第33話 黒葬の魔獣モザ=ドゥーグ
ハインゲア王国中央平原に存在する建造物、
魔獣蔓延る平原に突如として現れる巨大な白き巨塔の内部には、ハインゲア王国の長い歴史の中で活躍した四人の騎士像が鎮座している。
それに加えて貴重な歴史遺産が大量に眠っているため、一か月に一度ずつ、交代で王都から護衛騎士の一団が派遣される。
この日は、一か月中央神殿に駐在した騎士が警備を行う最終日。日没と同時に、次の騎士と交代し、王都に帰還する予定だったのだが、
二本の巨大な角を携えた漆黒の巨獣が、中央神殿に向けて盛大に轟音を放つ。
それによって起こった風圧により、神殿のきめ細かな装飾物が一気に風に吹っ飛ばされた。
「黒葬の魔獣モザ=ドゥーグ。年に一度、飢えを癒しに大山脈から降りてくるはずだが、まさかこのような日に来ようとは。やはり俺はついてない」
正殿前でその巨獣に向けて剣を構える一人の騎士。
風でしわくちゃになった黒髪をゆさゆさと整えた男は、冷や汗を垂らしながら眼前に佇む巨獣を眺める。
紅い瞳をギロリと睨ませる巨獣に、騎士はギリリと歯を噛み締める。
助けは来ないかと思考するも、既に駐在していた騎士は馬車で王都に引き払った後。
今中央神殿にいるのは、次にやって来る騎士と引継ぎを行うために一人残っていた自分だけ。つまり、よっぽどの豪運でない限り、誰かの助けはやって来ない。
黒葬の魔獣モザ=ドゥーグ。漆黒の巨躯を持つ巨獣は、己の本能のままに、年に一度だけ北の大山脈バレリアナから飛来する。
そうして人間の町に襲来し、ありとあらゆる食物を食い荒らし去って行く。その中には、当然人間も含まれる。
そのため、ハインゲア王国の騎士は民を守るため、襲撃時には王国から多数の騎士を動員して黒き巨獣を迎撃する。
しかし、これまでこの巨獣を討伐できた試しは一度もなく、大体は騎士全員の魔力を借りた宮廷魔術師、クルーガー・ホルスマンの転送魔法で、大山脈へと引き戻される。その後、大山脈バレリアナに転送されたモザ=ドゥーグは、その一角にある洞窟の中で深い眠りにつく。そうして一年後に目が覚めると、再び地上に飛来し人間を襲うのだが、
よもやそんな魔獣が、何を血迷ったのかこのような場所に飛来してしまうとは。
男は、自分の絶望的な運のなさを呪った。
(宮廷魔術師殿が開発した脳内会話も、このような距離の離れた場では使い物にもならない。だが、この巨体ならば、王都の騎士達は既に感づいているだろう。問題は、騎士が来るまでに、どうやって耐久するか……!!!)
男は剣を握る両手の力をぐっと強める。
(力の差はもはや絶望的、俺が生き延びられたのなら、それほどの強運はないだろう)
男は剣の切っ先を、ぐわんと巨獣に向ける。
「だが、どんなに格上の相手だろうと、誇り高きハインゲア騎士として一歩も引くわけにはいかない!!!」
男の灰色の瞳の眼光が一気に強まる。
すると、男は正殿の前の階段を降り、平原の芝へと足を降ろし、
(まずは、この怪物を中央神殿から引き離さねば)
「こちらへこい魔獣!!」
男は剣を掲げたまま全速力で神殿の外へ足を動かす。しかし、魔獣は男を振り向く気配もなく、中央神殿を見つめているのみ、
(俺なぞ眼中にないという事か……!?)
無理やりにでも注目を逸らすために、今度は魔獣に向かって魔法を放つ。
「《大地に生まれし精よ!我が魔力を持ってその身を制裁の槍と化せ》
男の剣先から一筋の雷が魔獣に向けて放たれる。しかし。魔獣の皮膚に触れた途端、その雷がシュッと消滅してしまい、
「くっ、これだけでは足りんかっ!ならば、
男の周囲から無数の光球が姿を現し、そこから雷が一斉に放たれる。
「ぐっ!」
男は歯を食いしばりながら、魔獣に向けて雷を放ち続ける。しかし、撃てども撃てども、雷が皮膚に接触した時点で消滅してしまう。
(これでは、一方的に魔力を消費し続けるのみか……やむおえんっ!)
男は剣を帯刀すると、上空に向けて手をかざし、
「《大地に生まれし精よ!我が魔力を持ってその身を制裁の怒号と化せ》!!!
天空から放たれた雷撃が、轟音とともに男の周囲に落下する。
その衝撃で辺りに土煙が舞い上がる。
(師より授かった、小規模天候操作魔法。これならっ!)
すると、魔獣の朱色の眼光が、ギロッと男に向けられる。
魔獣はグルルと小さな唸り声を上げ、
ドゴーン!!!!!!
「っ!!!!!!!」
魔獣の巨大な左腕が、男に向けて振り下ろされる。
その衝撃に、男は吹き飛ばされ、地面を転がる。
「ぐっ!!!この……威力は……」
男は先の衝撃で鎧が砕け散り、露わになったシャツの狭間から鮮血が流れ出していた。それでも、なんとか持ちこたえ、剣を支えに立ち上がる男。
だが、足に違和感を感じ、ずるっと膝から崩れ落ちる。
(足を……やられたか……)
その前には、圧倒的な体躯の巨獣が、
「やはり、俺は運が悪い……このような魔獣に屈してしまうのだからな」
男は剣を取り出し、
(死ぬ前にもう一度、妹に会いたかったが……)
男の脳内に浮かぶ、黒髪の少女。
その少女は、一か月前中央神殿へ向かう馬車の前で、自分に頑張ってと鼓舞してくれた。きっと任務中にも、自分の持ち前の不幸体質のせいで、とんでもないことが起こるのではと思い元気の出なかった自分に、最大限の活力を与えてくれた少女。
お礼の一つくらいしてやりたかったと、男はやるせなさを悔やむ。
(だが、最期まで……その一瞬まで……)
少女はいつも、自分に諦めるという選択肢を許さなかった。
(騎士として負けるわけには……!!!!!!)
男は、今までで一番の魔力を剣先にこめ、
「《大地に生まれし精よ!我が魔力を持ってその身を審判の剣と化せ》!!!
剣閃の一撃で射出された特大威力の雷砲が、魔獣の体躯を吞み込むように放たれた。
ジリジリと辺りに静電気が散る。めいっぱいの魔力を消費した男は、その場に膝をついた。どこからか吹いてくるそよ風が、男の黒髪を揺らした。
(ここまでか……)
男の目の前には、先ほどとなんら姿の変わらぬ魔獣が佇んでいた。
「分かってはいたが、かすり傷すらつけられんとは……」
男はぐっと拳を握り締める。
(すまない妹よ。俺は役目を果たせなかった)
その間にも、魔獣はゆっくりとした足取りで男に近づく。その影響か、一帯が地震のように鳴動する。
『ギシャアアアアアア!!!!!』
その時、巨獣は耳がつんざくほどの狂声を上げ、男は再び後方へ吹きとばされる。
「ぐっ……!」
男は立ち上がることもままならず、肘をついて魔獣を一瞥する。
その時にはすでに、魔獣は鋭い牙が生えた巨大な口腔を男に向けていた。
(
そして次の瞬間、目も開けられないほどの光が放たれ、
「さら……ばだ……」
光が男に放たれた瞬間、ひとつの人影が、男へと迫っていった。
*
(うぅ……ここは……)
気付いた時には、視界に晴天の空が広がっていた。
どこかで横になっているのかと、男は悟った。
(そうか……俺は魔獣の
その記憶は、視界が光に包まれたところで途絶えている。
(となると、俺は死んだのか……短い、一生だったな……)
自らの死を確信し、静かに目を閉じようとしていた、その時、
「あのぅ。大丈夫ですか?」
(……!?)
突然男の視界の中に、茶髪の少女がひょっこりと顔を出す。
少女は翠色の瞳を輝かせたまま、まじまじと自分を見つめている。
(な、なんだ……)
その光景に、男は困惑してしまい。
脳内に溢れ出る疑問を振り払うように、男は再び記憶を掘り返す。
(俺は確か、魔獣に喰われて死んだはず……!?)
だが、その記憶をすぐに放棄してしまう男。
(う、美しい!なんだこの美少女は!?まるで、どこかの国の姫のようだ……)
少女の容姿端麗さに、男は頬を紅潮させてしまう。
当の少女は相変わらず、無言で男を見つめているまま、
(お、俺を見てるのか?だが、なぜだ……話せない……)
男は口をもごもごさせるが、うまく言葉を吐き出せない。
(いや、落ち着け。今までの事を考えろ)
男は記憶と視界だけを頼りに、今の状況を考察する。
魔獣の方向を喰らい、気付いたら自分を見つめる謎の美少女の光景。
この状況を鑑みて、男は一つの結論に行き着いた。
(とするとここは天界か、この少女は女神かなにかだな)
話せないにも関わらずうんうんと納得してしまう男。
そんな男に、少女はなにやってるんだろうと首をかしげる。
(そうだ、その通りだ。でないとこのような美貌を持つ乙女など世界のどこを探しても見つかるはずがない)
異性との交流があまりない男の眼には、少女が絶世の美女のように思えているのだろうか。
(ならば、俺はおとなしく女神の審判を待とう……)
そう言って再び目を瞑ってしまう男に……
「待ってくださいね!今回復させますから!」
(か、回復?何を言って……)
すると、少女が男の腹のあたりに手をかざし、詠唱を唱え始める。
【イフィル・ヴィア・スウィム】
瞬間、少女の手から、紫色の淡い光が放たれた。
少女はなおも詠唱を続け、
(な、なんだ何を話している?いや、それよりもこの術……)
男が少女の放つ術に気を取られていると、
『ギャアアアア!!!』
(っ!?)
突如、聞き覚えもある唸り声が聞こえてくる。
男は、何事かと確認しようとするも、うまく体を動かせない。
少女は詠唱を続けながら、どこかの方向を振り向いて、
「あらら、派手に暴れてますねぇ……」
「なっ!なぜあの魔獣が!?……っ!」
男は衝動的にも声を発せたことに驚くと、少女は再び仰向けの男を見下ろし、
「あっ!やっと話せましたね。酷い怪我だったので心配しましたよ!」
「ひ、酷い?」
「えっとですね、喉元辺りに短い木の枝が突き刺さっていて……」
少女の応えに、男は唖然として口をあんぐり開ける。
一体どの場面でと一瞬考え耽る男だが、考えても無駄だと一蹴し少女に尋ねる。
「すまないが、今がどのような状況なのか説明してくれないか」
「はい。えっと私たち、この近くを通って王都に向かっている途中だったんですけど、そこで仲間が黒い魔獣さんと戦うあなたを見つけまして……」
「……!?す、すると、ここは天界でも何でもない……?」
「天界?いえいえ全然違いますよ。魔獣さんの攻撃があなたに届く前に仲間が助け出したんです。今はその仲間が魔獣さんと戦ってます」
はにかみながらそう発言する少女に、男は羞恥心で顔を隠そうとするも手を動かせず、仕方なく少女から目線を逸らす。
視線を逸らした先には、黒き魔獣と戦う三人の少年少女の姿が、
「魔獣……とすると、彼らがキミの仲間か」
「はい。三人ともすっごく強いんですよ!」
「そうか、だが楽観視はしないほうがいい。あの魔獣はそんじょそこらの魔獣とはわけが違う。逃げるという選択肢を最優先に考え……」
「大丈夫ですよ!私たちが倒しますので!」
「倒す?そうか、キミはあの魔獣をよく知らないようだな」
「……?」
男の言葉に、少女はきょとんとしながらも男の傷が完治したのをみて術を止める。動けることを確認した男は、むくりと起き上がりその場に胡坐を掻くと、正座で座っている少女を振り向いた。
「黒葬、あの魔獣につけられた異名だ。正式名称はモザ=ドゥーグ。その禍々しい名の通り、皮膚に触れれば身体が灰と化す」
「……!!」
「今はまだ互いに牽制し合っているようだが、もしヤツの皮膚に指を一本でも接触させてしまえば、彼らは一瞬で宙を舞う塵となるだろう」
「そんな怖い魔獣さんなのですね」
「ああ、故に倒せるなどと甘い考えをしないほうがいい。俺たちに取れる選択肢は、撃退か逃走だ」
強張った表情でそう言い放った男は、破壊された鎧を脱いで立ち上がる。
「傷を癒してくれたこと感謝する。君の名は?」
「あ、ええと、エーリカと言います」
男と共に立ち上がり、ぺこりと頭を下げるエーリカ。
「エーリカ、良い名だ。俺はオルナー・クライメット。キュオレ騎士団所属の王国騎士だ」
「クライメット!?」
「……?とりあえず、俺は彼らに助太刀する。キミは見る限り
「わ、私は戦えないですけど、皆さんのお役に立ちたいです!」
はきはきとそう話すエーリカに、オルナーは目を丸くして、
「なにか
「普通の魔法とはちょっと違いますけど、そのような術を使えます」
「そうか、なら俺の後ろからついてきたまえ」
「は、はい」
オルナーが歩き出したのを見計らい、エーリカはその後を追う。
「おらあああああ!!!」
ドゴン!!!
『ガアアアアア!!!!!』
漆黒の巨獣をレイズ、リリア、アリッサが三人がかりで取り囲み、隙をついてレイズが突っ込む。しかし、魔獣はすぐさまそれに気づき、レイズに向けて咆哮を放った。
「ちぃ!攻撃が邪魔で近づけねえ!」
「安易に攻撃しない方がいいわ。こいつ見るからにかなりの強敵。何を隠しているか分からない」
交代するレイズの側に、浮遊する剣に乗ったリリアが近づく。
「そういや、お前と共闘するの初めてだな!前戦った時は敵同士だったのによ」
「そ、そうね。せいぜい足を引っ張らないで欲しいわ」
「リリアさんも堅物っすね~」
そこに、槍を構えたアリッサも近づき、三人と魔獣は互いに一直線上に重なる。
「さて、さっきの鳥籠陣形が全く役に立たないって分かったけど、これからどうする?」
「大体、あんなナリしてるのに挙動が早すぎるんすよ。おかげでこちとら一歩も近づけないっす」
「んなら遠くから一撃キメて無理やりにも隙を作ればいいじゃねえか」
「あんた、それができるならとっくにやってるでしょ」
未だに楽観的なレイズにリリアは口を尖らせる。
「まあ、それでもいいっすよ。アタシこう見えて集団戦慣れてるんで」
「ええそれは痛いほどわかってるわ……ねえさっき聞かなかったけど、レイズの魔法ってどんなの?」
剣で浮遊しながらリリアは眼下にいるレイズに問いかける。
「あぁ?俺はなんか拳と足から衝撃って言えばいいのか?そんな感じのやつがバチコーンって発射されるやつだ」
「つまり、拳や足で対象を攻撃すると装填されていた術式が発動して、そこから衝撃波が発射されるって魔法ね」
「リリアさん理解力エグイっすね……」
アリッサがそう感心していると、リリアの頬が僅かに赤らめる。
「まあいいわ。じゃああいつをひるませられる威力の衝撃波を此処から放てる?できれば、あいつを押し倒せるほど強力な奴」
「お前も随分と無茶な頼みするよなー」
「でも、レイズにできないわけじゃないでしょう?」
にやりと口を緩ませたリリアの問いかけに、レイズは両拳をガシッと重ねて、
「ああ!できねえをできるに変えんのが、俺の魔法の在り方だぜ!」
「ちょっと何言ってるか分からないけど……よろしく頼むわっ!」
そう言うと、リリアの浮遊していた剣が光速で移動を開始し、魔獣に向けて一直線に突き進む。
「おぉー早いっすねーじゃあアタシも」
アリッサは槍を構え、そのまま魔獣に向けて突っ込んでいく。
一人残されたレイズは拳を構え、
「不可能上等!!!俺はエーリカを守り抜くために、こんなデカブツに負けてはいられねえんだよ!!!」
レイズの周囲の空気が一気にどよめく。
「おらあああああああ!!!!!!」
バキッと地面を踏み込んだレイズは、勢いのままに拳を魔獣めがけて放ち、
「衝撃放出……」
「待て!!!!!」
突如、後方から聞こえて来た声に、レイズは思わず技を放つのを止め後ろを振り向く。そこにはエーリカと、砂埃がついている白のワイシャツを着た男が立っており、
「エーリカと……お前は……」
その頃、浮遊する剣に乗り、魔獣に向けて突進していたリリア。
リリアは、レイズが一向に魔法を放たないことに後ろを振り返ると、
「あいつ、何で魔法を撃た……」
「リリアさん前っす!!!」
急いで前を振り向くと、その時にはすでに、口をいっぱいに開けた魔獣が此方を向いていた。
「え……?うわっ!」
そこから、魔獣の咆哮がリリアに向けて放たれる。
リリアはブワッと剣を操作しそれを躱すが、勢い余って剣から足を滑らせ地面に落下する。
「くっ……!」
リリアは片手を巧みに動かし、外れてしまった剣を操作する。
そうすると、剣はビューンと音を立ててリリアに向かって来る。リリアは一回転すると、地面すれすれに足の真下に入り込んだ剣に乗ると再び浮遊する。
だが──
「レイズ!!!!!」
リリアが躱した咆哮は、必然的にリリアの後方にいるレイズに迫って来る。
「あ、危ない!!」
男の叫びでレイズが振り向いた時には、咆哮は避けきれる隙のない程の至近距離
に──
「くっ!」
レイズは直前で《衝撃魔法》で両腕を覆い、咆哮を受け止める。
しかし──
「くそっ!!」
魔法で受け止めたにもかかわらず、咆哮は勢いを衰えずレイズを徐々に後退させる。
(スウィップは衝撃は消滅させられても、その先の魔法攻撃は受け止められないんだ……!!)
後ろで傍観していたエーリカは、レイズの強張った表情を見てそう察する。
オルナーは自分の手をエーリカの華奢な肩に乗せ、
「まずい、このままだと身体に咆哮が接触し、彼が灰に!!」
「え!?」
「仕方ない!!!使いたくはなかったが……」
オルナーは、エーリカの肩に乗せていた手を、今度は咆哮を受け止めるレイズにかざす。
「《命じる!その事象を駆逐せよ》!!!
「そ、その魔法は……」
オルナーの気配に気づき微かに後ろを振り向いたレイズは小さく呟いた。
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