第5話 帰りみち

「何や、兄さんけったいなこと言わはって。さっき夕刊のビニール、自分で解かはったやない。それがすべてや。何も、知らんお客さん相手にそない用意してまで嘘つく必要がありまっかいな。もしどないもこないも信じられなんだら警察でもどこでも電話しはったらどないでっか。まぁ取り入ってくれはらへん思いますがね」


 店を出て、再びイヤホンでポートガールズの曲を流して電車に乗ってからも、その訛りのきつい老婆の声は耳に残って仕方なかった。


「無邪鬼や……」


 とおれも真似して訛ってみる。相変わらず、電車にはおれ以外の客はいないようだった。



 老婆に促され、おれは新聞ではなく自分のスマホを確認した。壁紙はもちろん、無邪気に笑う〝みーちゃん〟。おれが初めて参加した撮影会のときのものだ。


【9月14日 15:46】


 やはり日付は一週間前。


 時間とは乗り間違えた電車と同じ。嫌でもなんでも前にしか進まない。これまでもこれからも、君がいなくなっても、連綿と。

 しかし、確かにおれの〝みーちゃん〟への思いはきっと時間の流れを狂わせるほど強い。その自信はある。



「兄さん、夢でも見てるんと違いまっか。さっきからえらいぼうっとしとるやないの」


 夢か。

 そうだ。もしかするとこれは夢なのかもしれない。確か山道の入り口の碑にも書いてあった。「夢」と「うつつ」。

 だとするならば早く目覚めなければ。だが、どうやって? わからない。それどころか夢にしては喉の渇きもおばあさんの店の、あの納戸みたいな埃の匂いもあまりにリアルだし、もしも目覚めたらそこにはもう〝みーちゃん〟のいない現実が待っているだけだ。



 結局、おれは釈然としないまま電車に揺られていた。途中、中吊り広告や窓の脇のポスターに強い既視感を覚えたが、よくよく考えたらそれは数週間前から変わっていないだけだった。


 しばらくあれこれと考えているうちに、そういえば今日はほとんど彼女たちのSNSをチェックできていなかったということに気がついた。

 おれはポケットからスマホを取り出してSNSのアイコンをタップする。



> ちなり♡ポートガールズ @chinariii_portgirls

> 明日のライブ、髪型どうしようかな〜?

> #自分のじゃないよ

> #まいみー専属ヘアメイク

> @maichan_portgirls

> 9月14日15時2分


 投稿日時の欄を見てみるとやはり一週間前、定期ライブの前日に投稿されたもので、内容も間違いなく一度おれが見たことのあるものだった。


 地元商工会か何かが母体となっている彼女たちの事務所にはまだ専属のヘアメイクを雇う余裕はないため、メンバー同士でメイクすることも多い。そこで、この投稿を見たおれは次のプレゼントはメイク道具にしようと次の撮影会の前日に江口さんと男二人で化粧品売り場に行ったのだ。



 念のため、と思ってスマホを再起動してからもう一度アプリを開いて何度か更新ボタンを押したが、やはり一週間前の投稿が最新で、よくよく見たら押したはずの「いいね」もなかったことになっていた。



 ふいにスマホから顔を上げると間もなく、ターミナル駅に到着するとのことだった。時間にしてあと二、三分。さすがに結構な乗客が乗り込んでくるだろう。だが、気がついたら、おれの視界はひどく滲んでいた。

 ばかみたいな話だが、もしかすると、まだこの世界の〝みーちゃん〟は、アイドルのままの〝みーちゃん〟なのかもしれない。そう思ったらそれだけで、涙が溢れてきたのだ。

 よもや夢か現かなどはどうでもよかった。

 君がいるだけで、世界は正常に回り続ける。

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