第25話 大自然

 瓦礫でズタズタとなった集会場の上空に現れた、一人の影。

 虹色の長髪を風にたなびかせた妖艶な女は、無言で下界を見下ろしている。


「なんだ……アイツ……?」

「セレスさん……?」


 レイズとエーリカは訳が分からずに、棒立ちのまま女を見つめていた。

 だが──


 バキッ!


「ぐうぅ!!」


 バルティナだけが、その身を縛る植物を砕こうと体を張っている。


「くそっ!なんだこれ……硬てえ!!!」


 だが、バルティナがいくらその体躯に力をかけたところで、植物には傷ひとつつかない。

 それどころか、植物は徐々に数を増し、バルティナを縛り付けてゆく。


「ちぃ、このクソエルフが……いつまでも俺を縛りつけておけると……」


 すると、上空にいた女が徐々に降下をはじめ、やがてフワッと、バルティナの正面に立つ。

 その女の妖艶な雰囲気に、バルティナさえも息が詰まってしまう。


「っ!?」


 だが次の瞬間、バルティナは何故か、その女に驚愕の眼を向ける。


「なんだ……お前……」


 その驚愕は、次第に恐怖へと変わる。

 女の見えない何かに、身体が畏怖している。しかしその何かを、バルティナは感じ取ることなどできない。


(この俺が……目の前の女一人に怖気づいているだと!?)


 女は無言のまま、バルティナを見つめているだけ。


(違う、俺は誇り高きアヴァロニカ帝国の騎士。こいつらを殲滅するためにここにいる!)


 バルティナはフッと口元を緩ませ、僅かに動く右手で、槍を上下に振るう。

 風の幻影魔法。バルティナの周囲にバルティナの形をした幻影が現れた。

 

(幻影は相手を攻撃できない。だが、より空気を濃密にすると……!)


 空漸くうぎり。空気が凝縮して刃となり、幻影の攻撃でも対象にダメージが通る。

 消費魔力が激しい故に、バルティナ必殺の奥義。


「死ね!カスどもがあああああ!!!!!」


 バルティナの掛け声とともに、幻影が女に向かって突撃する。


「まずい!!!」


 危険を察したレイズは女の守護に向かおうとするが、女は直立不動のまま。


「はっ……?」


 そして次の瞬間──幻影は女に届く寸前に、跡形もなく、全てした。





「まじ……かよ……」


 バルティナはその事実にどよめき、そして──


「おいお前ら!魔術職の奴らはこいつに遠距離魔法をぶっ放せ!!!!!!!」


 混乱したバルティナは周囲の騎士たちにそう命令する。

 だが、女はそんな声など目もくれず、バルティナへどんどん詰め寄って来る。


「ですが、魔法を放てばバルティナ様が……」

「俺のことはいい!この女は嫌なにおいがする!早くやれ!!!」


「はっはい!!!!!」


 杖を持った騎士から火炎放射、氷塊、雷砲、様々な魔法がバルティナもろとも女に向けて放たれる。

 しかしその攻撃は、女にたどり着く前に皆揃って消滅してしまう。


「嘘だろ……おい」

「拒絶しているのですよ。大地が、自然が、現象が──私に傷をつけることを」


 女は初めて口を開き、澄んだ声音でバルティナに伝える。


「は……?」

「この森は、エルフたちの神聖な場所です。それを汚し多くの獣人やエルフを殺戮したそなたらには、相応の罰を与えなくてはなりません」


 女は表情を一切変えず、淡々とバルティナに言い放つ。


「罰?エルフごときが俺たちに……?」


 女の言葉に、怒り狂ったバルティナは声を荒げる。


「舐めてんじゃねえぞコラああああ!!!!!」


 バシュ


「あっ……?」


 刹那──バルティナから血潮が噴き出す。


 だが、誰かが攻撃した訳ではない。


「これ……て……はっ!?」


 バルティナは、おろおろと自身の胴体を覗き込む。

 そして、そこにあった驚愕の事実に、バルティナは濁流のような汗を漏らした。

 鎧、槍、地面、植物、空気──バルティナの周囲に存在する物全てが鋭い刃となり、バルティナに傷をつけたということに。


「何が……」


「その鎧も槍も、もとは自然界より賜りし物。私に声を荒げた結果……その自然が牙をむいたのでしょう」

「何言ってんだ……」

「ありのままを伝えただけですよ」

「ふざけんじゃねえ……そんなこと……あるはずが……!」


 バルティナは植物に縛り付けられたまま、ガタガタと体を震わせる。


「何が起こってるんだよ……」

「はっ!?」


 レイズが女の様子を呆然と見つめる中、死霊術師のエーリカだけが気づいた異変。

 自然、大地、そこにある全ての魂が、彼女の元に帰着していると、


「うそ……まさか……この人が……」


 エーリカはその事実にブルブルと身を震わせる。

 だが女は、エーリカに向けふっとほくそ笑み、


「自然は時に牙をむく。だからこそ、自然に敬意あれ」

「……お前は……一体……」


「セレス・クロニクル。そなたたちの知る名で申せば、大地の巫女──でしょうか」


「大地の……巫女!?」


 セレスの一言に、そこにいた人間全てが凍り付いた。当然だ、そこにいる者たちにとって、聞き覚えのないはずもないほど身近で、それでいて遠い、神のような存在。

 この世の存在の極地、全ての自然を統べる者──大地の巫女

 バルティナは目の前の女の強大さに慄き、溜めていた力が徐々に抜けていく。


「さて、終わりにしましょうか──此処にいる騎士全てをとき放つ魔法を」

「や、やめろ!!!!!」


 バルティナはセレスという脅威に命乞いすらも試みる。

 しかし、バルティナが声をかけた時には、ゴゴゴゴという地の鳴動音と共に、周りにいる植物、空気はすべて、彼女の元に凝集していた。

 セレスは両手を天に交差させ、口を開く──


 《攪乱ゼーラ


 その一言で、セレスの周囲全ての自然が、騎士たちに牙をむいた。

 何が起こっているのか、そこにいる誰もが理解などできない。だが、言葉として、ただ一言に簡潔することができる。


 ──蹂躙


 騎士たちは何もできず、自然という肉食獣に襲われる子鼠のように。

 なす術もなく悲鳴を上げながら、地面に現れた巨大な植物に吸い込まれていった。


「マジ……かよ……」

「うそ……」


 エーリカ、そしてレイズすらも目の前に起こった理解不能な現象に、ただ口を開けて見ていることしかできなかった。

 セレスはため息をつき、戦いで荒地と化した集会場の惨状を見つめる。


「愛しき我が同胞達よ。どうか安らかあれ」


 そうして目を瞑り、騎士たちに惨殺されたエルフと獣人たちに祈祷を捧げた。

 セレスの祈りで、辺りは緑色に光り輝き、周囲から妖精が集まって来る。

 

「はっ!」


 その神秘的な様子に目を輝かせながら傍観していたエーリカだが、ふと我に帰ると一目散に駆けだす。向かう先は。

 

 *

 

 セレスによって騎士たちが壊滅していく様を、朧げな意識のまま傍観していたリリア。しかしその意識も、時がたった今では目を開けられることが不思議なくらいに薄れていた。


(私の命ももう、あと僅かみたい……)


 とうに痛みも感じられなくなった患部を執念とばかりに押さえつけながら、リリアは仰向けでじっと空を見つめる。

 

(私の人生は、ずっと復讐のために生きてきた)


 リリアの脳内に流れる、走馬灯のような光景。

 人間を恨み、復讐心のままに剣術を鍛え、昔父から受け継いだ魔法を上達させ、ひたすら強くなろうとした人生。


(本当は……お父さんと、お母さんと、セルトと、みんなで幸せに暮らしたかったのに……)


 その夢を、人間によって破壊され、そして―― 


(私も、人間に殺されるなんて……)


 リリアのマリンブルーの瞳から、一滴の涙が零れ落ちる。


(本当人間って愚か……っ?)


 そんなリリアの脳内に、一人の人間の少女が映り込む。


(あなたは……?)


 茶色い長い髪の少女は、自分が復讐を果たすための捕虜として、エルフの森に連れて来たはずだった。

 だけどその少女は、獣人たちの住処が人間によって奪われているという事実に涙を流し、

 その後、名前をお互いに打ち明け、それだけで友人になったと確信し。

 牢を脱出したのに、自分を助けるためにわざわざ舞い戻り、


 ちっぽけな自分に心のよりどころを与えてくれた。

 リリアの生涯で唯一、ほんの少しだけ心を開いた人間の少女。

 だがそんな少女にすら、復讐心に染まったリリアは突き放してしまった。


(子供の頃、あんなに人間と仲良くなりたいって思ってた……チャンスだった、かもしれないのに……)


 リリアは、自分の犯した過ちを咎める。だが、それももう遅かった。


(もう、アイツと会うこともないわよね)


 


 呼吸がゼーゼーと乱れていく。視界もだんだんと、曇ってきた。


(そろそろ……頃合いかしら)


 リリアは静かに悟る。 


(みんな、今行くわ……)


 この青い空にいる皆に、プルプルと片腕を天にかざし──


(でも、ほんのすこしだけ、あの子が創る理想の国……行ってみたかったな)


 リリアは、瞳を閉じた。



 *



【イフィル・ヴィア・スウィム】


 ぱぁと淡い光が、自分を包みこんでいるような気がする。どこか、そう、暖かく優しい光が、


(……っ?)


【イフィル・ヴィア・スウィム】


 誰かの声が聞こえる。必死に何かを口ずさんでいる。


(……えっ?)


 やがてその声が鮮明になって来る。リリアは覚醒した瞳で目を覚ます。

 するとどうだろう。さっきまで真っ青な空を見ていたはずのリリアの瞳の先に、いまはなぜか少女の端正な顔があった。


「死んじゃダメです。リリアさん」

「あな……たは……」

「せっかく……友達になれたのに……簡単に死なせるもんか」


 その少女は汗だくになりながら必死に魔法を放っている。

 それを見たリリアは、声も出せずに目を丸くした。


「もう誰も……私の前で失いたくない」


 リリアの患部に添えられたエーリカの腕は、プルプルと震えていた。

 もう魔法を放つほど体力もない。魔力すら、雀の涙ほどだ。

 しかし、エーリカの脳裏に浮かぶ悲惨な光景の数々が、今のエーリカの原動力となり、魔法を唱え続ける糧となる。

 自分の力が足りないばかりに、助けることもできず、目の前で死んでいった大切な人たち。

 もう、誰も失いたくない。誰かが死ぬ瞬間をこの目で見たくない。そして、誰も助けることができない、弱いままの自分を変えたい。

 それはただの自己満足エゴだと、自分でも分かっている。

 だけど、エゴだとしても。

 

「私が……私がリリアさんの人生を、心を救うんだ!!!!!」


 魔法を放ちながら嗚咽し、そう叫ぶエーリカを呆然と見つめているリリア。


「え……?」


 エーリカの魔法で、リリアの傷は徐々に塞がっていく。


「はぁ……はぁ……」


 だんだんとエーリカが息を切らしてきた。


「もう……いいわよ」


 そう言って、リリアが身を起こすと、エーリカは術を止め、フラフラになりながら倒れ込む。そんなエーリカの身体を、リリアの身体が支えた。


「本当に馬鹿ね。私を助けるためだけに自分の魔力を全部使い切っちゃうなんて」

「リリアさんを……助けたかった……から……」


 リリアは立ち上がると、動けなくなったエーリカを背負う。


「あなた、軽いわね」

「今度は……背負ってくれるんですね」


 リリアがエルフの森に来た時エーリカはリリアの腕に無造作に抱えられているだけだった。しかし今は、リリアの背中にエーリカががっしりと背負われている。


「変わんないわよ。どんな態勢でも」


 エーリカがうずくまったまま、リリアは小さく呟く。


「ありがとう」

「え……へへ……」


 エーリカはリリアの暖かい背中で、眠りについた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る