなのに全く成長していない。一番大切な時期に栄養摂取できていなかったということなのだろう。


「十五歳っと。そいじゃ、早速診させてもらおうかな。慎二、あっちを向いてろ」


 言われるままに後ろを向く。見知らぬ少女の裸を見るな、ということなのだろう。異論はない。

 診察自体は一分程度で終わった。


「ああ、栄養失調だな。栄養剤を出すから飲ませてやれ。食事の注意点も後で紙を渡すから──さて、嬢ちゃん。お前さん、どこに住んでたんだ?」

「え、あの……」


 唐突な質問に美咲がうろたえる。


「病院からまっすぐ行った所です……」


 篠原が何かをキーボードに打ち込み始める。ディスプレイを一つこちらに向け、


「じゃあ、この辺か?」


 と聞いた。ストリートビューを開いた画面には街並み。洋風な建築物に溢れた景色は、病院より先の地区だ。清の住む家もこの辺にある。


「あ、はい……もう少し、ここを右に──この家です」


 美咲が家の場所まで誘導する。彼女が家だと言ったのは、小さめの一軒家だ。


「この住所は……宮本家か。ちょっと待ってろ」


 篠原が携帯を取り出して電話する。


「篠原だ。昔そっちで宮本って家の赤ん坊出産したか? ああ、ああ。わかった。助かる──十五年前、該当する家庭があるそうだ」


 俺もスマートフォンで親父に電話する。


「もしもし、親父か?」

「慎二か。どうした、寂しくなったか? 親父は常に寂しがっているという事を忘れないでくれ」

 俺の親父──桐山拓海きりやまたくみは、一大企業「キリヤマエンタープライズ」の社長だ。木城市で最も大きな会社で、ゲーム機、ソフトウェア、おもちゃ、プラモデルなどを販売している。少し過保護すぎるきらいがあるけれどいい父親だ。

 さて、木城市には極道組織がある。デカい会社もある。さらに、極道組織の長と、デカい会社の社長が旧知の仲だとすれば──当然繋がりもあるわけで、こういった事態に頼るのは主に親父か龍さんということになる。龍さんの所には親父以外の繋がりもあって、相当世話になっている。


「宮本って家があるんだけどさ……三丁目の二番の、小さな家。そこの家族構成と戸籍を調べて欲しい」

「ほう、なぜだ?」

「そこの子供を保護したんだよ。名前すらつけられていない様子だったから、もしかしたら戸籍すらないかも、と思ってな」

「そういう事か。わかった、一日待て」


 電話を切る。


「で、警察には?」

「いや、美咲が拒否したから、連絡してないですけど──美咲、なんでだ?」

「あ、あの……以前、警察に相談しに行ったら、連れ戻されたんです……」


 その言葉を聞いて、警察は頼らないことにした。どう見たって虐待されている少女をそのまま家に帰すなど、正気の沙汰じゃない。


「わかった。戸籍の有無次第で行動が変わるが……とりあえず施設か、慎二の家かだが。美咲ちゃんはどっちがいい?」


 篠原がそう問いかける。俺としては施設に預けるつもりでいたのだが、彼女の意思を尊重するべきなのかもしれない。


「あ……施設って、知らない人がいるんですよね……」

「まあ、そうなるな」

「じゃ、じゃあ……」戸惑いがちに美咲が言い、「慎二さんの所がいいです……」

「だ、そうだ。どうする、慎二」


 彼女には安心できる場所が必要だ。確かに施設には見知らぬ人が大勢いる。そういう意味ではこちらで引き取ったほうがよっぽど良いのだろう。

 それに、彼女自身がそれを望んでいるのならそれでも構わないだろう。乗り掛かった舟、クルーズの最後まで付き合ってやることにした。


「じゃあ、決まりだ。これからよろしくな、美咲」


 手を差し出す。彼女は控えめな笑顔で、


「ありがとうございます……」


 と、握り返した。

「じゃあ、龍さんにややこしいことやって貰わんとな。明日、そっちに行くよう伝えておく」

「ええ、助かります」

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