「1巡目」作戦:すっごくたくさん説得する

第4話 古びた商店

 目をぎゅっと閉じて、これでもかと信仰心を表すために重ねた手と手をぴたりとつける。と、ふいに周りの音がなくなったような瞬間があり、目を開けると……。


 おれは川崎にある自宅アパートのベッドの上に立っていた。枕元のカレンダー機能付きの時計を見ると、


【9月14日 07:14】


 〝みーちゃん〟が突然引退する一週間前だ!


 ……と、そんな馬鹿げたことが起きるはずもなく、実際には目を開けるとずっと人の手が入っていない社は戸のつがいが取れかけたまま、相変わらず屋根の上にたくさんの枯れ葉をのせて、なにも変わらずにそこにあった。



 よくよく見ると壊れた戸の向こうにはお地蔵さまか何かの木製の像が倒れたまま置いてあり、おれはとっさに壊れていない側の戸を開けてお地蔵さまを立たせてあげていた。


 後ろめたく感じたのは差し入れた手を引き抜いたときのことだ。いくら朽ちかけた神社とはいえ、そう簡単に本尊さまに触れたりしていいものなのだろうか。

 おれは念のため、もう一度社に向かって手を合わせてから逃げるように境内を離れた。



 山を降りてからは真っ先に来た道を戻った。さすがに喉が乾いていた。確か駅前に唯一、名前も知らないコンビニがあったはずだ。


 イヤホンからの音はいつの間にかなくなっていたので、おれはプレイリストから『横須賀きらめきLOVER』を選んで流した。


 この曲はなんとメンバーの〝ちなりちゃん〟の作詞だ。

 ファンからは「ちなりせんせー」というあだ名で呼ばれている彼女は、時々天然ぼけなところを見せるリーダー〝れいらちゃん〟やのんびりしたサブリーダー〝みーちゃん〟に代わる真のリーダーとも言われており、大学では英語とフランス語の勉強もしているしっかりものだ。


 ちなみに「せんせー」というあだ名自体はそんな彼女の性格からきたのではなく、オフの日はメガネをしているからという理由でもなく、単純にその名前が由来になっている。「ちなり」を漢字で書くと「千」の「成」で、音読みすると「セン」「セイ」なのだ。



 そんな〝ちなりせんせー〟もきっとひどく落胆していることだろう。末っ子メンバーの〝まいみー〟(こちらは本名の「跡見あとみまい」をもじって〝れいらちゃん〟がつけた)はもしかすると大泣きしているかもしれないし、いつも男勝りな〝こなっちゃん〟に至っては怒っているかもしれない。


 ちょっと抜けたところのあるけど努力を怠らない頑張り屋のリーダー〝れいら〟。のんびり楽観的だがパフォーマンスは意外にもパワフルな天才肌のサブリーダー〝みはや〟。しっかりもので面倒見がよく、ファンからの信頼も厚い〝ちなり〟。元気いっぱいで男勝りで同年代や同性のファンの多い〝こなつ〟。まだ中学生の末っ子だが、透明感のあるその笑顔と真面目な性格からファンが急増している〝まい〟。そんな五人は五人とも、誰よりもファン想いで人を笑顔にすることが大好きだった。


 ポートガールズは今年で確か活動六年目。一期生は〝れいらちゃん〟を残して今はもうみんな卒業してしまったが、なんだかんだといって今の五人のバランスが非常に良く、実際、認知度は右肩上がりだった。


 それなのに。



 ようやく辿り着いた名も知らぬコンビニ――いや、個人商店なのかもしれない。よくわからない――に入ると、ひどく埃の匂いがした。ばあちゃんちの納戸みたいだ。一応は飲み物や弁当用の大きな冷蔵棚などは備えているものの、ごうごうと驚くほどうるさい音を立てているずいぶん古い型式のもので、ふと雑誌コーナーに目をやるとそこには一週間前に発売になった週刊の漫画雑誌がまだ並んでいた。


 とはいえ、冷えた飲み物はさすがに大丈夫だろうと適当に烏龍茶を手に取ってレジへ持っていく。

 ピンクのチェックのエプロンをつけた店主と思われるおばさんはなんと客の側に背を向けてレジカウンターに寄りかかっており、目線の先にはテレビがあった。


 まだ動くんだ、と驚いてしまうほど古いブラウン管のテレビ。ワイドショーだ。この辺鄙な田舎のおばさんと、話題沸騰中の若手俳優の熱愛とはどう関係するのだろうか。

 まぁそんなことを言えば港町のキラキラしたアイドルと工業地区に住んで工場勤務のおれとも共通点など一つもないが。



 それにしてもこの俳優。おれは知らないがそんなに人気なのだろうか。美人年上ネイリストと最初に噂になったのは確かもう一週間は前だったはず。


 一週間前の雑誌に、一週間前の話題。もしかするとこの烏龍茶も一週間前に賞味期限が……いや――


「まさか……!」


 そうではない。ペットボトルのラベルに落としかけた視線を上げて、テレビをもう一度見る。が、そこには日付の分かるものは何も表示しておらず、突然「まさか!」と発しただけの気味の悪い青年を振り返る不満そうなおばさんの顔が視界の端に飛び込んできただけだった。


「あ、すいません……。これ、ください」


「百八十円」


 高い。けれど、それを気にしている場合ではない。おれは財布から二百円を取り出して、それをおばさんに手渡すと、その手を掴まんばかりの勢いで、今日が何日かを聞いた。


「あっ、あの! 今日って何日でしたっけ」


「はい? 何や兄さん、今時の子ぉやのに時計も持ってはらへんのんかいな」


 山奥とはいえ、一応は東京都であるはずのそのコンビニのおばさんはなぜかひどく訛りのきつい関西弁で言った。


「……あかん。ばぁさん読まれへんねや、老眼やさかい。さっき届いた夕刊の日付んとこ、兄さん見てくれんか」


「え? ああ、うん」


 ビニールがかかったままの新聞を投げるように渡される。確かにまだ開いた形跡もなく、新しいもののように思えた。


 そしておれはビニールを破って日付の部分を確認する。一週間前ならば9月14日と書いてあるはずだ。


 新聞なんて偉く久しぶりに手にした。あの独特のインクの匂いを吸い込みながら、上段の日付に目を凝らす。


 果たしてそこには、


【9月14日】


 と書かれていた。

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