第8話「モスコミュール」

 向坂先輩はもっちーと呼ばれた男性の横に座り、改めて他のメンバー達と乾杯をした。席の離れていた俺に対しては、ジョッキを軽く持ち上げて乾杯の合図を送って来たので、こちらも無難に烏龍茶のグラスを持ち上げておいた。

 「向橋むこうばし、お前何して遅れたんよ」

 「向橋じゃなくて向坂です。石谷いしや教授の物理演算テストに付き合ってました。もっさん聞いてないですか?東望とうぼうソフトウェアが新しいソフト開発したんで、その試運転も込みでちょっと」

 「なんだ向川むこうがわ、この貴重な美女達と戯れる時間をあの五分刈りの為に削ったのか。ふん、殊勝だな」

 もっちー氏に嫌味を言われても向坂先輩は「向川じゃなくて向坂です」と返すのみで、気にせず焼き鳥にかぶりついていた。どうやらこの流れはいつも通りらしい。

 「アイノワール、ムコフスキー見すぎ」

 小柄な先輩らしき女性が、横から脇腹を小突いてきた。

 「あんた、地元に彼氏いたんじゃなかったっけ?ムコフスキーに乗り換えるわけ?」

 「はぁ!そんなわけ…!あ、いや」

 つい大きな声を出してしまったが、他のメンバー達はさして気にする様子もなく、自分達の会話に夢中になっていた。良かった。

 「あんた、今日ちょっと変だよ。顔も野暮ったいし、何か荒れてんの?このオロナミン姐さんに話して御覧なさいな。何飲む?お酒はダメよ、あんた未成年だし」

 自称〝オロナミン姐さん〟は、そう言って俺に飲み放題のメニュー表を差し出した。


 「………」


 正直、以外だった。


 実はさり気なく周りを気にしていたのだが、ノンアルコールを飲んでいるメンバーが多い。


 大学のサークルなんてのはもっとこう、酒の美味さも知らずにガバガバ馬鹿みたいに、成人も未成年も関係なく鍋の蓋とかで飲んで、ゲロゲロ吐いたりスケベな話題や絡みで盛り上がる、無秩序な世界だと思っていた。



 だからこそ、サキがそんな世界にいるというのが、到底、受け入れられなかった。



 「…実はちょっと、喧嘩しまして。このサークル、最近飲み会ばっかりじゃないですか。社会人だから大学がどんなものなのか知らないし、やっぱり離れている分、実際どんな集まりか分かんないんで、不安になってるっていうか、なんていうか」

 俺はタブレットで追加の烏龍茶と、オロナミン姐さんのリクエストでモスコミュールを頼んだ。

 「うわー。小っちゃい彼だね~。でもまあ、最近確かにそうかもね。新歓とモッチー誕生日会と、タカじょうの卒論発起会と、色々やったね。まあ若いし、アホな学生はいつの時代もいるし、気にするもんか。あたしには分からんが」

 「小っちゃい、ってか、まあ、そうなのか…。それで、そんなつもりはなかったんですけど、帰ってきてすぐで疲れてたのか、昨日ちょっと口論になって…。あー、でも今こうして思えば、しょーもなかったっていうか。なんか、恰好悪いな、俺…」

 俺がオロナミン姐さんの言葉に少し落ち込みながらもそうぼやくと、オロナミン姐さんは「なに、あんたそれ素なの?」と笑った。

 それからはポロポロと最近のモヤモヤが口から出てきてしまって、俺は今サキの体になっている事も忘れてオロナミン姐さんと話し込んだ。話し込んだというか、めっちゃ愚痴った。

 その度にオロナミン姐さんはモスコミュールを何杯も追加注文し、「つまり彼は肝が小さいわけ」「彼の感覚は高校生の恋愛なわけ」「それはアイノワールがいちいち報告しなくていいわけ、知りたきゃ自分で質問しろ」とボロクソに俺を叱った。


 「あんた、今日はさっさと帰ってやんな。そんでその彼にメンバーと、飲んだメニュー教えてあげな。それで納得しなかったらあたしの連絡先教えておきなさい。あたしが彼に保証したげるわ。ムコフスキー!!」

 小1時間話し込んで、バイトの店員が飲み放題の終了を告げにきた頃合いで、他のメンバーは最後の1杯を注文したが、オロナミン姐さんは俺の注文を遮り、向坂先輩に声を掛けた。

 「アイノワール帰るから、あんた送ったげて。手ぇ出すなよ」

 オロナミン姐さんがそういうと、酔っぱらって少し顔の赤い向坂先輩が「了解ッス!」と敬礼した。酔うと陽気になるタイプらしい。

 「お金はいいから。あんたノンアルだったからね。あと、これ。モスコミュール。カクテル言葉知ってる?」

 「カクテル言葉…?」

 俺はそんな物の存在自体知らなかったので、キョトンとして首を傾げた。



 「〝けんかをしたら、その日のうちに仲直りする〟よ。んじゃ、また明日ね」



 オロナミン姐さんは、背中を向けたままそう言って俺を送り出してくれた。

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