第6話 『ごめん』

「うぅ……お姉ちゃぁん……」


覚悟とともに山を登駆け上り始めてかなりの時間が経ち、八合目辺りまでは来たかというところ。


流石に一度休もうと足を止めかけていると、そんなか細いSOSが聴こえてきた。


「ミアちゃん……」


俺は戦わずして目標達成なるかと、そんな淡い期待をいだきながら、声のした方に目をやった。


そこにあるのは背の高い草むら。

緑の影で隠れてこちらから奥の様子は見えない。


「待ってて」


俺は小声でつぶやいて、その草むらへと躊躇なく突入していく。


ここまでの道のりで茂みへの恐怖なんて払拭された。これから死ににいくんだから虫の2,3匹なんて気にならない。


けど……もしかしたらこのまま助けられるかも。


なるべく怖がらせないように、安心させられるようにゆっくりと茂みを進んでいく。


「出口だ……」


俺は茂み越しに見える光にむけ、最後の草木をかき分けた。


この先にいる彼女は、その整った小さな顔を不安げに染めながらも、俺のことを見て安心したように微笑んでくれるであろうと思って――――




「ブグゥゥゥゥゥウウウウウウウゴォォォォォォオォオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」




――――でも、そんなのは妄想だった。



どこまで行っても俺は楽天的で、楽観主義なんだ。


――何で今まで響いていた絶叫が遠くのものだと思いこんでいたんだ。


――何で少女の声の近くに化け物が居ないと思っていたんだ


――何で化け物が幼気な少女を襲わないと思いこんでいたんだ。


ミアちゃんは泣き声すら出ずにただ嗚咽を漏らし、迫りくる大熊怪物を見つめていた。


その瞳に映っているのは、自らの体躯の何倍も、へたしたら何十倍もあるかという漆黒の大熊化け物が、その悪意敵意を丸出しにして自らをまさに今捕食しようとしている所。


俺は、彼女と大熊との距離が詰まっていくのを、ただ見ていることしか出来ない……。


分かってるんだ、頭では。


この子を探しに来たんだと。やばくなったら自分の命すら捨てる覚悟だってしてきたんだ。


命だって彼女のほうが長いし、ランダムだとはいえ『草』よりは良いスキルを授かるだろうし。


脚も腕も心臓も瞳も…………脳でさえも、行けと猛烈に主張している。


でも…………



「んぐぅ」



俺が動かせたのは喉のほんの僅かな筋肉のみで、変な声にならない音を出すことしか出来なかった。









心が……俺の心が、他の臓器すべてを足してもなお余るほど猛烈に、行きたくないと言っている。


生物に備え付けられた防衛本能。

それが熱烈に、生き残るための最善の選択肢を取れと主張している。


心は体と相反する、唯一の機関だ。

それが否といえば、体の細胞の全てを使っても抗えないほどの抵抗力を持つ。


心が痛むのに、心が行けというのに。




心がそれを止める。





もう自分ではどうしようも出来ない。感情が乱れに乱れ、喜怒哀楽その全てを飛ばして頭がオーバーヒートしている。


――――熱い


感情と心の波がぶつかりあった摩擦で生み出された熱が、俺の頭部を急速に熱していく。


『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』『ごめん』


俺は、その口をちぎれんばかりに開いた大熊。そしてそれを見つめるミアちゃんを見て、声にすらならない謝罪を繰り返した。


今、その瞬間。その刹那で自らの命が経たれようと、理不尽に一方的に生命の若葉が摘み取られようとしている。


彼女はもはや諦めの境地に至ったのか、泣きもせず笑いもせず。ただただ虚空を見つめて、そこに存在していた。


『あ、死ぬ』


大熊が開ききった口を閉じようとしたその時。俺はどこからともなくそう思った。


感情とか心とかそういうところとはまた別の器官が、たった今目の前で、


『一人の人間が死亡する』


その事実だけを告げていた。


それは当事者である彼女も…………彼女、一番わかっているのだろう。


ゆっくりと、まるで残りの人生を味わうように目を閉じた彼女の頬は…………濡れていた――――


























――――ふざけるな……












ふざけんじゃねぇよ……ふざけてんじゃねぇんだよぉぉぉぉおおおお!!!!


はぁなんなんだよマジ意味わかんねぇって……クソ野郎がよぉぉおおおオオオオオオ!!!!






俺は怒っていた。

とてつもなく怒っていた。

怒りを通り越して怒っていた。


人生の分岐点になるような場面では、世界が止まってみえるというが、まさにその状態。

俺の思考だけが加速して働き続け、周りの景色は止まって見えている。


何感動的にしめようとしてくれちゃってんの、意味がわからないんだけど。何でさ、命諦めたんじゃなかったの、死ぬって決意したんだろ。マジでさ、なにしてくれちゃってんの。そんなことされちゃったら…………そんなことされたら……もう……もうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうもうぅぅぅぅぅぅぅウゥゥウウウウうぅ!!!


はたから見りゃ、俺は最低だろう。

本当にクズの中のクズ。産業廃棄物にすら頭を下げるような畜生だろう。


でも…………でもさぁ、これはしかたなくないか……


ユーリの妹は全てを諦めたように泣いた後、口だけを動かして、たった三文字。


声すら出さずに呟いた。




『にげて』

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