第27話 遺志を継ぐ
エルフの里のさらに奥。より一層暗く、カラフルな木々が軒並み連ねる森の中の獣道を、リリアの先導の元レイズとエーリカが移動する。
エルフの里ではチュンチュンとさえずっていた鳥の鳴き声も、今ではばったりと聞こえなくなり、ただ地面を踏むシャリシャリという音だけが聞こえてくる。
木々のざわめきもない、動物の鳴き声も聞こえない。その異質な環境にエーリカは半ば戸惑い気になりながらも、ひたすら先の見えない道を進んでいた。
「なあ今更なんだけどよお」
無音の森に響き渡るレイズの声。リリアとエーリカの沈黙に耐えられなくなったレイズはいつもの甲高い声をあげる。
そんなレイズを、リリアが前を向いたまま咎める。
「静かにして。来る前にも言ったけど、ここは神域なんだから。口を開いたらセレス様の天罰が下るわよ」
「じゃあお前も口開いちまったから同罪だな」
「は?え?あなた嵌めたわね!」
この森に入る前。リリアがレイズとエーリカに言い放った忠告。
神の魂が眠っているという森の中は、一度でも沈黙を破れば魂が目覚め巫女の天罰が下る。エルフの里に代々伝わる伝承だ。
しかし、その伝承を口にした本人が、伝承を忘れてしまったかのようにしかめっ面のまま声を尖らせる。
「二人とも落ち着いてください!」
その様子をエーリカがあわあわしながら制止させようとするが、結局無音だった森の中は三人の騒ぎ声でいっぱいになってしまった。
「もういいわよ……コイツと一緒にセレス様に怒られるわ。それで何か?」
「お前って獣人なのになんでエルフの里にいるんだ?」
「は?」
レイズの質問に今更かとため息を吐きつつ、リリアは先に呟いたエーリカに告げる。
「そういえばレイズさんは知りませんでしたね」
「そうね。私の口から言うとあれだから……エーリカ、話してやんなさい」
事情を察したエーリカが、レイズにリリアの過去について話す。
リリアが獣人とエルフの
「なるほどな。それでエルフの里で俺たちに復讐する機会を伺ってたのか」
「今ではもうその気は失せたけどね」
リリアは前を向いたままレイズに応えた。その声は微かに掠れている。
その気が失せた──けれども、リリアが今まで募ってきた人間への復讐心は、彼女の心を吞み込むまでに成長し、彼女も今日までの行動の全てを復讐心に委ねていた。気を失せたとて、到底その灯を安易に消せるわけがない。
エーリカは、そんなリリアを心配し、そして自分に何かできないかと考え始めた時、レイズの口が開いた。
「つーことはじゃあお前……」
「何よ?」
レイズが何か言いかけたことに、リリアは歩きながら後ろを振り返ると──
「耳が四つあるってことか!」
「は?」
「え?」
レイズの純粋すぎる思考で放たれた言葉に、リリアはおろかエーリカすら固まってしまった。
「いや、私というか獣人はみんなそうで……」
「すげえなお前!なあどこまで聞こえるんだよ?エルフの里中は余裕なのか?」
「はぁ!?えっと……だから」
「ダリア・フォールにあるパン屋のおっちゃんの声とか聞こえるのか?」
「そんな遠くまで聞こえるわけないでしょ!」
「なんだよ、期待させやがって」
「いや勝手に期待したのはレイズの方で……」
相変わらず空気の読まない子供のようなレイズの質問ラッシュにリリアの顔がだんだんと赤くなり、尻尾が一直線に逆立つ。
そんなリリアの気持ちを案じたエーリカが、すかさずレイズを戒める。
「レイズさんもうそれ以上は質問しちゃだめです!!」
「なんでだよ」
「困ってるじゃないですか!!ほらあれほどクールだったリリアさんの顔が真っ赤っかですよ早く謝ってください!!」
空気が読めないのはエーリカも同じだったらしい。
「もういいわよ!二人ともモラルの欠片もないわね!!!」
そう言って激昂したリリアは前を向いてプンプンと歩き出してしまった。
「悪ぃ」
「ごめんなさい……」
リリアに謝罪した空気読めないズは若干委縮しながらもその後を追った。
歩き続けて三十分ほど、三人の前に現れたのは不思議な壁画が彫られた崖。
この周囲にだけ森が途切れており、そこから光が差し込んでいる。
微かに鳥や動物の鳴き声も聞こえてくる。
「行き止まり……ですか?」
「いいえ、到着よ」
「じゃあここにやべえ姉……セレスがいるのか?」
「レイズ、セレス様には敬称をつけなさい」
相変わらずレイズにだけ鋭い表情を向けているリリアはおもむろに語り始める。
「セレス様の
「じゃあどうやってセレス様のところに……」
エーリカの疑問に応えることなく、リリアは崖に描かれた巨大な壁画の真ん前に立つ。
その壁画は、羽の生えた女性が跪く男性に王冠を授けているような様子を描いた絵だ。しかし、実際に何が描かれているのかはリリアですらよく分からない。あくまでそのような様子なのだ。
「セレス様の居場所はね、行くんじゃない。呼ぶのよ」
そう言いながらリリアがその壁画に片手をつけると、
刹那──壁画の周囲に巨大な魔法陣が現れた。
「え?」
「お!?」
レイズとエーリカがその様子を唖然としながら見守っていると、その魔法陣から謎の魔力が放たれ、手を付けているリリアの周辺に滞留する。
ゴオオという
リリアは目を瞑りながら何かを呟き続けている。だがその声は、旋風の轟音でうまく聞き取れない。
その後、旋風はだんだんと大きくなりレイズとエーリカを巻き込んで一帯を飲み込んでしまった。
「うわ!」
「何が起こってるんですか!?」
「もうすこしよ。辛抱しなさい」
レイズは片腕で顔を隠し、エーリカはたなびくスカートを押さえながら目の前の凄まじい光景に目をやった。
すると次の瞬間、激しい勢いだった旋風が突然止んだと思えば、現れたのは美しい草原。
周囲には深緑の木々が周囲を覆っており、そよ風が吹いてザーザーと草原が揺れている。
今では鳥のさえずりも鮮明に聞こえてくる。
「うわ!なんだここ!?」
「こ、これは!?」
その場にいるエーリカだけが、その異常さを知ることができた。
自然界の魂がこの場所から周囲へ拡散し続けている光景。自然の魂の源。
「ようこそ。待っていましたよ」
その透き通った声に、レイズとエーリカは一種の癒しすら感じて声の聞こえる方向を振り向いた。
慣れているはずのリリアすらも、その光景に若干顔が引きつっている。
「あ、あなたは……!」
「一日ぶりですね。レイズ、エーリカ」
レイズとエーリカに話しかけたのは、虹色に輝く長髪を風に揺らした妖艶な女。
この世全ての自然を支配する者──大地の巫女セレス・クロニクル
「ん?なんで俺たちの名前知ってるんだ?」
「レイズ、セレス様には敬語を使いなさい」
とぼけ顔でセレスに尋ねるレイズの言動を、リリアがたしなめる。
「別に構いませんよ」
「いや、でも……」
「私自身、大地の巫女として人々に恐れられて以来、人とはあまり会話を交わしたことはないので、今は少し興奮しているんです」
「そうなんですね」
大地の巫女という神格化した存在にも関わらず、感情を隠さずにさらけ出すセレスにエーリカは微笑む。
「リリアももう何年もの付き合いなのですからため口を使ってもいいんですよ?」
「いえ、そういうわけには!」
謙遜して首を横に振るリリアに微笑しつつ、セレスはレイズの問いに応えた。
「私は自然を通じて世界の全てを存じています。レディニア王国の滅亡も、そこから逃げて来たあなたたち二人も」
「え?」
「大地が私に語りかけてくるのです。この世界で起こる様々な情報を、ね」
「じゃあまさか私の正体も……」
エーリカが後ずさりながらセレスに尋ねる
「ええ、知っていますよ。エーリカ・ディル・レディニア第二王女」
エーリカは一言一句違わずに自分の名を読み上げたセレスに舌を巻く。
一方、エーリカの正体を知ったリリアはあっけにとられてしまい、恐る恐るエーリカに尋ねた。
「あなた、レディニア王国の王女だったの……?」
「は、はい」
「じゃあレイズは……」
「レイズさんは……ええと、いろいろあって私を助けてくれて……」
大事なことを隠しつつリリアに伝えたエーリカはセレスの方を向くと、セレスは微笑みながら口に人差し指を当てた。
(やっぱり死霊術でレイズさんを召喚したことも知ってるんだ……)
「正直、エーリカがレディニア王国を取り戻すって言ってた時半分は正気を疑っちゃったけど。そういうことだったのね」
「はい……すみません。言い出せなくて」
「別にいいわよ」
「まあそう言う事だ。それでセレス、重大な話ってなんなんだよ?」
「そ、そうでした!」
エーリカはレイズの言葉に、この森に出る前にリリアに言われたことを思い出す。
「わ、私たち何かやったのかと……」
「いいえ、そうではありません。ですが話しを始める前に、もう一人呼ばなければなりませんね」
「もう一人?」
エーリカの疑問にセレスが片手を正面に向けると、緑色の光と共に辺りが一斉に光を放ち始めた。そしてその光の中から、人影が出てくる。
「んふ!?あっ!レイズ君エーリカさん!」
やがて人影が実体を帯びてくると、鎧姿の少女が現れ──
「あ、アリッサさ……ん!?」
「誰だお前」
「ひへ……!?」
エーリカはその少女の名を呼ぶも言葉を終える前に少女の姿に驚き、レイズに至っては少女のことを認識できず。
当のアリッサと名乗った少女は、二人の冷たい反応に当惑してしまう。
だが、レイズとエーリカの反応も当然のことだった。
「ひどいっすよアリッサっすよ!」
「いや、どう見ても紛い物じゃねえか」
「なんでですかー!」
髪を後ろに結いつけ白銀の鎧姿の出で立ちは変わらないものの、金色の髪に青い瞳、そして色白い肌をした少女はとてもじゃないが二人の知っているアリッサの像とはかけ離れている。
「ええと、アリッサさん?はなぜこんなことに……」
ひとまず少女をアリッサだと断定したエーリカが、セレスに問いかける。
「一日前のことです。この少女はエルフの里を襲った騎士を非常に恐れ、騒動後もびくびくと小鹿のように戦慄していたのです。身を案じた私は彼女を此処へ連れてきたのですが、此処は癒しの効果があるにも関わらず、何故か彼女は怯えたままでした。ですので私は何とかして彼女を助けようと私の魔法を彼女に放ったのですが」
「魔法……?」
「セレス様は自然の力で生物の心を落ち着かせる魔法を使えるのよ」
ここまでのセレスの話を聞いたリリアは、何かを察する。
「放ったのはいいのですが……此処は里の中でも、エルフの魔力が大気中に大量に充満している場所という事を忘れていて……気が付いたらエルフの魔力が彼女の中に滞留してて……こうなってました!」
語尾を強めて申し訳なさそうに顔を両手で隠す大地の巫女セレスに、エーリカは口をあんぐりと開けたままだった。
「つまり、エルフの魔力を彼女に注ぎすぎて彼女の魔力を飲み込んで同化してしまったってことですか。セレス様にしかできない芸当ですね、悪い意味で」
リリアが、呆れ気味にセレスの言葉を捕捉すると、セレスは顔を隠したままうんと申し訳なさそうにこくりと頷く。
「レイズ、エーリカ。セレス様、あなた達に大地の巫女とか言ってすごい崇められてるけど、こういう一面もあるから気を付けてね」
「私と同じですね……」
「アタシもっす……」
リリアの言葉に謎のダメージを喰らったエーリカとアリッサは揃ってしゅんとしてしまう。
一方レイズは未だに誰だお前と言わんばかりの表情でアリッサを覗いている。
「レイズもいい加減気づいたらどう?協力して私と戦った仲でしょうに」
「んーた、確かによく見たらお前アリッサだな!お前昨日俺らと離れた後どこにいたんだよ?」
「レイズ君人の話はちゃんと聞いてくださいね~」
脳が空っぽになったようなレイズの発言をアリッサが棒読みで指摘する。
「つーかお前は平気なのか?」
「アタシっすか?まあ最初は動揺してたっすけど、セレス様にいろいろ教えてもらったのでもう平気っすよ!今では逆にエルフのすんごい魔力を貰えて重宝してるっす!ほら、こうやって羽も出せるんですよ!」
そう言ってアリッサはううんと踏ん張ると、背中から蝶の羽のようなものが出てくる。
「おぉー」
「ほら!こうやって空も……ぐへっ!」
しかし、それは数秒で消えてしまい調子に乗って宙を舞ったアリッサは地面に直撃する。
「まあまだこんな所っすか」
「でもすげーな!なあアリッサ!」
「なんすか?」
レイズが目をピカピカさせながらアリッサに語りかける。
その様子をぽかんとしながら聞いていたアリッサだが──
「俺と戦えよ!」
「え!?レイズ君とっすか!?いいっすけど槍置いてきちゃって……え?今っすか?」
「ったりめーだろ!」
アリッサが聞き返した時にはレイズは既に拳を突き立て戦闘態勢に入っていた。
「何神域で決闘しようとしてんの。それより、重大な話でしょ」
レイズの興奮を抑えるように話を遮ったリリアは、セレスの正面を向く。
同時にエーリカとアリッサもそれに追随した。
レイズはなんだよと頭を掻きながらもセレスの方を振り向く。
「此度の事件。エルフの里ではエルフ、獣人問わず大量の骸を出してしまいました。そして、族長であるエリオーンも、残虐な騎士によってその命を落としてしまった」
セレスの言葉にリリアは顔を俯き、レイズとエーリカの表情も一層暗くなる。
リリアは分かっていた。エリオーンの死を一番悲しがっているのは他でもないセレスなのだと。
自分たちを遥かに超える時間を過ごしたセレスでも、愛する人を失った傷みはみな平等なのだ。
だがセレスは族長の妻として、エリオーンの亡骸に寄り添うよりも、エルフの里中の遺体を回収することを優先した。
悲しむよりも、皆を纏める長の妻としての役割を全うしたのだ。
「セレス様、エリオーン様は最期こそ何者かに操られてしまったものの、エルフの族長として、長年私たちを導いておられました。彼の死を、私は無駄にするわけにはいきません」
リリアは俯き気にそう話し、拳を強く握る。
「私もエリオーンの妻として、亡き彼の意志を継承します」
セレスはそう言ってリリアの前へと向かう。
「エルフの里は、現在壊滅状態。ここから、この里を取り戻さなければなりません」
「心得ております。私はエルフの里を復興させるために全力を尽くし……」
「それは私たち里に残るエルフの使命です。リリアには、他にやるべきことがある
でしょう?」
「え?」
リリアがセレスの言葉にキョトンとしていると、セレスが一息置いて話始める。
「エリオーンが亡くなり、族長の席が空いてしまいましたね。そこで代々エルフの族長を拝命してきた私には、次の族長を選択するという役目があります」
「は、はあ……」
「その役目を全うし、次の族長をリリア・キャンベル、あなたに指名します」
「はい?」
セレスが言い放った言葉を理解できなかったリリアは、しばらく硬直していた。
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