第9話 れいらのファンサ

「今日のみーちゃん、やばいですね……」


 もう見ることができなかったはずの〝みーちゃん〟の笑顔に大敗を喫したおれはSPチェキ券を使うため、〝れいらちゃん〟の列に並び、たまたま目の前にいた平井さんというファンの仲間に声をかけた。おれより少しだけ年上の彼もまた、江口さんに声をかけてもらって以来、この定期公演にはほとんど毎回顔を出している。

 ちなみに、彼はアイドルは箱推しするタイプで、メンバー同士のやりとりや信頼関係が感じられるステージが好きなのだと言っていた。


「今日、ファンサすごかったね。ずっと裕樹くんの方見てたような気がする」


「いや、まさか……」


 それはただ彼女の視線を記憶していただけで、実際のところはせっかくの彼女の善意を、あんなふうにしか返せなかったのだ。情けない。


「あっ、そうだ。裕樹くん、これあげるよ」


 そんなおれに、平井さんはあるものを差し出してくれた。アイドルが可愛いのは当たり前のこと。その上でファンのみんなが新参ファンにも優しかったらまた次のライブに来たいと思うだろう。江口さんのそんな考えのおかげで一体何人のファンが増えたことか。少なくとも、特にアイドルのライブ自体が初めてだったおれや他のアイドルのファンだった平井さんはまるで転校生を受け入れてもらうかのように、このポートガールズのファンの中に馴染むことができた。

 そうして差し出されたのは、見覚えのあるチェキだった。



「可愛い……!」


意思とは別に、おれは口を開いていた。それはではまだ見たことがなく、もう二度と見ることもないと思っていた〝みーちゃん〟のオフショットチェキだった。

 やはり、これももはや条件反射でおれは手を出しかける。ほしい。しかし、その瞬間、その思いとは裏腹に稚拙なSF小説のような一言がおれの頭をよぎった。


「その過程や流れが多少違っても、大きな運命からは逃れられない」



 つまり、おれがここで〝みーちゃん〟のチェキを手にすれば、結果としてそれは前回のライブと同じになってしまう。そうなればそれ以降――そう、例えば〝みーちゃん〟の未来も揺るぎなくなってしまうかもしれない。


 おれが手を止めたせいで、不穏な間があって列の動きが止まってしまった。


「みなさま、できるだけ前へ詰めて……」


 カメラを持ったスタッフがおれや平井さんを促す。いくらファンが優しいとはいえ、さすがにおれたちのすぐ後ろに並んでいた何度か見かけたことのある男が軽く咳払いをした。



「すいません」


 おれは後ろに向かって小さく言う。そしてもう一度振り返って、平井さんにも頭を下げた。


「すいません。おれ、推し――みーちゃんのグッズは、自分のお金で集めたいんです。例え何十万円かかっても、それが彼女のためになるなら……」


 それは恥ずかしいせりふだったかもしれない。だが、もうふいに口をついたわけではない。自分の心からの言葉だった。


 〝みーちゃん〟との運命はおれがおれの手で変える。そんな覚悟に、おれたちの列の先で、リーダーの〝れいらちゃん〟がカメラの前でポーズを取りながらもこちらを見たような、そんな気がした。




「みはやじゃなくて、ごめんなさい」


 今日の衣装はいつものマリンルックとは違う各メンバーカラーが基調となった王道のアイドル衣装で、リーダー〝れいらちゃん〟の胸には赤いリボンが揺れている。


「いやいや、そんな。あの、リーダーのSPチェキなんて最高に決まってるって」


「ふふ。ありがと。まぁ、みーちゃんはね、自分のお金で回ってね」


「……やっぱり。聞こえてたの?」


 リーダー〝れいらちゃん〟は誰がどう見ても文句なしの美人だ。大きさや形、その位置に至るまで芸術作品のように整っているため、ファンの中には照れてしまって「リボンしか見れない」という人も少なくない。


 おれも思わず胸元のリボンに目をやってしまった。だが、そんなおれの視線を遮るように〝れいらちゃん〟がおれを覗き込む。



「ごめんね。ほんとはだめなんだけど、なぜかユウさんの声の方が聞こえてきちゃって。でも、みはやも喜ぶと思う。本人に言ってあげたらいいのに」


「……いや。あ、でもそっか。そうする。みーちゃんにならもう、いくらでも使うよ、おれ」



 スタッフがカメラを構え、〝れいらちゃん〟がにわかにおれに身を寄せる。いい匂いがする。


「……でもそれ、ちょっと複雑」


「あ。いや、れ、れいらちゃんにも――」


 と言いかけた瞬間、スタッフがシャッターを切る。カメラの下の部分から白いチェキが出てきて、それを〝れいらちゃん〟が受け取る。


「何て書きますか? 『みーちゃん最高』?」


「いやいや、お任せで……。あ、やっぱり……それでもいい?」


 だめだ。おれは〝れいらちゃん〟がテーブルの下からペンを取り出した隙に頭を横に振って、どうにか軌道修正をする。

 今、想定すべき最悪の展開は、せっかくのこのチャンスを活かせないことに違いないのに、彼女たちを前にするとついつい格好をつけたくなってしまう。

 内心では自分などどう思われようと、アイドルとしての〝みーちゃん〟さえ残ってくれればいいとすら思っているのに。


「好きなんだ」


 と、〝れいらちゃん〟がうっすらとおれの惚けた顔が写っているチェキに「みーちゃん」と書き入れながら溢した。


「……え?」


 〝れいらちゃん〟が手を止めて、顔を上げる。


「みはやのこと、わたしも。アイドルとしてもだし、人としてすごいなぁって思う。まぁちょっと抜けたところもあるけど……最高だよね」


「うん。ずっと応援してたいよ」


 何事にも全力の彼女をずっと見ていたい。確かにたまにおかしなことを言うこともあるが、それは人として賢しらな嘘はつけないという証拠でもある。

 だからおれは、もしも彼女が疲れてしまったときにはいつでもふかふかの布団や陽だまりの庭で休めるように、どうにかしてあげたいと思っているのだ。例え自分がどうなろうと。


「ねぇ、れいらちゃん。もしみーちゃんが辞めるなんて言ったら、全力で止めてね?」



 思いの強さが自然とそう言わせていた。

 〝れいらちゃん〟は一瞬だけ驚いてチェキを差し出す手を止めたが、おれがリボンではなく彼女の端正な顔を見つめると、納得したように一度頷き、こう言った。


「もちろんです。稼ぎ頭がいなくなったら、ユウさんにグッズ買ってもらえなくなっちゃう」

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