第3話 夢と現《うつつ》と神社と神回

 駅前の簡素なロータリーを過ぎると俺は山間の道を闇雲に歩いた。なに、もしも迷えばスマホの地図を見ればいい。

 それよりも誰にも邪魔されず、鄙びた景色の中でお気に入りのプレイリストをかけるこの気持ちよさ。場所も時間もあやふやなこの山道でだけは、現実を忘れることができる気がしたのだった。


 歩くスピードは楽曲に合わせて早くなったり、遅くなったりした。だからそこが駅からどれくらい離れているのかは皆目見当がつかないが、またしても自然と振りマネをしながら曲を聞いていたおれの目の前に、ふとなんだか不思議なものが現れた。


 それは名前もなさそうなほど小さな山の、小さな入り口であった。風変わりなのは山の中へとつづく階段の両脇に置かれた碑だ。普通ならば「道祖神」だとか、「庚申塚」だとか、あるいは寺か神社の山号などが彫られていそうなものだが、そこにはそれぞれ、「夢」と「うつつ」と彫られていた。

 向かって左が「夢」で右が「現」だった。


 その石の欠け具合でそれが昨日今日置かれたものではないと悟ったおれはその真ん中の階段の上を見上げてみた。


 何段あるだろう。先の方は森の木々に囲まれて見ることができない。

 あまりの長さに思わず喉の渇きを覚えたおれはそういえばずいぶんなにも口にしていないということに気がついた。

 九月に入ってまもなく、長雨があり今年の夏は呆気なく終わった。雨のあとは晴れて気温も上がることもあったが、もうあの真夏の日々のように三十何度になるなのは稀で、今日も過ごしやすかったせいでそういえば水分さえも一度もとっていない。もうあれから何時間が経ったのだろう。耳元に流れているポートガールズの楽曲は何曲めなのだろう。


 そこで引き換えす方がきっと賢明な判断だったと思う。だが、こんなに綺麗な山間ならば、どこかで雪解け水でも飲めるかもしれない。


 なぜかしらおれはそうすることが当たり前のことのように思えて、コンクリートの道からその細い土階段に脚をかけた。



 登っているその間もずっとイヤホンからはポートガールズの曲が流れていたが、もう間もなく山頂だろうかと思われるところに差し掛かったとき、流れてくる曲がふいにメンバー持ち回りでやっている地元FMのラジオ番組に切り替わった。


 おそらく、アーカイブとしてスマホに保存していたものがシャッフル再生で勝手に流れてきたのだろう。



「じゃあ、次ね!」


 この声はリーダーのれいらちゃんの声だ。


「ええと、ラジオネームくるみるくさんから。『ポトガのみなさん、こんにちは。今回のテーマは今週のマイブームということですが、僕は今SF映画にハマっています。そこで質問なのですが、メンバーの皆さんは過去と未来、どちらに行きたいですか』だって。どう思う、みはや」


 ふいに〝みーちゃん〟が指名される。


「えっ、わたし?」


「え、だって一番面白い答えだしてくれそうじゃん」


「待って、れいちゃん。それだとうちらのハードル上がっちゃう」


 割って入ったのは元気いっぱいの〝こなっちゃん〟だ。


「あー、確かに。じゃあ、こなつからでいいよ」


「えっ、わたし? えー、過去と未来かぁ……」


 その日の放送は確かしっかり者で江口さんの最推しである〝ちなりちゃん〟と末っ子で三期生の〝まいみー〟がいなかったので、多少流れはぐだぐだとしていたが、まるで彼女たちの楽屋に入って話を聞いているような、そんな親近感があり、ファンにとってはいわゆる「神回」のひとつだった。


 そういえば、その時〝みーちゃん〟はどちらと答えたのだったか。



 階段を登りきった先には小さな神社があった。

 耳元ではラジオが鳴っているが、〝みーちゃん〟はまだ答えていない。

 その神社はずいぶん前から人の手があまり入っていないのか、俺の背より少し大きいくらいの鳥居は赤い塗装が剥がれ落ち、茶色い木目が見えるほど朽ちており、ばあちゃんの家にある立派なお仏壇程度しかない社の上にはまだ秋が始まったばかりというのに大量の落ち葉が乗っかっていた。まるでわざとそうしたみたいに。


 と、耳元のラジオ番組で〝みーちゃん〟が質問に答える番になる。


「やっぱりわたしも……過去かなー。未来は怖いもん。それに過去なら失敗したことをやり直してさ……ってそういう機械じゃないっけ」


「待って。そもそもこれ、空想の話であって機械とかはないから」


 耳元では相変わらずだらだらと幸せそうにみんなが話をしている。鳥居をくぐったおれはほとんど反射的に小さな社の前に立って手を合わせた。


 これからも〝みーちゃん〟が……いや、待った。


「それに過去を変えたらなんだっけ、パラレル? になるんじゃないの」


 リーダーが言う。


 過去を改編し、パラドクスが起きれば本来の世界とは違うパラレル世界が生じる。たぶん、リーダー〝れいらちゃん〟はそう言いたかったのだろう。

 だが、だとすればおれは過去なんていくらでも変えて、そのパラレル世界の〝みーちゃん〟だけでもアイドルとしてもっともっと大成できるように、辞めるなんて言い出さないようにしたい。


 ……ああ、そうだ、それだ。

 どこぞの神さま、お願いします。


 ふらふらと謎の神社に辿り着いたのも、そのタイミングでシャッフル再生がラジオの放送を流したのも、きっと運命なのだ。

 過去に戻るなんてそんなこと、現実ではおよそあり得ないことではあるが、運命が求めているのだ。



 お願いします。おれを過去に戻してください。記憶はこのままでお願いします。記憶があればきっとまたここへきて掃除でもなんでもします。

 お願いします。

 推しが卒業しない世界をおれにください!

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