第2話 幼なじみ

「……て…………起きて……起きて!! ねぇ起きてっ!!!!」


現実と夢の間を反復横とびしている俺の耳に、そんな聞き慣れたやさしい声が聞こえてきた。


「ちょっと……まってくれ母ちゃん…………まだ大丈夫だって…………いけるってまだ……まだ馬車間に合うから……」


俺は朦朧とする意識の中、その声が母ちゃんのものだと断定し、毎朝の定型文とかした言葉を発する。


これを言いさえすれば、母ちゃんが


『クラルぅ! アンタはもう何でそんなのぉ!!? 昨日の夜はちゃんと起きるって言ってだろぉ!!!?』


というこれまた定型文を返し、これにて俺の毎朝のやり取りが完了する手はずなのだ。


謎の巨大イカ軍団に街が襲われて、いつの間にか産まれていた俺の赤ちゃんが巨大化してそいつらをぶっ倒す。という謎すぎる夢の余韻を謳歌しながら、俺は母ちゃんの呆れまじれの声を待った。


…………。



………。


……。

…。


あれぇ?


いつもなら、この短い時間に定型文に合わせて、窓を開けて日光を取り込みつつ謎の希望の朝ソングを大音量で歌うという、斬新かつ効果抜群の起床テクを見せつけてくれていたじゃないか。


俺はいつまでも聞こえてこない三十路ボイスを待ちきれず、もうギンギンになった目を開ける。


「あ、おはよう!! あの……大丈夫だった?」


はへぇ?


俺がずっと待ち望んでいた親の顔と同じくらい見た母親の顔を拝めることはなく、その代わりに見知った少女の顔が飛び込んできた。


俺は横たわったまま少女の顔を見つめる。


これは誰? という問いはすぐに解消された。

この目鼻立ちがくっきりの整った顔と絹のような青い髪。この特徴はもう完全にユーリだ。


ユーリというのは、俺の幼なじみのご近所さんである。


「大丈夫って、何が?」


ずっと地面とイチャついてるわけにもいかないので、重い体を起こしてちゃんと座り直した。


「その、ほらスキルとかのことでさ、気にしてるんじゃ……無いかなって。」


もじもじと自分の指をいじりながらいうユーリ。


あれ、こいつこんな感じだったっけ?

久しぶりに見たユーリは、俺の知っているよりずっと……綺麗だった。


可愛いとか美しいとかじゃなくて、綺麗。

まるで神がその御手で御創造為さったかのように、繊細で綺麗だったのだ。


こいつとは家も近いし、幼い頃はよく一緒に二人で遊んで野原を駆け回ったりしてお互いの母ちゃんに怒られたりしたもんだが。もうここ数年遊ぶどころか、顔を見合わせることすらしていなかった。


思春期特有の異性との謎の距離感ってやつだ。別に嫌いになったわけじゃないし、周りが止めるわけでもないけど、なんとなく小っ恥ずかしくてな。


「……別に。お前はどうだったん?」


俺は目を奪われそうになるのを抑え、彼女から目を離して川の清流を見つめて呟いた。


「私は…………その、聖職者だったよ?」


若干の間を開けて、彼女の声が左斜め後ろ45度辺りから聞こえてきた。


「何で疑問形なんだよ。まぁそうか、良かったじゃんか。お前んち教会だし、丁度いいんじゃねぇの。」


俺はボーッと川を見つめたまま当たり障りのない返答をする。


彼女の家は俺のとこみたいな平凡な農家じゃない。


国を凌ぐ権力を保持すると言われている教会。


その中でも、こんな田舎町の司教なんかじゃなく、ちゃんと王都の正教会に認定されて特別に仕事を与えてもらえるタイプのお偉いさんだ。


まさにエリート中のエリート様。ありがたやありがたや。


「う、うん…………あのっ!!」


せっかくの高待遇をゲットして将来は確定されたようなもんなのに、ユーリは特段嬉しそうでもなく、歯切れの悪い返事をする。


「ん? どうしたん?」


俺は呼び出しには断固として応じないが、呼びかけには全力で反応するタイプのおとこ


『あの、』なんてしおらしく声をかけられたりなんかすれば、すごい勢いで振り返ってしまう。


「その……明日には私、王都に行くんだ……。」


バッチリ俺と目があったユーリは数秒間見つめた後、パッと顔をそらしてうつむき、そう小さな声で呟いた。


「……た……ん……」


彼女の言ったことに、俺は彼女に聞こえるか聞こえないかの声量で反応する。


俺としては聞こえてほしくなかったが、そんな都合よくユーリがそこだけを聞きこぼすこともなく。


「ぇ?」


彼女は戸惑い半分恐さ半分といった声を漏らした。


「良かったじゃん。都会だろ? 聖職者なんて良い職業引っさげて都会行けんならそりゃ良いんじゃねぇの。」


俺はここまで来たのなら好感度なんて気にせずに言いたいこと言ってやりゃあということで、正直に。


いつもは薄くともそこに存在していた脳内フィルターを取っ払って、わざと大きめの声でそう言った。


引っさげてなんて、攻撃的なことなんて言いたくないはずなのに。


こういうときは少し寂しがりながら、それでも笑って送り出してあげたほうが良いのに。


どうしても、どうしても素直に口角をあげられない自分がいる。


「…………うん……」


ユーリはとても哀しそうに俯いて、何も言わなくなってしまった。


おい俺、だめだろ。

なに自分の勝手な焦燥や敗北感なんかで幼なじみ傷つけてんだよ。


友達だろ、昔は一緒に遊んだじゃないか。

今だって心のなかでは仲いいと思ってんだろ。


素直になって…………なにか言ってやれよ。


そう心のなかでは自分を責めて、一歩踏み出そうとするが、


「……じゃあな。頑張れよ、聖職者様」


現実の俺は弱いままで。


そうそっけなく吐き捨てるように呟いて、逃げるように立ち去るしかできないのだ。


ほんと、クソだ……。

こんなんだから神様も認めてくれねぇんだうな。


俺が自分を嘲笑って、座ったままのユーリの横を通り過ぎようとしたとき。


「待って!!」


バッと、今までずっと体育座りで膝に顔を埋めていたユーリが、俺の方に向き帰って手を伸ばした。


座っている姿勢から右手だけ伸ばすもので、傍からみたら、まるで彼女が俺にすがりついているようだ。


――――本当は真逆なのに


俺はすがりつくことすらできずに、逃げようとしているというのに。


「どうし……た…………」


なんとも言えない罪悪感に苛まれ、今度こそちゃんと逃げずにこの優しくも不器用な幼なじみに向き合おうとして…………俺は、声を止めてしまった。


悲しげな表情を浮かべているユーリ越しに、


「見つけたよ! クラル!!!」


そう爽やかな笑みを浮かべる、決して会いたくなかった男が見えたから。


「アクス……」


俺はユーリに寄り添うでも、その場から逃げるでもなく、ただそこに立ちすくんで、コツコツと音を鳴らしてこちらに向かってくるアクストラウマの名をつぶやくしかなかった。




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