第9話「帰路」

 「いや~、この時間の外は何だかんだ言ってやっぱまだ寒いね。俺、酔っ払っちゃって、奥歯ガタガタ言ってるよ。サキちゃんは平気?」

 飲み屋街から20分程歩いてサキのアパートに向かう道中、俺は向坂先輩と並んで歩いていた。

 「っていうか、そうかサキちゃんはノンアルだったか。にしても寒いねこりゃ。俺、地元北海道なんだけどさ、3年もこっち住んでたら道産子の耐寒性欠落したよね。サキちゃんの地元ってどこだっけ?」

 向坂先輩は機嫌良さげにこちらへ話を振ってくる。

 「私は愛媛なんで、こっちよりも温暖ですよ。海も瀬戸内なんで、太平洋より穏やかですし。…あの、向坂先輩、ホントこの辺までで大丈夫です」

 俺は他愛無い返答をしつつ、何度か家までの送迎を断ったのだが、向坂先輩は頑なだった。

 「いや、サキちゃん東京なめたらダメだって。特に夜道の女性一人歩きは危険よ。あ、俺と一緒の方が危ないと思ってたり?大丈夫よ、アパートまでは送ってくけど、ドアの前までは付いていかないから」

 それであればまあ、部屋番号までは知られないし、女性からすれば大変有難い話だろうと思うが、俺は気に入らなかった。男がそんな純粋な生き物じゃない事を、俺は知っている。


 そもそも俺だって。


 飲み会の後にサキと二人で並んで帰ってみたかった。


 そんな思い出を、サキに気があるらしいこの先輩が経験している事が、気に入らなかった。


 俺は、無性にイライラしていた。



 「お、サキちゃんのアパート、ここ?」

 程無くして、サキのアパートに辿り着く。

 俺は何だか、このまま帰る事すらも気に入らなくて、この善人ぶった男に、カマを掛けてやる事にした。


 「向坂先輩、寒いなら、少し上がっていきますか?」


 振り向いて、あくまでも他意は無いという風に装って、向坂先輩を見つめる。


 こいつがバカな男なら、意中の女子にこう聞かれて、Noなんて言う筈がない。

 そうしたら徹底的に罵倒して、二度とサキに近づけないようにしてやる。


 正体を現せ。

 心の中でそう思った。


 しかし、向坂先輩は、


 「え?いや、いいよ。てかそれはダメでしょ」


 と言って笑った。


 俺は正直以外過ぎて、サキの顔で、目を丸くして絶句してしまったのだが、向坂先輩は、そんな俺を宥めるように、

 「サキちゃん、東京をなめたらダメだって。男は可愛い女子の部屋に入ったら無条件で獣になるから。いや脅しじゃなくてマジで。俺は大丈夫!これを見越してさっきのラストオーダー熱燗頼んでおいたから。んじゃっ」

 そう言いながら踵を返して、居酒屋へ戻ろうとした。


 途端に、俺は、自分が本当にバカな事をしたと気が付いた。


 「えっと、あのっ…」

 俺は焦って向坂先輩を呼び止めようとしたが、彼は足を止めずに肩越しに振り返り、

 「あ、そんなつもりじゃないのは分かってるよ!でも俺、日頃の行い悪いからさ、ウチのサークルで変な噂とか立つの嫌だし、それに」



 「彼氏に悪ぃよ」



 そう言って、少し困ったような笑顔で手を振ってくれた。



 俺は少しの間立ち尽くして、


 「…ありがとうございます、先輩」


 そう言って、深く、深く、頭を下げた。

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