第15話 少し興味深くありませんか?
ダリア・フォール大通りにある喫茶店。
ハインゲアの伝統音楽が流れるおしゃれな雰囲気の店内で、ヴィカトリアは、退屈そうにダージリンの紅茶を啜っていた。
(おかしい、本当におかしい)
レイズ、そしてエーリカと別れた後。ヴィカトリアは馬車をダリア・フォールの公衆厩舎に停め、その足で次の商談相手との待ち合わせ場所である喫茶店に来ていた。
しかし、予定時刻を過ぎてもその相手は一向に現れず。自称心の広いヴィカトリアは、その後一時間ほど待っていたのだがそれでも現れることはなかった。
流石に何時間も喫茶店に居座ることもできないので、何軒もカフェやレストランを転々とし、こうして今の喫茶店にたどり着いたのだが。
(まあ、こんなクソ辺鄙な場所でわざわざ商談しようとするハインゲアの王都関係者なんて一人しかいないから……うすうす気づいてはいたけど)
時刻は午後五時過ぎ。待ち合わせの時刻は午後一時なので、既に四時間も超過している。
年中忙しいヴィカトリアだが、不幸中の幸いなことにこの日の予定はこれが最後だったのだ。
なので待った。ひたすら待ち続けた。それでも来ない。
(いずれ世界を駆けるであろう豪商のトップとの商談をバックレようだなんて、いい度胸してるじゃない)
流石にピリピリとしてきたヴィカトリアがそんなことを考えていると──
「あ、探しましたよここにいたんですかー!いやすみませんねー遅くなってしまって!」
「あっははやっぱりーじゃあとりあえずそこ仰向けになろうか?」
「え、こんな公衆の面前で何をしようとするおつもりで?」
「何って、ちょっと頭に来たからキメるだけだよ?」
「目が!目が本気!僕死にますから!ちょ、立ったまま首締めようとするのやめてください!いやあああああ!!!」
ヴィカトリアの前にやって来たのは紫色のローブを羽織ったどこか頼りなさそうな灰色の髪の男。
そんな男のヘラヘラとした態度に痺れを切らしたヴィカトリアは、豪商の長という立場も忘れ男の首を締めにかかる。
「気を乱しました。すいません」
「いえ……僕が……遅れたのが悪いので……」
男はヘロヘロになりながらヴィカトリアの対面の椅子に座り、頭を下げて謝罪する。
「でもよかったですね。店内に誰もいなくて」
「ほんとですよ、この時間帯は普段はカップルで賑わうはずなのに誰もいないし、それどころか前の通りにすら若い女性が見受けられない」
男の発言にヴィカトリアが辺りを見回しながらそう応える。
しかし、流れるように男が話を逸らしたことに気付くや否や、ついさっきまでのピリピリとした顔つきに戻る。
「いやまあそれはどうでもよくて、クルーガーさんが予定に遅れるのはいつものことですが、何故今日私はこんなにも待たされなければならなかったんですか?」
ヴィカトリアにクルーガーと呼ばれた男は、テーブルに両肘をついて拳を握りながら話始める。
「僕はいつものように太陽の熱線にやられてくたばってしまったんですがね、そんな中謎の美少女が僕を助けてくれたんです」
「はあ……ではクルーガーさんはずっとその方に看病されていたんですか?」
「そういうことです。途中で野郎が入ってきたのが心残りでしたが、少しの間良い時間を味わせていただきました」
「私が待たされていた間に随分楽しそうなことで」
ヴィカトリアは遅れた理由を誇らしげに話すクルーガーに、笑みを浮かべながらも廃棄物を見るかのような視線を向けた。
「で、クルーガーさんのことだからどうせ商談でもないのでしょう?」
「ええもちろん。そもそも僕は堅苦しい話が嫌いなのでね」
「なら最初からそう言ってくれればいいのでは……?」
「商談とでも言わないと来てくれないと思いましてね」
相変わらず細い目で見つめてくるヴィカトリアを他所に、クルーガーは何枚かの紙を取り出す。
そこにはまるで、現実のどこかを投影したような絵が写されていた。
「これは?」
「僕がダリア・フォールについた昨夜、空間映写魔法で写した景色を、現像魔法を施して作った映写画です。よく、見てもらいたい」
クルーガーに言われるがままに、ヴィカトリアは一枚の絵を注視する。
「女の人がフードをかぶった何者かに手を引っ張られている……これは攫われているのですか?」
「同様の事件が最近ここダリア・フォールで多発しています。先ほどヴィカトリア殿が投げた疑問の答えもこれのせいです」
「なるほど。で、これがどうかしたんですか?」
ヴィカトリアは未だピリピリとした顔つきでクルーガーに尋ねる。
「この事件、少し興味深くありませんか?」
「何が……って、もしや私にこの事件を調査しろと?」
「いいえ、そんなことを言ってはおりません。続いてはこちらの絵を」
クルーガーがヴィカトリアの手元に差し出したのは、三つの風景が違う町の大通りを写し出した映写画。
「これは一体……?」
「部下に撮ってもらった、ハインゲアの主要都市と呼ばれる三つの都市、その中心街の絵です」
「はぁ……これが何か?」
「映ってないんですよ。亜人が、一人も」
「た、たまたまでは……?」
ヴィカトリアの返答に、クルーガーはやって来た店員にコーヒーを注文しつつ鋭い眼光で言葉を返す。
「気になって僕の部下に全国の町の調査をさせたんですが、その結果、最近ハインゲアの市街で亜人と呼ばれる者の往来が極端に少なくなっていると」
「ハインゲアなのに、ですか……?」
「ええ」
亜人とは、人の形をしていながら人間とは異質した特徴を持った種族たちの総称。
亜人は長きにわたって人間とは隔離された生活をしていた。
しかし、ハインゲア王国が永久中立国であると同時に、多様性社会を認めるという立場を取りはじめ、亜人は人間との共存をするようになる。
「亜人はミレニア王国、そしてハインゲア以外の国の人々からは差別の対象になっています。一二年前、スカンジア大陸でも亜人の数が最も多いとされるミレニア王国で、亜人が住む村が一つ滅びました。そうして時を経て、今回のレディニア王国の滅亡。これを関係がないと断言するのは、いささか無理があるのではないでしょうか」
「まさか、アヴァロニカ帝国が密かに亜人の殲滅を行っていると?」
「察しがよろしいですね」
クルーガーは一呼吸おいてから再び話し出す。
「今回の誘拐事件はハインゲアで亜人の姿が見えなくなった時期とほぼ同時期。なので、この事件は少なからず亜人がらみの事件だと思っています」
「ずいぶん強引な考えですね。あなたの言うことだから多少は信憑性がありますが……」
「そこでです」
クルーガーは強引に話を切り出す。
「確かヴィカトリア殿は亜人とも交易を図ろうとしていましたね?しかし、差別問題のせいで難航しているとお聞きしております。もし亜人の数が減少している真相を突き止めれば、その大きな一歩につながると思うのですが?」
「……そうだろうと思いましたよ。ですが、仮にアヴァロニカが関わっていたとしたら。彼らとの貿易関係を築いてる私は正当防衛でもない限り手出しはできませんよ」
「ええですから、僕の調査に協力して欲しいだけです」
「はぁ……どうせあなたは上司から頼まれたのに一人で調査するのは面倒だから私と……いいでしょう。もし私の予定が空いてましたら、少しは協力しますよ」
若干含みのある言い方をしたヴィクトリアの表情を覗いながら、クルーガーは運ばれてきたコーヒーを一口啜り目を光らせるようにヴィカトリアに尋ねた。
「ちょうど、今日と明日は予定がないのでは?」
「……っ!よ、よくお分かりで……」
ヴィカトリアは察する。
明日、ヴィカトリアは久々に予定を空けて休暇に精を出そうとしていたのだ。
この男はわざわざ予定のない日を狙って自分を呼びつけたのか。
どこでその情報を入手したのかと問い詰めたくもなるが、ヴィカトリアも人のことを言えるはずがなく心の中で舌打ちをするに留まった。
「……はぁ、ハインゲアの宮廷魔術師殿は相変わらず計画性のお高いことで」
「お褒めにあずかり光栄です。では明け方、同じ場所でお会いしましょう」
「はいはい。また太陽にやられないように気をつけてくださいね」
お代を置き喫茶店を出ていくクルーガーを、ヴィカトリアは半ばゴネながら見送った。
「せっかくの休みだったのに……」
*
日が沈み、夜空に星が瞬き始めた頃、レイズとエーリカは先の誘拐事件に関わってしまったことでハインゲア騎士団のダリア・フォール駐屯地に呼び出された。
やや広めで白い内装をした待合室で待機していた二人。そこに、黒髪を後ろに纏めた少女が現れる。
少女は先ほどまでの軽装とは違い、がっしりとした鎧を装着していた。
「改めまして!アタシはハインゲア王国キュリオ騎士団所属のアリッサ・クライメットっす!」
(やっぱり騎士だったんだ……)
「エーリカと申します」
「俺はレイズだ!」
アリッサそしてレイズとエーリカは互いに短い自己紹介を交わした。
その後、アリッサは片手を後頭部に当てながら申し訳なさそうに話始める。
「いやー本当に助かりました。アタシ普段は王都の騎士なんすけど、この事件の調査のために今日派遣されてきまして。でもダリア・フォールとか来たことなかったので浮かれて観光してたらあやうく誘拐されそうになってしまって。二人が来なかったらそのまま連れ去られてたっす」
(この人、私と同じタイプだ……!)
「なんでそんなアタシに目輝かせてるんすか……?」
自分と同じような人間を見つけて歓喜に目を輝かせるエーリカを他所に、アリッサは手にしていた羊皮紙を待合室の大テーブルにばら撒く。
「これは……?」
「連日、ダリア・フォールで起こっている事件の記録っす」
「え、そんなの見ず知らずの私たちに見せていいんですか?内密なものとかでは……?」
「大丈夫っすよ。協力者は多いほうがいいじゃないっすか」
「いやそうじゃなくて……」
「とにかく見ようぜ」
羊皮紙には、筆のようなもので各々で起こった事件の状況が説明されている。
レイズは羊皮紙を目を細めて必死に解読しようとするが──
「よ、読めねえ……」
「え!?読めないんすか!?」
「つーか何語だこれ?」
「スカンジア語っすよ!あなたどこから来たんすか!?」
レイズとアリッサのやり取りを傍観していたエーリカ。そこであることを考える。
ハインゲアにより、亜人を含めすべての人々が言語を統一される前のレディニア王国は、今とは全く別の言語を使っていたと文献には残っている。
事実、エーリカが死霊魂召喚を行った時に用いた大英雄の日記帳は、エーリカでも読むことすら叶わなかった。
(記憶喪失の影響なのか、それかやっぱりレイズさんは三百年前の人なのかな?でもどちらにしろ、私たちと会話を交わせる理由が分からない……)
「でもまあいいっす、伝えたいことはひとつだけっすので」
「はぁ……」
「連日起こっている誘拐事件。すべての方が夜中一瞬のうちに連れ去られているっす。なので、目撃者もおらず犯人の足取りも分からずにアタシらは手をこまねいていました。しかし!今回犯人が捕まったことですべてのつじつまが合いました!今回の事件は空を飛べるエルフによる犯行だと!」
アリッサが誇らしげにエーリカとレイズに伝える。
「じゃああいつらが捕まったことで事件解決したってことか?」
「いいえ、犯人は恐らく集団で動いてるっす。もしあの二人だけが犯人だとしたら今まで用意周到にわざわざ夜中、それも人の目がつかない場所で犯行に及んでいたのに、今回だけ人の目があるあの場所でアタシを誘拐しようとするへまは侵さないはずっす」
「確かにそうですね」
アリッサの言葉にエーリカは納得の表情を浮かべる。
「そこでっす、お二人に協力してほしいことが……」
「なんでしょう」
エーリカが首をかしげながらアリッサに尋ねた。
「今夜、囮作戦決行っす!」
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