第31話 慈悲なる追憶
「うわあああ!!!」
「助けて!」
住民たちの悲鳴が聞こえてくる。
そして──
「エルフは……亜人は……殺さないと……!」
「お父さん止めて!!」
中年の男が、女に長刀を構えている。
その表情は、酷くしわくちゃで苦しそうだ。
「俺たちが……亜人を……」
「いやあああ……!」
「亜人を……殺す!!!」
バシュ!!
「えっ……!」
「なっ!?」
「怪我はないですか?ご婦人?」
男が長刀を薙ぎ払う寸前、クルーガーが魔法で女に防御結界を放ち男の攻撃を受け止めた。
「なんだお前!ぐっ……」
「この方は亜人ではないですよ。暴力はやめましょう」
と、長刀を持った男の腕をヴィカトリアががっしりと握る。
「うるさい……亜人を殺さないと……」
「と?」
「うおおおおお!!!」
男はヴィカトリアの手を強引にも引き離し、ヴィカトリアを振り返り長刀を振る。
しかし──
パチン!
「あっ……が……」
ヴィカトリアが指を鳴らすと、男は長刀を振り上げたまま硬直してしまう。
「どうします?クルーガーさん」
ヴィカトリアは手をスタジャンのポケットに突っ込むとクルーガーに尋ねる。
「とりあえず、事態を鎮静化させるのが先です。動けますか?ヴィカトリアさん」
「ええもちろん」
二人がこくんと頷くと、クルーガーは硬直したままの男の額に手をかざし、
「な、なにを……」
「
すると、男が固まったまま、目を閉じ眠ってしまう。
ヴィカトリアが再びポケットから手を出し指を鳴らすと、男はだらりと地面に倒れてしまった。
「ご婦人は安全なところまで、ここは僕たちにお任せください」
「は、はい……」
クルーガーが優しい口調で話すと、女はこくりと頷いて去ってゆく。
だが──
「亜人を殺せええ!!!!!」
「彼らに敵する者に神の裁きを!!!」
「亜人の命に価値など皆無だ!!!」
「いや!」
「やめて!!!」
村の老若男女構わず、亜人に対する憎悪を吐き散らし、村の住民に襲いかかる者。
そして、その者たちに怯えてガタガタと震える者まで、
村はクルーガーとヴィカトリアが訪れた朝までの活気さはとうに失われ、人々の悲鳴が飛び交う混沌と化していた。
(ではここからは、脳内で)
(ええ)
二人は散開する。それぞれが事態を片付けるために、
「とりあえず、村の騎士たちの駐屯地に……いや、村がこんな騒ぎになっているのに騎士が一人もいないということは……」
「亜人に神の鉄槌を!!!」
「やめて兄さん!」
ヴィカトリアは筋骨隆々な青年に取り押さえられている子供を見つめると、すぐさま指をパチンと鳴らし、男の動きを止める。
「ぐっ!!!なんだガキ!!!」
「ガキじゃないよ。少なくともキミよりは年上だね」
「ぐっ、邪魔をするな……!!俺は亜人を殺さないと……」
「殺さないと?どうなるのかな?」
「帝国に……家族が……」
「っ!?」
ヴィカトリアは腕を天に伸ばすと、男は上空にビューンと吹っ飛び──
「ひぃ!!!」
やがて急降下して地面に真っ逆さま。
だが、寸前で停止し、その衝撃に男は気絶する。
ドン!!
ヴィカトリアが再びパチンと指を鳴らすと、男は地面に落下した。
(聞こえますか?クルーガーさん)
(ええもちろん)
(この騒動を起こしているのは、十中八九アヴァロニカのようです)
(やはりですか。こちらも暴れている人たちが口々にアヴァロニカ帝国の名を口ずさんでいましたよ)
(これで、アヴァロニカの関与が明確になりましたね。考えうる最悪の方法でですが)
「おらぁ!」
ヴィカトリアがクルーガーと脳内会話している最中にも鎌を持った男がヴィカトリアに奇襲をかける。だが、ヴィカトリアは清廉な動作でその鎌を躱し、
「亜人に裁きを!!!」
「ふっ」
「なっ!?」
男の腹に小さな拳を触れさせ──
パチン
「うぐっ!!!」
空いた片腕で指を鳴らすと、男は勢いよく吹っ飛び民家に激突する。
「裁き裁きうるさいんだよ。こっちは頭のイかれた奴らを捌くのに手いっぱいなのに」
「亜人に裁きをおおおおお!!!!!」
ヴィカトリアが休む暇もなく、鎧を着た男がヴィカトリアに向けて突進してくる。
「なるほど。駐屯騎士もラリっちゃったか。こりゃ事態が収まらないわけだ」
「裁きをおおおおおお!!!」
騎士は正気を失ったまま、ヴィカトリアに向けて剣で一閃するが──
「っ!?」
パチン
騎士の剣がヴィカトリアの首筋の至近距離にまで到達したとき、その動きが見事に停止した。
「ごめんね、キミよりもちょっとばかし、私の方が強いから」
銅像のように止まった騎士の背後から、ヴィカトリアは再び指を鳴らし、
「がああ!!!」
突然、何かの圧力が加わったかのように、立っていた地点から勢いよく吹っ飛んだ騎士。その後吹っ飛ばされた軌道の先からトラップのような爆発が起き──騎士は爆発に巻き込まれ、無残にもその場に倒れた。
(相変わらずやることが大袈裟ですね……一応、彼は僕のお仲間なのですが)
(正当防衛ですよ。それに死んでないんだからいいじゃないですか)
ヴィカトリアはその声を聴くなり、クルーガーの方を振り返る。
(で、クルーガーさんは何をしでかそうと?)
脳内会話をしたヴィカトリアの視線の先。そこには、上空に浮遊しているクルーガーの姿が、
(いかんせん数が多すぎまして、これはまとめて処理した方がよろしいかと)
(そうですか、まあご自由に。私を巻き込まないでくださいよ)
(申し訳ありませんが、ヴィカトリアさんは自分の魔法で守ってください。ではいきますよ)
クルーガーは地上から遥か上空で、ローブに隠しておいた魔杖を取り出す。
「暴動もよろしいですが、そろそろ
クルーガーは魔杖をまるで指揮者のように左右に振るう。
すると、そこから淡い黄緑色の光球がクルーガーの周囲に凝集し、
「続唱・
クルーガーは魔杖を天に掲げ――
「
ぶわぁ
クルーガーの中心から、黄緑色の光が一気に拡散する。
魔法の光球は村の全土に降り注ぐ雨のように飛来し、
投下された光球は地面で爆散すると、人々の体内にスポリと入り込む。
そして、体内に同化した光球の術式が、人々を記憶を取り戻すための眠りへと誘った。
宮廷魔術師クルーガーが誇る
「魔法ひとつで村中の人々を眠らせるなんて。さすが、ハインゲアの宮廷魔術師、クルーガー・ホルスマンの力」
(自分で守れと言った手前ですが、僕の術式範囲内に入っていたのに全く魔法の効いてないあなたは化け物ですか)
(まあまあ。で、これからどうするんですか?)
(ひとまず、こうなってしまった原因を……)
(クルーガーさん?)
脳内でクルーガーの声が聞こえなくなったことに疑問を持ったヴィカトリアが、上空にいるクルーガーを見上げると、
クルーガーは怪訝そうな顔つきで、ある一点を見つめていた。
その方向は、ヴィカトリアから少し離れた、大通りの一角。
(何が……)
「きゃあ!」
「っ!?」
突如、甲高い悲鳴が大通りの向こうから鳴り響き、ヴィカトリアは瞬時にその方向を見やる。
「亜人に裁きをっ!!!!!」
「や、やめてください!!!」
(あれは、さっきのケーキ屋……それにあの人は……!)
ケーキ屋の女性店員に鍬を向ける中年の男。それは、早朝からヴィカトリアとクルーガーの跡をつけていた無精ひげの男だった。
(僕としたことが、取りこぼしてしまいましたか)
(いや、クルーガーさんの魔法で取りこぼしなんてあるはずが……)
(まずは彼女を助けることが先決です、僕が行きましょう)
クルーガーは男の方に向かってビューンと急降下を始める。
その速さは地上に降り注ぐ星屑のよう。
「亜人にさばっ……ぐは!!」
ドゴン
クルーガーは男に覆いかぶさるようにして降下し、男の四肢を掴む。
「ぐっ……!お前は!?」
「乱暴は止めましょうか。
「がっ……」
「クルーガーさん!」
クルーガーが男を眠らせるとすぐに、ヴィカトリアが駆け寄って来る。
クルーガーは立ち上がり、ヴィカトリアに向けて──
「このからくりの正体が分かりました」
「えっ!?」
「魂への
「た、魂……?」
クルーガーの呟きの意味をほとんど理解できず、ヴィカトリアは思わずぽかんとしてしまう。
「エルフの里からこの村に降り注いでいたものの正体は、何者かの魂です。それも、死霊術師でもない僕達ですら目視できるほど濃密な」
「つまり、何者かの魂の中に人を狂わせる趣旨の術式が隠されていた、ということですか?」
「そういうことになりますね」
「そんなこと、可能なのですか?」
「不可能です……と言いたいところですが、アヴァロニカには、僕が知る魔法学以上の何かがあるのかもしれません」
ヴィカトリアはぐっと息をのむ。
クルーガーの魔法の才は、ヴィカトリアですら一目置いているほどだ。
王国史上最年少の二十歳という若さで王国一の魔術師の称号である宮廷魔術師の称号を得た男、クルーガー・ホルスマン。
齢十歳にして王立図書館に貯蔵されている二百以上の魔導書を全て読破しハインゲア中を驚かせたクルーガーは、その後第一線で魔術研究を推し進め、宮廷魔術師就任時には古今東西全ての魔法を習得しているとも言われていた。
その男ですら知らない魔法が存在するなど、ありえないほかはない。
「とりあえず、その魂とやらが充満しているうちは、この村を出入り禁止にした方がいいですね」
「そうですね。魂が飛散するまで僕が魔術結界を張っておきます。村の人々の救出はそれからでいいでしょう」
「あ、あの……」
クルーガーとヴィカトリアがお互いに頷いたところに、事態に呆気に取られていたケーキ屋の女性店員が正気を取り戻し、二人に話しかける。
「すみませんが。僕の話を聞いていたのなら、あなたもしばらくこの村に待機していただきたい」
「わ、分かりました」
「魂が飛散するなどと憶測で物を言ってしまいましたが、僕もできるかぎり、あなた方を一秒でも早く救出できるよう尽力します」
クルーガーの言葉に、女性店員はコクリと頷く。
「さて、僕は最寄りの騎士駐屯地で応援を要請次第、王都に戻ります。ヴィカトリアさんは?」
「どうせ次の仕事で王都に向かいますし、乗りかかった舟です。最後まで付き合いますよ」
予想内の反応だったのか、クルーガーがフッと息をこぼすとヴィカトリアは倒れている男を一瞥して心の中で呟いた。
(アヴァロニカ帝国は一体、ハインゲアで何をしでかそうと……)
*
ダリア・フォール北部の山中にあるタリスの滝。
鬱蒼とした森の中に突然現れるこの滝は、その景観の良さから古くから王国民の観光名所としてたくさんの人が訪れた。
しかし数年前、滝一帯を管理していた獣人の一族が突如行方をくらます。
その影響で滝へと続く林道は雑草で埋め尽くされ、道中の森も魔獣の巣窟となりハインゲアの民がタリスの滝を訪れることはなくなった。
「……んっ」
ゴウゴウと轟音が鳴り響く大きな滝の目の前で、バルティナは目を覚ます。
覚醒した途端、口の中にザラザラという違和感を感じる。
「ぷへ……!ぷへ……」
土が入っていることに気付き、それを勢いのままに吐き出す。
「なんだ……ここは……」
立ち上がって、鎧についている土を払ったバルティナは、ぐるりと辺りを見回す。
先も見渡せないほど暗い森、そして反対には悲鳴を上げるかの如く水が激しく落下する巨大な滝。
「ちっ、俺は確か……」
後頭部にジンジンと感じる痛みを手で抑えながら、バルティナは今までの記憶を思い返す。
ミレニア王国の獣人の村を一通り壊滅させ、ハインゲアへの進軍を決めたバルティナ。その手始めに、エルフ達の本拠地であるエルフの里にバルティナ一人で潜入。隙を見て族長を手にかけ、里内のエルフを一網打尽にする計画を遂行しようとしていたのだが、
「なぜか獣人が潜伏していたと思えば……急に現れた金髪のクソに邪魔されて……!!」
レイズとの戦いの記憶を思い出したバルティナは、ひしひしと怒りが湧いて拳を強く握り締める。
そして、地面を足で叩き、ドカンという大穴を開けた。
「クソ!クソ!なんなんだあのクソは!俺たちの計画をクソにしやがって……!!」
バルティナは地面をドンドンと踏みつける。
「そんで最後は……もうよくわかんねえ……巨大な植物に飲み込まれて……気づいたらここに」
突然上空から現れた大地の巫女と名乗る女。もちろん、バルティナがその言葉を知らないはずがない。
その女の前にバルティナや騎士たちは絶望的な力の差に、まるで掌で踊らされるかのように大敗を期した。
「あーあー思い出すと反吐が出てくる。あんな場違い共がいなかったら、俺たちは今頃アヴァロニカに戻って戦勝報告を上げていたのによ」
バルティナが地面を踏みつける勢いはだんだんと強まっていく。
その余波で、辺りは地震かのようにドカドカと振動する。
「特に金髪!!!」
バルティナは戦闘中、レイズが放った言葉を思い返す。
『俺の拳でその理不尽をぶっ飛ばす』
その言葉はバルティナの怒りを更に助長させた。
「あの野郎だけは許せねえ。今度会ったらぜってえぶっ殺す!」
「バルティナ様!」
怒りで激昂したバルティナの前に、鎧が傷ついた一人の騎士が、
バルティナはその騎士にギロリと鋭い目線を向ける。
「うるせえなあ!俺は今ムカついてんだよあの金髪に!」
「そ、その他の仲間は……」
「知らねえよ。あの花ん中入ったやつ全員別の場所に飛ばされたんだろ」
「それならいいのですが……」
「あークソ!むしゃくしゃする!つーかどこなんだよここは」
バルティナは溢れる怒りを紛らわせるために緑髪を掻きむしる。
「あ、あの一つ思い出したことが……」
「あっ!?」
「先程の、バルティナ様と戦った金髪の男のことなのですが」
騎士の言葉を聞いた途端、バルティナはさらに表情を硬くする。
「そいつの話題を出すなムカつくんだよ」
「で、ですが気になることが……」
「なんだよ早く言え。そして金輪際その名を出すな」
バルティナの脅しの混じった口調に戦慄した騎士は、小さな声で恐る恐る話始める。
「は、はい!ええと、ハインゲア王国にバルティナ様が潜入した少し後にですね。レディニア侵攻部隊の長であるオスカー様からの通達が来たことを思い出しまして」
「あ?それがどうした」
バルティナの疑問に、騎士は自身の記憶から通達の文言を一言一句違わずに伝える。
『レディニア王国の第二王女が生き延びハインゲアに亡命。また、王女の亡命に助力した男がおり、その男は侵攻部隊の騎士団の一つと交戦し任務を妨害。消息を絶ったライオネル騎士団団員ディムルット・レギオンとの関与も疑われる。以上を踏まえてハインゲアの亜人殲滅部隊は、現行の任務に追加し王女及び男の殺害の任を与える』
「お前記憶力いいな」
「はっ!ありがたきお言葉!」
「調子乗ってんじゃねえ。でっ?」
「はっ!金髪の男、そしてその男とバルティナ様の戦いをじっと見続けていた茶髪の女がおりまして」
そこまで聞いたバルティナは何かを察し記憶を思い出す。
「確か、あの男は女の名前をエーリカと言っていたな」
「金髪の男の戦闘能力を鑑みて、その女が該当の王女と断定してもよろしいのかと」
「……っ!?ふっ、お前の妄想は加減を知らないようだな」
「も、妄想ですか!?」
心にもない言葉を放たれた騎士が動揺すると、バルティナの口がふっと緩む。
「だが、よくできた妄想だ。あの金髪、こうなったら王女ごとスカンジアの果てまで追いかけ回して潰してやるよ。覚悟しろ、俺を愚弄したことを思い知らせてやる」
その後、バルティナはドカンと地面に胡坐をかく。
「それにしても、あークソ頭いてえ。しばらくここで休ませろ」
「は、はぁ……」
バルディナの脳内に嫌なほど思い出される金髪の男の姿。
その姿は、バルディナに多大なる闘争心を与えた。
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