第46話 友人として

 その人声で、その人物が誰なのかを直ぐに判断できた。

 感情という感情は一切なく、かつ気だるげで、味のない声。

 しかし、その声音一つ一つには、底知れぬ重みがある。


 カルテット商会会長。ヴィカトリア・カルテット。


 実に三日ぶりの再会だ。しかも、また助けられてしまった。

 一度目は、レマバーグを襲うアヴァロニカ帝国の騎士の手から。そして、二度目は、


「ぐっ……この魔法……!!なんで、俺以外の奴が……」

「いやいや、君の魔法なんて一切知らないし、今やってるのは君の手法をただしてるだけだよ」

「真似だと……」

「とりあえず、その手を放してくれないかな。ついでにレイズ君も解放してくれたら、この魔法を解いてあげるよ」

「けっ……お前の手中に嵌ってらぁ除るもんも除れねえよ」

「そうだったね」


 そう言ってヴィカトリアは男に向け手をかざす。

 すると、男は力が抜けたように肩を竦めた。


「はい解いた」

「くそっ……」


「わりぃ……」


 レイズはボロボロの身体でなす術もなくよろよろと倒れる。

 その身体を、ヴィカトリアの華奢な肩が支えた。

 

「ちっ、もう少しのところを」

「どうせなら私ともう一戦でもよかったんだよ。余力あるでしょ?」


 ヴィカトリアがにやりと揶揄い気に笑みを浮かべると、ムキになったシルヴィスが鋭い視線を向ける。

 だが──


「誰がてめぇみたいなガキに……っ!!」


 

 ヴィカトリアから発せられる底知れぬ何かが、シルヴィスを委縮させ、ぶるぶると身を震わせた。


(なんだ……コイツの魔力……!!)

 

 分からない。シルヴィスが生まれてこの方、一度も感じたことのないその魔力。

 そんな魔力が、眼前の少女の体内に眠っている。


(俺が……怖気づいているだと!?)


 シルヴィスは悔し紛れに歯を食いしばり、両手をジーンズのポケットに入れヴィカトリアに背を向けた。


「やめだやめ、今日のところは引き分けだ」

「その選択で安心した。こちらから手を出すといろいろと問題になるからね」

「けっ、てめぇみたいな女は裏に足を踏み入れいいもんじゃねえ。さっさと帰れ」


 吐きながら立ち去るシルヴィスに、「そっちが帰るんだ」と小さくツッコミを入れたヴィカトリア。

 その後、ヴィカトリアは己の肩でぐったりしているレイズにそっと声を漏らす。


「大丈夫?」

「もう少しこうさせてくれ」

「すっごいやられ様じゃん。レイズ君ならあんな男軽くしごけたよね?どうしちゃったの」

「アイツの術中に嵌っちまってな」

「何それ言い訳ー」

「悪ぃ、ちょっと」

「おっと……大丈夫。支えるよ」


(本当に力が尽きたように倒れてる……レマバーグとは大違いだ)


 レイズの意気消沈具合を見ると、去って行ったあの男がどの程度の実力だったのかが俯瞰できる。

 仮にもアヴァロニカ帝国の騎士を退けたレイズを、いともたやすく倒した男。


(どうせなら戦ってみたかったな)


 だが立場上、あれ以上の一線を越えられないのは苦労物である。

 ヴィカトリアは落胆でため息をついた。

 

(にしても、レイズ君やられ過ぎな気が……エーリカ王女がいなかったからかな)


 そうメルヘンな推測に頬を緩ませ、ヴィカトリアはパチンと指を鳴らした。

 すると、気絶してしまったレイズがぶわっと宙に浮く。


(とりあえず、レイズ君をエーリカ王女のところまで届けないと)


 再び指を鳴らした途端、空中のレイズから白い線のような光が飛び出てきた。

 その光はヴィカトリアがいる裏路地で落書きのような曲線を描いた後、びゅーんと建物の屋根まで飛んでいった。

 レイズの行動をたどることができる魔力の軌跡だ。

 浮遊状態のレイズと共に、魔法で空気を凝縮させた地面を生成し、屋根に飛び上がったヴィカトリアは、軌跡をたどりエーリカの元に向かった。


 *


「お風呂気持ちよかったですね」

「そうね、良い感じにみんな食堂に来てた時間帯であんまり人もいなかったし」


 人がまばらになった宿の食堂の一角。

 丸テーブルを囲み談笑に浸るエーリカとリリア。

 

「それにしても、レイズの奴遅いわね」

「案外長風呂なのでしょうか」

「あいつがねぇ……まさかのぼせてる?」

「あ、ありえますね……」


 大浴場で一人顔を青ざめてぐったりするレイズを思い浮かべ、互いに微笑を浮かべた二人。その時だった、


「お、お客さん……困ります!!」

「いやだって、彼を仲間の元に送り届けようと……」

「まずは怪我の治療のために修道院へ行くべきでは!?いやそもそもなんで宙に浮いてるのか……」


「どうしたんでしょうか……」

「迷惑な客でも来たのかしら」


 何やら受付が騒がしいので、様子を見に行こうとエーリカとリリアは席を立つ。

 そうして騒ぎの中心へ足を踏み入れると、


「れ、レイズさん!?」

「え!?本当にのぼせてたの!?」


 宙に浮かび気を失っているレイズを一目見て、リリアは頭の整理がつかなくなりパニックになってしまう。


「というか、宙に浮いてるし傷だらけだし!!え?え?何があったの!?」


 一方エーリカは宙に浮くレイズの近くで棒立ちしている少女を見やる。


「ヴィカトリアさん!?」

「お久しぶりです。エーリカ王女」

 

 二人の焦燥具合をもろともせず、自らの名を呼んだエーリカにへらへらと手を振るヴィカトリア。

 そんなヴィカトリア──いや謎の少女の姿に困惑したリリアはエーリカに耳打ちする。


「し、知り合いなの……?」

「えぇ、まあ、カルテ……友人です」


 リリアに応えると、エーリカはおぼつかない足取りでヴィカトリアに歩み寄る。


「ツッコミが全然追い付かないんですけど……一先ず、レイズさんはどうしちゃったんですか?」

「見てわかる通り気を失ってます」

「いやそうですけど、そうなるまでの過程と言うか……」

「私今日王都で何件もの商談を終えてお腹減ってたので、どこか食べるところがないか王都の街をぶらぶらと彷徨ってたんですけど、その途中で輩に絡まれるレイズ君を見かけて。なんか死にそうだったんで助けに行った次第です」

「も、もう少し情報をください」

「それは本人の口からきいてください。疲れたんでそろそろ魔法解いてもいいですか?」

「え?は、はい」


 どうみてもまだピンピンしているヴィカトリアからそう要望され、唖然として頷いてしまったエーリカ。

 ヴィカトリアはパチンと指を鳴らすと、重力が解禁されたレイズはどんと盛大に地面へと落下した。


「レイズさあああああああん!!!」


 慌てたエーリカがレイズに駆け寄り、超早口の詠唱で死霊術を発動し、レイズの傷を塞ごうと試みる。

 淡い紫色の光が放たれレイズの傷がどんどん癒えていく。


「あの、仮にも患者なんですからもっと優しく開放してあげてください」


 その様子を陰鬱な表情で見つめていたリリアが、頭を抱えながらヴィカトリアに話しかける。

 だが、ヴィカトリアは光のない瞳でぐるっとリリアを振り向き、


「誰ですか?」

「えっ?いや、その、二人の仲間、です」

「仲間……?エーリカ王女の?」

「は、はい……というかあなたもエーリカ王女の正体を?」

「えぇ、お仲間さんのようなので自己紹介しますね。私はカルテット商会の会長ヴィカトリア・カルテットです。年が近いようなのでため口で結構ですよ」

「わ、分かったわ。私はリリア・キャンベルよ。それにしてもカルテット商会の会長が友人ねーえ?カルテット商会?」


 その瞬間、リリアの目が満を持して点になった。


「ふーん。まさか異種族と交友関係ができてしまうなんて、エーリカ王女も成長されましたね。いや、今はそういう時代なのでしょう。もう種族で区別することは古いってね!」

「何勝手に一人で納得してるんですか!!ヴィカトリアさんが持って来た厄介ごとなんですから何とかしてください!!」

「何とかって何を?」

「レイズさんの治療は私がしますので、そこで情報量の多さであたふたしてる店主のおじさんかヴィカトリアさんの正体を聞いて固まってしまったリリアさんをお願いします」

「わっかりましたーとりあえずお二人を拳で感じでよろしいですか?」

「力技で解決しようとするのは止めてください」


 本気で二人を物理的に分からせようとしたのか、いまいち感じ取れない笑みを浮かべているヴィカトリアにエーリカは細い目を向ける。

 と、治療が済んだのかレイズが少しずつ目を開けると、目の前で自分を不安げに眺めているエーリカに呟いた。


「……ここは……エーリカ、なのか?」

「はい、そうですよ。レイズさん、いったいどうしちゃったんですか?」

「わりぃ、子供、連れ去られちまった」

「どういうことですか?」


 きょとんとしたエーリカを他所に、むくりと起き上がり床に胡坐を掻いたレイズ。

 ヴィカトリアに頬を打たれ正気を取り戻したリリアも、レイズの話に耳を傾ける。


「お前らが風呂入ってる間、屋根の上で門番してたら朝のチンピラを見つけてな。そいつらが獣人の子供を連れ去ろうとしてたんだ」

「門番……というか獣人のって……」

「リリアさん」


 リリアのを心配し、声をかけるエーリカ。

 しかし、リリアはあくまで冷静な表情を崩さず、レイズに話の続きを促す。 


「大丈夫よ。続けて」

「だから迎え撃ちに行ったんだが、そいつらの師匠とかいうヤツに足止めされて。結局そいつにもボコボコにやられちまった」

「ボコボコ!?」

「じゃあその師匠とやらにコテンパンにされて、子供を取り逃がしちゃったってこと?」

「あぁ、俺としたことが不甲斐ねえ」


 そう言って俯いてしまうレイズに、エーリカとリリアは怪訝そうに互いに目を見合わせる。


「なるほど、私が駆け付ける間にそんなことがあったんだ。とすると、あのチャラ男が逃げた輩の師匠だったわけだね」


 と、一人平然としていたヴィカトリアが勝手に結論付けた。


「でも、獣人の子共を連れ去るって……十中八九亜人が姿を消した一件と関係しているわね」

「じゃあ、今からでも、子供を連れ去った人たちを追いかけた方がいいんじゃないですか?」

「いや、悔しいけどもう無理だと思うわ」

「そう、ですよね……」


「すまねえなリリア。お前の仲間を、助けられなかった」

「レイズは悪くないわよ。悪いのはあのチンピラ達。それに捕まえればいいだけの話でしょ」

「そうだな、ぜってぇ捕まえて……」


 その時、レイズの腹からぐぅぅと音が鳴った。


「ぐおお、腹が減って力が……」

「とりあえず、私もレイズ君もお腹空いてるのでご飯食べませんか?」


「あなたは随分と冷静でいられるわね」


 相変わらず飄々としているヴィカトリアにリリアが横からたしなめる。

 

「わ、私たちも食事をしながら救出方法を考えましょうか」

「そ、そうね」


 空腹感で一目散に食堂に駆け込んだレイズとヴィカトリアに続き、エーリカとリリアも移動する。

 後に残ったのは、呆然と立ち尽くした宿屋の店主だけだった。


「きょ、今日は派手なお客さんが多いなぁ……」


 *


 食堂の角にある丸テーブルに並んだレイズ、エーリカ、リリア。

 そして人数的に小さなテーブルを囲むことを断念し、隣のテーブルにひとりで座ったヴィカトリア。

 四人は各々の料理を頼んだのち、ふうと一息ついたリリアが話始める。


「にしても、私たちが悠々とお風呂入ってる間にそんなことがあったなんてね」

「レイズさんも何故屋根なんかによじ登って門番なんてしてたんですか?」


「なんかエーリカを放置してたら落ち着かなかったんだよ」

「私そんな信用されてないの?」


 自分があれだけ信用していいと胸を張ったのに、それ遠回しに信用していないと言っているような行為をしたレイズ。

 そんなレイズの心を密かに感じ取ってしまったリリアだが、


「ちげぇ、リリアのことは信用してるぜ。ただなんか胸のあたりがむしゃくしゃするんだよ」

「どういうことよ」


 そう言って自身の胸元をごしごしと撫でおろすレイズに、エーリカは罪悪感に呑まれてしまう。


(やっぱり、私がレイズさんの行動を縛っているんだ……)


「エーリカまでなんでしゅんとしちゃうのよ」

「す、すいません。それより、連れ去られた獣人の子供について考えないとですね」

「いろいろ問題が山積みね。連れ去り事件もそうだし、レイズを倒したって言うあのチンピラ達の師匠。それに内通……」

「リリアさん!!!」


 さり気なく秘密を洩らそうとしたリリアの口をエーリカが塞ぐ。


「き、気を付けないと……」

「お前ら本当にやる気あんのか?」


「私達こういうの絶望的に向いてないですね」

「そうね……」


「急にどうしたんですか?」


 と、何も知らないヴィカトリアが三人に向けて問いかける。


「いや何も」

「なんですか隠しごとですか?私とエーリカ王女は友人なのですから話してもいいんですよ」

「いやすいません、本当に話せなくて」

「そうですか。私は友人と思われてないってことなんですね。がっかりです」

「いいいいいいや違いますううううう!!!ええと隠し事って言うのは……」


「エーリカ!!!!!」


 何も学習しないエーリカが秘密を洩らしそうになったので、慌ててリリアが大声で遮る。


「あなたも!!エーリカを揶揄わないでよ」

「ごめんね、エーリカ王女を揶揄うの結構面白くて」


「私そんなにいじられやすいんですか?」


 我に帰ってそう尋ねたエーリカを流し、ヴィカトリアはうんうんと頷いて口を開き、


「でも、今のでよくわかりました」

「何が!?」

「エーリカ王女たちには決定的に足りないものがあると、ね」

「はぁ……なんでしょう」


 呆然とそう尋ねたエーリカに、ヴィカトリアはやる気のなさそうな声音を張り上げて、


「レイズ君が輩の師匠に負けたのも、獣人の子供を救えなかったのも、何か知らないけど隠し事を成功させるためにも!!全てを成功させるにはレイズ君はまだ弱すぎる」


 ヴィカトリアの棒読みながら直球で放たれた言葉に、エーリカとリリアは動揺してしまう。


「ヴィカトリアさん!?」

「ちょっと流石にそれは言い過ぎじゃ」

 

 しかし、レイズはぐっと俯き、


「あぁ、そんなの知ってる」

「あんたは十分強いわよ。私を下したし、モザ=ドゥークだって」

「あれだって、仲間がいたから倒せたようなもんだ。俺一人だったら間違えなく負けてた」

「それは高望みっていう物よ」


 哀しげな表情のレイズにリリアが宥めるが、直後ヴィカトリアが火に油を注ぐ。


「レイズ君はもっと強くなる必要がある!!!」

「ちょっとあなたもその辺で」

「本当の話だよ。だって、現にあの師匠に勝てなかったじゃん」

「それは、何か理由が……」

「理由があったから勝てなかった?じゃあリリアさんはそれが原因で獣人の子供が連れ去られたのは仕方がなかったってこと?」

「え……?」


 ヴィカトリアからそう指摘され、リリアは口ごもんでしまう。


「たとえ何か理由があったとしても、それで自分は悪くなかったと思い込めば成長なんてできない。これは当たり前のことだよ。私だってそんなことしてたら今の地位に就くことなんてできなかった。戦闘でも同じことが言えるね」

「どんなことでさえ、俺があの野郎に負けてるようじゃエーリカを護りぬくなんてできねえよ。今のままじゃリリアに頼っていてもおかしくねえ」


「ごめん、私レイズを肯定することに執着しすぎて、大切なことを見逃してた」


 そう言って俯くリリアに、ヴィカトリアは再び口を開く。


「申し訳ないけどさ、友人だから言わせてもらうね。今のレイズ君じゃエーリカ王女を預けることは、私はしたくない」

「ヴィカトリアさん、私も強くなりたいんです。だからあんまり過保護にされるのはいい気分はしません」

「いいや過保護にさせてください。エーリカ王女には必ずレディニア王国を再興させてもらわねばいけないんです。だから、エーリカ王女が一人前の死霊術師になるまでは、レイズ君やリリアさんに護ってもらわないと」


 それは、間接的にエーリカはまだ弱いと断言していると同義だ。

 そんなの自分で分かっている。だが、いざそうはっきりと伝えられると、胸にくるものがある。


「そんなわけで、レイズ君には強くなってほしい。そのために、私がいくらか助言をしてあげるよ」

「応、頼む!」

「でもね、どうしても力量だけじゃ足りないこともあるんだよね。今のレイズ君には、が足りないんだよ」

「はぁ……?」


 そうドヤ顔で言い放ったヴィカトリアに、レイズは呆然と首を傾け、リリアはえぇと不穏を吐き出す。

 だが、ヴィカトリアと深い親交のあるエーリカには、ヴィカトリアの放った言葉の本懐を容易に掴んでしまった。

 不自然すぎる誘導、そして彼女が放った付属品という言葉。

 その二つの先にあるヴィカトリアの思惑はただ一つだった。 


「あの、ヴィカトリアさん。もしかして……」

「ということで、ヴィカトリアお姉さんのチキチキ出張通販ー」

「絶対そう流れるように仕組んでましたよね!?」


 感情のない声で盛大に言い放ったヴィカトリアが放った言葉から、ヴィカトリアの独壇場が始まった。


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