第5話

 アダルトショップから出てきたところを運悪くアリサさんに見つかってしまった俺はその場から全力で逃げた。

 そして、そのまま家に帰って……部屋に閉じこもった。

 部屋の扉は厳重に鍵をかけてある。

 アリサさんと住むことになってしまったその日に自分で買ってきて取り付けた(三個)。

 これで多分……アリサさんが入ってくることは有り得ないはず。

「はぁ……最悪だ」

 ベッドにうつ伏せに倒れ、枕に顔を埋めていると、あの場面を思い出してしまった。無意識に盛大な溜息が出てきてしまう。

 あれは最悪だった……本当に落ち込む。

「あ〜ぁ……死にたい」

 恥ずかしすぎる。

 学校から帰ったらエロ本が机の上に置いてあるなんてレベルじゃない。だって母親でも身内でもなんでもない、美人で年頃の女の子に見られたんだから。

 しかも、その人が一緒に住んでる他人なんだから性質が悪い。

 何の関係も無い、通りすがりの人だったら……見られた瞬間は恥ずかしいかもしれないけど、ここまで引きずることなんてないはずと思う。

 本当にもう……何がなんでも、どんな手を使ってでもアリサさんを追い出すしか、俺の心に平穏が訪れることはない。

「……ゃる……やってやるぞ」 

 それしかない。

 俺は覚悟を決めた。


 決心が揺らがないうちに、俺は部屋を出た。

 行く先はアリサさんの部屋。

 制限時間はアリサさんが帰ってくるまで。

 恐らく時間はあまりない。その短時間の中でなんとか弱みを見つけなければ……。

「…………」

 アリサさんの部屋の前、ドアノブに手が触れるか触れないかのところで一度止まる。

「……ビリビリとか……こないよな?」

 やはりそれが気になる。

 部屋を見られたくなくて罠を仕掛けるなんて漫画じゃ良く見かける光景だ。

 さすがに現実でそんなことはないだろうが……相手は、あのアリサさんだ。油断は出来ない。

 恐る恐るノブに触れてみる。

「……っ……!」

 触れた瞬間、目を瞑る。

 ……俺、滅茶苦茶ビビってます。

 だが、暫くそのまま停止していても、思っていたような衝撃がやってくることはなかった。

 安心した。

 安心したが……なんだか拍子抜けだ。

 アリサさんの部屋だし、ビリビリは無いにしても、何かしらの罠が仕掛けてあってもおかしくないんだけど。

「ははっ、漫画じゃあるまいし、考えすぎだよな」

 俺は笑いながらノブを回す。

 ガコッ――という音と一瞬の浮遊感。

 そして……

「う……うわあぁぁぁぁっ!!」

 落下した。

 幸い大した深さではなかった。いきなりのことで受身も取れずお尻と背中をぶつけてしまったが怪我は無い。

 見上げると……床がなかった。

 罠だ。

 やっぱり罠があったんだ!

 ドアノブを回したことで床が開いて落ちる仕組みになってたんだ。

 くそっ! やっぱり油断しちゃいけなかったんだ。

 てか、いつの間にこんな大掛かりな罠を作ったんだ? まさか建築段階から噛んでるのか?

 ま、まあいい。考えるのは後だ。

 まずはここから出ないと……

「ん……っ……あれ?」

 届かない。

 ジャンプしてもギリギリで届かない。

 あと……あとほんの数センチなのに。

「えいっ! そりゃ! くそ……やっぱ無理か」

 何度やっても届きそうにない。

 さらに周りを見ても足がかけられそうな場所もなかった。

 さて……どうしようか。

 俺は上、開いている床を見ながら考えていた。

 そのとき、

「…………」

 その開いている先からアリサさんがしゃがみこんで此方を覗き込んでいた。

 感情も何も感じられない瞳で。

「……あの……アリサさん?」

「樹様、何をしているのでしょうか?」

 アンタの作った罠に嵌まってんだよ!

 とは、さすがに言えない。

「あのですね……実は……」

 必死に言い訳を考える。

 たまたまノブに触れちゃったとか……苦しいか。歩いてて偶然ノブにぶつかってしまっても回すようなことにはならないだろうし。

「いや……あはは……なんか落ちちゃって」

 結局、言い訳にもならないことを言ってしまった。

 表情の全く変わらないアリサさんに渇いた笑みを向ける。

「はあ……そうですか」

 あれ? 何か……分かってもらえたっぽい?

「それで……外から監視したり後をつけてまわったり、挙げ句部屋に侵入しようとして落ちた訳ですね」

 全部バレてる――――っ!?

 あ、じゃあアダルティーな店にいた理由も分かってるのか? よかった……って、ホッとしてる場合じゃないぞ!?

「天罰……ですよ」

 ニヤ……と口の端を吊り上げるアリサさん。

 怖い。とてつもなく。

 口以外の表情に変化がないのがまた恐ろしい。

「あ、いや……それは悪いと思ってるんですよ? 本当に」

 我ながら情け無い。

 本当に立場が逆だ。

 でも、まずはここから出ることが先決だ。

「それでですね。ここから出るのを手伝って貰えないかと。自分一人じゃ無理そうなんですよ」

 完全に下からの物言いだった。立場的にも物理的にも。

「それはそうでしょう。樹様では出られないギリギリの高さに調節してありますから」

 それってつまり……俺が落ちることを想定していたわけですか?

「ちなみに……私なら一人でも出れます」

「なっ――!?」

 それは、まさか……

「ご主人様では無理ですが……。ご主人様では」   

 こ、こんなときだけご主人様だと!?

「そ、それは俺がアリサさんより背が低いと言いたい訳ですか?」

「ええ、まあ。実際そうですし」

「ば、馬鹿にするな! メイドの癖に!!」

「馬鹿になどしていませんが?」

 俺が怒鳴るとアリサさんはそう言った。

 自分が俺に仕えるメイドだと思い出してくれたのかもしれない。

「ただ事実をそのまま口にしただけです」

 そんなことはなかった。

「うがぁ――――っ!! メ、メイドなら主人を敬えよ!」

 そうしてくれたら追い出すなんて考えないのに。

「敬う?」

 顎に人差し指を当て首をちょこんと傾げるアリサさん。

 う……その仕草がちょっと可愛いとか思ってないからな!?    

「ふふ、樹様は面白いですね。言うことが」 

「ど、どういう意味!?」

 分からないけど馬鹿にされてると思う。確実に。

「そうですね。敬って欲しいならそういう人間になってください」

 それは敬う要素が何一つない人間だと思ってるということなのかな!?

「とりあえず、ストーカーじみたことをするご主人様を敬うなんてとても出来ないです」

「こっちだってアリサさんみたいな態度でかくて口の悪い人をメイドなんて思えないから!」 

 この際だ。言いたいことを全部言ってやる。

「いつもいつも俺のこと馬鹿にしてさ! 無表情で何考えてるか分かんないし……家事とかは出来るかもしれないけどさ、これなら一人暮らしの方がよっぽどマシだよ! 俺はアリサさんと生活するのは無理だ! この一月で限界だよ! 無理、ホント無理!」

 はぁはぁ、はぁ……言いたいこと言い切ったら息が切れた。

 呼吸が整ったところで見上げる。

 アリサさんはやはり表情を変えないまま俺を見下ろしていた。

「……そうですか」

 暫く無言で見つめあった後、アリサさんは一言だけ呟いた。

 そのままどこかへ行ってしまう。

 あれ……なんか傷付けた?

 傷ついたって、アリサさんが? 有り得ない……よな?

 …………。

「……って! アリサさん!? 俺どうすれば!?」

 どうやってここから出ればいいの!?

「謝るから……戻ってきて、アリサさ――――んっ!!」

 俺は穴の中で力の限り叫ぶのだった。

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