第20話 絶望なんて

 暗く静かな牢獄の中で、エーリカは壁を背にして座りながら床を凝視していた。

 いや、ひたすらに無心のまま、目のやり場を冷たい牢の床に向けているだけ。

 周りにいる女性や子供も、無言のまま座っている。

 あれだけ巡らせていた思考も、今はぴったりと放棄してしまっていた。

 怖いのだ。この先の未来を考えることが、

 

『獣人の怪力と速さ、そしてエルフだけが持つ特殊な魔力。二つの種族の力を合わせ持つ私に、あの金髪は勝てるはずないわ』


 数時間前、少女が言い放ったあの言葉。

 その目に光はなく、魂を見るとドス黒く輝きもない。


 ──紛れもない、誰かに対しての復讐心。


 リリアという少女は、確実に誰かを殺すだろう。

 躊躇などしない。ただ、自分の復讐を果たすだけ。

 そのためには、邪魔する者にも手をかける。

 死霊術師であるエーリカには、それが分かっていた。

 なぜなら、レディニアの王都を燃やし尽くした騎士の魂も、真っ黒だったのだから。


 レイズは、必ずエーリカを助けに来るだろう。

 しかし、その前にはリリアが立ちはだかる。

 信じたい。自分を救ってくれたレイズは、絶対にリリアには負けない。

 けれど、リリアの言葉には、ただならぬ説得力があったのだ。


 放っておけば、レイズはリリアとの戦闘になり──


 自分が止めなければいけない。

 自分が、リリアという少女の、暗く哀しい心を止めなければならない。

 けれど、自分に何ができるのだろうか。

 昨日、アリッサを連れ去ろうとした男たちがレイズとアリッサに捕まる様子を、見ていただけの自分に。

 連れ去られた時何も抵抗もできず、レイズが剣に貫かれる様子をただ傍観していただけの自分に。

 きっとこの牢を出られたとしても、リリアになす術もなく敗北するだけだ。

 もしかすると殺されてしまうかもしれない。


 自分には、こうやって時が過ぎるのを待つことしかできない。

 あの騎士を倒した、レイズの可能性を信じることしかできない。

 エーリカにはもう、何も考えることはできなかった。


 時折、牢にある小窓から外の景色を見る。

 そこからは、揺れ動く木々、そして雲が動く真っ青な空がはっきりと見えた。

 その景色で、エーリカの心は少しばかり癒された。


「あなたは、怖くないの?」

「え?」


 エーリカのすぐ近くで、虚ろな目をした少女が話しかけてきた。

 年齢は、エーリカとそう変わらないくらいだろうか。

 手入れができずボサボサになった白髪とやつれた体は、少女がずっとこの鉄格子のなかに収監されていることが分かる。


「あの失礼ですが、あなたはいつ頃からここに?」

「さあね時間なんて計ったことないけど、私がここに来た時にはまだ誰もいなかったわ」


 その一言で、エーリカはこの少女が一番最初に誘拐された人なのだと察する。


「あなたは、怖くないの?」

「怖い、ですか……?」

「ええだってあなた、絶望してないじゃない」

「……」


 絶望?どういうことなのか。 

 エーリカは女性の真意を掴み取れないまま、話に応える。


「私も、怖いですよ。もし、私を助けに来てくれた人が殺されたらどうしようって」

「あなた自分より、他人の心配ができるのね」

「ある人から、それが私の強さだと言われました」


 エーリカの言葉を受け取ると、少女はエーリカの隣にもたれかかって小窓を見つめる。


「私は、絶望しかしてないわ。自分が殺されるんじゃないかってね」


 小窓から外を見つめる少女の虚ろな目。魂も光はなく薄暗い。

 この先の未来に悲観しているという証拠。


 ──絶望


 その言葉が、エーリカの脳裏に深く突き刺さった。


「多分、ここにいる人たちもみんなそう。突然姿を消した亜人たちに捕まって、こうやって本拠地まで連れてこられた。最初は意味わからなかったわ。でもね、そんな状態がずっと続けばわかるでしょ。いつしか、この先の未来が想像できなくなった」


 少女がそう言うと、ここに閉じ込められた数人がこちらを向く。


「突然……姿を消した?」

「知らないの?ハインゲアで最近、亜人の姿を見かけなかったの。だから何かあるなって思ってたけど。まさかこんなことだなんて思わなかったわ」


 ハインゲアで亜人の姿が見かけなくなっている。それはエーリカにとって初耳の情報。しかし、その理由は考えなくとも分かった。

 恐れているのだろう、亜人たちも。人間に殺されるかもしれないという恐怖を。

 今ここにいる人たちのように、絶望しているのだろうか。


「もう、彼にも会えないのかしら」

「それは……」


 返す言葉が見つからないエーリカの心に、もやもやとした何かが現れる。

 それが何かは、エーリカにも分からない。

 しかし、ぼんやりとその表面だけは伺える。絶望。


 自分も、この少女のように絶望してしまったのだろうか。

 もう、誰も助けに来ず、このまま殺されてしまうのだろうか。

 自分はまだ、何も果たせていないのに、


「レイズ……さん……」

「どうしたの?」


 途端にエーリカの脳裏に浮かんだ、ある光景。

 焼き尽くされる王都の中、エーリカを助けた金色の髪の少年。

 あの時の自分は、確かに絶望していた。

 もう自分は死ぬ運命なのだと悟った。


 けれどその絶望は──少年の拳によって吹き飛ばされた。


「絶望なんて……」

「え?」


 少女はエーリカが何かを言いかけたことに首をかしげる。


「あなたも、やっぱり……」

「違います!!!」

「っ!?」


 エーリカが突然声を荒げたことに、少女は驚いて目を丸くする。


「私はこの先の未来に、絶望なんかしていません!!」

「は……?」

「必ず、レイズさんが私を助けに来てくれると信じています」


「助けなんか来ないよ!!!お姉ちゃんも見たでしょ?あの獣人のお姉ちゃんの顔を」


 鉄格子にもたれかかっていた少年が、エーリカに向かって叫ぶ。


「ですから、私がリリアさんを止めるんです」

「止めるって、第一ここから出れもしないのにどうやって止めるのよ!」

「そんなの私にも分かりません」

「じゃあ、なにもできないじゃない」


 すると、エーリカは俯きながら呟く。


「もう、何もできないままは嫌なんです……見ているだけは嫌なんです」


 エーリカの掠れ声ほどの声音でも、少女の耳には聞き届いた。


「絶望なんて、ただの心の迷いです。その迷いを答えに変えれば、絶望はきっと希望になります」

「そんなの、パッと出のあなたにしかできないわよ。私たちみたいなずっと閉じ込められてる人になんて」

「あなたたちは、そうやって自分はもう助からないなどと勝手に絶望してるだけでしょ!!!」

「はあ!?」


 エーリカの煽りも籠った発言に、少女は思わず声を上げる。


「私は自分がもう助からないなんて微塵も思っていないし、ただ待ってるだけだとも、もう思いません。ちなみに、さっきの発言も悪いと思ってません。だって事実なんですから!」


 エーリカが悪びれもなくそう言い放つ。


「あなた、どれだけ私たちを馬鹿にすれば!?」

「そうです!そうやって私に怒ってください!今一瞬だけ、あなたの表情が変わりました」

「はぁ?」


 エーリカは一息置いて話を続ける。


「答えを作るのに、絶望の度合いなんて関係ありません。大切なのは、どうやってそれを希望に変えるかです」


エーリカの脳裏に浮かび続ける燃ゆる王都の光景。


その時味わった絶望が──エーリカの心を希望に変える。


(あの時は、希望を待っているだけだった。でも、今は……)


 エーリカは自分の拳を、強く握り締める。


「私が、希望を作らないと」


「あなたはどうして……そんな目ができるの」

「絶望はもう味わいすぎちゃいましたから」


 エーリカは立ち上がり、その場にいる全員に言葉を紡ぐ。


「安心してください。ここにいる皆さんは、私が救います」


 エーリカの心に現れたもやもやは、絶望から希望への道標だった。


「さて、ではどうやってここを脱出するかを考えないとですね」


 エーリカは座り込んで思考を巡らせる。

 しかし、硬い鉄格子を破ることはおろか、あの幅の狭すぎる小窓から脱出することなど不可能だと、エーリカは分かっている。


「あの、この中で魔法を使える方はいますか?」


 エーリカは牢の中にいる者たちに尋ねた。

 しかし、返事は帰ってこない。


「大方、魔法も使えなさそうな弱弱しい人を見極めたんでしょう」


 ふと隣から少女の小さな声が聞こえてきた。

 それを聞き、エーリカはさらに思考を巡らせる。


(この中で魔法が使えるのは多分私だけ。でも、私の使える魔法は死霊術だけだし。なら、あれを使うしか……)


「困りごとですか?」


 突然、牢の外から声が聞こえてくる。

 その声に、牢の中にいる全員がその声の主を見た。


 牢の前に立っていたのは、金色の髪の老婆。

 耳が尖っていることからエルフなのだろうか。


「あ、あなたは……」

「失礼しました。私はエルフ族族長エリオーンの妻セレスです」

「え?嘘!?」


 エーリカはおろか、その場にいる全員が老婆の正体に驚く。


「そんな人がなぜここに……」


 エーリカが老婆に尋ねる。しかし、セレスはニマニマと顔に笑みを浮かべたまま。


「僕たちを……殺しに来たの……?」


 少年が恐る恐るそう呟き、小刻みに体を震わせる。

 すると、エーリカ以外の者たちの顔が一気に険しくなった。


「お、落ち着いてください!この方からはそんな気配など……!」

「あなたはリリア・キャンベルを止めたいのでしょう?」

「え?」


 セレスから放たれた言葉に、エーリカは目を丸くする。


「あの……なんでそれを……」

「ならば、私が少しばかり知恵をあげましょう」

「え?」


「ちょっとまって、あなたは亜人側のはずよ?なのにどうして私たち人間に手を貸そうとするの?」


 壁にもたれかかっていたはずの少女が、立ち上がってセレスに向け言い放つ。

 その目は先程までとは違い、光が灯りキリッとしていた。


「確かに、私は今回の誘拐事件を企てた族長の妻です。ですが、私は争いなど望んではいない。人と亜人はみな平等でないとならない。これは、リリアの父親の言葉でした」

「父……」


 エーリカはセレスから放たれた言葉に、数舜の思考を巡らせる。


「しかし、リリアはその言葉を踏みにじるかのように、人間に危害を加えている。この行為は許されるべきことではありません」

「では……」

「ですがその前に、リリアが受けた傷も、あなたには知ってもらわねばなりません」


 セレスがエーリカに向かって冷静に言い放つ。


「そのうえでもしあなたがリリアを助けたいというなら、彼女を止めるのです。彼女の心が復讐心に支配されぬうちに救うのです。あなたには見えるのでしょう?彼女の魂の色が」

「なぜ……私が……」


 エーリカの疑問も聞かず、セレスはエーリカに問うた。


「どうしますか?聞きますか?それともここで、事が済むまで座して待ちますか?」


 エーリカの選択肢は、ただ一つだった。


「そんなの、聞くに決まってるじゃないですか!!!」

「ふふ、そう言うと思っていました」


 セレスは、一息置いて話始める。


「では話しましょう。一二年前、とある村でリリアが受けた、悲しき結末を」


 *


 

 エーリカを牢屋に収容した後、リリアはその足で集会場に来ていた。

 そこには、リリア一人だけ。他に誰もいない。

 リリアは集会場のウッドデッキに上がり、ベンチに座り込む。

 そうしておもむろに、自分の右腕を見つめた。


(もう少しで……あなたの思いが果たせる)


 リリアの目には、遠い遠い、あの日の記憶が鮮明に映し出されていた。

 




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