幕間2 ジェフィ・ノールド1 Before

 元レディニア王国領レマバーグ。現在はその領土をアヴァロニカ帝国が実効支配し、占領下で町の経済が回り、物資が流通している。

 しかし、これまで町の至る所に構えられていた露店は軒並み消失し、半数以上の商店が閉店を余儀なくされた。

 その理由は、アヴァロニカ帝国により流通が制限され、町の商売の在り方が「競争」から「平等」に変わったからだ。

 町の平民にはこれ以上でも以下でもなく、ただ生活に必要最低限の物資のみがアヴァロニカ帝国から配給される。

 そして、生き残った商店にも物流は限られ、利用するのもアヴァロニカ帝国の騎士のみ。

 これによってレマバーグの町は、既に以前のような豪勢で活気さが溢れる景色はどこ吹く風かのように、アヴァロニカ帝国によって冷たく暗い雰囲気に統制されていた。

 

 レマバーグ中心街にある円形広場。そこに、レマバーグの町を警備する多数の騎士が集められていた。

 騎士達は皆何かの脅威を感じるようなおじおじとした表情をしながら、横長の長方形に整列し正面の演台を見つめている。

 そこに、一人の騎士に誘導されながら白金の鎧を装着した二人の騎士が壇上に上がる。

 演台の中央に直立した老齢な騎士、ヴァン・グラスト。そして、その脇で自分たちを見つめる騎士達を一瞥した眼鏡の騎士、ジェフィ・ノールド。

 その瞬間、広場中に張り詰めた空気が流れた。やがて、周囲を見渡し終えたジェフィが静かに口を開く。


「本日より、レマバーグ占領区の統括官を務めることになりました、アヴァロニカ帝国ライオネル騎士団傘下グラスト騎士団です。こちらにおられますのは、団長ヴァン・グラスト。そして、私が副団長のジェフィ・ノールドと申します」

「よろしく頼む」


「……」


 ジェフィの自己紹介と共に、ヴァンが騎士達に向けて一礼する。

 しかし、騎士達はそれに応じることなく、ただ厳格な表情を向けているだけ。

 そんな礼儀知らずな騎士達に腹立たしさを感じたジェフィは、心の中で思考する。


(仮にも上官となる者に対し、礼の一つもなしですか……)


 だが、釘を刺すのも野暮だと思い、咳払いをして話を続ける。


「……コホン。既にレマバーグはアヴァロニカ帝国により実効支配が開始されました。それによって、あなたたちは何らかの処遇を受けますが、それを待つまでは、従来通りこの町の警備に勤めてください」


 すべてを言い終えたジェフィは、中央で沈黙に徹していたヴァンに尋ねる。


「以上です。団長。何かございますか?」

「うむ」

 

 ジェフィの問いかけにヴァンが頷くと、そこにいる騎士全員に眼目を一気に強める。

 その瞬間、解き放たれた威圧感に騎士達は委縮して冷や汗をにじませる。


「そなたらは、レディニアを守護する盾であっただろうが、我らの軍門に下ったからには、我が帝国のために、この地を守護する盾となってほしい」


「……っ!!」


 この老騎士は何を言っているのだろうか、そこにいる騎士全員の思考がそれに収束した。

 荒廃したこの町を警備するのはおろか、あまつさえ自分が従属していた王国を滅ぼした相手に今更服従などできるものか、と。

 だが反論しようにも、ヴァンの圧倒的な存在感に圧迫され口ごもってしまう。

 ヴァンは続けざまに語気を強め、そんな騎士達の胸中を分かっているかのように話を続ける。


「そなたらの胸の内に抱えている者もいるだろう。長年敵対関係にあった我らに隷従するなど言語道断だと。だが、これだけは言わせてもらう」


 ヴァンは一息つき、眼目をこれ以上ない程に沸き立たせ、


「──己惚れるなよ。これはそなたらが我々に敗北を期した結果だ。敗者は強者に屈するが自然の摂理。もし我らの占領に異を唱え反抗を行った場合、その者の首は容赦なく切り捨てさせてもらう」


「……!!」


 ヴァンの発した一言に、騎士達はざわめきも立てられず悲愴に暮れる。

 もしアヴァロニカ帝国に抵抗すれば、待っているのは死のみ。

 騎士達の顔色が変わったことを見極めたヴァンは、一言。



「以上だ」


「では、挨拶を終わります」


 ジェフィがそう話を区切ると、ヴァンと共に演台を降りる。

 後に残ったのは、騎士達の声に出せるはずもない悲鳴のみだった。


 * 


 集会が終わり、横並びでレマバーグの大通りを歩いていたジェフィとヴァン。

 ジェフィは町の景観を一目見渡すと、隣にいるヴァンに話しかける。


「見ない間に、随分と雰囲気が変わりましたね。この町」

「恐怖しているのだろう。我々にな。いつ殺されるか分からない、そんな見えぬ未来に」


 ひたすら前を向き、そう口にするヴァン。

 時々、自分たちを通り過ぎる民の眼も、この先の未来を見ることすら不可能なほど悲観に満ちている。

 そんな民をちらりと覗き、悲しげな顔をするジェフィに、ヴァンは告げる。 


「情けをかけるなよジェフィ」

「は、はい」

「我々にとって民草の命を奪うことなど、茶の湯を沸かすと同義」

「心得ております」

「我々は主君のために、任を遂行するのみだ」


 と、ヴァンはジェフィの顔色を窺い尋ねる。


「うかない顔だな」

「……はい?」


 発言の意味が分からず、ポカンとするジェフィにヴァンは顔を強張らせたまま話を続ける


「ルイズ達の事か」

「すみません……少々、思い返してしまいまして。彼らと再びこの町を訪れたらどんなによかったか、と。団長も……」


 そう同意を求めようと、ヴァンを振り向いたジェフィ。しかし、ヴァンは──


「あの三人の事は忘れろ」


 心にもないヴァンの発言に、ジェフィは顔をしかめる。


「なっ!?仮にも仲間だった者たちのことを忘れろなどできるはずがないでしょう!!」

「忘れろ。命令だ」

「……!!」

 

 さらなるヴァンからの一言に、ジェフィは言葉すら発せず、ヴァンを一目見る。

 だが、ヴァンはジェフィの心境などお構いなしに言葉を吐き出す。


「お前が私に声を荒げるなど初めてだ。相当殉死した三名に心を揺さぶられているのだろう」

「殉死……なっ、何故団長はそのようなことをおっしゃることができるのですか?」

「オスカー様は正しいことをなされた。アヴァロニカ帝国騎士に弱者など必要ない」

「あなたは人のことをなんだとっ!?」


 ジェフィは反論しようとするもヴァンの眼目に威圧され、心を乱したことを詫びる。


「……申し訳ありません。気を取り乱しました」

「それでいい。今日オスカー様に命ぜられた任は覚えているな?」」


 ヴァンの問いかけに対し、ジェフィは今の一件で奥にしまい込んでしまった記憶を無理やり引きずり出す。


「はい。レマバーグの領主を我々の息がかかった者へと交代せよ……」

「うむ」

「今は、誰が……?」

「ネヴァン・イシュタリア。我らが殺害した元領主、ステラ・イシュタリアの御子息だ」


 ヴァンの応えに、ジェフィはため息を吐き出し愚痴を漏らす。


「そうですか。もう代わりの者の手配は済んでいると聞いておりますが、イシュタリア家もなかなかしぶといですね。素直に領主の座をこちらに渡そうとしない」

「それに、現領主を引きずり下ろすことは簡単ではない。母君を殺された恨みは当然持っているだろうからな」

「ですよね。そこは私たちの交渉の手腕が問われます。最悪、脅迫まがいの方法も手段のうちに」


 頭を抱えたそう言い放ったジェフィに、ヴァンはジェフィの発した言葉を呟く。


「交渉、か」

「どうしました?」

「ジェフィ、もう一度言う」

「はい」


 何かしてしまったかと思考を巡らせるジェフィだが、ヴァンが発した言葉は単純なものだった。


「情けをかけるな」

「は、はい?」


 再び同じ文言を告げられ立ち止まってしまったジェフィ。

 ヴァンはそんなジェフィを気にすることなく無言で足を動かす。

 二人の先にある建物、町でも一際目立つ純白の屋敷。

 そんな屋敷の前にさしかかった時、ヴァンは遅れて後ろから歩いてきたジェフィを確認すると小さく呟く。


「ここだな」

「前は立ち入ることさえ叶いませんでしたからね。今回は邪魔が入らないといいのですが」

「入るぞ」

「は、はい」


 ヴァンの言葉に、ジェフィが頷く。

 屋敷の正門に仁王立ちする衛に、アヴァロニカ帝国の徽章を掲げたジェフィ。

 衛兵が扉を開けるなり、二人は屋敷の中に入るが──


「おい!!!」

「「……!?」」


 突如、後方から聞こえてきた声に、二人は声の先を見つめる。

 そこには、騎士数人と揉める男達の姿が、


「なんですかね」

「我々に対する民の抗議だろう」


 ヴァンの言った通り、ジェフィはその男たちを見つめる。

 騎士は鎧の柄から推察するにレマバーグの駐屯騎士だろう。

 男たちはダボついたシャツを着用し、騎士に文句を垂れている。

 その内容は、もっと配給をよくしろ、これ以上は食っていけないなど様々。

 ジェフィはその言葉でヴァンの発言に納得する。

 ヴァンは鋭き双眼でその光景を見渡し、口を開く。


「どうやら、苦戦しているようだな。然り、レディニアの騎士ならば当然か」

「そのようですね。我らが加勢した方がよろしいかもしれません」


 ジェフィもヴァンの発言に納得し、言葉を漏らすが、


「私が行こう」

「はい?いや、ここは私が、団長は領主との交渉へお向かいください」

「いいや。領主との交渉はお前がやれジェフィ」

「わ、私ですか!?」


 ヴァンの思ってもみなかった発言に、ジェフィは目を丸くする。

 一方、ヴァンはそのまま話を続け、


「ああ、お前が成長するいい機会になるだろう」

「成長?」

「お前にはまだ迷いがある。それは、ルイズや亡き我が部下への思い。そして心だ。それらはお前に付きまとい、お前の行動を惑わせる。お前には成長が必要だ」

「……っ」


 ジェフィの脳内に先ほどのヴァンの発言が思い出される。

 亡き部下を捨て駒のように扱い、オスカーの行為を肯定したかのような発言。

 そんなヴァンに、ジェフィの中には鬱憤が貯まり続けていた。


「いいな、私は騒動を鎮圧する」

「だ、団長!」


 ジェフィの叫びも聞かず、ヴァンは騒動を止めに向かってしまう。

 一人取り残されたジェフィは、仕方なく屋敷の中に入って行く。


 屋敷の庭園を抜けるジェフィの足は素早かった。

 ジェフィは周囲に広がる美しい庭園の景色に視線を移すことなく、ただ下を向いて足を進める。

 それは、自分の中に貯まり続けた鬱憤を晴らすためか。はたまた──


(団長は何を仰られるんだ。部下が死んだというのに、なぜあのように人の心のない発言ができる)


 ジェフィは、此処にいるはずもないヴァンを心の中で糾弾する。


(私は、彼らを忘れるなど……!)


 ジェフィの脳に思い返されるルイズらと情景。その一つ一つがわだかまりとなってジェフィの体内に蓄積する。

 なぜルイズ達は殺されてしまったのか。なぜ自分だけが生き残ったのか。彼らを殺したオスカーという人物像は。

 あふれ出る疑問を押さえるのに必死だったジェフィに、どこからかハスキーな声が聞こえてくる。


「騎士……様……?」


(……!?この屋敷の使用人か?)


 噴水の手前でバケットを持った赤髪の長身女性。

 ジェフィは全てのわだかまりを一旦吹き払い、その女性に自らの名を明かす。


「失礼します。アヴァロニカ帝国グラスト騎士団副団長ジェフィ・ノールドです」


 女性はジェフィがアヴァロニカ帝国の騎士だと分かると、何かを思い出したように話し出す。


「騎士様、現領主様との会談を予定されていると仰せつかっております。私は当屋敷の侍従長ヘンリ・ノーゼンでございます。今日はおひとりで?」

「いえ、少々外で悶着がございまして。団長はそちらの対処に向かっております」

「……そうですか」

「何か?」


 ヘンリが怪訝そうな顔つきになったことに、ジェフィは鬱憤を払いきれずに気を強めて尋ねるが、


「いいえ!今、執事をお呼びいたします。少々お待ちを」

「申し訳ないのですが、時間が惜しいのであなたにお願いしたい」

「わ、分かりました!ではこちらへ」


 そう言ってヘンリの誘導に従い、ジェフィは噴水を抜け屋敷を目指す。

 屋敷の玄関口に入ると、そこにいた使用人がジェフィの姿に驚き一瞥する。

 しかし、ジェフィは突き刺さる視線などもろともせず、ヘンリの後を追うように一階の廊下を突き進んだ。

 ジェフィは廊下の煌びやかな内装を見渡すと、前を行くヘンリに話しかける。


「豪華絢爛な内観ですね。前領主はこのような趣味をお持ちだったのですか?」

「え、えぇ……」

「そうですか。至極自己中心的で民の命をもろともしない悪徳領主だったのでしょうね」

「……!?」


 亡くなったステラを馬鹿にするかのようなジェフィの発言に、ヘンリは思わず後ろを歩くジェフィを振り向き口を尖らせる。


「全く、民の税を使い恥ずかしくないのですか?もっと民の安寧を一番に考え、そこに税を費やすのが真の領主の在り方でしょう」

「……!!お言葉ですが、騎士様は町の景観を見ておられないのですか?」

「えぇしっかりと拝見させてもらいました。皆肩身狭そうに身を震わせておられましたよ」

「それは……あなた達がきたから……!」

「何か言いましたか?」


 ヘンリはギリギリで感情を押し込めると、ジェフィを廊下のある一角へ誘導する。


「いえ、到着しました。中で領主様がお待ちになっております」


 ヘンリは扉をコンコンとノックし、中にいる人物を呼びつけた。


「失礼します。侍従長のヘンリです。アヴァロニカ帝国の騎士様をお連れしました」

「入れてくれ」


 ガチャ


 すると、中から低い声音が聞こえ、ヘンリは扉を開けてジェフィを招き入れる。

 中には、全身黒のスーツをビシッと着こなした灰色の髪の好青年が立っていた。

 その男は、ジェフィを待っていたかのように金色のソファに招く。


「お待ちしておりました、騎士様。どうぞおかけください」

「失礼します」


 ジェフィは男に一礼すると、こじんまりとしたソファに腰をかける。

 その時、ジェフィは男の身なりを一瞬だけ確認した。


「では、私は紅茶を用意してきますので」

「ああ、よろしく頼む」


 そう男に告げると、ヘンリは扉を閉め去って行った。

 男は、ジェフィの対面のソファに座ると、ネクタイを上げて自らの名を明かす。 


「レマバーグ領主のネヴァン・イシュタリアです」


(やはり、息子ですか)

「アヴァロニカ帝国ライオネル騎士団傘下、グラスト騎士団副団長のジェフィ・ノールドです」

「ライオネル騎士団。確かアヴァロニカ帝国で最も権威のある騎士団だとお聞きしております。あなた様はその方々の部下というわけですか?」

「ええそうなりますね」


 ジェフィはネヴァンがニコニコと笑みを浮かべながら話したことに不審に思い、ネヴァンを見つめる目を細める。

 

(なるほど、表面上は笑みを絶やさないつもりだな。これは早急にカマをかけたほうがいいか)


 ジェフィはため息を吐くと、眼光を強めてネヴァンに告げる。


「本日私たちが伺った件は、もちろん存じられておりますね?」

「えぇ……」

「こちらもなるべく穏便に事を済ませたいのです。どうか速やかに席を降りていただきたい」


 ジェフィの言葉が気に障ったのか、ネヴァンの口調がだんだんと強くなる。


「……!!直球で物を申しますね……!私があなた達に受けた屈辱をまさか忘れたとでも言わないでしょう」


(やはり表面上か……)


「何をムキになっておられるのですか?」


 ジェフィはネヴァンの発言をどこ吹く風かのように紛らわす。

 すると、先ほどまでの笑みはどこへ行ったのか、ネヴァンの表情が鬼の形相に変わる。

 そして、ネヴァンはジェフィの言葉を一蹴し、


「……!今更あなた達に話など通じない。帰っていただきたい!」

「それは領主の座を降りないという意味合いでよろしいのですか?」

「降りるとしても、アヴァロニカ帝国の息がかかった者に譲る気はありません」

「そうですか。それならば、こちらも相応の手段を取らせていただきますが」

「……っ!!」


 一切の感情の変化を見せず、ただそれでいて語気を徐々に強めるジェフィ。

 ネヴァンはそんなジェフィに圧倒され、口ごもってしまうが、


「アヴァロニカ帝国の軍事力。全てをもってこの町に侵攻します。もちろん、抵抗する民やあなたの部下は例外なくみな殺害します。ですが幸いなことに、このような小さな町など半日で制圧できるでしょう。あとになって譲ると申されても、私たちは躊躇なく進軍を続けますよ?」

「ふざけるな……」

「ふざけるな……ですか。死霊術などという愚かな邪教を崇拝したあなた方に、我らは憤慨する他国の先陣を切って誅を下しているのです。あなた方はその贖罪を受け入れ、我らに従属するという審判を……」

「そんなことどうでもいいだろ!!!」


 ネヴァンがいきなり怒号を上げたことにジェフィは驚くが、直ぐに冷徹さを取り戻し話を続ける。しかし──


「どうでもいい……?そうですか。ならあなたは……」

「ああどうでもいいよ!死霊術なんて俺には関係ない!!母の命に比べれば!!」

「っ!?」


 ネヴァンは既にジェフィの制止も聞かないほどに、怒髪冠を衝き涙をこぼす。

 ジェフィはそんなネヴァンに言葉を失ってしまい、


「なぜ、母は殺されなければならなかったのだ……」

「……っ!」

「母はお前らに何かしたのか!!!」


 ネヴァンは怒りのままにジェフィに声を荒げる。

 もはやそれは制御を聞かず、ジェフィとネヴァンの間に置かれていた長方形のテーブルを両手で突き飛ばす。


「っ!?」

「お前らが母の命を弄んだ!!!その罰は受けてもらう!!!」

「それは……!」


 そして、ネヴァンはスーツの内ポケットから、小型のナイフを取り出す。

 向かう先は当然、ジェフィ。


「お、落ち着いてください!!!」

「黙れ!!!!!!」


 ネヴァンはナイフの持つ手をジェフィに向け一気に突進する。

 

「あああああ!!!」


 その瞬間、ジェフィの脳内に再生されたヴァンの言葉──情けをかけるな。

 ナイフはジェフィの腹部の至近距離まで差しかかり、


「うおおおおおお!!!!!」

「くっ!?」


 バシュ!!


 その瞬間、血潮が飛び散る。


「がっ……!!」


 しかし、ジェフィではない。


「……!?」

 

 ネヴァンの腹部から、見覚えのある金色の細剣が飛び出ていた。

 その細剣の周囲から、鮮血がドクドクと飛び出し、


「団……長……?何を!?」


 ジェフィが唖然とした表情のまま、ネヴァンの後ろに佇む老齢の騎士を見つめる。

 騎士は細剣をネヴァンから抜き出すと、今度は背中を薙ぎ払った。


 グシャ!!


 そこから、再び血潮が飛び散る。

 ネヴァンはふらふらとその場に倒れ伏した。


「団……長」


 ジェフィは呆然としながら、ネヴァンを刺した男、ヴァンを一瞥する。


「いいかジェフィ」

「は、はい」


 ヴァンは血に濡れた細剣を払うと、腰に帯刀しジェフィに話しかける。


「誇り高きアヴァロニカの騎士に、人の心など持ち合わせてはならない」

「……!!」

「分かったな?」

「御意……」


 ジェフィは微かに身を震わせながらヴァンに頷く。

 すると、扉がガチャリと開き、


「失礼しますお茶を……ネヴァン様!?」


 ティーポットとカップを乗せた盆を持ったヘンリは、血を流して倒れるネヴァンを見つけるや否や、表情を変えて大声を上げる。

 衝動的に盆を離してしまい、音を立てて床に落ちた。その衝撃でカップはパキンと割れる。

 しかし、そのような音などヘンリの耳に入らずに、真っ逆さまにネヴァンに駆け寄った。


「ネヴァン様!!ネヴァン様!!!!」


 ヘンリの大声に気付いたのか、使用人が続々と部屋に入って来る。

 その使用人たちはネヴァンを見るなり顔を青ざめて外にいる者たちに叫んだ。


「は、早く医務官を!!!」


 そんな使用人たちの姿を無言で見つめていたヴァンとジェフィ。

 ヴァンは振り向きざまにジェフィにこう告げた。


「これで、領主交代への準備が整った。ジェフィ、本拠地へ戻るぞ」

「了解しました……」


 何食わぬ顔で部屋を出ていくヴァンとジェフィに、ヘンリはこの上ない憎しみの表情を向けた。


 *


 レマバーグからレディニア侵攻部隊の拠点であるフローラの村に帰還したヴァンとジェフィ。

 帰還してから最初に訪れたのは、オスカーのいる村の小広場。

 そこで、ジェフィは侵攻軍の長であるオスカーにひとしきりの報告をし、今まさにヴァンと共に立ち去ろうとしていたところだが、


「すみません、団長」

「私は、オスカー様に少々お話がありますので、先にお戻りください」

「……?分かった」


 ジェフィの言うお話というものに多少疑問を感じたヴァンだが、それを追求することもなくその場を立ち去る。

 広場の中心が衝立で囲まれた質素なつくりの本部に残ったのは、オスカーとジェフィのみ。

 ジェフィは一息つくと、金色の王座に胡坐をかきながら無言で自分を見つめるオスカーを振り向く。


「オスカー様、ジェフィ・ノールド。不躾ながらお願いございまして」

「ん。言ってみ」


 オスカーの不気味に光る眼光に気圧されるも、ジェフィは両拳を握って我を保つ。

 レマバーグからの帰り道、馬車に揺られながらジェフィは無言でレマバーグでの一件を思い返していた。

 誇り高きアヴァロニカの騎士にも関わらず、ただ亡き同僚達への思いを寄せていたジェフィ。

 そのためか、ヴァンのようにレディニア王国の騎士に喝を入れることもできず、領主ネヴァンとの交渉もうまくいかず、

 結局、母親を殺されたという強い憎しみを募らせたネヴァンに殺されそうになり、寸でのところでヴァンが駆け付け事態が収束した。

 しかしそんな時ですら、ジェフィはネヴァンが目の前でヴァンに刺されたことに動転しもはや交渉という任すら忘れ戦慄していた。

 誇り高きアヴァロニカの騎士は人の心を持ってはならない。ヴァンが言い放った言葉をあの時の自分に投影するとどうなるか。

 強くならなければ。アヴァロニカ帝国の騎士として、敬愛するヴァンの部下として、後ろを胸を張って歩けるようにならなければ。

 様々な思考を巡らせた末、ジェフィが考えついた答えとは──


「で、俺に稽古を頼みたいと?」

「は、はい」


 ジェフィはレマバーグでの出来事を余すことなくオスカーに伝えた後、オスカーに向けてほぼ直角に頭を下げた。

 そんなジェフィに、オスカーはにやにやと顔を綻ばせジェフィに問いかける。


「よく俺なんかに頼めたね?パイモンがいたら首跳ねられてたよ。頭固いからさああいつ。ま、今は遠征でいないけど」


 オスカーの言葉に、ジェフィは無言で頭を下げたまま、


「お前んとこの団長、ヴァンだよね。なんであいつに頼まなかったの?」

「それは……」

「まさか、俺がヴァンよりも優しそうだからってこと?」


 オスカーが胡坐を搔いている両足を振りながら興味深そうに尋ねると、ジェフィは頭を上げてあわあわと否定し、


「いえ!決してそんなわけでは」

「それとも、ヴァンに迷惑かけたくないから俺でいいやみたいな?」

「断じて違います!!!」

「お前もかったいなーもっと素直になればいいのに」

「お、オスカー様に対しそんな無礼講などできるはずが……!」

「俺に稽古を頼むって時点で無礼講だけどね」

「……!!」


 オスカーがにやにやと目を細めながらジェフィにそう話すと、ジェフィは目を丸くして黙り込んでしまう。

 ジェフィのくるくると移り変わる感情の変化にオスカーは微笑しつつ、片手に顔を乗せて、

 

「ま、そんなかんじで上官に迷惑かけるなーって言ってんのパイモンみたいな堅物だけだし、俺は誰にでも稽古をつけてやるつもりだけどね」

「お心遣い感謝いたします」

「いいよ。お前の稽古、俺がつけてやる」

「本当ですか!?」


 オスカーの応えに、ジェフィは表情を一気に明るくする。


「ああ、俺がお前に強くなれって言ったんだし、どのみち俺はヴァンの爺よりもジェフィを鍛えられるからね」

「それはどういう?」

「文字通りだよ」


 言葉の意味が分からずに困惑したジェフィに、オスカーは、バッと玉座から立ち上がりジェフィに詰め寄る。


「でもさ、一つ勘違いしないでほしい」

「なんでしょう……」


 自分よりも小柄にもかかわらず、圧倒的な威圧感を解き放つオスカーにしり込みしてしまう。

 オスカーはどんどんジェフィに詰め寄り、肩同士を擦り付けたところで静かに口を開き、


「俺、稽古中にジェフィ殺しちゃうかもしれないから!」

「……!!」

「そん時はそん時でよろしく」


 オスカーの奇怪に光る藍色の瞳が、ジェフィを狂気の奥底へと誘う。

 その光は、ジェフィの行く末を密かに示していた。

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