第9話

「…………」

「…………」

「…………」

 空気が重い……。

 俺、アリサさん、今岡の三人は黙々と食事を口に運んでいた。

 最初の内はそれなりに会話もあった。「美味いです!」「さすがアリサさん!」とか今岡が一人で喋ってただけだけど。

 それに対してアリサさんも嫌がる素振りもみせずに答えてた。

 答えてたんだけど……それは本当に答えるだけで、そこから話が続いていかない。

 諦めずに話しかける今岡だが、段々と口数が減って、遂に無言。

 そんな訳で今、この場は、とてつもなく重苦しい空気に包まれている。

 俺がこんな空気にしたわけじゃないけど……なんかご飯の味も、正直言って全然分からないです。

 でもアリサさんも同じはずだ。

 きっと嫌な気分になってると思う。だとしたら俺の作戦は成功していることになる。

 だから、ここは我慢の時だ。


 暫くして、俺はあることを思い立った。

 俺は今、空気を重いと感じている。それはアリサさんと今岡も同じだろうと思う。

 今岡を夕飯に誘ったのはアリサさんに嫌な思いをしてもらおうと思ってのことだ。

 その目的は、ある程度は達成できているはずだ。

 でも……今日一日で家を出て行こうと思うまでアリサさんを追い詰められるとは思えない。

 こういうのは積み重ねが物を言うタイプの作戦なんじゃないだろうか?

 だとすると、今岡まで気まずくさせてコレっきり家に来ないなんて状況になってしまっては元も子もない。

 だからせめて、今岡だけには少しでも良い思いをしてもらわなければいけないということだ。

「あ、あの……ひぃっ――!?」

 なんとか会話を行ってみようと声を出してみたが、出した瞬間、こちらに向けられた二人の視線が怖かった。

 なんて言うか……アリサさんはいつも以上に感情の読めない、と言うかそんな感じの無気力な瞳をしていた。今岡なんて目に光がない。絶望感が漂っている瞳だった。ちょっと涙ぐんでいたかもしれない。

「………………」

 二つの瞳に晒されて、俺には無理だった。

 この空気を変えることは……。


 そんな重〜い空気の中、食事は終わり、そのまま今岡は帰ると思ったのだが、何故かまだいる。

 俺の部屋から悲しげな顔で夜空を見上げている。

「…………なあ」

 暫くして、今岡が話し出した。

「なに?」

「俺……なんかした?」

「なんかって?」

「いや、それは分かんねぇけど……空気、重かったじゃん?」

「ああ、重かったな」

「いつも、あんな感じなのか?」

「いや、いつもはもっと普通――」

 俺がそう言うと今岡は一層悲しげに顔を俯かせる。 

「やっぱ俺のせいなのか……」

 それは間違いなくそうだと思うけど……言えないよなぁ。

「なあ、俺、アリサさんに嫌われちゃったのかな?」

 ごめん、最初っから苦手にされてるんだ……って、これこそ言えないな。

「お、落ち込むなって」

 俺は励まそうと声をかける。

 が、

「もう……いいよ」

 今岡の返事は絶望感漂うものだった。

「へ?」

 思わずそんな声を出してしまう。

「だから、もういいよ。嫌われちゃったんだよ。はあ〜」

 大きな溜息を吐く今岡。 

 物分かり良すぎない?

「げ、元気出せって! まだ終わってないよ。ほ、ほら、どっかの神様も言ってたじゃないか『好きと嫌いは変換可能』って!」

 俺は必死に今岡を元気付けた。

「変換……可能?」

「そ、そうだよ。嫌いは好きに変えられるらしいんだ!」

「そ、そうなのか?」

「あ、ああっ!」

 お、なんかいい感じ……か?

「そっか……そぷだよな、諦めるのはまだ早いよな!!」

「あ、ああ、そうだよ!」

「よ〜し、やるぞ! 俺は!」

「そ、その意気だ!」

 立ち上がって叫ぶ俺達。

 なんか意味不明のテンションだった。

「ありがとな、俺頑張るよ!」

「あ、当たり前だろ。と、友達じゃないか」

「ああ、お前は親友だ!」

 肩を組んでくる今岡。

 とりあえず機嫌も良くなってきたみたいだ。

 なんか軽いノリで親友にまでされてしまったけど……。


 それから暫く二人で話して、今岡は帰ることにした。

 今、俺とアリサさんで玄関まで見送りに来ている。

「あの……それじゃ……帰ります」

 やる気を出したと言っても、やはり気まずいのだろう。先程までの元気がなかった。

「ああ、じゃあね」

「あ、今岡様」

 と、アリサさんの方から今岡に声をかけた。

「さ、様っ!?」

「はい、今岡様は樹様のご友人ですので――」

「や、やめてください! 様なんて、あの、俺……そんなんじゃないんで」

 そんなんって……何?

「では、今岡さん」

「は、はひっ!?」

 顔を真っ赤にして緊張している今岡。

 自分から話すのは良くても相手からってのは苦手なのか?

「今岡さんが、もしご迷惑でなければ、これからも遊びに来て頂けると嬉しいです。樹様が初めて連れて来て下さったご友人ですし」

 今岡に初めて満面の笑みを向けてアリサさんが言った。

 今岡は、

「は、はいぃ! き、来ます! と、友達ですから!」

 嬉しそうだった。

 メチャメチャ嬉しそうだった。

「有難う御座います」

「はい! それじゃ、また来ます!」

「はい、いつでも来てください」

「じゃ、じゃあな!」

「あ、うん」

 俺にもそう言って今岡は帰っていった。


「あの……アリサさん?」

 今岡が帰ったあと、俺はアリサさんに話しかけた。

「樹様」

 こちらを向いたアリサさんは、いつもの無表情に戻っていた。

「な、なんでしょうか?」

「本当に樹様は分かりやすいですね。それに乗せやすいです」

「え、え〜っと……どういうことでしょう?」

 突然の言葉に意味が分からず聞き返してしまう。

 分かりやすい? 乗せやすい? どういうこと?

「ああ言えば必ず連れてきてくれると信じてました」

 凄く良い笑顔だった。

 つまり、それって……

「友人の少ない樹様のためを思ってしたことですが……まさか、これほど上手くいくとは」

 ぜ、全部、計算通りってことか!?

 俺が今岡を連れてくることも、成り行きで親友にまでされてしまったことも!!

 じゃ、じゃあ、アリサさんは今岡のこと、別に苦手でもなんでもなかったと?  

 勝負は始まる前から俺の負けだったということかっ!?

「う、うっがぁぁぁぁぁ!!」

 俺は叫んだ。

「樹様……評判の良い精神科の病院をお教えしましょうか?」

「辛辣っ!? アンタのせいだよ!」

「……そうですか。では、お風呂の準備が出来ていますのでお入りください」 

 そう言ってアリサさんは自分の部屋へと歩いていった。

 …………。

「うがぁ――――っ!!」

 俺はもう一度、思いっきり叫んだ。

 敗北感を噛み締めながら……。


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